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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
太陽のない暮らしがあるという事は、知識として知っていたが、自分が体験した事がないので、全く分からなかった。暗い中で探検する事の難しさが十分に伝わってきました。
紙の本
日本が誇る冒険者
2018/04/11 16:08
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投稿者:ジル - この投稿者のレビュー一覧を見る
植村直己が亡くなった際の新聞の評伝では「虚構に挑んだ」という形容詞が付されていたと記憶しているが、30年後の冒険家である角幡唯介にどんな形容詞が適当なのだろうか?
「空白の五マイル」、「アグルーカの行方」以降の著作は少々停滞感があったが、本書は「虚構」である今回の冒険の内容を読者に、確かな筆力の向上により、実感できる。中盤以降はイッキに読み進められ読後の爽快感も格別。
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【八十日ぶりに見た太陽は探検家に何を与えたのか】北極圏の冬は極夜と呼ばれる太陽が昇らない季節となる。暗闇のなか氷床を歩き続け三カ月ぶりに太陽を見た時、人は何を思うのか。
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探検家でありノンフィクション作家である角幡唯介氏の最新作、前作は沖縄の漁師にスポットを当てたルポだったが、今回はグリーンランドで行った極夜探検がテーマ。
極夜というのは白夜の反対で一日中太陽が昇らない状態の事、グリーンランドでは冬の間の数カ月はそんな状態になるらしい。角幡氏は極夜の中を愛犬と一緒にソリを引き、六分儀やコンパスを使用して星の位置を確認しながら北極海を目指すという旅に出る。
愛犬と一緒に旅をするという事で、太古の昔に犬が人間の忠実なしもべとなる過程を追想したり、数カ月ぶりに太陽と見るという行為が、角幡氏自身の娘さんが誕生した瞬間と重なり合ったりと、光が見えない事によって見えてくる世界が非常に興味深かった。
強烈なブリザードに何度も遭遇したり、あらかじめ備蓄しておいた食糧を失ったりと、苦難の末に見た太陽はきっと格別だった事だろう。角幡氏の作品はほぼすべて読んでいるが、これほどの体験をしてしまったら、次の探検場所はもう宇宙しかないのではと思う。
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太陽が昇らない北極圏を、極夜を求めて一人(+犬)で80日間の冒険をした探検記。
「探検とはシステムの外側の領域に飛び出し、未知なる混沌の中を旅する行為」
出産と、極夜から太陽が昇ることの類似性を説く。最初の出産シーンは何事かと思ったがそこにつながるとは。
文体に好き好きが出そうで、ちょっと気にはなるが、とにかく壮絶さが伝わる。
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冒険自体は本当にすごいと思う。何ヶ月も太陽が昇らない極夜が続く北極圏への単独行。何度も危機に陥りながら生還し、太陽を仰ぎ見たときの感慨はいかばかりか、想像を絶するものがある。「生の実感」を追い求める姿に圧倒されてしまう。
ただ、デビュー作から感じていた違和感が大きくなったというのが正直なところ。何と言うか、「昭和の男」的な、無神経でちょとマッチョな雰囲気が濃厚に漂う。新聞記者臭(オレの問題意識こそ何より大事なことであると迷いなく主張する感じ)もかなりある。
同じワセダ探検部出身ということでつい比べてしまうのだが、高野秀行さんにはそういう所が全くないなあとあらためて思った。
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自分の一生で、絶対に体験できないことは色々ありますが、それらを目の前に突き付けてくれるのがノンフィクションの醍醐味の重要な一要素です。著者の作品群は毎回その要素を色濃く持っており堪能できます。「空白の5マイル」ほどのドキドキ感はありませんでしたが、表現の円熟味が増し、引き込まれる度合いは高くなったような気がします。内容が内容だけにすぐに新作は期待しておりませんが、今後も読み続けたい作家さんのひとりです。
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【永い夜に抱かれて】24時間の間に一度も太陽が顔を出さない極夜。長いところでは半年近くにわたって続くその現象の只中に身を置いた著者は,4か月の明けない夜と極寒の底をくぐり抜け,ついに久しぶりの太陽を目の当たりにすることに。その時彼は,圧倒的な光と対面し何を思うのか......。著者は,『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞を受賞した角幡唯介。
今年の暫定ナンバー1。冗談ではなく一生モノの読書体験ができることを確約します。翻訳して世界に出しても十分に好評を博すことになると思いますし,世界史的な貢献という観点からもぜひそうするべき作品だと思います。本作の感動を表現する言葉を持ち合わせていませんが,2018年という年を代表する作品であることは間違いないと思われます。
〜人生には勝負を賭けた旅をしなければならないときがある。〜
こういう作品を読むために今日も本を買っちゃうんだなぁとつくづく感じました☆5つ
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何ヶ月も太陽が上がらない極夜の世界を探検して、戻ってくる話。話っていうか、探検談。ていうか、旅か。極夜の世界を想像したい、けど想像を超えた世界だろうというのが伝わってきて、想像するのを拒まれる。月に感謝し、月を呪う。40代の今が人生の一番良い状態で人生を賭けた冒険ができる、というフレーズもなんか染みるんだよなぁ。とりあえず、生きて戻ってきてくれて本を書いてくれて、この本に出会えたことに感謝!
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NHKの放映を先に見たので、文章と映像がリンクするし、行間が埋まっていく。
ぬくぬくしたところでいくら感想を述べても説得力が無いのだが、自分の中では光を奪われた事の想像すら出来ないし、地理的ゴールが無い中でモチベーションを保ち続けるアイディアのカケラも無い。
冒険物の書物は読後に冒険心を掻き立てる事が多いのだが、本書は全く持ってそれが無い。
まさに想像を絶する世界としか言えない。
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読み終わって、初めて気が付いた。
表紙の写真はよく見ると、月の灯りに照らされた橇が写り込んでいることに。
本を手に取った時には全く気が付かなかった。
極夜。太陽が昇らず、一日中真っ暗な土地が北極にある。
闇の中を行く世界は、体験者でなければ絶対に分からない。
それをあえて筆者は、相棒の犬一匹と共に四年の準備期間を経て挑んだ。
村を出てすぐに受けたブリザードで、旅の行先を測るための六分儀を失う。
更には、四年の準備で蓄えてきた物資は悉く白熊に持ち去られていた。
人が全く存在しない世界で食料を失い、果ては相棒の犬を食料の計算に入れるようになっていた。
妻の出産を経て、極夜の世界で筆者が思い至った真実とは。
常人が絶対に体験できないことを、行間から想像するしかない。
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意外なる犬の好物…!
このように遠くへ連れてってくれる本に出会うと読書の楽しさを改めてしみじみ感じられてとてもよいのです。
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内容(「BOOK」データベースより)
ひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だった―。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。
冒険ものが大好きで、しかも重々しいものよりも血が騒ぐ感じのものが好きな人が居ましたら、悪い事は言わないのですぐに入手して読むべき。人によっては悪ノリとも思えるようなバカ話の部分も僕にはジンジン痺れました。こんな文章書く人だったけ?もっとカチカチじゃなかったっけ?
何処かを目指す冒険ではなくて、夜が明けない「極夜」という地球規模の自然現象を体全体で受け止めて自分の内宇宙を旅するというような、禅問答かと思うような冒険です。
真に真っ暗で広大な北極圏を行く角幡氏の相棒は、愛嬌のあるオオカミ犬「ウヤミリック」。この犬とのやり取りが最高に楽しいし、こいつをいざとなったら喰わねばならぬと追い詰められつつ、彼の痩せ衰えていく姿に心を痛めて涙する、相反するようでがっちりと溶け合った、原初の人間と犬との関わりのような絆にはごんごんと胸打たれました。感動ではないです感動なんて言葉を使うと誤解されそう。彼を食べないと生き延びられないので、それを覚悟してウヤミリックを殺害する夢を毎晩見て、それでもこの犬にどれだけ精神的に依存して旅をしているかが伝わってくるんですよね。上手く言えないけども。
それにしても何か月もずっと暗いってどんな状況なんだろう。自分なら3日くらいしか居られる気がしないですね。昔、のホラーでダークネスっていう闇が追いかけてくるとっても怖い映画がありましたが、それどころではなく常に闇ですからね。あ、でもこんな極地じゃ幽霊も悪魔もいないか。
それにしてもとにかく全てが上手くいかない旅でハラハラします。そういう風に自分を追い込んでいるのも有りますがひたすらアンラッキー。そんなアンラッキー続きの中でかすかな希望に縋りながら歩を進める姿がたまらない。成功譚とは言えないけれどそこがいい。
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角幡さんは若い頃にチベットのツアンポー峡谷のだれも足を踏み入れていない峡谷を探検し、九死に一生を得て帰還した。その後も雪男の足跡を追ったりしたが、40を前にして挑戦したのは、太陽の出ない土地を探索するというものだった。最初はカナダのケンブリッジベイでそれを試みたが、それは意外に短いものだった。そこでかれが試みたのはそのさらに北のグリーンランドでの探索であった。しかも、いっしょに行くのは犬一匹。角幡さんはGPSを使わず天測儀にのみ頼ろうとしたが、それも初期の嵐で吹き飛ばされてしまう。残るは、磁石と星で位置を確かめるだけ。角幡さんは今回の探検をいきなり始めたのではなく、それまでに数度明るい時期に足を運び、麝香牛や兎を捕らえてその肉をデボと呼ばれる場所に貯蔵しておいた。ところが、それも北極熊に襲われ食われてしまう。そうした絶望的な環境の中で、かれは麝香牛や兎が生息しているらしき地帯を探して、内陸深く入っていく。結果的に牛や兎の群れに出会うことはできなかったが、それはかれにとって、極夜を深く体験することになった。太陽が出ないとどうするか。月が出ているうちは多少の光もあるようだが、それも新月になると真っ暗になる。その中でかれは太陽のない世界とはいかなるものかをひしひしと感じるのである。しかも、予想ははずれるばかり。帰りは楽々と帰れると予想したのに、行き以上の吹雪に見舞われ、食料もつきかける。そんなとき、犬はかれの糞便さえ食べた。さらに食料がつきかけると、かれは、苦楽をともにした犬さえも食べようと考えるのである。最後にかれは文明の利器である電話を使い、知り合いの日本人に天気予報を聞いて予測を立てる。しかし、これさえ外れて絶望的になることも数度だった。そんな絶望的なかれに、ついに太陽が顔を出すのである。それは旅行を初めて78日目のことだった。本書は最初と最後に、かれの妻の出産が出てくる。太陽のない世界から太陽の世界へという動きはまるで出産を追体験しているかのようであった。角幡さんの文章は迫力に満ちている。喜び、驚き、絶望のとてつもない擬音語。状況に立ち向かう心の秒刻みの動きなどなどが実に臨場感豊かに描かれている。本書は探検文学の傑作ではないか。
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冬の北極圏は1日中太陽が顔を見せない。夜が続くこの期間を極夜といい、良く知られた白夜の対語だ。著者は、この極夜の北極圏を犬と2人連れで旅をする。同じ著者の新書「新・冒険論」で、冒険とはシステムから逸脱した、生命に危険が及ぶ自発的行為とまとめられている。著者の冒険的思考の発露が今回の極夜行ということだ。
冒険家として飯を喰っていく限りは冒険の定義は重要だろうが、傍からすれば大きな意味を持たない。人跡未踏の地理的空白地帯を行く冒険以外は、基本的にバリエーションであり、その行為を単独で行ったり、無補給で行ったり、無酸素で行ったり・・・、今回は極夜の環境下で行ったに過ぎない。食料、衣類、テントやバーナー、地図等の装備も現在の技術で製造されている以上は、現在の社会システムの延長で行われる冒険行でしかなく、言い換えれば、冒険者の考えられる範囲のシステムからの逸脱に過ぎない。でも、それは、この極夜行の価値を下げるものではないし、著者の批判をするものでもない。かえって、冒険者が能力のベストを尽くす妨げになり、生命の危険を呼び寄せかねないと考える。
次から次に現れるトラブルに対処しながら旅を続けるが、通常だと、明日頑張ろうと考えるところが、1日中夜なので”明日”の感覚が溶け出してしまう。本を読んでいるだけでそう感じるんだから、旅の途上の著者の感覚の狂いが推し量られる。
この冒険を特集したテレビ番組も見ているし、新書も読んでいるので、既知感のためか深みが感じられない。冒険行にどっぷりつかりたかったのに、少し残念・・・。