理科室の人体模型がダメな人には勧めません。
2021/06/28 11:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:えなか - この投稿者のレビュー一覧を見る
興味を学問という形に導いた人。本人は数奇な生き方をしている意識はなかったろうし、自分の興味が様々な形で学問や専門に繋がる未来があるなんて思っていなかったと思う。目の前の興味に集中する生き方は周囲を振り回したかもしれないけれどこういう人がいないと時代は変わっていけないとも感じた。
内容は解剖医の、しかも時代が今より衛生的ではない頃の話なので、読んでいて気分が悪くなる人もいるかと思います。そこ要注意。
ドクタードリトルのモデルとなった解剖医
2021/04/19 17:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
熱傷治療のため自宅療養しながら読んだ。整形外科に通院しながら、待合室で読んだので、余計に生々しく感じた。
実話ベース、伝記であるが、内容が衝撃的であるがために読む人を選ぶだろう。
ドクタードリトルのモデルであり、ジキル氏とハイド氏の館のモデルにもなったという実在の外科医。外科医の地位が低かった当時、さまざまな実験や解剖を行い、今の医学の基礎を築いた。秀でた人は、いつの時代も叩かれるし、変人扱いを受けるが、彼の考え方は100年ほど早かったがために、波乱万丈の人生を歩んでいる。類稀なる才能の持ち主は、今の世にも出現するのだろうか。
「ドリトル先生」などのモデルとも言われた外科医ジョン・ハンター氏の奇想天外な人生を描いた評伝です!
2020/05/24 11:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、私たちが子どもの頃、親しんだ『ドリトル先生』や『ジキル博士とハイド氏』という物語のモデルとも言われたジョン・ハンター氏の生涯を描いた評伝です。実は、このジョン・ハンター氏は、「近代外科医の父」とも評され、非常に功績のあった方なのですが、医学界がまだ草創期にあったこともあって、彼の奇人ぶりも群を抜き、多くの驚くような伝説をも生み出しました。その奇想天外とも言えるジョン・ハンター氏の人生を丁寧に描いたのが同書です。同書では、「御者の膝」、「死人の腕」、「墓泥棒の手」、「妊婦の子宮」、「教授の睾丸」、「トカゲの尻尾」、「煙突掃除夫の歯」、「乙女の青痣」、「外科医のペニス」、「カンガルーの頭蓋骨」、「電気魚の発電器官」、「司祭の首」、「巨人の骨」、「詩人の足」、「猿の頭蓋骨」、「解剖学者の心臓」といったテーマで彼の生涯が語られていきます。これだけ見ても、想像を超えた人生だとわかるのではないでしょうか!
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Maki - この投稿者のレビュー一覧を見る
後世には「近代医学の父」「実験医学の父」と呼ばれ、ダーウィンの「種の起源」より70年も前に進化論を見出していた外科医ジョン・ハンターの生涯を綴った伝記である。
ただ「伝記」と一言では片付けられない、ありきたりでない人物像、畸人慣れしたロンドンっ子もびっくりの畸人ぶりである。
実験による論証を信念としているため、解剖実習の遺体を確保するために、墓泥棒と手を組んだり、飽くなき探求心は、人体のみならずあらゆる生物(ミミズから巨人、クジラやキリンetc)へと向けられていく。
人類の記録史上初の人工授精を行ったかと思えば、外科医としての仕事が無かった時期は、生体間歯牙移植を行い、その方法論は人体臓器移植へと引き継がれていった。
彼が、歯の分類に小臼歯を加え、4種類としたとは、正直、記憶になかった。
彼の緻密な研究と判断によって、歯科の職業は地位を向上させたため、近代歯科の父と呼ぶ者さえいるとは・・・。
勿論、彼の研究、理解が全て正しかったわけではない。
梅毒と淋病が同じ病原であると誤ったり、倫理的に失策と思われることも多々ある。
が、古典的な療法(有害な薬物や胃腸洗浄)、寫血、手足の切断が主流な治療法であったその時代、動物実験や生理学をとりいれたハンターの治療は、一歩も二歩も先を行く。
受け入れられず、その功績は、当時のエスタブリッシュメントや義理の弟達によって抹殺されかかっていたが、彼の真の弟子たちである、エドワード・ジェンナーや伝統のくびきのないアメリカで開花していく。
まさに、「近代医学の父」だと思う。
「ドリトル先生」のモデルと言われているだけあって、子供の頃に「ドリトル先生」を読んだ時の様な、次になにが起こるのだろうか、というワクワク感やスリリングな感情を、物語では無く人物伝で、久々に感じる事が出来た。
医学の知識がさほど無くても、スリリングな感情を十分感じることが出来る一冊だと思う。
"天才"外科医の生涯
2020/12/03 21:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
非常に密度の濃い本です。
"天才"外科医として歴史に名を残す、ジョン-ハンターの評伝。
これでもか!というくらい豊富にエピソードが詰め込まれています。
しかし、社会的地位も低く、宗教的な禁忌とも見られていた外科医や人体解剖に注ぎ込まれた情熱は凄い。人間の飽くなき好奇心が生み出した成果なのでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
ジョン・ハンター(1728-1793)はロンドンで活躍したスコットランド生まれの外科医、「科学的外科の父」とされ、それまで古典理論にとらわれて有害治療を疑うことなく行い、地位も低かった外科を、実験・観察を重視する科学に押しあげた人である。業績は多岐にわたる。治療の効果を対照したり、プラシーボ効果をためしたり、検死解剖を行ったり、フイゴをつかった蘇生法の指針をつくったり、ライデン管による電気ショックで心臓を再起動させたり、動脈瘤の手術で血管の上流を結束しても迂回路ができることを実験・臨床を通じて証明したりした。麻酔・消毒・院内感染の概念、もちろん抗生物質もなかったころの話である。手術や出産はまさに命がけの時代だった。また、オポッサム・水牛・豹・狼との混血犬などを自宅でかい、電気ウナギ・クジラ・シャチ・ゾウ・キリン・巨人症の人間などを解剖し、生理学・病理学の標本を生涯に14000点ほど作り、晩年博物館をつくった。身体器官の比較解剖を通し、種が変化するという考えや、生命の原型という考えをだし、ダーウィンより70年前に進化論に到達していた。教育においても、千人単位の有能な弟子を育て、種痘法(1796)を開発したジェンナーは一番弟子であり、石灰消毒法(1867)を試みたジョゼフ・リスナーにも影響を与えた。医師養成を古典学習中心から解剖学を基礎とした生理学・病理学の教育システムへ作り直し、現代の基礎をつくった。このように書くと、聖人のような人物に思えるかもしれないが、彼の性格は一言でいえば豪放磊落。子供のころから読書がきらいで、自然観察が大好き、墓泥棒といっしょに兄が開業した解剖学教室の「教材」を調達し、軍医として戦地に赴き、「標本」採集のためなら汚い手もつかい借金をしまくり、スコットランド訛りまるだしで、身なりもだらしなく、ライバルや徒弟には容赦がなく、教会や常識派の医師とは徹底的にケンカした人である。しかし、どぎついばかりではなくユーモアに富み、オープンな性格で、心酔した人も多かった。毎日朝の4時から19時間働いたヴァイタリティの持ち主である。生涯としてはスコットランドの農家に生まれ、学校になじめず退学、ぶらぶらして軍にでも入ろうかと思っているところ、兄ウィリアムがロンドンではじめた解剖学教室の助手をやることになり、死体の調達から標本の作製までこなし、解剖学の講義を代講するようになる。フランスとの戦争のときは軍医をやり、当時の戦場では手術をしない方が患者の死亡率が低いことを発見した。帰国後、歯医者をやり、性病の研究にとりくみ、外科医の免許をとり、個人開業、王立協会の中心人物になり、ジョージ二世の侍医、外科軍医総監になるまで出世した。奥さんのアン・ホームは患者だったが、美人で詩人である。奥さんの弟のエヴァラードは37才までジョンの庇護のもとにおり、ジョンの死後、論文を盗用、オリジナルを焼き捨てた。晩年に助手をやった少年クリフトによって、ハンターの遺産はまもられ、現在もハンテリアン協会に残っているそうである。ジョン・ハンターという人物は文学にも影響をあたえ、『ジキル博士とハイド氏』、『ドリトル先生』などのモデルになり、テレビドラマにもなるそうである。ジョン・ハンターの死は狭心症によるもので、聖ジョージ慈善病院に田舎の若者をインターンに迎えることを同僚達が反対するなか、反論を口にだそうとして倒れた。結婚前に自分にためした性病感染実験がもとで、おそらく梅毒の第二段階であったとされる。死後、遺体はエヴァラードによって検死解剖されたが、ジョンの遺言、死因となるであろう心臓と昔自分の理論にしたがい自然治癒力で治したアキレス腱は未来の外科医のため病理標本として残すように、というそれはエヴァラードによって黙殺された。豪快でマジメな科学者であった。ハンターの生まれた年はニュートンの死の翌年である。政治的にはフランス革命と民主主義をにくむ王党派であったが、思想は革命的であった。
投稿元:
レビューを見る
すごい人がいたもんだ
ドリトル先生好きだったのに、見方変わっちゃうじゃないか~
近所にはいてほしくないなあ
投稿元:
レビューを見る
読み始めは(今の眼で見れば)残酷なシーンの連続でぞっとしたが、読み進めるうち、ジョン・ハンターという人物に魅了される。
確かに死体を泥棒して解剖したり、動物を生きたまま解剖したり、貧しい子どもの歯をぬいて金持ちの歯茎に植え込んだりしていて、現代の倫理観からすれば許されないことだが、当時は仕方なかったわけだし、何よりジョン・ハンターは私利私欲のためにそれをしたのではない。
ジョン・ハンターは奇人・変人だが変態ではない。あまりに強い好奇心と探求心が彼を動かしたのだ。
こういう天才がいて、医学が進歩したのだから、殺された動物や、解剖された人間に感謝し、冥福を祈る。
それまでの瀉血や催吐といった何の根拠もないどころか体に害のある治療が、彼によって大きく変わったのだから。
それにしても、現代に彼のような天才が生まれても、学校の勉強についていけないのだから、学者や医者にはなれないわけだよね。
そういう人たちの才能を生かす道を社会が用意してやるべきだと思う。
あとは、麻酔と消毒のある時代に生まれてこれたことを、深く感謝。
私には、麻酔なしの手術は、無理。
投稿元:
レビューを見る
冒頭にある出産直前の子宮内の胎児の描写が写真のようで思わず凝視した。人でも動物でも解剖しまくって、標本を作りまくった人の話。当時の外科治療方法や解剖用の死体の調達法などが興味深く普通に面白かった。
投稿元:
レビューを見る
いいよ、と言われつつもなんだかイロモノっぽくて読む気になれなかった、奇人近代医学の父の話。読みだしたらこれが私好みで、確かに変人で実際に身近にいたらドン引きだろうけれども、解剖はしなくても別のところでこういう奇人て割といるのじゃなかろうか。と、思ったらもう、この人柄にほれ込んでしまったと言っていい。「自分の頭で考えよ」、これは私の人生の指針でもあるので、とてつもなく身近に捉えてしまい、本当に、読み終わるのが悲しかったくらい。
投稿元:
レビューを見る
貧乏人からは金を取らず、金持ちからはふんだくる。類希なる手術の腕を持つ男でありながらうさん臭さもある、こう書くとまるでブラックジャックだが、愛嬌があり弟子には慕われ、しかし怒りっぽいとかなり人間臭い人でもある。
1748年二十歳のジョン・ハンターは2ヶ月ほど大工仕事をし手先が器用ですぐに玄人並みの腕を身につけたが仕事場がつぶれたのをきっかけに既に医者として成功している10才年上の兄ウィリアムを頼りロンドンに出てくることにした。ちょうどウィリアムも開設したばかりの解剖教室が好評で信頼できる助手を必要としていた。初めてメスを握ったジョンだったが兄の指示に従い死体の解剖を兄が期待する以上の水準で発揮した。
とは言え助手としてのハンターの主な仕事は解剖実習で使うための死体集めだった。解剖教室では人体の標本を見て学習するだけではなく実際の解剖があってこそ生徒が集まる。ウィリアムがライバル視していたのは故郷スコットランドのエジンバラ大学でウィリアムの師であったモンロー教授の元にはヨーロッパ中から学生が集まっていた。しかしエジンバラのような田舎ではそうそう死体は集まらない。しかしロンドンでは闇ルートを使えば集めることができ、ウィリアムの教室の評判が高まるにつれ必要な死体も増えていく。ウィリアムは上流階級のつきあいに忙しく、その点でがさつで、口が悪く質素な身なりのジョンはロンドン暗黒街になじみやすいように思えた。当時はまだ医学のための献体と言う考えは無く検死もほとんど行われていない。死体集めで真っ先に考えるのは絞首刑の公開処刑の場で完全に見物としてお祭り騒ぎになっていた。そして刑が執行されるやいなや外科医とその仲間や受刑者の関係者が集まりまだ息がある受刑者の足を引っ張り死体争奪戦が始まる。そこまで含めて見物になってるというまあ無茶苦茶な世界だ。後の話でも時々出てくるのだが呼吸は止まっても解剖しようとしたら生き返ったケースもあるという。ジョンがこの仕事を始めた頃から死体泥棒は大きな産業になっていった。
当時のジョンの生活は明るくなるとともに解剖実習と講義の下準備をし、標本を作り、夕方から2時間ウィリアムの講義に参加する。ウィリアムの講義は素晴らしく1777年にはアダム・スミスとローマ帝国衰亡史のエドワード・ギボンも参加している。そして夜は墓場漁りをするか荷受け場で死体を待つ。半年後には解剖に関しては既にウィリアムが教えることはなくなっていた。当時ジョンが作製した標本は今でも残っている。夏は死体解剖の季節ではない。暖かくなったころにウィリアムはジョンをチェルシー王立病院の外科医チェゼルデンに弟子入りさせた。当時外科医になる正式なルートは14〜5で外科医に多額の謝礼をつんで奉公し7年ほど修行をしてからやっと解剖学の勉強に取りかかる。あるいは軍医を多く必要とした軍に入り何の経験も無く兵士や船員相手に好き放題やった後復員後は一般人を相手にする。当時の外科医組合の試験は解剖学や外科手術の経験は問われず、奉公期間の終了とラテン語知識の口頭試験だけで資格が取れ、復員後なら奉公していなくてもこの試験が受けられた。
だいたい当時の外科医はまだまともな医者とは認められていない。医者はすなわち内科医であり、外科医の主な仕事である瀉血は床屋がやっていた。今も床屋の前でくるくる回る赤青白のサインポールは一説によると動脈、静脈、包帯を表す床屋外科医の名残だそうだ。近代的な外科の多くはジョンの実績が元になっている。ジョンが師事したチェゼルデンは優秀な外科医でその仕事に対する取り組み方は以後のジョンに大きく影響を与えている。他の外科医は昔のやり方を守ることそして新たな挑戦を戒めるのに対し、チェゼルデンは何より観察と実験を重んじ、成功する見込みのない手術を避け、解剖を熱心に勉強した。ジョンはさらに読み書きが不得意なこともあり書物から得られる過去の知見にはとらわれることが無く自分の頭で考えることを重視している。後にジョンが解剖学を教えた際にはノートを取ることすら禁じているし、自分が語った過去の講義の内容すら古くなった知識と切り捨てている。
ジョンはメスの技術を除けば天才肌という感じではない。ただひたすら観察を続けそこから合理的に得られる結論を導きだしているのだが、今なら当たり前のようなことでも当時は画期的なことが多かった。発生学の研究では鶏やヤギの胚を時間をかけて解剖して観察し、当時信じられていた最初から卵の中にある小さな胎児が成長する前成説が誤りであることを示した。細菌がまだ発見されていなかった当時は外傷が原因の感染症が大きな死因であり手術そのものが命に関わる者だった。当時の軍隊で撃たれた兵士は傷口を大きく開いて玉を取り出していたがジョンは観察の結果何もせず自然治癒に任せた方がいいという結果に到達し実証した。傷口の消毒が発見されるのはまだ100年ほど先のことだ。患者群を二つに分け二種類の治療を比較する対象試験を既に取り入れている。人体実験には自分の体も使っている。淋病患者の膿みを自分の性器になすり付けて感染させたのだ。後に書いた性病全書はその後数十年性病治療の基本となった。
ジョンの幅広い研究分野には以下の様なものもある。
進化論 ダーウィンより前に進化論にたどり着いていた。猿、アフリカ人、ヨーロパ人の骨格標本を並べアダムとイブは黒人だったと述べた。魚とほ乳類はおろか植物や無生物まで含め形を比べたり分類学者のリンネとも交流していて動物間の交配ができるかどうかから祖先が同じかどうかを推論している。ダーウィンはビーグル号から戻った後化石をジョンが作った博物館に寄贈しその後も通いつめていた。
博物学 クック船長と交流し新大陸から新しい動物を取り寄せては解剖し新しい種かどうかを調べている。カンガルーやクジラを解剖しクジラはほ乳類だと示している。奇形や巨人症の死体も集めている。マンモスの化石を見て象とは別の種類だと判断した。ハンターが集めた様々な動物の剥製や骨格標本は現在ハンテリアン博物館として残っている。
獣医学 動物好きで自宅にヒョウも飼っていた。そして何でも解剖した(例えばカイコの脳なども)が生きた動物をむやみに解剖することには反対だった。ついでに魚に聴覚があることを主張したりもしている。
地質学 世界は神が6日間で作ったとは信じず波による数十万年にわたる浸食が地形を作ったとの論文を書いたが当時の聖書の教えでは天地創造から数千年しか経っていないことになっていたので教会の教えに反対する内容だった。
歯科治療 当時抜歯は床屋がやっていた。新大陸の発見の成果で砂糖の消費とともに虫歯が増えていた。ハンターは司会に助言し抜歯後の金や鉛の詰め物、歯石除去、歯磨きや歯肉炎の治療を提言している。
移植 鶏の睾丸を別の鶏の腹に埋め込み後で解剖して血管が新生していることを確認した。免疫の知識は当時はまだなかったが偶々同系交配だった様だ。他にも人間の歯を鶏のとさかに埋め込んだり、ロバの額に牛の角を移植したりも試している。
蘇生術 死体をすぐに氷温にしてあとで蘇生するかを試したがこれはうまく行かなかった。
帝王切開 当時は名前だけが残っていた帝王切開手術を行った。
ただ観察を続けただけでこれだけの結果にたどり着いたのだからすごい。その割に業績が知られていないのは義弟がハンターに腕を買われていないことをねたみハンターの論文を独り占めにし自分の者として発表して後に焼き捨ててしまったからというのもある。しかしハンターの優秀な弟子達は外科医と言う職業を尊敬される地位に引き上げ科学的な手法をイギリスとアメリカで拡げた。弟子のひとりには種痘を発見したエドワード・ジェンナーもいる。ハンターの生活の一部はドリトル先生のモデルとなり、裏では動物の死体を運び込む怪しい家はジキルとハイドの住む家のモデルになった。本書の原題はThe Knife Manしかしメスの腕よりも考え方の方が切れ味が鋭いようにも思える。
投稿元:
レビューを見る
労作であることがよくわかる。じっくり読まないと申し訳ない気になるくらい。
単に偉業をたたえるだけでなくて、ジョン・ハンターのエキセントリックさもきっちり伝えている所がいいよね。この人、相当な変人だなあ。
山形さんの解説も考えさせられる。なるほど。
投稿元:
レビューを見る
皆川博子のバートンズシリーズが面白かったので読んでる。不衛生(細菌の知識なし)かつ麻酔なしの切開とか読んでてリアルSAN値ががが…な部分もありますが、18世紀末のロンドンの狂気的な空気感や、科学博物学医学辺りがまだごっちゃになってる今では想像も付かない知識体系の中で、分野を超えて拡がる主人公を代表する当時の人々の知的探求心が面白い。あと作者めっちゃハンターのこと好きやんなあと思う。
投稿元:
レビューを見る
18世紀イギリスの外科医療に携わるジョン・ハンターは大工出身だと。夜な夜な墓泥棒から死体を手に入れ、解剖にいそしみ、さらには博物学の知識ももち、自宅に様々なコレクションを有しているというからドリトル先生のモデルだといわれ、その家はジキル博士とハイド氏もモデルになったといわれるのもなるほど納得。
医療が宗教と密接に結びついていた当時、宗教観を覆すような意見を発表し、医療を科学に押し上げたジョン・ハンターは相当な変わり者だったようだ。梅毒患者の膿をつけたメスで自分のペニスにキズをつけて経過観察した記録も残っているというから、推して知るべし(対象が本人かどうかは記述が無いそうだが、状況から推理してまあ本人だろうという見解だそうだ)。
それにしても麻酔もない時代の外科手術は、かなりおぞましかっただろう。
こんな数奇な人物の物語は、医療や進化論などにも精通していたと思われる手塚治虫によってマンガ化されたらどんなに面白いだろうか、思わず想像してしまう。
ジョン・ハンターのコレクションを見ることができる博物館:ハンテリアン博物館
その他関連施設:
ジョンソン博士の家
オールド・オペレーティングシアター博物館
クリンク博物館
投稿元:
レビューを見る
生まれる時代を間違えた感がすごいジョン・ハンター
でもこの時代に生まれて、その後ハンター流を教え込まれた弟子たちがあちこちで活躍してくれたからこそ今の医学がある。すごい人がいたものだ。
ハンターがチェルデンに出会わず、柔軟な考えを教えられていなければどう変わっていたんだろう
それにもしハンターにもっと書く能力があったらもっと早くに名前が広まっていたのかな?
ヤン・ファン・リムダイクの絵もすごい。
彼はどうなってしまったんだろう・・