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投稿者:nerimo - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代でもそこかしこで行われてそうなベタなやりとりでもうそれだけで頬が緩んでしまうのだけど、登場人物の尖った言動が加わることで一層面白いことになっている。「弁論術さえあえばこの世のすべてが手に入るんだぜ!!!(ヒャッハー」「強さがこそが正義なのだ!!!(ヒャッハー」と主張するカリクレスらに、「正しく生きることが一番。それさえ守れれば嘲られて財産を奪われて死刑にされても気にしないぜ。死後の審判が愉しみだな(ウフフ」とのたまうソクラテス。どっちについてくかは読者が決めること。
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ソクラテスの基本的な考えをおさらいできる本。この本よりも後に書かれた『国家』で確立される、哲人政治の基盤となるようなプラトンの考えもチラホラ見かけられるので、まだ確立し切れていない発展途上のプラトンの思考が伺える感じ。時代的にも内容的にも『ソクラテスの弁明』と『国家』の中韓に有る本なので、順番としては『弁明』の後にこれを読んでおくべきだったかも。
なお、この本の中に登場しタイトルにもなっているゴルギアスさんはあんまり活躍していない。カルリクレスさんが頑張ってる。自分だったらソクラテスにこう聞いてみるだろうな、なんてことを言ってくれている(実際に自分が同じ質問をするには、彼より多くの時間を費やすだろうが…)。
プラトンの他の著作も読んでみたいと思った。
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はじめて読んだプラトンで、その対話劇に夢中になった。プラトンのアテネでは、弁論術(演説の術)がすでに優勢をきわめていた。しかし、プラトンにはその仕事が大衆に迎合したものとしか映らなかった(これを現代のマスメディアとして読むこともできる)。現実にひとは何をどのように考えるべきか、またどのやって生きていくべきか、この切実な主題に突き当たっていたプラトンは、暴力や権力が必ず勝つ閉塞した時代状況のなか、確固たる思想を哲学とともに築こうとしていく。つまり、弁論術批判とは、哲学誕生の象徴的なもので、やらねばならぬことだった。プラトンが、ソクラテスの姿を借りて、問答法という対話方法が大事だと強く述べるのは、言葉の定義を誤ることなく、一つの思想・真理に到達するためである。まさしく哲学することの基本がここにあった。そうして、プラトンは、弁論術の恩恵に与かっている利益が実は最大の不正であることや(政治家なんかはいい例)、善を目的とせず単に快楽を貪るのは悪であることを暴いていく。しかし、どうだろう。ぼくなんかは、快楽(とくに趣向の快楽)は絶対だと常々思っていて、プラトンから遠く離れている気がする。また、そもそも善悪の概念が日本には薄いようにも感じる。周辺に悪だと思われるものが生じれば挙って規制に掛かるけれど、それは意外に「なんとなく」行われることが多いと思う。どちらとも、プラトンから見れば乱れた世界でしかないだろう。それに対する答えはむつかしい。だけど、現代人が、そして日本人が、こういった西洋哲学の書物を読むことが何のためなのかを時には考えてもいいんじゃないかと思う。ところで、プラトンの対話篇では、ソクラテスがいじられバカにされることがしばしばあって笑えるのだが、それをやり返すソクラテスの皮肉も結構笑える。『ゴルギアス』はとくにこのやりとりが多い。
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いわゆるプラトンの「哲人政治」理論の大枠を語ることとなる著作。
「弁論家」とはどういう仕事なのか?(あらゆる知識に精通し、教育を施す仕事である、と答えられる――ではそのあらゆる、とはどういう意味でか?)という事を端緒として、教育、政治のあり方について議論が交わされる。
白眉は後半のソクラテスとカリクレスの、理想の政治家像についての議論なのだが、
この議論の本質的価値は、現代においても全く色あせる事がない。
そして、現代でも決着を付ける事がかなわない議論でもある。
そうした意味で、プラトンを読むのであれば、この本が最も実学的かつ理解が容易な著作だろう。
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プラトンで選ぶなら、私はこれ。
カリクレス好きです。ソクラテスより好きです。
というかソフィストっていいよね。
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人は何よりもまず、善い人と思われるのではなく、実際に善い人であるように心がけなければならない。善い人とは正しくなければならない。正しくあるためには、そのものの真理を心得ていなければならない。真理を知らずして相手に真理を知っているように思わせる説得を上達させる弁論術は「迎合」でしかない。迎合である限りは、正しくなく、それは善ではない。自分の信念に反したことをして、栄華を極めたような人物は、信念を貫き、極貧のうちに生きたものよりも哀れである。しかし、飽食の徒が自らの体を蝕んでいることに気づかないがごとく、その栄華を極めたものも、自らの魂を不健康な状態にしていることに気づいていないのだ。ソクラテスは、このように物事の真理を考察していくことで、なぜ、不正を行うものになるよりは、不正を受けるものになるほうを自分が選ぶかを、そしてそれこそが正しいことであることを明快に解き明かしていく。民衆の前で演説をする場合、迎合に陥ることは必然である。ならば現在の政治家は皆、真の政治家ではない。迎合に陥らぬためには、一人一人と語り合い真理へ導いていくという耐えまざる努力をするしかなく、それをなしえるものこそが真の政治家であり、国を治めるべきだと。プラトンの哲人思想がどういう考えから出てきたのかを知っておくのに役に立つ。ただし、この理屈が真理となるためには、肉体と精神が等価である、もしくは精神のほうに重きをおく価値観を前提としなければならないが。
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解説にも書かれている通り、この本はソクラテスの思想よりプラトンの考えが大きく反映されている。
この世で最も恥ずべきものは不正であり、不正を行うこと、そして不正を行いながらもそれに対する処罰を避けることが最も不幸なことである、という思考。
人として正しく、善く生きるために何をすべきか、何を掲げ生きるべきなのか。
後半部においては当時のアテネの政治に対する痛烈な批判も入り、この現代において再読されるべき名著である。
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個人の道徳と同時に政治の問題を追求
弁論術が立身栄達の術とされている現実や若い人の実利主義的道徳意識などを次々と明るみに出す。
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【2010年_12冊目】
ソクラテスって、こんなオッサンだったのか、という衝撃。
しかし、これが何千年も前に議論されていたと思うと、
本当に、人間ってなんなの、と思う。
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2010.10.24
弁論術とソクラテス。
善と快。
迎合を非難する気持ちは共感できるけど、死後の世界を持ち出さないと、正当化できてないのが残念。
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ゴルギアスは古代ギリシャ時代の弁論術士である。本書には、ゴルギアスとソクラテスの議論が延々と収められている。ソクラテスの問答法とゴルギアスのレトリックの戦いは、ソクラテスに軍配が上がるのだが、結果よりもそれぞれの戦略的な話しぶりが印象に残っている。やはり「演繹」が役に立つのは、形式的な議論と数学の証明だけなのかね?
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プラトンの初期対話篇。
弁論家(ゴルギアス、ポロス)や現実政治家(カルリクレス)に代表される価値観と、哲学者(ソクラテス)に代表される価値観と、二つを対比して後者の方こそ真に目指されるべき生き方であることを論証していく。前者は、カネ・権力・快楽以外の価値を認めずそれら計量可能な「快」をより多く獲得することが――「真=善=美」に適っているか否かとは無関係に――幸福であるとする即物的な(無)価値観。後者は、カネ・権力・快楽を超えたものとして「真=善=美」という特定の価値を認めてそれを求めることが幸福であるとする形而上的な価値観。
前者の立場からカルリクレスは、「法は弱者のルサンチマンの実体化である」「力こそが正義である」「欲望を恣に充足することが自然である」「哲学は現実的な"快"を追求する上で無用である」「政治家は市民に迎合して彼らの"快"に奉仕せよ」と論じる。
後者の立場からソクラテスは、「人に不正を行うことは、人から不正を受けること以上に、悪だ」「"善"こそが正義である」「幸福を求める者は節制せよ」「哲学によって"真=善=美"を求めることが幸福につながる」「政治家は市民の魂に"快"を与えるのではなく知性に基づいてそれを"善"に導くべく努めるべきである」と論じる。
カルリクレス的な即物的(無)価値観は、絶対的な価値基準が崩壊したニヒリズム状況下から頽落することで容易に陥り得る(無)思想状態であり――現に当時のアテナイは戦争と政変により社会的にも精神的にも頽廃状態にあった――、まさに現代の支配的な時代状況にも合致するものではないか。カルリクレスの身も蓋も無い功利的な理屈の変奏を、現代の到る所に於いて耳にすることが出来る。これは、いつの時代にも存在し得る精神の頽落形態である。即物的な(無)価値観から形而上的な価値観へと飛翔する為に、ソクラテスの時代は"冥界の裁き"を持ち出す必要があった。我々は、各自の時代に於いて、各自の実存を賭けて、こうした即物主義への頽落を常に否定し続けねばならないと思う。
現代に於いてなお読まれるべきプラトン対話編の傑作。
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最強の敵、カルリクレス登場!(笑)というコピーがぴったりの対話篇。というか『ゴルギアス』という書名で本当にいいのか!(笑)
著名な弁論術家ゴルギアスのもとに「弁論術」とは何かという議論をふっかけにいったソクラテス。法廷や政治の場において人々を説得する技術だというゴルギアスに対し、説得する以上、全ての事柄が「正」だと知っているのか、それを教えることが可能で実践している者がいるのかと矛盾を追及し、早々に戦意喪失に追い込む。
第2ラウンドは代わりに登場したゴルギアスの弟子ポロス。ソクラテスは「弁論術」は技術ではなく、料理と同様に経験であり、その本質は「善」ではなく「快」で民衆への迎合だと喝破する。対するポロスは「弁論術」を使えば人は欲しいままに権力を行使することも可能だと反論し、さらに不正を行っても栄達できた者は幸せだとするのに対し、ソクラテスは人に不正を行うよりも不正を受ける方が幸せだといってポロスを驚かせる。そして、不正を行えば「醜」=「悪」だという論理を、例によってソクラテス自身が設定した条件文による択一という詭弁調!で導いたソクラテスは、そのような方法論である「弁論術」も政治や法廷では「正」という真の目的のためには役に立たず、不正を行った償いの刑を受けるために用いろと迫り、ポロスをさらに驚かせる。
そしてメインイベントの第3ラウンドで最も白熱した議論が展開される。このカルリクレスの態度は、これまでソクラテスの詭弁気味な言い負かし勝利に抑圧され続けてきた「プラトン」読者にとって、喝采ものといってよい。(笑)いわく、ソクラテスよ、もっと大人になれ!ゴルギアスが遠慮していることに気がつかないのか!法律によって抑制されているが、自然状態となれば不正だろうが弱肉強食は当然だろ!哲学なんていうものは大人が行うものではない、これ以上、馬鹿話を続けていると、法廷に引きずりだされ死刑になることだってあり得るぞ!、と。
だが、ここからのソクラテスの言説は光っている。先の弁論術は知識ではなく迎合であり、国民を正義や徳を導かないとの観点から、かつてアテナイの偉大な政治家とされた人々も、最後は自分が指導した国民により排斥されたことから、「政治家」としては無能であり、自分ソクラテスこそが真の政治を行っているとする。そして、仮の宿である身体から離れた魂がよき審判を得て救われるには、正しい行いや不正も裁かれ済みの状態になっている必要があるとし、仮に自分が死刑になっても魂は救われるとした格調高い道徳観・死生観を展開するのである。迂闊にも感動しました。(笑)
後のソクラテスの末路を暗示するとともに、ソクラテスに仮託したプラトン自身の政治へのかかわり方への決意表明としてとても面白かった。
もう一度、『ソクラテスの弁明』を読み返したくなりました。
それにしても「犬に誓って」って一体何に誓っているんだ?(笑)
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ソクラテスが弁論家、その弟子、政治家と議論し次々に論破していく。三人は矛盾をつかれたり、論旨をすり替えようとしたり、揚げ足をとったり、逃げようとしたり、感情的に非難したりするが、ソクラテスの首尾一貫した論理には黙らざるをえない。哲学書ではあるが議論の正しいやり方としても読める。哲学的には公共善とは何か、政治とは何か、いかに生きるべきかなど現代にも当てはまるテーマだと思う。カルリクレスの説はニーチェが支持したらしい。
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巻末の解説にあった「第二のソクラテスの弁明」という言葉の通りの本だった。
今から改めて「ソクラテスの弁明」を読んだらまた面白いんだろうなー