紙の本
玉石混淆。
2009/07/24 23:18
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和天皇の御聖断への過程についてや「満洲帝国」と関東軍が崩壊してからの駐「満」大使館が果たす事を期待された役割については、なるほど、と思った。
しかし支那派遣軍が、そのまま改名して残務整理をしているかの表現(180頁)-それは支那派遣軍総司令部のはず-だったり、仏印にあったインドシナ総督府(インドシナ植民地政府と著者は書いている)が、中立を宣言してしていたかのような表現(225頁)-実際はインドシナ総督府はヴィシー政権についた、あるいはつかざるを得なかったはずだが-、新中国成立後にソ連から引き渡された日本軍人は「憲兵隊関係者が中心」(184頁)とあるが、田中宏巳著「BC級戦犯」156頁には第39,59両師団関係者が日本人全体の「過半数」という方が正しいのでは?中帰連の初代会長は第59師団長だったし。それと資料として収録された終戦の詔書は、御名御璽ではなくて、(裕仁「天皇御璽」)とあるのが、どうも違和感を感じる(242頁)。
参考文献目録でも「高松宮日記」は自社発行なのに、著者が「高松宮宣仁王」と間違った記述をしている(257頁)。
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日本人による日本人だけの帝国という意識を捨てきれなかった日本人
2009/10/24 14:30
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人は「終戦」というできごとを日本だけのこととしてうけとってしまう.それによって「大日本帝国」が崩壊し,東アジア全体が影響をうけたことをわすれてしまっている.著者は「大日本帝国」が影響をあたえていた南太平洋からタイ,インドにいたる東アジア全体がその崩壊によってどういう影響をうけたのかを分析しようとしている.
そこまでかんがえるのが,「大東亜共栄圏」をうたっていた日本人がこの戦争を反省するうえで必要なことなのだろう.著者の分析は十分とはいえないが,結論は「大日本帝国の誕生から崩壊まで,ほとんどの日本人は日本人による日本人だけの帝国という意識を捨てきれなかったのである」ということだ.多民族国家だった「大日本帝国」にふさわしい体制をつくれなかったことがおおきな敗因だといえるのではないだろうか.
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人間文化研究機構国文学研究資料館助教(東アジア国際関係史)の加藤聖文(1966-)による、太平洋戦争終結時の東アジア国際関係。
【構成】
序章 ポツダム宣言-トルーマンの独善とソ連の蠢動
第1章 東京-「帝国」解体への道
第2章 京城-幻の「解放」
第3章 台北-「降伏」と「光復」のあいだ
第4章 重慶・新京-「連合国」中国の苦悩
第5章 南洋群島・樺太-忘れられた「帝国」
終章 「帝国」崩壊と東アジア
1945年の夏、大日本帝国は事実上解体した。この解体の過程を通じて、「大日本帝国」とは何であったのかを論じようとするのが本書である。東京(内地)のみならず、樺太、朝鮮、台湾、南洋諸島、満洲といった「大日本帝国」が実効支配をしていた地域、および国民党政府が拠点を構えていた重慶と東アジア各地の1945年夏を取り上げているのが本書の最大の特徴である。
戦争終結後の東アジアの地図は、既にカイロ、ヤルタ、ポツダムにおける米英ソの3カ国の首脳により決定されていた。そこには当然のことながら、帝国政府の意志も、大日本帝国の支配下にあった地域住民の意思は何ら反映されていない。そればかりか、当事者であるはずの蒋介石すら蚊帳の外であった。そこには民族自立などというお題目は存在しなかった。
1945年8月のポツダム宣言受諾を以て、日本の内地以外の地域は大日本帝国から切り離され、地域行政は日本人から現地住民代表へと移行していくはずだった。
しかし、長らく植民地統治が続いた朝鮮も台湾も、現地住民による自治独立運動は事実上失敗に終わった。朝鮮では行政を担う主導グループがまとまらないうちに、南から進駐した米軍の軍政へと切り替わった。台湾では台湾総督府から国府の台湾行政長官公署へと行政権が引き継がれ、台湾に従来住んでいた本省人による自治には至らなかった。
台湾とは逆に満洲帝国の都であった新京は、本来国府が接収するはずの地域であったが、中立条約を踏みにじりシベリアから雪崩を打って進撃してきた極東ソ連軍に飲み込まれた。そこでは在満日本人に対する強盗、強姦、殺人などの数々の犯罪行為が繰り広げられ、満洲の守護を務めていた関東軍は降伏して、極寒のシベリアへと連行された。ソ連は満洲を掌中に収め、日本人資産をことごとく接収した後、半年を経た1946年3月にようやく引き揚げることになった。
また、満洲と同じくソ連の侵略を受けた地域が樺太と千島列島であった。千島列島にいたってはポツダム宣言受諾後の8月18日から上陸作戦が開始され、南千島に至るまで全島占領された。
当然のことながら、大日本帝国の解体は日本国内だけの問題ではなく、東アジアの20世紀史で最も重要な国際政治上の問題であった。また、戦後東アジア冷戦が生起する最大の原因がこの大日本帝国解体による統治者の変更であることも、疑いがない。
ヤルタ会談によって取り決められた米ソの軍事バランスの狭間で、日本を含めた東アジア諸地域の住民の運命、そしてその後の歴史が方向づけられたことを改めて感じさせられた。
本書ではマルチ・アーカイバルな手法で、実証的に各地の終戦を描写している。膨大な史料、参考文献と格闘しなければこのような本は生まれなかっただろう。新書という媒体での点描とは言え、このような広範な地域の歴史を1人で執筆するとは、驚くしかない。久しぶりに充実した新書に出会えた。
蛇足ながら、本書のような本を書ける実力のある人間が、未だに助教という地位に留まっていることを見るにつけ、歴史学系のポストは他の社会科学系のポストに対して明らかに不遇だと感じる。
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1945年8月15日から観る「大日本帝国」。
帝国末期のこの日に「本土・日本」はどのような姿を現したのか。
この日は、朝鮮、台湾、満州、樺太、南洋諸島といった植民地にどのように影響を与え、その後の国家建設にどのように繋がっていったのか。
時間の縦軸と、世界の横軸を柔軟に使い、そのときの世界を描き出そうとするこの本。
新書のなかでも、しっかりした内容を持ちながら、文章も読みやすくとても良い本です。
目次を見てもそのきちんとした内容は想像できますが、地図、参考文献、参考資料、年表、と新書レベルでは珍しく丁寧に補足資料が揃えられており、著者の真摯な態度が伺えます。
また、あとがきに、自国の歴史も他国の歴史も直視せずに安易な「歴史観」が蔓延し、国際化といいながら精神的には鎖国化している風潮に反発を覚える、といったような記述内容があることにも共感を覚えました。
最近の乱立、玉石混交の新書の中では、中公新書は質の確保に頑張っていると感じていますが、その中でも自分としては、かなり上位に位置すると思われるこの本。
この時代の歴史の本を読んでみようかという人には、オススメです。
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「大日本帝国」というのは何だったのかというのが、ここ数年の興味の一つで、本屋で見つけた時は大喜びだった。小熊英二「『日本人』の境界」と対をなすような本で、「『日本人』の境界」が大日本帝国の形成過程を描いたものだとしたら、この本は1945年8月15日を起点にしての、大日本帝国の崩壊過程を描いている。
漠然と、日本人一般がもっているイメージはなんか、8月15日の白昼にに玉音放送が流れて、戦争がぶっつりと終わり、暫くするとアジア各地から日本人が続々と帰って来たイメージだけど、それはあくまで「内地」から見た終戦であって、「帝国」の「外地」では具体的にどういう状況で玉音放送を聞き、どういう顛末を経て帰って来たのかと(自らの意志で帰ってこなかった人、意志に反して帰って来れなかった人もいる訳だが)。
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[ 内容 ]
「大日本帝国」とは何だったのか。
本書は、日本、朝鮮、台湾、満洲、樺太、南洋群島といった帝国の「版図」が、一九四五年八月一五日、どのように敗戦を迎えたのかを追うことによって、帝国の本質を描き出す。
ポツダム宣言の通告、原爆投下、ソ連参戦、玉音放送、九月二日の降伏調印。
この間、各地域で日本への憎悪、同情、憐憫があり、その温度差に帝国への意識差があった。
帝国崩壊は、東アジアに何を生み、何を喪わせたのか。
[ 目次 ]
序章 ポツダム宣言―トルーマンの独善とソ連の蠢動
第1章 東京―「帝国」解体への道
第2章 京城―幻の「解放」
第3章 台北―「降伏」と「光復」のあいだ
第4章 重慶・新京―「連合国」中国の苦悩
第5章 南洋群島・樺太―忘れられた「帝国」
終章 「帝国」崩壊と東アジア
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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序章 ポツダム宣言―トルーマンの独善とソ連の蠢動
第1章 東京―「帝国」解体への道
第2章 京城―幻の「解放」
第3章 台北―「降伏」と「光復」のあいだ
第4章 重慶・新京―「連合国」中国の苦悩
第5章 南洋群島・樺太―忘れられた「帝国」
終章 「帝国」崩壊と東アジア
著者:加藤聖文(1966-愛知県、日本史)
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公平ではあるのだけれども、踏み込みが足りないという物足りなさは感じた。新書なのだからあたりまえかもしれないけど。
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日本が敗戦した1945年8月15日前後の
大日本帝国勢力内の事情を概説する。
地域によって異なる政情、背景とその後の展開が
コンパクトにまとめられており、
それぞれを比較しながら理解できることもあり
非常にわかりやすく、おもしろい。
個人的には今まで触れる機会のなかった
南洋諸島に関する項が興味深かった。
また日本がポツダム宣言を受託する経緯は
もっと詳細に学びたいと感じた。
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1945年の8月15日、日本はどんな状況だったのか?
これを帝国領土の各々の状況から語っている。
アジアの解放を謳いながら、帝国経営以外のなにものでもなかった大東亜共栄圏の終焉が分かりやすい。
本土決戦が行われたのは沖縄だけじゃない、というのは一般には浸透していない事実だ。
と、思いおこしつつ、読むのは2度目だったことに自分が情け無くなる。
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終戦のタイミングで、東京、ソウル、台北、新京、パラオ、南樺太・千島という当時の「内地」で何が起こったのか。戦後に日本という枠で残った東京以外では、統治の移行が行われていくのだが、そこでの権力委譲が行われたストーリーがそのまま戦後の各国史に大きな影響を与えていたことはあまり知られていない。ソウルでの韓国人への権力移行は受け皿に失敗し、米軍への権力移行へと転換され、米軍に後押しされた李承晩が初代大統領となる。台北では、台湾人民主家への権力委譲が画策され、平穏な移行が進むが、蒋介石の命を受けた陳儀により外省人国民党の権力統括が進み、台湾民主化は排除され二二八事件へとつながり、日本人は最終的に日本へ引き揚げていくことになった。新京では、対ソ戦が終戦後も続き権力の空白地帯が生まれる中、中国共産党が勢力を築き、第二次国共内戦の地盤となった。パラオでは、アメリカの信託統治として南洋庁の権力移行が行われ、住民の多数を占めた日本人沖縄人は米軍支配下の沖縄へ、台湾人は台湾へ、韓国人は韓国へと帰っていく。樺太は、対ソ戦の混乱の中、最後まで民衆軍が死体の山を築き、一部は北海道への引揚げが行われるも、一部の日本人はソ連国民として生きていく道を選ぶ。
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[瓦解の日々に]1945年8月15日前後の韓国や台湾、中国などでの情勢をつぶさに観察することにより、かつて実在した「大日本帝国」がいかに崩壊し、それが日本人のメンタリティにどのような影響をもたらしたのかを研究した作品。「内地」の歴史だけからは知り得ない、大きな、そして異なる文脈での戦時・戦後史が浮かび上がる良書です。著者は、日本近現代史を専攻し、近著には『1945年の歴史認識』などがある加藤聖文。
力作。「アジア」という、いわば大世界的な文脈から先の大戦を振り返るという作品はいくつか見たことがあったのですが、本作のように、国や地域といった小世界的な文脈をいくつか並列させることにより、日本の敗戦と帝国の崩壊が、多様な物語をつくりあげたことを簡潔にまとめた作品は非常にめずらしいのではないでしょうか。それだけでも読む価値が十二分にあるように思います。
また、なぜこのような多様な歴史の見方が日本の中から消えてしまったのか、という本書が投げかける問いも、極めて今日的かつ有意義なものだと感じました。大日本帝国の崩壊を通して歴史を語ることの難しさを痛感させられることにもなりましたが、それも含めて良い読書経験を本書は提供してくれました。
〜八月十五日の玉音放送は、大日本帝国を構成していた日本とそれ以外の地域とを実態においても意識においても切り離すことになったという意味で、歴史的に重要な分岐点となったのである。〜
得るところの多い一冊でした☆5つ
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本書は、1945年8月15日前後に、日本、朝鮮、台湾、満州、樺太、南洋諸島という「大日本帝国」を構成していた諸地域がどのように敗戦を迎えていったのかを描くことで、大日本帝国とは何だったのか、その本質はどこにあるのか、どういうかたちで滅亡していったのか、そして帝国の記憶の何が喪われてしまったのか、そのことが現在のわれわれにとってどう関わっているのか、といったことを明らかにしている。
トルーマンのほぼ独断だったポツダム宣言の作成経緯、米英に見捨てられての自主的な朝鮮独立の動きの挫折、30分で決められた「38度線」、蒋介石の当初の台湾軽視に起因する台湾に上陸した国府軍への台湾人の失望、満州国崩壊に伴う甚大な犠牲、沖縄戦の前哨戦といえる南洋諸島での玉砕、最後まで戦闘が続いていた樺太・千島など、本書で描かれた「大日本帝国」崩壊に係る各地域のエピソードは、まさに知らないことだらけであった。しかも、これらの敗戦前後の出来事が、朝鮮半島の分断、台湾と大陸中国の分断、国共内戦の末の中華人民共和国の成立など、現代まで続く混沌とした東アジア情勢に直接つながるものであることも理解した。
私を含め多くの日本人にとって、その崩壊を含む「大日本帝国」としての歴史は忘却の彼方にあると思われるが、著者が指摘するように、これからの東アジアと向き合うためにも、「大日本帝国」としての歴史を直視することが必要だと感じた。