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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
恵まれない環境に育つ若い人たちを取り上げた。新書という制約もあってか具体例が少ないようにも思える。また対策例も不十分だろう。しかしこういう現状があることを告発することは大変意義深い。
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家族にケアを要する人がいるために、家事や家族の世話など、大人が担うようなケア責任を引き受けている、18歳未満のこども、ヤングケアラー。社会状況を踏まえた課題意識、調査レビュー、調査後の支援体制の現在、ヤングケアラーの語り、先進地イギリスなどから提起される具体的な支援、まさに新書としてわかりやすく網羅された1冊。あの人とあの人に勧めて、本市でも進めていく。
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18歳未満の子どもや若者が家族の介護を行わねばならない状況について、具体的な事例を踏まえて伝え、その取り組みを考える。
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少子高齢化ということは、いずれ必ずこれが常態化するんだろうなぁ、ということを念頭に、いざそうなった時にどうしようかと考えた。
子を持つ親としては、健康に生きられなくなった段階で死にたい。
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高齢化や高齢出産や非正規共働き低賃金長時間労働等々…で祖父母の介護を担う子どもが増えてるのかな?と思って読んでみたら、教員へのアンケートによると、子どもがケアしている相手は祖父母という場合もあるけど、それよりも父母やきょうだいという場合が多いらしい。(お金のない高齢者はこれから増えそうだから祖父母の割合がこれから増えそうな感じはするかも。?)
特に、ひとり親家庭で親がケアを必要とする状態になると、子どもがケアを担う状況が生まれやすいみたい。
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そうか、私もヤングケアラーだったんだな。そういう意識がなかったし、言えない感じは今から思ってもある。そうだよねえ。日本ケアラー連盟。
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中途半端で、学生の論文レベルだった。
名前をつけて問題を顕在化することは良いと
思うけど、
結局最終的には日本の介護問題全体の
レベルの話になると思う。
当事者の子供が辛いのはわかるけど、
先生たちくらいしか外からわかる人いないよな〜。
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家族にケアを要する人がいるために、家事や世話を行っている18歳未満のことども。家庭と学校以外をほとんど知らず、教育途中で
マンガやドラマのよくある話…だけど現実に起きたなら、きちんとサポートが受けられるべきなのだと。
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(主に家族の)介護を担う18歳未満の子どもが、日本にも一定数いるというこは、あまり知られていない。
介護のために学校に行けなかったり、同世代との交流が図れなかったりして社会から孤立していく。また社会資源を知らないため、どのような支援が受けられるのかを知らずに苦労を重ねていく若者も多い。
この分野ではイギリスが進んでいるという。
まずは、ヤングケアラーという存在を世の中に広げていくことが必要だ。その中から当事者として自らの体験を語る人が出てくれば、社会としてどんな支援ができるのかという議論が生まれてくる。
もしかしたら私の身近にもヤングケアラーは、いるのかもしれない。
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◯昔で言えば、家族同士でこなしていた家事も、核家族化や経済面での要請に応じた共働きの発生により、実はヤングケアラーのような人たちはかなりいるのではないかと思われる。
◯しかし、この本でも言及されているように、なかなか顕在化しにくい。その理由を分析するに際して、実際のケアラーたちの生の声を聞くことができるという意味では、有意義な本。
◯思うに、日本では家族同士で助け合うことは美徳とされていることや、家族の中に他人がはいりづらい文化的側面などが理由ではないだろうか。
◯現状の政策で対応できない部分などが、ケースによってかなりバラバラであるようにも感じられるため、今後どのように行政や地域がアプローチしていくか、今後の研究が待たれる。
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「ヤングケアラー」という言葉をご存知だろうか? 僕自身は、正直、1週間ほど前に友人に教えてもらった次第だ。
端的に言えば、子供が家族(親や祖父母のような尊属が多いが、歳下や障がいのあるきょうだいも)の「介護」あるいは「生存支援」をおこなっている状況だ。
一般に「家の手伝い」で片付けてしまいがちだが、ひとり親や、家族が同時に倒れたなど、自分なしには、その「家族」が生きていけない状況の深刻さとのギャップは想像を絶する。
単に、大変や時間を取られるということだけでなく、同世代であれば当たり前の生活を奪われることで、そのコミュニティからはじき出される心理的圧迫、いや迫害の結果、当事者は心を病んで行く。
自分自身、比較的若い頃に2度ほど軽度の近しいシーンを経験したことがあり、その時は「なぜ自分ばかり?」と感じたものだが、本書で語られるケースは流石に「辛かったね」と声をかけたいレベルだ。
以下、グッと来た箇所の要約。
まだ自尊感情があるうちに…逆に言えば追い詰められると、そうした感情すら失って潰れてしまうということ。
小学生が(母親が病気のため)下の子の保育園の送り迎えをしていた。外から見ると「早く帰る子だな…」としか見えない。
子供の経験したことのある狭い世界においては、こうした状況が「普通」になってしまい、独りで抱え込み、外の人に相談したり、解決の術を求めたりすることすら思いつかない。
「介護」や「(ヤング)ケアラー」という言葉に触れて初めて自分がやっていることは、そうしたカテゴリーに該当することに思い至る。
当時は誰かに話してもわかってもらえないと思っていた…やさぐれる…誰にも弱みを見せないように…「自分は大丈夫です」みたいにみせてという経験者談。
お婆ちゃんの排泄とか、まさにどう言っていいかわからない。語れる「ことば」を持っていない。
最後に、この本の読みづらさに言及しておこう。編集者への意識改革提言でもある。
約200頁の新書版の前半およそ半分がファクトの整理にあてられる。南魚沼市と藤沢市の現状比較など、誰も知りたくない。よほどの意識高い系でなければ、ここで挫折する確率が高いはずだ。
ところが90頁からの内容は、上でも例に引いたような、まさに当事者の心の声が次々と語られる、このパートこそが本書の真骨頂だと思うのだが、読者の幅を広げるという観点では、極めてもったいない作りである。
「ヤングケアラー、介護を担う子ども・若者の現実」(中公新書、澁谷智子著)
Day208
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ヤングケアラー、このところ、ニュースでもよく聞く言葉だ。
少し詳しく知りたいと思い読んだ。
日本ではまだまだ検証が始まったばかりなのだろうか。
日本の現状が知りたくて読んだけど、本自体が少し古いのでしかとないか。
「むこう岸」の樹希も「つみびと」の蓮音もヤングケアラーでは?
ヤングケアラーについてもう少し現状も含め知りたい。
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昨今問題になっている「ヤングケアラー」について取り上げた本書。
介護を担う18歳未満の子どもたち。
介護というと親の介護を連想するが、難病を抱える兄弟姉妹の介護に追われる若者・子どもたちも大勢いる。
本書は2018年出版で、この当時は、まだ「ヤングケアラー」という言葉は聞き慣れなく、新鮮で、その問題の深刻さを知る上で有益だったと思う。
本書のレビューにも、「私もヤングケアラーだった」「自分はヤングケアラーだったと気づかされた」「今もヤングケアラーです」という書評が多いことにも驚いた。
それだけ、問題が表面化していないということか。
このコロナ禍で、「ヤングケアラー」がどうなっているのか…。
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Cさんは在籍していたのが大学院であったため、詳細は、小学校や中学校、高校と違うところもあるだろう。ただ、自分が学校のルールを逸脱していてそれが低い評価につながっているという意識を持ち、なんとかがんばろうとするものの自転車操業で疲れていき、到達可能なゴールが見えずにあきらめる、というプロセスは、他のヤングケアラーにも通じるところがある。
ケアを担う子どもや若者たちのなかには、自分が能力の向上を期待される時期にいろいろなことができなくなっていく家族をケアすることで、「世の中で価値ある人間とは何か」をめぐる矛盾を抱きこんでしまう人もいるのである。学校の規範をそういうものだと受け入れて能力の向上に励む同世代のなかで、「人生とは?」といった、かなり長期的な視点で、勉強や就職活動の意味に疑問を抱いてしまう。
A:簡潔に言ってしまうならば、「あなたでなくてはならないから」だと思います。愛情から生まれる関係性。親とかきょうだいとか孫とか。そういう関係性がないと成立しないことが多いから。
筆者:あの、究極的に言うとね、自分のことをするのか、自分を必要としている人のニーズを満たすのかっていう時に、自分のことをやるのはわがまま、というか、こっちがこんなに必要としているのに、っていうところはあるかと思って。
A:でも、誰かに必要とされるってことの依存性に抗うのは難しいと思います。子どもが、それは難しい絶対に難しい。「あなたが必要なんです」っていうのを社会人になってから言われるのと、子どもに、「あなたが必要なんです」っていうのを親とかきょうだいとか言うのでは)。うちの祖母で言ったら、私の名前を呼んで「おまえが必要なんだ」って感じで来るわけですね。それに抗うのはすさまじく難しいと、ずっと思ってました。
筆者:あぁ、そうだよね。
A:叫びみたいな感じで「おまえが必要なんだ!」みたいな感じで来る人を振り切って自分の人生を歩むのは難しい。それは、わがままっていう感じよりも、心地よさとか、快楽まではいかないけれど、必要とされているっていうののアレには勝てないと思いますよ。だって、仕事であなたじゃなきゃダメなんだ、あなたが必要なんだ、っていうのはそんなにないじゃないですか。他の人だってできること。あなたじゃなきゃダメなんだというのは、よほど何か、職人さんとか。でも、ケアラーの場合は、あなたじゃなダメなんだ、なんていうのはいくらでもありますもん。
筆者:ですよね。
A:でも、それに抗うのは難しい。
筆者:でも、そこに、快楽まではいかないっておっしゃったけど、やっぱり、やりがいみたいなことをそこに感じることは?
筆者: やりがいではない?
A: やりがいには近いけどやっぱり、必要とされていることそのもの。やりがいともまた違うような。たとえば、やりがいがあまりない(ことを挙げる)としたら、下の世話 とか。でも、やりがいは感じないけれども、祖母の思いとして「他の人にはしてほしくな いんだ!」というのがあって。そうなっちゃうと、「そうか、やるしかないよな」みたいな。 やりがいは感じないけど、やるしかない。それに心地よさは感じないけど、依存性みたいなのはあるんです。難しい。
こうした積み重ねにより、ヤングケアラーが学校を休み、それが長期化して不登校になっ ていくのだとしたら、その時には、もう気持ちの整理はかなりついてしまっている。 第2章で紹介した調査では、ケアを担う児童や生徒に教員が気づくのは本人の話による場合が多いことが示された。教育機関でできることとしては、子どもがケアと 学校生活をなんとか両立させようとしている時期に、ケアや介護がわかる人と連携して、児童や生徒の話を丁寧に聞くことが挙げられる。
その際には、学校が持っている価値観や規範で教え諭してしまわないように注意し、本人が何に不安を感じ、本来はどうしていきたいのかを訊き、どんな方法があるのかを一緒に考えることが大切である。
しかし、その一方で整える必要があるのは、学校から離れた子どもや若者たちが、いずれまた状況が変わった時に、学校での学びを再開でき、その学び直しがきちんと評価されるようなシステムである。
一方で、私とヤングケアラーは大きく異なる点もあった。まず、介護と育児は違う。育児には、子どもが成長していくのを見る喜びもあり、いずれ子どもが大きくなるにつれて、必要なケアの作業は減っていく。しかし、介護の場合には、相手の状態が少し良くなることはあっても、病気の進行や年齢に抗えないところもある。どんなケア作業がどれほどの期間必要なのか、まったく見通しが立たず、介護する自分がこの先どうなっていくのか、想像することも難しい。
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「大介護時代」
少子高齢化が進んで
単身高齢者
が激増している今
家族が多様化する中で
ひとり親家庭
障がい者家庭
も増えています。
そうなると介護の中心が大人では賄いきれなくなるのは当然といえば当然の流れです。
共働きが当たり前になって介護の担い手が激減してる中で介護保険がちゃんと機能してないのは致命的やなと思います。
「自分が学校と言われるところのルールから逸脱していくのが自分の中で耐えられなくなる」
同世代と異質な経験をしているだけでなく周りのルールに合わせることができなくなってくる自分をどうにもできない焦燥感。
遅刻したくてしてるわけじゃない。
でも1回目2回目と続くと理解されずに怒られることになる。
「自分が学校のルールを逸脱していてそれが低い評価につながっているという意識を持ち、なんとかがんばろうとするものの自転車操業で疲れていき、到達可能なゴールが見えずにあきらめる」
これは子供の心身に大きなダメージを与えると思います。
努力ってなんとかなるゴールに向かうからできるんであってそもそも到達しそうもないゴールに向かう努力は大人にもできないです。
これがヤングケアラーを取り巻く現実なんやと思います。
この問題をなんとかしようと思ったら今ある支援の内容を須く把握して子供達に翻訳して伝える能力が必要です。
これをマニュアル化というかスマホで見れるようにするだけでも大きく違うのかなと思います。
YouTubeやLINEで簡単に伝えられるように。
その作業が行政に求められるように思います。