紙の本
江戸時代の熱気あふれる芝居小屋にご案内
2019/07/29 17:29
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に見たときは「うず」しか読めませんでした…。「うず いもせやま おんなていきん たまむすび」。人形浄瑠璃も文楽も妹背山婦女庭訓も知らない人が読んでも面白い一冊。実在した近松半二という文楽作家がモデル。近松半二の青春、壮年、晩年、そしてその後に続く物語。芝居の虚構の渦、道頓堀の街の渦を描き切った大傑作。こう書くと伝記っぽいけど、大阪弁のテンポで押しまくる会話と展開。大阪弁の「語り」が心地よい作品です。300年400年と続く渦の中に今を生きる我々がいて、支えてくださるお客様がいる。文楽も一気にブレイクしてほしい。大島さんはベネチアを描いた『ピエタ』が有名ですが、二つを読み比べてみるのもまた一興です。
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人形浄瑠璃の世界にのめり込んでしまう1冊
2019/09/16 17:58
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タラ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小さい頃から父に連れられ芝居小屋をまわり、その父から近松門左衛門の硯をもらったことで浄瑠璃の世界を生涯をかけて描くことになった近松半二という男の物語。
直木賞受賞作だけあり、軽快なテンポで繰り広げられる物語は、昔の道頓堀の芝居小屋の賑やかさや観客の興奮がひしひしと伝わるようでタイムスリップして舞台を見ているような錯覚に陥った。
命がけで好きな人形浄瑠璃の世界で勝負し、壮大な渦の一部として生きた半二の人生を羨ましくも思った。
またこの本をきっかけに現代まで受け継がれてきた半二の思いを文楽という舞台を通してより強く感じたいと思った。
文楽を見たことのない人でも楽しめ、きっと1度見てみたいと思うようなおすすめの1冊。
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活き活きとした文体、方言も一役買う
2019/08/30 07:25
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投稿者:Miki - この投稿者のレビュー一覧を見る
登場人物が実に活き活きと書かれており、文体も好感が持て文章に引き込まれる小説で、当該作品が直木賞を受賞したのも頷ける。
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読みやすい
2019/08/20 18:43
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今回、久々といってもいいでしょう、
芥川賞、直木賞、どちらも読みやすかった。
これって、小説の基本だと思うのだけれど、
読みにくい、想像しにくい、わかる人だけでいい、
評論家に評価されている、
といった作品がけっこうあります。
そんななか、芥川賞も一気に読めたのですが、
本書も、不思議な世界にひきこまれ、その場にいるような、
そして、お三輪と直接話しているような、そんな気にされてしまいました。
拍手!
小説ってこうでなければね。
電子書籍
しばし道頓堀の芝居小屋を俯瞰しました。
2019/08/05 07:59
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投稿者:さくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
近松半二の生涯。人形浄瑠璃に取り憑かれた半二が己と浄瑠璃に向き合い、妹背山婦女庭訓を拵えるまでと、その後。女房のお佐久、娘のおきみ。三輪に導かれもう一人の近松になるまで。
電子書籍
タイトルに納得
2020/07/12 22:51
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投稿者:hoyoyo - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、文楽の仮名手本忠臣蔵を見た事があるが、殿様の切腹場面が印象深い。腹に刀を刺した後、うつ伏せに倒れ動かなくなった殿様の人形から人形遣いが離れ、そこを立ち去った。舞台には魂を持たぬ空の器になった人形の死体のみが残され、その死の表現が生身の役者には出来ないスーパーリアリズムだと戦慄を覚えた。人形芝居の、虚構性と現実味の境界を行き来する魅力を感じた。この本では、こういう人形浄瑠璃の芸の世界を、虚実入り混じった渦として描いている。人を熱狂させる物語の力と、それの虜になった人々の性が鮮やかだ。
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直木賞ですか
2020/08/09 10:10
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投稿者:hid - この投稿者のレビュー一覧を見る
おもしろかった。
ただ、ひきずりこまれるほどだったかというと、そんなことはない。
良くも悪くも題材のせいか。
浄瑠璃見たことないからね。
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文楽、人形浄瑠璃、操浄瑠璃、漠然と「知ってはいる」その世界。
そういえば確か金沢かどこかに旅行に行ったときに、一人で演じる人形浄瑠璃を見た覚えが…
歌舞伎より歴史が古く世界文化遺産にもなっている、日本古来の演芸。それくらいの乏しい知識で読み始めたこの物語。
いやぁ、もうどっぷりと浸ってしまいました、なんとも深く魅力的なこの世界に。
浄瑠璃に魅せられた一人の男の、人生の物語であると同時に、これは「おんなを小さな世界に閉じ込め縛り付ける世間」や「おとこの身勝手さと生きざま」や「芸に魅せられる恐ろしさとその奥深さ」も描いている。そういう部分がこの物語に奥行きとなっている。
ここだけど取り上げるともっと暗く重くじっとりとした物語になりそうなのに、なのに、なのに、どうだろう、この軽やかさは。
会話や物語の展開のテンポの良さ、人間関係の深さとその強さは、もうなんというか、大島節とでも言おうか。
大島さん自身が、楽しんで書いているのがよーくわかる。だから読んでいる方も、ものすごく楽しい。わくわくするのだ。
道頓堀の浄瑠璃作者、近松半二が歌舞伎よりも上をいく物語を、今よりもっと素晴らしい物語を、と苦悩する姿も、なんというか、悲壮感がなくて楽しそうにみえる。いや、みんな命を削って物語をつむいでいるのだろうけど、それでもなんだろう、自分も同じようにその仲間に入りたくなってしまう。貧乏長屋に暮らしながら、あーだこーだと頭突き合わせて練りに練りたいね。
いや、でも絶対に無理だ無理だ。物語ってそんなに簡単に生まれるものじゃない。
物語を紡ぎ出すのは誰にでもできることじゃない。なんだろう、どうやってどこから物語は生まれてくるのだろう。
近松半二が浄瑠璃の傑作「妹背山婦女庭訓結び」を紡ぎ出す途中で現れた「お三輪」の存在って、もしかすると大島さん自身にもあるものなんじゃないか、って気がする。
自分の中にある「誰か」が自分とは別の視線でもって物語を紡ぎ出す。そんな経験が大島さんにもあるんじゃないんだろうか。
なんて思いながら読むとわくわく感も一層増してくる。
はぁ、しかしなんだろう、この読後感の良さは。
とってもいい物語を体験した、そんな気になる。満足感に浸れる一冊でした。
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+++
筆の先から墨がしたたる。やがて、わしが文字になって溶けていく──
虚実の渦を作り出した、もう一人の近松がいた。
江戸時代、芝居小屋が立ち並ぶ大坂・道頓堀。
大阪の儒学者・穂積以貫の次男として生まれた成章。
末楽しみな賢い子供だったが、浄瑠璃好きの父に手をひかれて、芝居小屋に通い出してから、浄瑠璃の魅力に取り付かれる。
近松門左衛門の硯を父からもらって、物書きの道へ進むことに。
弟弟子に先を越され、人形遣いからは何度も書き直しをさせられ、それでも書かずにはおられなかった半二。
著者の長年のテーマ「物語はどこから生まれてくるのか」が、義太夫の如き「語り」にのって、見事に結晶した長編小説。
「妹背山婦女庭訓」や「本朝廿四孝」などを生んだ
人形浄瑠璃作者、近松半二の生涯を描いた比類なき名作!
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読み始めは、関西言葉や時代背景に馴染めず、なかなか物語に入り込めなかったが、次第に興が乗ってきて、次の展開が待ちきれないようになった。ランナーにはランナーズハイがあるというが、ライターにもライターズハイのようなものがあるのだろう。自分が書いているのではなく、なにかが降りてきて、あるいは、なにかに憑かれるように、書かされた、という感じなのだろうか。傑作とは往々にしてそんな風にして生み出されるものなのかもしれない。自らが創り出したものに違いはないのに、いつの間にか主人公がそこにいて、彼(彼女)が勝手に物語を紡ぎだしていく感覚のようである。その境地に行きつくまでが凄まじい。後半、半二が生み出したキャラクタ・三輪の語りが混じるが、それが時空を超えて現代にまで及んでおり、わかりやすい。半二が生きた時代と道頓堀という場所の熱気が伝わってくるような一冊だった。
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江戸中期、人形浄瑠璃と歌舞伎か巷の人気を奪いあってた道頓堀。
主人公は、父親に連れられて竹本座に出入りするうちに近松門左衛門に可愛がられた穂積半二。地味な主人公だけに、前半は多少かったるい感もあったが、「妹背山婦女庭訓」メイキング辺りは圧巻。モノ作りの冥利だわー。
「伊賀越道中双六」「奥州安達原」「新版歌祭文」、丸本物だった。いずれも歌舞伎バージョンしか知らない。半蔵門の読書会に通ってた時代に国立劇場へ観に行けば良かったな。
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素材として文楽が使われているが、描かれていることは、「何かを産みだす、創り出すとは何か」「苦しみつつも新しい物、自分だけのものを作りたいとの想いから離れることのできない創作者」についてが描かれているように思う。
加えて文楽を舞台として描いてくれているおかげで、私が知りたいと思っていたこと、「なぜ人形なのか、人が実際に演じている歌舞伎との違いは何か」についてのヒントが書かれており、初めて文楽を観に行く参考になった。
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人形浄瑠璃、今でいう文楽の話。
馴染みの道頓堀が舞台で語り口が大阪弁なのでとても読みやすく、親しみを感じました。
浄瑠璃作家「近松半二」の生涯を書いたもの。
とにかく熱気がすごい。
大切にしたい日本の文化ですね。
久しぶりに生で観たくなりました。
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江戸時代の道頓堀で、人形浄瑠璃の虜になった男、近松半二。
P27
〈幟がはためき、人々がさんざめき、うまそうな匂いが漂い、木戸番が声をかける〉
その道頓堀の賑わいが半二の体には染み込んでいる。
親友の並木正三は歌舞伎の作者へ。
一方、太夫、三味線、人形遣いの魅力から離れることができなかった半二は浄瑠璃の作者を目指す。
半二の優しい思いから『妹背山婦女庭訓』という名作が生まれる。
お三輪が導く浄瑠璃。
半二たちと一緒に渦に巻き込まれ、人形に魂が注がれていく様を見ることができた。
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大阪の町民文化華やかなりし頃に、近松門左衛門という天才を得て全盛を極めた人形浄瑠璃が、歌舞伎の勃興とともに凋落していくのを、戯作者・近松半二の苦闘を通じて描いた小説。
近松半二を主人公に置いた小説としては、岡本綺堂の「近松半二の死」という短編があり、これは青空文庫に収録されているので簡単に読むことができる。しかし、人形浄瑠璃(文楽)好きとしては、かなり物足りないものが残る作品である。
今回の「渦」は、ある程度長い間人形浄瑠璃に親しんだ者からしてもかなり面白く、最後まで楽しむことができる小説に仕上がっている。一言でいえば、現にある人形浄瑠璃の演目を素材としながら、よくもまあ、ここまで「妄想」を膨らませたものと感心してしまうのである。
道頓堀にあった文楽座(朝日座)近くで生まれ育った者からすると、中座、角座といった栄華を極めた頃の芝居小屋の名前、昔の町名が登場するだけで涙が出るほど嬉しい。それに、いまは吉本芸人のガラの悪い大阪弁とはまるで異なる大阪風言葉が跋扈している中で、子供の頃から聞き慣れた大阪言葉が浮かび上がる文章が全編覆い尽くされているのも、この小説の興趣をいや増している。(ところどころ京言葉を含め「ん?」と思うところはありましたが)
これを書くにあたって、相当床本を読み込み、太夫、三味線、人形遣いの三業にも取材を重ねたであろうことは容易に想像がつき、その中から言葉遣いを学んだのであろう。
せっかくここまでたどり着いたのであれば、有吉佐和子以来の、現代作家による新作浄瑠璃を大島真寿美さんが勢いに乗って書かれることを期待してしまう。
それにしても、自らの土地に生まれた貴重な文化財産である人形浄瑠璃を平気で潰しにかかる大阪の地方政治家の知的レベルの低さと、それを熱烈に支援する住民が多いことには暗澹たるものを感じる。
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浄瑠璃が盛んな時期があったんだろうなぁ。それの作家で成功するとなると、なかなかのものだったに違いない。
どこで自分の一生をかける仕事に出会うのかわからんもんや。何事も経験しておくことかもね〜。