紙の本
復刊を望む
2023/04/10 17:36
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
斎藤眞理子さんの書かれた本に、韓国で1978年に出版されて以来ロングセラーになっている本として紹介されていて、読んでみた。
こちらも斎藤さんの訳。
朴正熙政権下の圧政に苦しむ、韓国の貧困層を主人公に描かれた連作短編集。
遠い昔の韓国の物語なのに、なぜか、いま、日本で読んでいて心に響く。
過激な暴力や用語が飛び交うが、忌避感はない。
「なんでまともな人がこんなに少ないんだろう?」
「僕たちは言葉を持たないためにこんな目に遭っている。これは一種の闘いなんだ」
「ほんとうのことを言ったために葬られてしまう人たちがいる」
「知らずにいた人たちすべての罪だ」
連なる物語の中に、時折、登場する言葉が、いちいち胸に刺さる。
文庫版でもなんでも、なんとか復刊してほしい。
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今年の3月に逮捕された朴槿恵大統領の父である朴正煕の頃の韓国の下層階級の人たちの生活の様子や大企業に搾取される労働者の姿や権力に抵抗した者の行く末を描いている。いま世界中は反グローバル、自国中心主義の動きが目立ってきた。各国の現政権は抵抗勢力の存在を悉く事前に潰しにかかり始めた。この作品に描かれた行き場のない閉塞感漂う世の中の再来となるのであろうか。それが心配である。
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書店で見かけてなんとなく気になり
図書館で借りてみた本。
1970年代の韓国の、
重く重く救いのないお話。
感想を書くのがとても難しい本。
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1970年代、軍事政権によって労働者の権利が抑圧される中で急速な経済成長を遂げていたソウルそして仁川を舞台とするこの連作短編は、ふたつの寓話?によって幕を開ける。
高校の教師が生徒たちに、煙突を掃除しに入って行った2人の子ども、そしてメビウスの輪の話を語って聞かせる。そして再開発により住みかを破壊され、マンション入居権を買った金持ちの男を畑の中の夜道で襲う「せむし」と「いざり」の話。
ここから連作は、この2人の畸形の男たちと同じようにスラムの住居を破壊され追い詰められていく「こびと」の一家のたどる道筋を、少しずつ語っていくことになる。
ひとびとから嘲られ殴られても言い返すことなく働き続け、いつか月に行く夢を語りながら、小さい体をさらに小さく擦り減らして死んでいった「こびと」。彼の子どもたちもまた父親と同じように、工場の無慈悲な歯車にすりつぶされて一生を終えるしかないかのように思われた。
だが娘のヨンヒは逆らわずに生きろという両親の教えに公然と反逆して家を出奔し、金持ちの男に自ら体を差し出すことまでして入居権を奪い返した末、激しい激情のままに「お父ちゃんをこびとと言ったやつはみんな殺してしまえばいい」と叫ぶ。
そして両親が最も期待を寄せていた考え深く賢い長男は、毒を吐き続ける工場で組合活動家として活躍するようになるものの、卑劣な組合つぶしに遭い、ついに社長を自ら殺害することを決意する。
長男は逮捕され死刑判決を受けるが、小説はこの殺人について明確な道徳的判断を下さないようにみえる。この物語は何を語ろうとしているのだろう?
ささやかな願いを抱きながら巨大な石臼に追い詰められすりつぶされていく小さなひとたちの手が最後につかむものは暴力であるかもしれず、それは熟慮の末の判断であるかもしれない。「こびと」の長男が「クラインの壺」を見て犯行を決意するように。「世界においては、閉じ込められていると思うこと自体が錯覚だ」。
ところで彼の父親、生涯にわたる屈辱の下で耐えていた彼もまた、クラインの壺を目にしていたのかもしれない。月に向かって跳躍することを望みながら、長いトンネルを落下したその死も、世界の外に出ることを賭けた行為であったのかも。
物語はメビウスの輪が閉じるようにふたたび寓話によって閉じられる。「せむし」と「いざり」は彼らを捨てた興行主に復讐をしようと夜道を這っている。このときも「せむし」は暴力への衝動を抱えた相方への恐怖を抱えている。巨大なトラックとの遭遇、そして蛍。
教師はふたたび生徒たちに向かい合っている。だがその言葉は寓話かもしれず妄想かもしれない。循環する輪は閉じてわたしたちは始まりに戻ったように見えるがそこは同じ場所ではない。
いまこの物語を日本で読むわたしたちは1970年代の韓国の労働者たちとはまったく違う場所にいる。だがこの世界はクラインの壺であるかもしれず、すりつぶされる心と肉体も、暴力も、このすぐ裏側にあるのかもしれない。もしかするとそう遠くない未来にこの物語をわたしたちは違うかたちで想起するのかもしれないと思わせる。そのときまで意味を考え続けるべきなのだろう。
巻末の四方田��彦さんの解説もとてもすばらしい。
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1970年代韓国の、こびと一家を中心とした人々の物語です。
土地は開発され、企業は成長していく一方で、“最初の闘いに負けてしまった(p115)”こびとの子供たちは、人間が安い機械みたいに扱われている工場で働くしかありませんでした。彼らは“何かを選択する機会を一度も持ったことがない(p262)”のです。
こびと一家は必死に生きているのに、悲しい思い出ばかりで、救いはありませんでした。それでも、彼らには愛がありました。
これは1970年代韓国の物語ですが、現代日本でもどこでも通じるところがあると思います。帯には“この悲しみの物語がいつか読まれなくなることを願うーチョ・セヒ”と書いてあります。この物語がこんなにも共感されなくなる世界は願いたいです。
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1970年代の韓国に書かれた、こびとの家族と、その周辺の人々に関する短編連作集。
話の冒頭と最後がメビウスの輪になっている、内側が外側で、外側が内側になる。話の中には、大都市で暮らす最底辺の労働階級の人々と、お金持ちの人々、またお金持ちでも最底辺でもない人々が出てくる。そしてその中の誰も最も幸福ではない。どんな人々でも内側であって、外側になる。ただおんなじことはおんなじ場所で暮らしていることだけ。
宇宙人の夢を語る小人のお父さんがすごく良かった、そしてそれと似たような夢を語った人に、それは社会的ストレスを受けた人の自己防衛の話ではないかと問いかける人が出てくる。本当に宇宙人がいるのかいないのかは私たちは知らなくて、彼らも知らないのだ、誰も知らないからあるかもしれない。外側でも内側でもないところの夢。
どこにも救いがない話だ。こびとの家族は生きるのに必死だし、富裕層は穏やかに綺麗に暮らしてるけどそれでも苦しい。努力があるから豊かにはなったのだし、いつ落ちるかもわからない。外も内も、ここに生きている以上どっちにしろおんなじである。
悲しくて綺麗な話だった。特に、会話の書き方が好き。
「たくさん罪を犯したわ。でも変ね、一つも言えない」
「生活全体が罪だからだよ」
お金持ちの娘に、お金持ちであることが罪だと教え諭す。
しかし、罪を犯したことはわかるけど、何が罪かはわからない。生きてることで誰かを蹴落としていることはわかるけど、かといってそれは生まれてきてしまった娘が悪いのか?悪いわけではない、知らないことが悪いのだと言う。
「そんなことは考えないほうがいいのよ。どんなに良い工場で働いたって同じことだわ。大勢の人が同じように幸せになるなんてこと、あると思って?」
「薬を使うんですよ」
略
「ぞっとするようなことばっかり考えるのね」
「それは僕のせいじゃありませんよ」
僕は言った。
「ほんとにぞっとするようなのは、この世界でしょ。」
全員が幸せになることはない。
誰かが悪いわけでもない、愛のある世界では全員幸せに生きられるのだろうか、愛のある世界にお金はあるのだろうか?この世界自体がそもそも愛に向いてないのではないか?この世界自体が愛に向いてないなら、そんな悲しいことをいくら学んでも、何かの意味があるのか?
解説が後半についている。途中途中、韓国の制度についての注釈も多い。全く知らないことばかりでなかなか読むのに時間がかかった。1970年の話だけど、この中で描かれている、身体障害に対しての差別や、富の格差、労働問題なんかは、別に今書かれたと言っても違和感がある話ではない。
ただ、知るだけのことにもひとつの意味があると私は思いたい、そう思った。
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兎に角、すごい衝撃を受けた。韓国にこんなにすごい作家が居たことを今まで知らなかったのは、すごく損した気分だ。1970年代の産業成長期の韓国の話。労働者側と経営者側の格差。財閥と貧困、異形や貧困に対する差別。それらが当たり前にあった世の中がそのまま描かれている。ついつい弱者の方だけが描かれるものだが、この小説は労働者側の苦悩だけでなく、経営側の苦悩もきちんと表現されており、その点はすごいと思った。大学受験を直前にした生徒に向かって話す数学教師の言葉から物語が始まる入り口も良かった。韓国文学は力強い文学だ。
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撤去民のマンション入居権売却
チョンセ
『一万年後の世界』 月の世界
奴隷売買文書
取り壊した家の廃材を薪にする
楽園区の幸福洞とは皮肉な地名だ
繰り返し触れられるこびとの町の「匂い」
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読了3時間半。
韓国の作家さんの物語を読んだのははじめて。
子どもたちが夢中になっていたり、人気のメイクアイテムやファッションが話題になる韓国。
漫画でもっと宮廷時代ものとかは読んだことはあったのだけれど、それも何か哀しい話が多かった記憶がある。身分制度ものとか、地位が低かった女性の悲恋ものとか、役人に虐げられる話とか。
でも、その近代に、貧民層を搾取していた、こんな哀しくて重い歴史があったなんて知らなかった。読むのがしんどくなりそうな内容だと思うかもしれないけれど、目が離せない本だった。何より、最初の教師の「メビウスの帯」の挿話がいい。最後の長男くんの裁判のシーンもいい。
短編集だけれど、ひとつづきのおはなし。いっぺんいっぺんはちいさな物語だけれど、韓国についてだけでなく、とても大きなことについて考えさせられ続ける話。
本当の痛みに根付いて語られた物語は、ひどく心を揺さぶると実感した。
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大学進学を目指す受験生が読む本としたらつらい内容かもしれないです。自分が進学できる環境におかれ、卒業後は、企業で活躍する人材に育つよう期待されていること自体が、こびとに象徴される対象を排除、分断しても大きな利益のためには仕方ないという制度に無意識に組み込まれていないか。そんなことを考えながら生きていくために必要な気付きが詰まった本でした。試験日を迎えるまでの毎日がすでに何かの陰謀の上にひかれたレールに乗ってしまっているのではないか。そういうメッセージを発してくれたのは高校の先生でしたから、進路指導しつつも複雑な心境が伝わりました。
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作者、訳者とも素晴らしい。
初韓国作品。
70年代の韓国の経済成長と人々の暮らしが伝わって、強く気持ちが揺れた
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2023.4
読みづらい部分もあったしちゃんと理解できていない部分もあった。役者あとがきの"本書は一言でいって「蹴散らされた人々」の物語である。"というのが印象に残っている。この本がどのように書かれて読まれてきたかを知ってから読めて良かった。
私は「トゲウオが僕の網にやってくる」の視点が印象的だった。
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70年代の韓国を舞台に、この「こびと連作」は書かれた。発行禁止を避けるため短編にして色々な雑誌でこの連作は発表されたという。韓国では、1976年の出版以来驚異的なロングセラーとなっているという。それを日本で読めるようになったのは、2016年である。小説中に数学教師が話すメービウスの輪の話があるが、この小説も最初と最後でメビウスの輪のように繋がっている。どちらが表でどちらが裏かが分からない帯のように。いざり、せむし、こびとという言葉が出てくる。日陰に追いやられた人たち、過酷な労働環境で働く人たち、富者と貧者。当時とは違って高度に発展した韓国。しかし、今でも解決できない問題を抱えた韓国、そして日本を考えざるをえない短編集だった。
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1970年代を舞台にした社会派小説です。圧倒されます。日本語訳韓国小説の中で、一番おすすめしたい作品です。
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せむし、こびと、いざり…最初はなかなかピンとこない単語の登場とその背景に、この本の世界に入ることが難しかったのだが、読み進めるうちにぐいぐいと引き込まれた。またそれと同時に、言葉では表せないほどのやるせなさに胸が締めつけられ、読み終えるまでとても時間がかかった。
この本を読む前と後では、韓国カルチャーの見え方が全く違う。この本を知ることができ良かった。