喜怒哀楽にあふれた動物・神獣たち
2020/08/15 15:56
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投稿者:ワシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ファンタジーにみる動物たち」という副題だが、荻原規子の自伝的なエッセイである。
読書歴から仕事の遍歴、そこから発展して過去に触れた物語の動物たち、ある意味で随筆とエッセイの違いをよく著している。
本書は、架空の存在や生物を扱うものの、科学的・民俗的考証とは異なるので一応のお断り。
そのへんの考察に関しては加門七海『霊能動物館』もご覧下さい。
荻原規子自身に関心がなければ若干肩透かしを食らう可能性もある。(個人的にも作品世界と作家その人は別と考えますが)
個人的に目を引かれたのは、いぬいとみこ氏への忌憚のない意見だった。
いぬい氏は確かに戦中世代であり、それ故に小人達を戦時の物資不足に追いやってしまった(本人も無自覚のうちに)のかもしれない。
物語が「反戦イデオロギー」に膝を折ったのではないか、という指摘は重要だろう。
戦には功も罪もあり決して評価は定まらない。
神話でも伝承でも隙あらば戦をしているしわが国の古典も斬った貼ったは常道、戦を忌避して「英雄譚」も「悲劇」が書けなくなっては意味がない。
ただ個人的には中沢新一の頻出がいけすかない。(身内が地下鉄サリン事件というテロ事件に巻き込まれているからだが、どうしても冷静に読めない)。
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心に残ったエピソードは三つ。古事記に現れる馬の皮。カエル漫画を描きつづけた理由が読者の存在だという話。何故ファンタジーが中世欧州風世界で展開されるか。
馬の皮は何か養蚕と結びつくようなのだが、何を意味するのかが現代では明らかでないというところでエッセイは終わる。この分からなさが妙に心に残った。
カエルの漫画は弟が読者として存在したことが続けられた理由だとしたもの。作者と読者の関係について色々考えていたのでタイミング的にはまった。
最後のファンタジーの舞台については(いま本が手元にないのでうろ覚えだけど)「中世には現代と同じ問題が全てある」からだという中沢新一氏の説が紹介されていた(ような気がする)。
いわれてみると確かに現代とは異なる環境で貧富の差、家族問題、戦争、都市と辺境、各種産業、知識欲や名誉欲などを描くことができ、魔法やエルフやゴブリンが現れても許容されるのは中世欧州風世界だよなぁと思う。
本自体は一章ごとにファンタジーに登場する動物のタイトルを振り、タイトルの動物をキーに自分の思い出や動物が登場する作品について語ったウェブ連載をまとめたもの。そういえばダイアナ・ウィン・ジョーンズにはまったのは荻原さんのエッセイの影響も大きかったよな、と改めて思ったり、中沢新一氏の著作を改めて読んでみたいなと思ったり。
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ファンタジー作品に登場する動物をお題に書かれたエッセイ。
本の紹介としても熱があって面白かった。
実はとても私的な本なのかもしれない。
著者が作家という職業についたわけや、彼女の小説作法まで、ところどころに垣間見えるのが興味深かった。
エッセイというのは、ある意味「わたしを理解して」っていってるようなところがある文章だからね。
読書歴とか微妙に重なっているところがあるんだけど、感じ方が違う部分も多々あって、そこら辺がわたしが著者の本の愛読者になれない理由なんだろうなと思ったりもしました。
(タイトルで「黒龍とお茶を」というマカヴォイのファンタジーを思い出した。続編、読みたいなー。ディズニーあたりが3Dで映画にデモしてくれないかな……無理か)
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神話とか民俗的な話題とか。
自身の動物と本にまつわる体験を通して、その辺を熱く語る1冊。
荻原規子好きには、そういう面で最高に面白い本。
僕のような、「ファンタジーに馴染みが薄いけど、荻原規子は大好き」って人にとっては、古典・名作ファンタジーへの架け橋、読書のススメになります。
誤魔化しや茶化しを混ぜずに、物凄く冷静に真剣に語られてます。
参った。色々読みたくなった。
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読みたいと思いつつ、やっと読了。
副題にあるように、ファンタジーに登場する動物(架空も含む)に注目してつづられたエッセイ。
ファンタジー評論ではなく、どの作品がいかに荻原規子さんの心をとらえたのか、それはなぜなのか、ということを、出会った状況をふまえながら、個々の問題として考えている。しかし、それによって、ファンタジーの本質を結果的に導いているように思われる。
ファンタジーの評価点が似ているところも多くて、紹介されている本を読みたくなって、図書館にさっそく予約をかけた。とくにそうだよな、と思ったのは、小人作品への評価。ずばり、私もそう思います!! 引用メモをしておこう・・・。
荻原さん本人を知りたい人、すなわちファンの人にも待ちわびていた本なのかもしれない。
ファンとしては、荻原さんと自分の干支が一緒でびっくり。めちゃめちゃ若いよなぁ。。。また、「ヒヨコ」の中に出てきた小屋を作ってくれたお父さんのお話もよかった。お母さんは何度も出てきたが、お父さんはここだけ。・・・そういえば、お亡くなりになったのが、ちょうど一年前だ、と思い出す。
私的な部分と作品への洞察がたっぷりつまったエッセイ。いうか、作品分析は私的なことを通してしか語れないのかもと思わせるものだった。
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うーん、私ってぇ、荻原さんほど頭がよくないのでぇ、なんとなく僻んでしまうみたい。ファンなんですけれども。
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副題「ファンタジーに見る動物たち」とありますが、20の動物、幻獣を取り上げています。ただ、それらの生態を掘り下げたような内容ではなく、荻原さんの読書遍歴や子供のころのエピソードを踏まえお話となっていて、ファンの私は興味深く読むことができました^^
作曲家の菅野よう子さんとの交流がある話があり、菅野さんが勾玉のイメージソングとか作ってくれら素敵な曲ができそう、勝手に妄想しまいました(笑)
巻末の方に、荻原さんのお母様は空想をあまり解さない人で、そのせいか空想より読書にのめりこんだということが書かれていて、私とちょっと似てるなぁと親近感がわきましたw
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分類902
空色勾玉シリーズやRDGの作者の 動物物語(架空生物を含む)のエッセイ。ファンタジーや神話や古典文学の中に登場する動物たちの随想。
作者が好んだという本のラインナップを見て、私も好んで読んだものがあると嬉しいし、知らないものは読みたくなった。
ケロちゃんの家のくだりは なんだか作者の少女時代を思って、親しみを覚えた。
YAもしくは大人向け。先に作者の物語の本を読んでから、このエッセイを読んだようが楽しめるだろう。
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ファンタジーに出てくる動物たちを、荻原規子の視点から回想した本。出てくる作品がみんな読みたくなる……。
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荻原規子さんが徳間の「本とも」に連載していたもの。
サブタイトルに~ファンタジーに見る動物たち~とあるけれど、もっと広くファンタジー論&荻原さんの読書体験や子どものころのエピソード。
ファンタジーの王道、ナルニア国物語はもちろん、古事記・枕草子・ソロモンの指輪と守備範囲が広い。
読んでいて、再読しなくてはと思った本・多数でした。
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荻原規子さんの主に動物物語に関する読書体験を綴ったエッセイ。
豊かな物語作家はやはり豊かな読書体験を持っているのだなあと思った。
児童文学全集が家にあるって羨ましい。
幼少期の読書体験はその後の読書傾向に大きく影響すると思うけど、それらがどれだけ心に響いて、どれだけ記憶に留めるかは本人次第。大切な記憶として自分のものにして、それらと自分の経験と想像力を昇華したのが荻原さんの描く物語なんだろうと思う。
タイトルだけは知っているけど読んだことがない本についても結構触れられていたので、読んでみたいと思う。
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物語に出てくる動物だけじゃなく、実際に飼っていたヒヨコやおもちゃのカエルの事まで書いてあって面白い。
猫,グリフィン,白鳥,ドラゴン,ダイモン,の回が特に好き。
グリフィンの回で、DWJの「ダークホルムの闇の君」について書かれてて、どれも共感出来る事だったのが嬉しい。
反対に、ユニコーンの回で絶賛されてる「最後のユニコーン」は、昔読んだ事があるけど、なんだか難しいって印象しかなくて、内容も朧気にしか覚えてないのが残念…。読み直してみようかなぁ。
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以前から何度かお話しているように、荻原規子さんという作家さんと KiKi の相性は決してよいとは言えません。 とは言うものの、同世代の女性として彼女の活躍にはそこそこ興味はあるし、このブログに彼女のブログのリンクも貼ってあるしということで、この本のことは以前から知っていました。 この本は彼女の物語作品というよりはエッセイということなので、物語作品との相性はさほどよくなくても結構通じるものがあるかもしれない・・・・という淡い期待を胸に今回借り出してみました。
結論から言うと、どうやら彼女とは物語作品のみならず、エッセイであってもあんまり相性はよくないみたいです・・・・・(苦笑) 但し、やはり同世代に育った共通項というものはそこかしこにあるもんですねぇ。 彼女が幼少時代にご実家で揃えられていたという「少年少女世界の名作文学」というシリーズのお話なんかは KiKi にとっても実に懐かしい、身に覚えのある社会現象(?)のお話でした。
そうそう、あの頃は「岩波文庫」こそ既に存在していたものの「新書」なんていうのは世の中に存在していなくて、今ほど本の数や種類も多くなくて、その代わりと言っては何だけど「○○文学全集」というヤツが結構流行って(?)いてねぇ・・・・。 革装丁とまではいかないけれど、昨今のハードカバーの表紙よりはずっと厚紙の表紙、背表紙の金文字が豪華なハードカバーでサックに入っている配本形式の全集ものを1冊ずつ揃えていき2年ぐらいすると全集が自宅の本棚にド~ン!と居並ぶというパターンで購入する家庭がそこそこありました。
よくよく考えてみるとあれも敗戦で全てを失った人々が少しずつ文化的な生活を取り戻していく過渡期特有の現象だったんでしょうね。 KiKi の実家には荻原さんちの「小学館 少年少女世界の名作文学」はなかったけれど、従姉妹からのおさがりの「河出書房新社 少年少女世界の文学全集」とか、出版社は忘れちゃったけれど「少年少女 ノンフィクション全集」といった全集物がドドド~ンと本棚に鎮座していました。
出版社とシリーズ冊数こそ違うものの、収録されている物語にはさほど大差はなかったようで、彼女がこのエッセイで取り上げている作品の多くは KiKi も又、恐らく彼女と同じ時期(年代)に同じような遊びをしながら読み進めていった物語とほぼ同じだったことがよくわかります。 もっとも、どれもこれも「絶対読んだ!」という確信はあるのですけど、そのうちの何冊かは「はて? どんなお話だったっけ??」と思わないでもなかったりはしたのですけどね(苦笑)
彼女が大学時代の「児童文学研究会」の合宿で好きな本3冊をあげている中で、KiKi がAmazon Market Place で購入して到着を待ちわびている「妖女サイベルの呼び声 P.A.マキリップ」があることにちょっとビックリしました。 彼女は KiKi よりほんのちょっとだけ年長のはずだから、大学時代は何気にかぶっているはずなんだけど、その時代には彼女はもうマキリップを楽しんでいたんですねぇ・・・・・ これは到着が更に更に楽しみ♪です。
さて、彼女のこのエッセイの切り口はフ��ンタジー作品に数多く出てくる「モノ言うケモノ」を題材にして、それ以外にも自身の子供時代に接点のあった動物に関する考察(?)を述べるというスタイルをとっているんだけど、一つ一つの語りはどちらかというと「優等生的な語り」が多くて、あんまり共感することはできませんでした。 ただ、辿ってきた道のりが似通っている、「同じ時代を生きてきた同志」みたいな感覚だけはヒシヒシと感じられるもので、そういう意味ではそれなりに楽しめるものでした。
彼女やル=グウィン(ゲド戦記の作者)が追及している「ファンタジーとは何か?」というテーマは実は KiKi 自身も追及しているテーマの1つなんだけど、これって「ある世代特有の拘り」のような気がします。 恐らくは、TVゲームが当たり前のように存在している時代に育った人たちは「ファンタジーとは何か?」な~んていうことを敢えて突き詰めて考えようとは思わないんじゃないのかなぁ・・・・・。
荻原さんや KiKi の子供時代っていうのは、戦争の傷跡こそ身の回りに残っていないものの、まだまだ戦争体験を引きずっている人たちが健在で、同時に高度経済成長の波に乗っている真っ只中。 価値観の大転換が行われ、古臭いものは悉く否定してかかるような風潮がありました。 その環境を端的に言語化されていると感じるのは、内山節さんの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」で、「キツネにだまされた」という話が日本人の中から消え始めた時期とその原因を6項目挙げて論じられている年代と合致しています。
そこには人間が自然を征服し、経済的存在になり、科学万能を信奉し、マスメディアにより与えられた情報を鵜呑みにし、合理主義に支配され、人の自然観・死生観が変わった年代と書かれていました。 そんな真っ只中で教育を受けてきた世代だからこそ、「ファンタジー」というものに強烈に惹かれる人間が誕生し、その「こんなに魅力溢れるファンタジーとは何なんだろう?? 子供向けの荒唐無稽の物語であるはずがない!」と考えずにはいられない・・・・・・。 そういう世代なのではないかなぁと KiKi は思うんですよね~。
ル=グウィンさんは4~50歳ほど年長だけど、あの方は「先進国 アメリカ」の方ですから・・・・・。 KiKi たちよりは4~50年ほど社会文化的には先進的な環境で成熟されたと思うんですよね。
つまりね、結論付けるにはまだまだ尚早だとは思うんだけど、極論すれば「自然を征服すべきものとは考えず」、「経済的な拘りを思考から除外し」、「現在の科学では捉えることができない世界を掴もうとし」、「合理的な考え方で結論を急がず」、「自然の中で生かされているちっぽけな存在が人間である」というスタンスにたった物語こそがファンタジーなのではないのかなぁ・・・・・とKiKi は思うんです。
今現在、KiKi 自身、「ファンタジーとは何か?」を定義できないまま多くの物語を手当たり次第に読んでいるわけだけど、今のところ「人間優位の目線には立たずに『人間というこのしょ~もない生き物は何ぞや?? どうしてこの世に生を受け、死んでいくのか?』という現代科学でも解明できていない『なぜ? どうして? どのように?』を仮定する物語がフ��ンタジー」なのではないかなぁ・・・・・と考えています。 だからこそ「人間ではないモノ言うケモノ」が人間を語ってみたり、舞台を中世に移した物語が多いのではないかしら。
そういう意味では彼女の最後の結論、
科学的論理性しか認めないことで近代化した私たちの先代は、適合しないものを蔑むことで排除にととめたが、100%捨て去ることもできず、子供向けの娯楽として保ち続けてきた。
ファンタジーの水脈はそういうものの中にあるから、近代以降の学校教育となじまない。 言ってみれば教師の必要はない。 誰かが訓育など施さなくても魅力の存在は伝わるからだ。 そこで娯楽と同源だと強調されてしまう。
ファンタジーの出発点が、神話や昔話までさかのぼる古いものにあるということを、そして現代の私たちは、原始の人間とそれほど変わっていないということを、どこかで認めないとだめなのだろう。
には共感できました。 でも、そういうファンタジー論を展開したいなら、このエッセイは何気に中途半端な感じがします。 荻原規子さんの読書体験を披露したエッセイという読み方をすれば、彼女のファンは元より、同世代を生きてきた特に女性には楽しく読んでもらえる1冊だと感じました。
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児童書の中だけではなく、古典や神話においても重要な役割をになっているさまざまな動物たち(幻獣も含む)について綴っているエッセイ。
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あまり書籍内で紹介される書籍に興味を持たないのだが、読んでいなかった書籍や物語を読みたくなるほど、素敵な心からの熱意が伝わってくる。
自身も動物物語が好きであったことも影響しているのか、すんなりと頭に入ってくる。図書館で借りたが、今後の児童文学の案内書として購入したい。