「規律訓練」 アプローチにまだのぞみはあるか ?
2010/07/26 22:39
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
個々の日本人はすっかり個人主義的になってしまって,もはや従来の 「安心社会」 をとりもどすことはできない. そういうなかで,著者は日本に適したやりかたをめざしつつも,個人主義の歴史がふるい欧米的な社会の実現をめざしているようだ. 「囚人のジレンマ」 など,ゲーム理論を武器にしつつ,合理的なゲームではなく不合理な人間がゲームでどうふるまうかを実験し,そこから結論をみちびこうとしている.
しかし,著者も書いているようにこの本では論理性よりわかりやすさを重視しているためか,飛躍する論理をうめることができず,納得できる議論にはなっていない. だが,東 浩紀 らのようにもはや 「規律訓練」 の時代ではなく,監視カメラのように 「環境管理」 によって安全・安心をまもる必要があるというような議論とくらべると,もしかするとまだ 「規律訓練」 的なやりかたにものぞみをつなぐことができるのではないかとおもえてくる.
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武士道と商人道(安心社会と信頼社会)という、相容れない考え方の提起には脱帽。
非常にわかりやすいと思う。
普段の自分の生活態度が、武士道傾向にあることを自覚して、ちょっと愕然とした。
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すらすらと読みやすい本でした。
以下、内容です
・日本人は「人を見たら泥棒と思え」と考えがち
・一方アメリカ人は「渡る世間に鬼はない」と楽天的に考える
・実は日本人は集団行動よりも一匹狼のほうがずっと好き
・モラル教育は利己主義者の楽園を作る
・いじめ問題を解く鍵は「臨界質量(エントロピー)」にあり
・武士道の倫理と商人の倫理を混同するな
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ついにサバイバル時代に突入、今後は世界&地球レベルで激動の時代になりそう。
そんな時に本書に出会って、今起きてる事が何なのかストンと腑に落ちた。
これは、安心社会(≒村)と信頼社会(≒都会)が全く違う構造であることを
明らかにした上で、これから求められるものが何なのか鮮やかに描き切ってる。
面白かったのは、日本人は謙虚な心を持っているのではなくその行動が
自分にとってトクになるから謙虚に行動しているだけだ、という主張。
・・・確かに!!!
そして、今までの安心社会から信頼社会に変わってきた構造の変化を指摘し、
今までのやり方ではトクにならない、じゃあこれからトクになるのはどんなやり方なのか、
その行動をするためには何が必要なのかを、ハッキリ言い切ってる。
人にお説教して、モラルや品格で固定したがる構造に「そんなの無駄だよ。」と
あっさり言っちゃってる。こっちの方が遥かに現実的&明確で私は好きだな。
山岸先生曰く、未来は明るいって☆
なんかいいなあ、そういう結論。
20090214
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共同体の中でお互いに監視しあい、制裁というような仕掛けを用意して人間同士の結びつきを強固にしていこうとする「安心社会」が、今まで(封建制度下〜)の日本だった。
それは信頼を問うのではなく「みんなも考える(受けとめるから)私もといった感覚の暮らし方だ。しかし西欧社会は「安心社会」が提供してくれる安心に頼るのではなく、自らのリスクを覚悟で他者と協力し人間関係を結んで行く社会だ。
著者は、日本人の曖昧さや意見をはっきり言わない謙譲の美徳といったものは、その方がこのような社会で暮らすには「トク」だから、根付いてきたものだとする。同様に、相互に積極的に信頼を作っていこうとする信頼社会でも、その方が「トク」だからだと論破する。だからどちらがよいということではない。またそれの混同もできない。
現在の日本での「いじめ」も、共同体(教室)の中での「臨界質量」によって、どちらが形成有利か不利なのかが変わてしまうそうだ。人間は感覚的にそれを選んでいるということらしい。
また日本の武士道的な考え方(統治の論理)と商人道(市場の論理)といった相反する道徳律が現代日本社会では混用されていると説く。だから倫理の崩壊ではなく、現在は倫理が混乱しているのだと言う。
大事なのは正直者がソンにならない社会制度をつくっていくことができ、あとは正直に行動し、他人を基本的に信頼することが結局は自分のためにもなる」ことが納得できればいいのだとか。う〜ん。
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ほぼ日で、糸井さんが推薦していた本。
この10年、日本は変わったのか?
躾や武士道や品格やそういったものがなくなっちゃったのか?
糸井さんが、膝を打ちすぎて痛くなったと話していましたが
なるほどな〜の連続でした。
「不機嫌な職場」にも通じる話しがたくさんあります。
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P209
多くの人はできることならば、おたがいに協力しあって、ともに利益を得る関係を構築したいと思っています。しかしその一方で相手が本当に協力してくれるのかが分からない状況ではやむをえず非協力行動を選ぶしかないとも考えている―これが多くの人のホンネです。
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200904/多くの人にとって「昔はこんなことはなかった」となるのは、子供のころは身の回りにおきたことしか情報がないが、大人になってからはマスメディアなどの情報を多く知るので極端な事件を知ってしまうから/いじめ問題を「心の教育」によって根絶するという発想があるかぎり問題をこじらせるだけ/いじめの問題化は傍観者の比率で決まる/日本人は集団主義的だというのが常識になっているが、実験で詳しく調べると、むしろアメリカ人よりも個人主義的であることがわかった/従来日本は社会の構成員同士がお互いを監視しあうことで大事件を防ぐ「安心社会」であったが、今後世の中のグローバル化や情報化により、個人が積極的にリスクをとっていく「信頼社会」へと社会の仕組みが変化していく/安心社会で育った人間はデフォルト状態が疑り深い性格で個人主義的。そのため不信の連鎖構造が起こる/企業不祥事によるスキャンダルは昔からあった(公害問題や薬害問題等)が、かつては謝罪して対策を施せばひとまずは問題解決になったのが、今では集団ヒステリー化して倒産にまで追い込む。企業の方も情報隠蔽に必死になる。これも信頼社会到来に適応できず疑心暗鬼になっている日本で不信の連鎖構造が起こっているため/空気を読める人間=「社会的びくびく人間」/道徳教育・人間性教育の徹底は「ただ乗り」をする利己主義者の恩恵を増やす。正直者が馬鹿を見る世の中を作ってしまう/世の中には「協力的な人」「非協力的な人」だけでなく、大多数は、みんながどうするかによって態度を決める「みんなが」主義者(=傍観者)。この実情を把握しないままの対応が悲劇をまねく/いじめ問題を解くカギは「臨界質量」にある ⇒ 「みんなが」主義者(=傍観者)が協力的行動・非協力的行動どちらかの態度を決定したときに雪崩のように状況が変わる/マグレブ商人(安心社会)とジェノア商人(信頼社会)の話/法のあり方が「権力者が人民を統治するため」なのか「市民の正しい行動を保障するため」なのかで社会システムが決まる/ネットオークション:ポジティブ情報による評価制度が浸透していることで「レモン市場」化を防いでいる/正直者がトクをする社会を実現することが信頼社会構築のポイント/商人道(市場の倫理)と武士道(統治の倫理)があり、これからは商人道を推進することが大事/商人道と武士道の混合が破滅をまねく
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市場の論理の商人型・信頼社会、統治の論理の武士型・安心社会。価値と特性は別物。相容れないものを混同せず、現状に即して見極めること。
閉鎖的な安心ではなく成長という流れに沿うならば、正論をかざすより、その方がトクという、足がかりとしての基盤を築く。
序盤は強引さも感じたけれど、実験やそこからの展開を交え、論理を順序立てて構成している点に、まず好感が持てます。
臨界質量とか面白いな。「みんなが→私も」の連鎖がプラスマイナスどちらに転ぶか、スタート地点の境目が決めるという。
好循環がある時って、同じ事をするにも感じ方がまるで違うリズムがあるしなぁ。
双方の利に繋がる積み重ねが肝要。情けは人のためならず。
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帰属の基本的エラー 日本人が長らく生活していた安心社会は、正直者である、や、約束を守るといった美徳を必要としない社会であった。 社会的ジレンマ 協力者しあえば全員がトクをする状況がうまえれるのに、他人を信じられないために、皆が結局、非協力行動をしてしまうので、全員が損をする状況がうまれること。これを解決するには安心社会にすること。傍観者の数が臨界点に達するといじめが問題化 ポジティブな評価を得た人がトクをする社会をつくること。」
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著者は1948年名古屋生まれ。社会心理学者。
一橋大学、ワシントン大学を経て北海道大学大学院教授。同大学社会化学実験センター所長。
人間性に反した気分だけの精神論では物事は解決しない。
人間性にあった方策が大事だという。
日本人は協調性があると言われるがそれは本当かそして何故か?といった実験を重ねていく。
いがいに個人主義的な面もあるが、自分以外の人間は協調性が高いと感じているそう。
社会全体が安定していて安心できた昔の日本。
それは閉鎖的な農村が典型的なのですね。みんな知り合いだから疑う必要も観察する必要もない。ただし発展の可能性は狭まる。
村を出て身内以外の人と関わるとなると、疑ってかかる。これが負の連鎖を産む…
人を意外に信頼する欧米人、それはお人好しなのではなく、可能性を広げるために積極的に人と関わり、観察していく。
それはちょうど侍の価値観と商人の価値観とも通じる。
面白かった〜。
これだけでは言い尽くせないとは思うけれど、重要なポイントを突いてると思います。
いじめの原因や解決策なども。恐喝や暴行は犯罪だから別、そういうのより些細なケースは子ども同士で解決しようとしている現れの場合もあると。
2008年2月発行。
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いじめ問題から現代の経営のミスマッチにおけるまで、「安心社会=村社会=武士の倫理」「信頼社会=現代=商人の倫理」として論じる本作。
日本人的和の精神論や、昔は良かった今は心がなってない論から一歩引いて、日本人の行動特性といわれるものを「だってその方がそのときは都合がよかったんじゃない」と切り捨てるやり口は見事です。
ただがむしゃらに道徳教育を押し付けるんじゃなくて、正直者が得をするシステムを作り上げる・・・なんてことがほんとにできたらいいよなー。
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● この中国の例が私たちに教えているのは、「人間の心は教育によって、いかようにも作り変えることができる」という考えがまったくの誤りであったという事実です。
● 20世紀の社会科学における、最大の誤りの一つは「タブラ・ラサの神話」を信じたことにありました。タブラ・ラサとはラテン語で「白板」のこと。
● マザー・テレサのような、ごく一部の例外は別として、何の見返りもないのに他人のために働くといった人間性は、残念ながら私たちの心の中にはないのです。
● つまり、「日本人らしい」と思われていた謙虚さとは、日本人が本来的に持っている心の性質などではなく、日本の社会にうまく適応するための「戦略」として生まれてきた態度だったというわけです。
● つまり、集団主義社会で人々がおたがいに協力しあうのも、また、裏切りや犯罪が起きないのも、「心がきれいだから」という理由などではなく、「そう生きることがトクだから」という理由に他ならないというわけです。
● 日本人が長らく生活してきた安心社会とは、実は「正直者である」や「約束を守る」といった美徳を必要としない社会であったからです。つまり、安心社会とは正直者を必要としない、正直者を育てない社会であるというわけで、そのことを知っているからこそ日本人は他者を容易に信じようとしないのです。
● 武士道と商人道という、水と油ほどに違うモラル体系をきちんと区別することなく用いることは、日本社会全体を腐敗させることにもなりかねないことであるのですから、重大な問題です。もし、読者が日本において信頼社会を定着させたいとお考えならば、まずは何よりも「武士道精神」を排して、商人道を広める運動をこそ行なうべきだと筆者は信じます。
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■この本を読んで何を得ようと思ったのか?
イトイさんのオススメだったので
■何を得る事が出来たのか?
市場の論理の商人型・信頼社会、統治の論理の武士型・安心社会、
いままでごっちゃになってた事がすっきりします。
■この本に関してのコメント
これはおすすめ。
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嘘をつかず
誠実に生きること
それが自分のためになる
「情けは人のためならず」
~人に親切にすれば、
その相手のためになるだけでなく、
やがてはよい報いとなって
自分にもどってくる~
嘘をつかないことが
かっこいい生き方
努力した人が
誠実に生きた人が
報われる社会
信頼は
人と人の間にうまれ
社会へと広がる
本当に
そんな社会であることを願う