電子書籍
コロナ時代だからこそ
2021/02/16 01:46
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投稿者:このしろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
だいぶ前に書かれた本で、筆者自身の書きようにも古さを感じなくはないですが、そこも味です。コロナに対して、中央も地方も行政や政治の長たちが色々苦労していますが、その仕組みについてあ~こんな感じか~と思わせてくれる一冊。
紙の本
やや古いかな
2022/09/17 05:04
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつの出版かと思ったら、ナント1980年!ちょっと、読んでいて、古いかなぁと感じたのは、間違いではなかったのですね……。しかし、依然として、日本は、タテ社会だし…。ただ、コロナ禍になり、タテの結びつきを作る場がなくなりはじめましたテレワークです
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JMOOC OpenLearning, Japan「グローバルマネジメント(入門)」Week3参考文献。
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30年ちょっと前?の出版なので理論は古いのでしょうが、古典と言っていいのでは。日本の社会構造が分析されてます。
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タテ社会とは、タテの上下関係でできあがっている社会。動員は早く、一気に末端まで指示を浸透できる。リーダーとの人間関係という感情的な要素が強く、結束が強い。ただし、ヨコの連絡調整はタテの構造を弱くさせるということにもなる
ヨコ社会とは、ヒエラルキーによって作られないので、個々の意見が同様に扱われるので、意思決定をして進むには論理プロセスなどが必要になる。また、新規参加にあたっては、同列にすぐ参加できるが、何らかの資格が必要で、排他的になる。ただし、リーダーに依存していないため、個人がいなくなっても、集団組織は存続しえる。
タテ ヨコ
動員力強い 意思決定に工夫が要る
開放的・新規参加容易 排他的・新規参加に資格が必要
横の関係が機能しにくい 孤立などが起きにくい
アジャイルの文脈でSAFeというのがあるが、
これはタテを重視してスピードと伝達能力を活かすやりかたになっている。
でも、Amazonなどの組織の作り方や、もとのスクラムというのは、このタテの重視では無かった気がする。タテを使ってスケール指せる要素はあるとおもうが、ヨコを重視する側面がある気がする。
整理がおいつかない。
(追記)
タテ・ヨコという構造のほか、契約による構造という提示があった。
なるほど。
タテの社会というのは非常に優しい世界で、個々人を尊重するスタンスがあくまで求められる。
ヨコは、組織を動かすには向かないので、どうもそれだけでは成立しない。
契約の社会というのは、優しさがなくて、厳しさのなかで、組織が一定の契約で結びつく。
これだと、今の日本のメンバは、どこにも守られない中で、耐えられないかもしれない。
ただ、テレワークという中で、タテの結びつきを作る場がなくなりつつあり、さらに組織構造も薄くなった。
この中で、タテを求めて、優しさを求めてしまうと、キビシイ世の中になってしまう気がする。
もう少し整理しよう。
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去年、働き方改革のセミナーで、これまでの日本社会の特徴を説明した本として紹介されていた一冊。気になって買ったものの1年以上積読。やっと読みました。
「資格」ではなく「場」で集団構成される日本社会。そこで重視されるタテの関係。
俺が生まれる前に書かれた本ではあるものの、今でも変わらないところ、この前まえそうだったってところがたくさん。
いい悪いではなく、組織論を議論する前提として、頭の整理になった。
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タイトルが好きではなく、ただそれだけの理由で(笑)、読むのを回避し続けてきたのだけど、実は、これをまず最初に読んでおくべきだったと反省している。但し、契約精神の欠如という部分はもう少し射程を限定したほうが良いと思われる。契約精神の素地がもともと全くなかったかのように誤解されるのではと思った。
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既に50年前に出た日本社会論。決して読みにくくはないけれど学術的な論文に近く、日本という単一性の強い社会の構造を決める基本原理を明らかにしようという内容。そのためタイトルには「日本」は出てこない。また副題に「単一社会の理論」と添えられているのは、「あくまでも単一性の強い社会の構造を社会文化人類学的に論じたものである」ということを表明している。もちろん日本を題材にその社会構造を解き明かしていくのだけど、別に日本に限定される理論ではない、ということだ。たしかにこの本の論理を理解すると、日本に生まれ育ち、社会人になっていく中で、地域社会とか所属する組織、会社などのに感じてきた疑問なんかが、すっきり理解できる(ような気がする)。例えば、自民党と民進党って主義主張にほとんど差がないような気がするけど、なんで分かれて争っているのかなぁ、そもそもかなり考え方の違う人たちが何で同じ政党に集まっているのかなぁ、とかそう言う疑問も、本書で示される「日本社会を動かす論理」によって説明できそう。その論理のキーワードとしては、「資格」より「場」、「ヨコ」より「タテ」、「論理」より「感情」でしょうか。
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なんか、山川出版の歴史教科書と同じくらい、書いてる事が頭に入ってこなかった。
「ウチの者」「ヨソ者」についてもっと書いてほしかった。
「能力平等主義と序列偏重は相関関係にある」とか、「本当に能力主義が実行されているとすれば、序列意識は後退しなければならないはずである」とか、「実力主義=序列の否定」といった事が何度も書かれて違和感を感じたが、「実力の高低による序列」について言及がないのがその違和感の原因だろう。
日本では表現に対する評価(書評など)が人間関係によって決まる傾向があるというのは、実感を伴って理解できるものだった。
共同体の「ソト/ウチ」に関する話と、共同体内の構成員の能力の高低によるヒエラルキーの両方について書かれた本があればいいのになぁ、と思いました。
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日本社会の構造を社会人類学の観点から体系的に分析し、明らかにした好著です。 40年も前に著された本であるにも関わらず、一見すると目まぐるしい変貌を遂げたかに見える現代の社会構造を分析する上でも非常に有用性のある理論(物差し)を提示していて、大変価値の高い一冊だと思いました。 初学者にも分かりやすいのでオススメです。
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(1982.02.21読了)(1982.02.18購入)
内容紹介
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。
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場を強調する日本の社会集団のあり方の分析。
1967年の本だけど、今でも変わらない本質的な部分を突いてる!!
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日本の社会構造(主に人間関係)を社会人類学の観点から分析した、言わずと知れた名著。
初出は昭和39年だが、その論はほぼ現在にも当てはまっている。
ただ、6章「リーダーと集団の関係」のリーダー論は、現在では薄れつつある気がする。
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初版は50年も前なのに、本質的なところは普遍的なのだろう。
雇用形態こそ大きく変わっているが、ムラ社会や封建主義的な企業組織はあまり変わっていないんじゃないか。
日本的な組織では上はバカでもいいと言うのは納得。
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代表的な「日本人論」「日本文化論」とひとつとだろう。1967年初版発行だから『甘えの構造』よりは4年早い。『甘えの構造』の中でも、甘えとの関係でこの本について言及している。
甘えは本来人間に共通の心理現象でありながら、日本語の「甘え」に当たる言葉は欧米語には見られない。この事実は、甘えの心理が日本人にとって身近であるばかりでなく、甘えを許容するような社会構造が日本には存在することを物語る。「甘え」という言葉は、日本の社会構造を理解するためのキー概念ともなるのではないか、日本社会で甘えが重要な働きをすることは、『タテ社会の人間関係』でいうタテの社会構造と一体をなしているいるのではないかと土井は指摘する。
甘えとタテ社会とは、どのようにつながるのだろうか。日本がタテ社会だというのは、タテの人間関係つまり上下関係が厳しいということだという誤解があるかもしれない。しかしこれは俗説であり、欧米の会社での管理者と労働者との上下差の方がはるかに大きく、厳しいという面もある。
タテ社会とは、ヨコ社会と対をなす概念である。日本人は、外(他人)に対して自分を社会的に位置付ける場合、資格よりも場を優先する。自分を記者、エンジニア、運転手などと紹介するよりも、「A社のものです」「B社の誰々です」という方が普通だ。これは、場すなわち会社・大学などの枠が社会的な集団認識や集団構成に大きな役割を果たしているということである。すなわち記者、エンジニアなどの資格によるヨコのつながりよりも、会社や大学などの枠(場)の中でのつながり(タテの序列的な構成になっている)の方がはるかに重要な意味をもっているということである。
日本の労働組合が、企業という枠を超えた職種によるヨコの組織になっておらず、職種の違いに関係なく企業単位の組合になっていることは、場や枠を重視する日本のタテ社会の特徴をみごとに現している。
「タテ社会」日本の基本的な社会構造が、企業別、学校別のような縦断的な層化によって成り立っているのに対し、「ヨコ社会」は、たとえばインドのカースト制度や西欧などの階級社会のように横断的な層化をなしている。「ヨコ社会」では、たとえば職種別労働組合のように資格によって大集団が構成され、個人の生活や仕事の場にかかわらず、空間的な距離を超えて集団のネットワークが形成される可能性がある。
日本人にとって「会社」は、個人が一定の契約関係を結ぶ相手(対象・客体)としての企業体というより、「私の会社」「ウチの会社」として主体的に認識されていた。それは自己の社会的存在や命のすべてであり、よりどころであるというようなエモーショナルな要素が濃厚に含まれていた。つまり、自分がよりかかる家族のようなものだったのである。もちろん現在このような傾向は、終身雇用制の崩壊や派遣労働の増加などで、かなり失われつつある。しかし、それに替わってヨコ社会が形成されはじめたわけではなく、依然として日本の社会は基本的にタテ社会である。
終身雇用制が崩壊していなかったころは、会社の従業員は家族の一員であり、従業員の家族さえその一員として意識���れた。今でもその傾向はある程度残っているだろう。日本社会に特徴的な集団は、家族や「イエ」のあり方をモデルとする「家族的」な集団でなのである。そして家族が親と子の関係を中心とするのと同様の意味で、集団内のタテの関係が重視される。そこでは、家族的な一体感や甘えの心理が重要な意味をもってくるのは当然である。