紙の本
つきあう女次第で男も映画も変わるのです
2011/09/26 09:42
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
「女は俺の成熟する場所だった」という、ここに記すだに気恥ずかしい小林秀雄の顰にならって、このたび著者が用意したのは、希代の気狂い監督ゴダールの変貌常ならぬ思想と映像哲学を、もっとも分かりやすい物差しをあてがってぶった切ろうという手法で、これがある程度ハマッっているのは同慶に堪えない。
まずは「勝手にしやがれ」で一躍ヌーヴェルヴァーグのヒロインとして世界的に名を馳せたジーン・セバーグちゃん。黒人解放運動にかかわった彼女は謎の非業の死を遂げたが、若き日のゴダールのミューズであったことは間違いない。
デンマークから赤いスカートでふわりと巴里に舞い降り「気狂いピエロ」で一世を風靡した超キュートな現役アイドル、アンナ・カリーナとの嵐の4年間が破綻すると、お次はフランソワ・モーリアックの孫娘で現在フランスを代表する作家となったアンヌ・ヴィアゼムスキー選手。ゴダールと結婚した彼女は毛沢東思想にかぶれた「中国女」を演じさせられた。
あほばかヤンキー娘のジェーンフォンダ嬢を挟んで、お次は70年代から40年間にわたって現在までゴダールに圧倒的な影響を与え続けているアンヌ・マリ・ミエヴィル女史。極左冒険主義のドツボにはまり生と芸術の隘路で立ち往生していた孤独な主人公を救済したのは彼の同伴者にして師、批判者にして愛人である聡明な美女であった。
ひとたびは死んだゴダールをよみがえらせ、新たな創造の火を点火させた最大最高にして最後の女神こそ1985年製作「マリーの本」の女流監督なのであった。
おいらの最後の女それはアンヌ 僕ちゃんを見捨てないでねえとゴダールが泣いた 蝶人
電子書籍
運命の女を捉える
2022/03/10 11:09
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ファム・ファタールをスクリーンの中に追い求めた、ゴダール監督の生き様が伝わってきます。実生活での破天荒さも、愛される要因なのかもしれません。
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ゴダールを巡るミューズ達の肖像を描くのだが、実は現在のパートナーであるアンヌ・マリ・ミエヴィルの存在の重要性に正当にスポットライトをあてた初めての書物かもしれない。ミエヴィル以降のゴダール作品のぶっ飛び加減は、確かに60年代の作品の比じゃないもんな。ただまあ、目を覚ましていられらたら、なんだけど。
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紀伊国屋書店で普通に購入。四方田犬彦の本、何冊読んだだろう。
既に100冊以上本を出していると著者略歴には書いてあるが、うちの家にあるのは30冊くらいか。揃えるのは不可能そう。
本作はジャン=リュック・ゴダールの作品に、彼が付き合った(結婚した?)女性がどの様に影響を与えたかについて記したもの。
岡崎京子のジーン・セバーグとアンナ・カリーナのイラストを掲載したいが故に書いたのかなとも思える「結びに」が印象的。
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あの四犬田が随分と軽い本を。しかしながら結構面白くて、特に今一つ不明だったゴダールとミエヴイルの関係が、よくわかった。
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世にジャン=リュック・ゴダールの信奉者かずかずあれど、つまり、たしかに私も著者の四方田犬彦も、そのうちのひとりのはずですが、以前からこころに思ってはいましたが、恐れ多くて、けっして口には出せないし、出してはいけない、出せば世間のひんしゅくを買うこと間違いないと思われること、そう、
ゴダールは、女に逃げられるという天才的才能の持ち主だ
という視点から、この本は書かれていて、私などは内心ひそかに喝采を叫びながら、ドキドキして、頁をめくっていきました。
ジーン・セバーグ
アンナ・カリーナ
アンヌ・ヴィアゼムスキー
ジェーン・フォンダ
アンヌ=マリ・ミエヴィル
少なからぬ期間、ともに暮らし主演女優の座を与えられ、やがて別離をむかえた5人の女性にからめて語られるゴダールと映画の物語は、すべて以前から知っていることのようで、まったく新しいことのようにも感じられます。
ただし、遅々として読み進まないのには理由があります。
それは、数頁よむごとに、そこに言及されている映画のDVDを、持ち出してきては見るということをしているためです。
しかもそれは、オットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ』と『悲しみよこんにちは』、ゴダールの『勝手にしやがれ』の中のジーン・セバーグに再会したことから火がついて、この本に関連する映画だけにとどまらず、中学・高校のときに見たフランス映画やイタリア映画まで見るという懐古趣味に陥ってしまったのです。
ああ、早くもっと先まで読みたいけれど、のらりくらりとして、かつて心うばわれた映画にも邂逅したいし、とても優柔不断を弄んでいます。
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病院の待合室などで読みました。ことさらゴダールファン!!というわけではないのだけれでも楽しめました。
『女は女である』をもう一回みーようっと。
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この本の最大の収穫は、小説家としてのアンヌ・ヴィアゼムスキーの発見でした。誰か『ひと握りの人々』を翻訳してくれないかなあ。
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ゴダールをめぐるミューズたちを中心に展開されるゴダール論。
ジーン・セバーグとアンナ・カリーナの章の冒頭に、岡崎京子のイラストが使われている。
あとがきに、岡崎京子への献辞が、述べられているのが切ない。
正直な話、ゴダールの映画は、ほぼ半分くらい寝て観ているので、ストーリーのダイジェストを読むと、「あぁ、あれはそういう映画だったのかと」理解できるのはありがたい。『アルファビル』とか『女と男のいる舗道』とか。
著者は、近年のゴダールの作品に高い評価を与えているが、必ずしも映画に政治性や批評性を求めていない、自分のような怠惰な映画ファンには、なぜ敷居が高いのかも理解できた。映画に「セックスと政治」、「家事と労働」、「子供と高齢者」のような主題について、深い洞察や啓発は求めてないので。
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『気狂いピエロ』のアンナ・カリーナも美しいけど、『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグより美しい人を私は知らない。美女を引き寄せ、魅力を最大限にフィルムにおさめたあと、逃げられてしまうというゴダールの才能ってやっぱすごい。(田中大輔)
▼『ジセダイ』140文字レビューより
http://ji-sedai.jp/special/140review/20111004.html
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ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、アンヌ=マリ・ミエヴィルの4人の女性の生涯を語ることで、ゴダールの作品に言及していくという試みに惹かれました。
ゴシップ的な内容も多く、作品に対する批評も軽めでありますが、僕のような非マニアにはゴダールの作品をいったん俯瞰するにはとりあえずこれくらいでいいかと。
あとはまぁ、岡崎京子のイラストが好いよな。しかしこれは反則気味。
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ゴダール「映画史」を見るために読んだ本。
しかしあまりに素人過ぎて読んだことが映画鑑賞に全く活かされず。
ただ、これくらい気軽に読めるゴダール本はもっと増えてほしいです。
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気難しいゴダール論が多い中で、さらっと読めるゴダール論の新書。
大島渚が
「(自己変革が)到底不可能な女に、自己変革しろと迫るのがゴダールの趣味なのかもしれない。どうもゴダールにはそういう不可能へ寄せる情熱のようなものがある。そして美女たちは結局逃げ、ゴダール自身はそのことによって必然的に自己変革を迫られるという、ゴダール自身にとってはある意味でなかなか都合のよいシステムが出来上がっていて、だから私は、女房に逃げられるという一種の才能もこの世にあると感嘆したのである」
と言っていたらしい。この文章を出発点として、ゴダールの奥さん又は周辺の女優について解説した本。彼女たちの詳しい経歴・人生とゴダールとの関係が主な題材。特に今の奥さんであるアンヌ・マリー・ミエヴェルについて初めて聞く情報が多く、興味深かった。名前こそよく聞くけれど、彼女の素性についてはほとんど聞いたことがない。彼女がゴダール映画において多大な貢献をしているとは聞いていたけど、彼女がどのういった経歴で何に興味を持っている人なのか、そこからゴダールが何を感じたのかについて、これまたさらっとでも詳しく書かれていて勉強になった。
ところでジーン・セバーグはゴダールを捨てたわけではないのでは?
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ゴダールと、彼を取り巻く女性たちから作品を語る書。
女性から霊感を得て、(彼女たちに逃げられながらも)常に進化し続ける。そんな切り口がおもしろかった。
読みやすく作品を概観するのにちょうど良い。
ゴダールは好きだけど信奉者のベタ褒めや小難しい批評はちょっと、、という方におすすめ。
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もっとゴダールの女遍歴を赤裸々に教えてくれるのかと思いきや、ふつうにゴダールの映画評論に近い。ゴダールの思想や普段の生活から来る考えが作品に投影されていることから、女に対する思いも作品に表現されているはずという考えなのかもしれない。しかし、女にだらしないゴダールとかキザなゴダールとかを見せてく欲しかった。残念。