身近にもこんな人がいると思うと、恐ろしい
2019/08/31 21:09
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
2005年長野県の丸子実業高校バレーボール部に所属する高校生が自殺する事件がありました。その原因をめぐり、生徒の母親と学校側(校長、担任、部顧問他)、教育委員会、バレーボール部員の保護者間で訴訟が繰り広げられたのですが、その経緯を追ったノンフィクションです。
本書によれば、自殺に先立つ生徒の不登校に対しては学校側、教育委員会ともに懸命にこの生徒が登校できるように配慮していますし、バレーボール部の部員達も生徒の登校をずっと待ち望んでいたのです。生徒の母親は「いじめが原因だ」と一貫して主張していますが、学校関係者や部関係者の誰にヒアリンをしても「いじめ」と判断されるような事実はなく、自殺した生徒自身は一貫して学校に行きたがっていたというのが実情で、学校と生徒との間に強大な壁として母親が君臨していたというのが真実でした。
生徒の母親の異常とも思える言動に翻弄される関係者の様子。校長は母親からの殺人罪の刑事告訴の事実を知った時、「一体どうして、こうなるんだ…」と茫然自失となり、いじめの加害者として名前を挙げられた生徒は「えっ?俺?何で…」と信じられない気持ちになったと描写されています。生徒を救おうと親身になって懸命になった人ほど、理不尽な避難を母親から浴びせられるという状況になっていました。
この事件は母親側と学校側やバレーボール部の保護者間で複数の訴訟が入り乱れ、最終的に母親側の全面敗訴が決定しました。
しかし、「いじめ→学校側が悪い」との思い込みから、マスコミには相当偏った報道をされ、それに乗じて多数の抗議電話が殺到した結果、学校関係者が精神的にかなり追い詰められたり、何よりも何の罪もないバレーボール部の部員達が目標としていた大会に出場できなかったりと、深い傷を残す結果となりました。
本書前半は母親が学校関係者に理不尽な言いがかりをつけて事態が混乱する様子が、後半は訴訟の進展に伴う状況が詳細に描写されています。自分がもしもこの母親の攻撃の対象となる立場だったらと思いつつ読んでいると、本当に恐ろしいというか、薄気味悪い気がしました。
真摯に対応しようとする学校関係者の労力が、この様な人物への対応に浪費される状況がないように祈るばかりです。
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな母親に絡まれたら絶望しますね。
教師や保護者の方々は勇気をもって戦われました。
もちろん、弁護士も立派でした。(被告側の弁護士は売名行為ですか?)
病的な母親で、隣人にいたらどうすればよいのでしょうかね。
子供を守ることを最優先に行動した校長を告訴、自腹でサッカー部の
マイクロバスを購入した監督と奥様を愚弄した、モンスターマザー。
作者の取材力と勇気に脱帽。
次は、『でっちあげ、福岡「殺人教師」事件の真相』を読みましょう。
子供がかわいそう
2021/09/06 07:20
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投稿者:プロビデンス - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供は親を選べない。危ない親から法律で子を守ることはできないのだろうか?ここの学校の先生も生徒も大変だった。
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投稿者:kuni - この投稿者のレビュー一覧を見る
先日購入した"家畜の家"同様、既に読んではいたのですが、今回文庫化ということで購入をしました。
当時も抱いた印象ですがなんとも後味の悪い事件です。本当にこんなことがあるのか、人間がいるのかということ。
決して叩くためではないけれど、多くの人に読んで知ってほしいですね。
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投稿者:タラ子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
丸子実業高校の学生が、家出、不登校を経て自殺をしてしまう。当初マスコミや世論は学校側の責任を追求し、校長は殺人罪で訴えられるまでの大事件へと発展していく。
しかし、学校や関係者は母親の奇怪で攻撃的な行動から自殺の原因は母親にあるとし、断固戦う姿勢をみせる。
こんな親がいるのかという衝撃を受けるとともに、もし隣人や同じ学校にそんな人がいたらと思うとひとごとではないような不気味さを感じた。
本著は、自殺をしてしまった彼を救うには学校、教育委員会、友人、保護者は何ができ、どうすべきだったのだろうか、読者1人1人に問いかけている。
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな人が本当にいるのかと思うぐらい、驚きの連続でした。こんな人とは関わり合いになりたくないなと思いながら読みました。
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不登校の男子高校生が久々の登校を目前にして自殺する事件が発生した。かねてから学校の責任を異常ともいえる執念で追及していた母親は、校長を殺人罪で刑事告訴する。弁護士、県会議員、マスコミも加わっての執拗な攻勢を前に、崩壊寸前まで追い込まれる高校側。だが教師たちは真実を求め、反撃に転じる。そして裁判で次々明らかになる驚愕の真実。恐怖の隣人を描いた戦慄のノンフィクション。
「でっちあげ」もひどい内容だったが、こちらはもっと恐ろしい。学校も教育委員会も、さほどミスはしていないのに。
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HONZだったか、本の雑誌のランキングだったか、そのあたりからピックアップしたもの。今回の文庫化に伴い入手。内容はタイトルからうかがい知れるようなものだけど、まあ胸糞悪いこと。一番感心したのは、さすがエリートバレー部のメンバーっていうか、年頃の高校生が、奇天烈おばさんに対して、声を荒げたり、何なら直接的報復に打って出なかったこと。ここまでいくと本物の化け物だけど、おそらく相手を見て、反撃には合わないだろうっていう確信のもと、安全圏からの物言いが堪らなく不快。最終的に、当然というか、まあ妥当な判決を見たとはいえ、そのために失われた時間や気持ちは戻ってこない。不運だったと嘆くしかない現状。まともな人にとって、こんな人災とは出会わないことを願うしかないのでしょうか。色々と考えさせられる不条理。
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いじめ問題が報じられる時、マスコミはいじめられた側が真実の前提で報道するし、受け取る側も「いじめ」有りきで受け止める。
学校が真摯に対応して調査結果を公表しても「しょせん身内のかばい合い」と世間は学校側を非難し、現在では加害者とされた側をネットで特定し、執拗な攻撃を加える。
でも、新聞や週刊誌のセンセーショナルな見出しの記事が本当に真実を述べているのだろうか?
一人のモンスターマザーに翻弄される教員や部活仲間たち。
母親から逃げようと行動を起こしても、捕らえられ最終的に死を選んだ少年。
その息子の死を学校の責任とし新聞社にリークする母親。
その母親の言葉のみ信じ、学校側の発表を嘘と決めつけたフィルターで書かれる記事。
そして母親の言葉だけで裏付けを取りもせず、校長を殺人罪で訴える高名弁護士。
裁判の結果、学校側の勝訴になった。
自殺した少年は生き返らないが、バレー部の関係者や学校関係者は激甚災害に見舞われたような月日から、前へ進んでいく。
救われないのは、敗訴した母親と弁護士が未だに自分の非を認めようとしないことだ。
「おかあさんがやだから死にます」学校に行きたくて、部活をしたかった少年は、母親から逃れるために死を選んだ。
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何年か前に読んで衝撃を受けた「でっちあげ」が、書店店頭にずらりと並んでいて・・・新刊でもないのに、なぜ今頃?今更ながらドキュメンタリー番組でも作られるか、それをモデルに映画化でもされるとか?
・・・・と訝しんでみたところ、すぐ隣に本書が平積みされているのを見つけた。
(なるほど、著者の新作が文庫化されたのを機にした増刷キャンペーンか)
ということで、即、購入。
同時進行でのんびりと2冊の小説を読んでいる最中だったにも関わらず、それら読みかけの2冊を脇に追いやっての一気読み。
その名の通り「モンスター」な母親の為してきた所業の数々と、それに敢然と立ち向かった学校関係者、弁護士、そして亡くなった少年の友人たちの闘いの軌跡。
前半は、読んでいて気分が悪くなってきた。いったいなんなんだろう、あの母親は…。
そして、彼女に加担した某弁護士さん。
事件(?)発端当初の周囲の誠意が全く通じない。
言葉が届かない。
会話にならない。
まるで、同じ日本人、いや同じ人類ではない何者かであるとしか思えない。まさしくモンスター(怪物)。
あんな人物がもし身近にいたと想像したら・・・・恐怖でしかない。
次第に明かされてゆく(おそらくは)真実。
そんな親の下で生活してきた少年の心情を慮ると、哀しすぎる。。。
裁判で潔白を証明された人々には、法的には無実であっても6~7年間にわたり蒙った心労と裁判費用、ずたぼろに傷つけられた名誉と自尊心、という現実が残る。
少年時代にニュース報道で目にした記憶がうっすらと残るこの事件の真相がこのように壮絶なものであっただなんて、思いもしなかった。
こういう裁判の判決が下った時にこそ、「あの事件の真相は、実はこうだた」という内容の報道がセンセーショナルに展開されるべきだと思う。
それこそが、人権に考慮した報道といえるのでは?
丸子実業の先生たちやバレー部保護者達に多分に感情移入した語り口となっている文章は、、、、それでも!!
母親の所業やら自殺事案発生当初及び裁判過程、判決後のメディアの報道姿勢と照らせば、プラスマイナスしてもプラスが残る位の公平さは保っているかと。
報道の在り方、メディアを利用し情報を受け取る側のリテラシーなど、少年の自殺を取り巻く騒動以外にもたくさんの問題提起を含んだ本書は、一人でも多くの人に読まれるべきだと思う。
★5つ、10ポイント。
2019.02.21.新。
※本に書かれているだけでなく、実生活のあちこちであれだけの「モンスター」ぶりを隠し切れないあの母親が、少なくともその年齢まで通常に社会生活を送ってこられていることが、不思議。
職場の人間は、誰も本性を見抜けないのか?
事業主は、採用を見送ったり解雇したりはできないのか?
※そんな人間が3度の離婚。
裏を返せば、3度結婚しているということ。3度も結婚できる程の魅力が、どこにあるのか?
※あの母親の下で育てら���、あの騒動の渦中で青春を過ごした次男は、まともな大人になれているのか?
(未成年にして家庭内で堂々と喫煙。ほか、何をしても母親は彼を叱らない、という記述あり)
彼も今頃は30歳目前のいい大人のはず。。。。
怖い。
※最終章。遺書の平仮名の読み方に関するくだりは…著者の予断とも、言えなくもないが・・・・・・・・・。でも、第三者も同じような証言をしていることを考えると、そうでもないのかも…。
※同じく最終章。
少年の自殺の第一報を報じた記者への取材申し込みの経緯と、息子の自死を発見する直前に送信されたメールの文面とを関連させた記述の仕方・・・・。
もしかして?
もしかして??
もしかして???
はっきりと書かれてはいないが、それらのことから福田さんが考えたのであろう“真実”を想像すると、鳥肌が立つ。
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怖い怖い。第三者が家庭のことに立ち入る難しさをひしひしと感じる。こんな保護者に対応してたら、まともな先生はすぐ疲弊してしまうわ…。
結論的に母親の方に問題があったというのはその通りだと思うけど、この母親、ちょうど先日読んだ『隣のサイコパス』に紹介されてるような、いわゆるサイコパスのように思われる。こんな母親の下で自殺をするまで追い詰められた子の気持ちを考えると心が痛いけど、こういうサイコパスな親には、精神科医などを交えて対応できるようにしないと何の解決にもならない気がする。
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2005年長野県の丸子実業高校バレーボール部に所属する高校生が自殺する事件がありました。その原因をめぐり、生徒の母親と学校側(校長、担任、部顧問他)、教育委員会、バレーボール部員の保護者間で訴訟が繰り広げられたのですが、その経緯を追ったノンフィクションです。
本書によれば、自殺に先立つ生徒の不登校に対しては学校側、教育委員会ともに懸命にこの生徒が登校できるように配慮していますし、バレーボール部の部員達も生徒の登校をずっと待ち望んでいたのです。生徒の母親は「いじめが原因だ」と一貫して主張していますが、学校関係者や部関係者の誰にヒアリンをしても「いじめ」と判断されるような事実はなく、自殺した生徒自身は一貫して学校に行きたがっていたというのが実情で、学校と生徒との間に強大な壁として母親が君臨していたというのが真実でした。
生徒の母親の異常とも思える言動に翻弄される関係者の様子。校長は母親からの殺人罪の刑事告訴の事実を知った時、「一体どうして、こうなるんだ…」と茫然自失となり、いじめの加害者として名前を挙げられた生徒は「えっ?俺?何で…」と信じられない気持ちになったと描写されています。生徒を救おうと親身になって懸命になった人ほど、理不尽な避難を母親から浴びせられるという状況になっていました。
この事件は母親側と学校側やバレーボール部の保護者間で複数の訴訟が入り乱れ、最終的に母親側の全面敗訴が決定しました。
しかし、「いじめ→学校側が悪い」との思い込みから、マスコミには相当偏った報道をされ、それに乗じて多数の抗議電話が殺到した結果、学校関係者が精神的にかなり追い詰められたり、何よりも何の罪もないバレーボール部の部員達が目標としていた大会に出場できなかったりと、深い傷を残す結果となりました。
本書前半は母親が学校関係者に理不尽な言いがかりをつけて事態が混乱する様子が、後半は訴訟の進展に伴う状況が詳細に描写されています。自分がもしもこの母親の攻撃の対象となる立場だったらと思いつつ読んでいると、本当に恐ろしいというか、薄気味悪い気がしました。
真摯に対応しようとする学校関係者の労力が、この様な人物への対応に浪費される状況がないように祈るばかりです。
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学校側当事者たちのの毅然とした態度は、
もしも週刊誌やTVワイドショー(の第一報)だけが
情報源だったら開き直り、逆切れ、隠ぺい(の団結)
を感じてしまうかもしれない。
この自殺について母親の主張やその弁護士の主張は、
ある立場からすると正しいのかもしれないし、
一方当事者が発信してそれしか知らないと、
それが真実であるように思える。
そこには認めさせない・妨げる見えない圧力、
地域・社会の閉塞、団結があるのではないか、
知られざる隠された・裏の世界があるのではないか
と疑ってしまう。
でも、毅然とした態度には理由があるでは、と
報道に接して一瞬して感じた正義を、
疑う必要がある様だ。
疑うべきは流されている情報ではなく、流したものが信じるに足るものかどうかではないのか
と思わされる内容。
この事件ではなく、それ以外の日常生活のあまりにも自分本位な主張に現れているようだ。
そんななかに親を選ぶことはできず、
そんな親のもとに生れ落ちても、
親への愛、こわれた親と社会をつなぐ使命
を感じて・背負って、ギリギリまで自分の家族を
のぞむ世界にとどまらせるよう従い、
結果として自らの命を犠牲として、
魂を解き放った子供の悲しさ。
それを自らの世界の正当性を証明するために
利用したように思える親、それを支えた人々の
自分本位の清廉さと、我々が感じる毒々しさ。
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校長を殺人罪で告訴、マスコミを味方につけて教育現場を破壊する…。長野・丸子実業で実際に起きた『いじめ自殺事件』の教師たちの闘いを描いた戦慄のノンフィクション。
良心を持たないサイコパスな人たち。アメリカでは25人に1人がサイコパスと言われるが、現代日本もそれに近い。周囲の人々に圧倒的な心痛を与えてしまうその存在を、社会でどのような対応を処すべきか考えないといけない時期にきていると思う。
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学校現場で働く身として、「いじめは絶対に許さない」ということは基本方針であるし、いかなる例外もあってはなりません。
しかし、生徒間のトラブルはどのような学校でも起こりえますし、教師も人間である以上、相性の合う・合わないということも皆無ではありません。
人間関係のトラブルは「ありうる」という想定の下で、わずかなきっかけを見逃さずに初動を行い、真摯に対応を重ねてゆくことこそが解決への唯一の道筋なのだと改めて感じます。
しかしながら、いじめをはじめとする人間関係のトラブルから自死する生徒がいることも事実ですし、そのなかで学校としての対応に失敗したことが最悪の結果を招いてしまった事例があることもまた事実です。
一方、学校としての対応に落ち度がなかったとしても、生徒が自死したことの責任を追及されるケースもあります(もちろん、学校に全くの責任がなかった(なんらかの手段を講じることで生徒の死を避けられた可能性は否定できない)といいたいわけではありません)。
本書で取り上げられている長野県の丸子実業での生徒自死に端を発した、校長を殺人罪で起訴するという衝撃的な展開を迎えた事件もまた、真摯に対応していていた学校が不当にバッシングを受けた事例です。
学校を訴えた親が「異常だったから」と片付けてしまうのではなく、加熱する報道合戦への冷静な視線や、学校を過剰に敵視して事故を正当化しようとする保護者もいるのだ(学校に対して要望をもつ保護者を否定するものではありません)という認識を、多くの方々に持ってもらいたいと思いましたし、この本がそのきっかけになればいいとも思います。
「誰が悪いのか」という責任追及に終始するのではなく、家庭・学校・関連機関(児相や警察など)を含めてそれぞれのケースに合わせた対応を協力しながら作り上げてゆくことの重要性と、そのために必要な当事者間相互の信頼関係、またその信頼関係構築の基盤となる周囲の理解の貴重さをあらためて考えさせられました。
学校をはじめ、病院や官公庁(役所)といった、人々が「意見」を主張しやすい分野に対して、「自身の意見は正当な主張なのだろうか(社会通念に照らした整合性や、証拠に基づく主張かどうか)」とひといきいれて考える精神的な余裕をもって過ごすことができればいいな、と感じます。
また、この事件で自死を選ばざるをえなかった生徒の冥福をお祈りします。