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国際法の立場から見た、日本国憲法。
いかに国内の、んで、憲法畑の先生たちの論が、ガラパゴスなのかと。
利権構造、権威構造がここまで酷いのかと驚いた。
元々日本国憲法は英文で書かれたものを和訳したもの。原文に当たれば、不戦条約とか、国連憲章のコピペであることは一目瞭然で、であれば、それに沿った解釈をすべきではないか。
要は、国際ルールをきちんと守って、国際社会に復帰しますという約束なのだ。
それを変な思い込みに沿って解釈しようとするからおかしくなる。とことんおかしくなる。
目的のための議論。
政治家でもあるまいし。
全部受け入れて良いのかどうかは判らないけど、目的のために変節も厭わない方々だけのことを聞いているのも、また間違いなんだろう。
全般的に得心だが、先の大戦をさらりと日本の侵略という前提で語っているのは。引っ掛かった。ま、米国の作った方の立場から見たらそうなのだろうとは思ったけど。
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9条をめぐる国内の憲法学説が、いかに国際法と噛み合わないガラパゴス学説であるかを論じています。あくまで9条は不戦条約や国連憲章の焼き直しであることを強調しています。また、憲法学者ひとりひとりを章立てて批判しており、問題点を理解しやすい論じ方だと思いました。
本書にあえて疑問を投げかけてみます。
なぜガラパゴスではいけないのか。国際法が必ず国内法に優越することは自明ではないはずです。国内における特殊な理由があれば、ガラパゴス化そのものは非難の対象とはならないのではないでしょうか。また、もし憲法学者自身がガラパゴス現象を自覚しているのなら尚更でしょう。
なぜ戦後に憲法学者たちが、9条の特殊性を学説でうたったのかに思いを馳せるとき、冷戦当時の戦争巻き込まれが念頭にあったはずです。戦後の国際社会は自衛権、とりわけ集団的自衛権の行使を適切に取り扱っているのでしょうか。戦後、アメリカ、ロシア、中国などの軍事的に影響力のある大国の行動は振り返ってどうだったでしょうか。国際法と集団的自衛権と国際社会に対する信頼性の検証、もしくは信頼への決意があってはじめて、国際協調主義の観点から憲法学説の神学論的一面を批判できるのだと思います。
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国際法理をとう概念で、憲法学をぶった切る。って感じ。国際法に照らし合わせてみると、というセリフが多発する。論説の繰り返しが多い文章が説得力と勢いを持たせている。特に宮沢憲法学が嫌いらしい。そればっかり言ってる。歴史観が独特に感じる部分もあるが、新しい憲法学を示してくれた。
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九条を中心とする我が国の憲法解釈が何故、どのように歪んでいったかを明確に解析してくれる。
学者がイデオロギーを持ってはいけないとは思わないが、イデオロギーを正当化するために学説をいじるのは禁じ手だろう。
とはいえ、憲法学者以外にも歴史学者、社会学者など、他国にもそういう似非研究者はあまたいそうだが。
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東京大学憲法学の解釈体系批判本シリーズ。
めちゃくちゃ面白い。超絶分かりやすい。
憲法学者しばきと相俟って面白さ半端ない。
前半は分かりやすいなあという感じだが、後半は「やめて差し上げろ」という勢い…。
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私たちの世代も社会科の教員から「憲法9条は唯一無二の平和宣言」という刷り込みを受けてきた。だから、「国際法を踏襲しただけ」という本書の主張は新鮮であり驚きだった。
憲法学者は自らの政治信条に利用するため憲法を道具にしている、という筆者の主張もよく分かる。
政治信条は研究のモチベーションでもあるので研究者から排除することはできないが、ウェーバーが看過したように、研究者には嗜みと含羞をもって自己検閲する義務があると思う。それができない者は教壇を去るべきだ。自らへの戒めも含め、その思いを新たにした。
本書は(憲法学者の書籍ほどではないにせよ)基本的な前提事項の説明が省略されていたり(9条2項の原文が、1章で散々議論されたあと2章で掲示されるなど)、構成が掴みにくかったりする。そのため玄人向けだと思い込んでいたら、あとがきで「一般のために分かりやすい本を」とのリクエストに応じて書いたとあり、これにも驚いた。良書だと思うのでもう少し時間をかけて改稿すれば、長い時間をかけて読み継がれる本になると思う。ぜひそうなってほしい。
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国際法学の観点から日本国憲法の特に9条の成立過程を読み解く。その論理は、緻密で説得力がある。しかし、一方的すぎる。
憲法学が東大の学者中心のヒエラルキーで成り立っていることや、宮沢、長谷部、(今をときめく)木村などの見解に論旨不整合ないし不充分な点があることも事実だろう。国際法的視点から現在の憲法学の主流の解釈がおかしいこともよくわかる。しかし、それでも憲法学の大勢が、国際法とは異なり、一切の戦力放棄あるいは集団的自衛権は違憲だが個別的自衛権は合憲という解釈を(無理をしてでも)主張してきた重みが軽視されている。「国際法からみるとこうなんですよ。」というスタンスであったなら、本書は(著者からみれば良識のない)憲法学者にももっと耳を傾けてもらえただろう。
論理的に正しくても人の心は動かせない。議論の在り方を考えさせられもする一冊。
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かなり専門的で細かな論点を議論しているため難解です。私のように新書で手軽に・・なんて考えたらいけません。
護憲思想は、あえて簡単に言えば、日本が戦争をしたらろくなことにならない・・という戦中の反省からきているものだと勝手に思い込んでいましたが、篠田説では、反米思想をベースにしたものだという。
しかし、それほど米国が嫌いなら米国から押し付けられた憲法こそ日本人の手で変えればいいと思うのですが、最高学府の憲法学者は現行の憲法を死守することで、逆に日本が戦争できない国もしくは巻き込まれない国であり続けようとし、そのために憲法解釈に無理を無理を重ねた結果、ガラパゴス化したと解説する。
さらに、本書の最大のポイントは、そもそも日本国憲法では自衛隊も集団的自衛権も禁止されていない、憲法9条が禁じているのはwar potential=侵略戦争遂行能力に限定されるのであって、違法な侵略行為を排除するための自衛権の行使は日本政府にも日本の自衛隊にも当然認められており、日米安全保障条約に基づいて日米共同で日本を侵略する「敵」に対処することも、日本国憲法は何ら禁じていないと指摘している点である。
つまり、安倍政権が四苦八苦しながら集団的自衛権や自衛のための軍隊を憲法上に明記することすら必要ないということになる。
なぜなら、現行憲法が国際法に準拠して作られている以上、自衛のための戦争は当然の権利として内包しているから。そうなると、今度は「自衛の戦争」の範囲や定義が問題となる。
自衛権としてどこまでが装備なり組織なりなら許されるのか、普通に考えれば、仮想敵国の軍備を見ながらそれに対抗できるだけの軍備を維持していくということになりそうだが、ことはそれほど簡単ではない。
攻めるよりも守る方がむつかしいのは、ボクシングで例えればよくわかる。
相手はどこからでも攻撃自由で、こちらは専守防衛で相手のパンチをかわすだけという試合が果たして成立し得るのか、さらに軍備は毎年新しい武器が補強されているわけで、連動して対抗すること自体が至難の業でしょう。
そうなれば、天井知らずの軍備力増大という可能性もありえるわけで、最終的には安上がりで効果的な核武装という選択肢も考えなければならない。
果たして核武装が自衛のための軍備といえるのか、議論はまた振出しに戻る。
私の頭では整理しきれないほど難解な本でしたが、作者は憲法学者の実名を挙げて具体的に批判していますので、批判された憲法学者たちからの反論もぜひ聞いてみたいものです。
本書がさらなる憲法議論を深める一石となることを期待したいと思います。
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法学部法律学科で憲法を専攻する学生の視点から感想を述べる。
ゼミの夏合宿にて、総勢30名が本書の言説を多角的視点から分析したが、主に私が担当した憲法9条の解釈論(おそらく本書でいう1〜4章あたり)について、篠田氏の思考方法と、本書の内容について触れる。
⑴篠田氏の思考方法について
彼は主に国際法的観点から、憲法のあるべき解釈について主張している。ことに、憲法前文の記述を独自の解釈により9条の解釈について論じている。この思考方法は、なんら憲法学者と変わらず、その作法を守っている意味で、外観は、憲法的議論としては成立している。ただ、憲法前文では、周知の通り基本的人権の尊重、国民主権、平和主義が挙げられており、彼の言う「国際協調主義」は、普遍的なそれではなく、彼の色が入ったものになってしまっている。芦部や長谷部、その他憲法学者よれば、憲法学者は、国際協調主義=いわゆる平和主義の観点を、踏まえた上で憲法解釈を試みていることがわかる(芦部『憲法』を参照)。つまり、国連憲章やパリ不戦条約などの文言との連関について、篠田氏だけでなく、すでに憲法学者は実践済みということだ。したがって、篠田氏の思考方法については、間違っていないものの、その意味内容については、やや一元的かつ限定的なものになっていると解する。これについては下段に詳細を譲る。
⑵本書の内容について
東大法学部批判を試み、ことに憲法9条について独自の解釈内容を提供している。東大法学部批判については、芦部が理由なく、war potentialについて定義しているという批判については、納得する部分がある。平等原則違反につき、同法14条1項の後段列挙事由にあたる場合は、より厳格な目的手段審査を要する、という14条における芦部説が根拠をもっていないことと似ている。
ただ9条における解釈については、パリ不戦条約や国連憲章の文言を意識し過ぎた解釈となり、一元的なものになっている。また彼の主張を支える、根幹にある憲法前文は、国際協調主義を掲げたものであるという主張には、前文解釈において、誤読部分があり結果として論理として成り立っていない。また国際法学者の文献からもこの解釈が誤りであることがわかる。
しかしながら、本書並びに、彼の書籍における主張を分析する中で、法学的思考の重要性や新たな視点という発見や再確認する事項も多々ある。したがって本書を読む際には、憲法の教科書と比較しつつ読むべきであり、一般的な憲法学の専門書のみ、本書のみでは、得られるものはないと思う。すくなくともアカデミックなテーマを扱う本書のみで憲法について評価をつけることは、お勧めしない。
※同じことを繰り返し述べているので、論旨が記述されている部分は、以下の頁を参照。
参考文献
→彼の本を理解する上での文献を一部掲載します。
本書→19,22,24,26,32,53,63,91,92,101,117頁
篠田『ほんとうの憲法』(筑摩書房)→39,42,58,152-154頁
佐藤幸治『憲法1』(成文堂)127頁
芦部信喜『憲法』(有斐閣)54,56-59,67,385頁
長谷部恭男『憲法』(新世社)62頁
愛敬浩二『改憲問題』(筑摩書房)58-59頁
駒村圭吾『プレス��ップ憲法』(弘文堂)69頁
藤田久一「平和主義と国際貢献-国際法からみた9条改正議論」ジュリスト1289号(2005)89頁など。
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国際法の観点から国際主義的に憲法解釈する事により、東大法学部に支配される反米的憲法解釈を「ガラパゴス」と批判し、ある種の相対化を図る。とても刺激的な内容でありかつ説得力もある。小学生の教科書にも出てくる「三大原理」まで批判しており、これまでの憲法の見方が一変する読み応えのある作品。早稲田出身の外語大の先生のようだが、「学問の自由」を感じさせる爽快感もある。国際協調主義は極右も極左も敵に回す事になるので著者も色々と批判を浴びているようだが、双方で自由に批判する事により真理が生み出されると信じているので、著者の今後の言論活動に期待したい。
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この本は憲法解釈を題材に、通説的かつ固定的な解釈に対して幅広い視点で素直に解釈することの大切さを教えてくれる。
焦点は主に日本国憲法の前文と9条の解釈である。
現在の日本国憲法に対する解釈は19世紀ドイツ国法学に基づいたものであり、さらには憲法学者内で独自に決めた通説が反映されている。
一方、著者は国際政治学者として国際法や国際社会の歴史を前提に解説する。
現在の憲法解釈がいかに狭い分野で解釈されているのか理解できる。
憲法前文を素直に読めば、いわゆる三大原理(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)は自明ではない。
⇒たしかに、小学生か中学生の時に憲法前文は暗唱させられ三大原理が大事だと習ったが、前文と三大原理の関係に違和感を覚えた。この本を読んでその違和感がすっきりした。
憲法9条は国際法と憲法制定時の歴史背景に基づいて素直に読めば、国連憲章を念頭に、国際社会における戦争や戦力についての当たり前の考え方を言っているだけである。日本国憲法制定以前から、国際社会はいわゆる戦争を禁じていた。そして、自衛権(個別、集団関係なく)は当然認めている。日本国憲法では、あらためてそのことを明確にしただけとも言える。
⇒イデオロギーを背景に偏った解釈があることは認識していたが、異なる学問分野から根拠を持って違う解釈が加えられたことは爽快に感じた。
全体感想
固定的な観念に対して幅広い視点で素直に解釈することは重要だと感じた。
学術的な専門家の意見や解釈は重要だが、それにとらわれるだけなのは危険だと感じた。
分野や対象にもよるが、なにものも学問のための学問に(あるいは特定のイデオロギーのためのものに)なってはいけない。ある程度応用的分野の学問ならば、国や社会にどういったメリットデメリットを及ぼすのかも想像して研究を進める必要がある。
特に、この本のテーマは憲法学である。日本という国をデザインする唯一の法的な根拠を、一部の学者の解釈にとらわれるだけでは心もとないと感じた。
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国際的にみて、かなり異様な第9条がなければ、こうした憲法論議もなかった、というか不要だったわけで、そういう意味で極めてローカルな話題であり、いくら議論に熱が入っても、どこか空しさが漂う。普遍性を持った未来志向の議論に感じられない。多くの国において解決済、というか問題にもならない論点。解釈をめぐる憲法の訓詁学。
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大半の憲法学者がガラパゴスな考え方を強要している現状を踏まえた上で、筆者は国際法の視点からそういった憲法学者を一人ずつ狂ったように批判する本。
この点、従来の憲法学者が自身の思想・信条ありきの学説を作り、それを通説としているのではないかと思うところに、メスを入れて批判するのはとても納得ができる。
日本国憲法の制定過程を追っていくと、憲法は、日米が共同で執筆した、20世紀の国際法規をただ真似しただけのコピペの最高法規にすぎない。そのため、憲法の条文解釈は国際法の条文を解釈するに近いことを行えばいいと筆者は考える。
その一方で、反米思想の影響を受ける大半の憲法学者は、19世紀のドイツ国法学に回帰した思想の下で、国際法学とは真っ向から対立する“独自の憲法学”を形成させた。その証拠に、憲法学者は、「八月革命説」を提起し、現行憲法をアメリカの押し付け憲法とは考えずに日本国民が敗戦によって天皇から主権を奪い取った(革命)ことによって作られた民定憲法と考える。この箇所を筆者は猛烈に批判している。
しかし、穿った見方をしてしまうと、これだけ筋が通ってる(ように思える?)と少し怪しさも感じられる。
例えば、「自衛権」の解釈について、憲法学と国際法学の見解をそれぞれ提示しているが、果たして国際法学の見方が筆者の提示する考えが通説なのか?他の有力説もあるのではないか?などが疑問に思えた。筆者の憲法学者憎しの考えは十分理解できるけれど、もう少しフェアな見方で検討すべきところがあるのではないかと感じた。
また、全ての憲法学者が狂人なわけではないことはいえるので、この点は忘れてはいけないことだと思う。きちんと中立な立場から論じられる学者はいる(京大系)が、圧倒的多数派(東大系)の批判に晒されてしまうことから声を上げないだけだと思う。
しかし、それにしても、憲法学者の中に蔓延る歪な風潮(異なる意見を認めない風潮)は治すべきだと思う。某教授の「たいていの憲法学者が憲法違反と言ってますし、国民の間でもそのことが理解され、『憲法違反だと思う』というような回答が世論調査で多数を占める状況になっています。したがって、法案が憲法違反であるという点は決着がつきました」という発言は恐ろしい。