ヒトラーの入門書
2021/01/16 07:44
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投稿者:チップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーはナチス迫害が有名だが、源泉徴収も聖火リレーもヒトラーが実用化したとは知らなかった。
ワイマール憲法の下でなぜ独裁者が生まれたのか
世界が分断化されちる時代だからこそ、見直すべき問題だと思う。
今回は入門編だが、まだ資料はたっぷりあるそうなので次を期待したい
舛添さんが言う?
2019/12/05 19:44
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投稿者:ムータ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーの正体というよりはナチスの概要が中心。
簡潔にまとめられていてその点では読みやすい。しかし、ナチスを批判する中で官僚達が私服を肥やしていたことを挙げていたが気になる。何せ、著者が都知事だった頃のスキャンダルやその言い訳はよく覚えていますからね。
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よくまとまっている。
ヒトラーがなぜ大衆の心をつかみ、独裁的な力を持つように至ったがよく説明されている。
現在、世界で拡大しているポピュリズムと独裁者の危険性を改めて痛感したし、トランプとヒトラーの言っていることがほとんど同じと言うことも確かにその通りだと思った。
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ヒトラーについてまとめて述べた本を読んだのは初めて。
当時のドイツを取り巻く情勢、ヒトラーの手腕。
有能な政治家であった一面も描かれ、もちろん新書という薄い入門書にまとめてあるからもあろうが、読みやすくて興味深かった。
なんでこの時期にと思ったんだが、米大統領の一国主義、世界を席巻するポピュリズムなどが当時の状況に似てると主張する。
だが、当時といろんなことが違うだろうし、難民問題も質や量が違う。特定外国人への批判を、安易にヘイトと言い切ってしまう、それも、そういう主張があまり効果的でなく挿入されてるのが興ざめ。
政治家だしな。
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オビに「平易明快な入門書」とあるけど、なかなかしんどかった。舛添さんとは相性があまり良くないのか、すうっとは入ってこなかった。僕の場合は、だけど。
ヒトラーはドイツの敗北が決定的になってもまだ、
「ユダヤ人という潰瘍は私が切開した ー 他の潰瘍のように。未来の人々はわれわれに対して、永久に感謝を忘れないであろう」
と言っていたという。
狂っているとしか思えない。でも、こんな人が当時のドイツの民衆からは熱狂的に支持されていた。
「ヒトラーは超ナショナリスト的な政治社会状況の中から生まれたデマゴーグ」だという。21世紀に生きる我々が、ヒトラーを克服できたか?と問われると、本書が言うとおり、心許ないものがある。わかりやすいポピュリズムにいつのまにか流されそうになる自分がいる。
歴史を勉強して、様々な人と話をして様々な価値観に触れていくことが必要なんだな、と改めて考えた。
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ミュンヘンで下宿屋の親父さんが、ナチス政権時代の写真を見せながら、私に「ヒトラー時代が一番良かった」と語った
ワイマール共和国の2大州は、ベルリンがある北のプロイセンとミュン(プロテスタント)へのある南のバイエルン(カトリック)
1933 全議席の1/3しか得ていないナチスが、大統領の任命により合法的に政権に就いた
ワイマール憲法の問題点
第48条 州が、国の憲法もしくは国の法律によって負っている義務を果たさないときには、大統領は武力を用いてその州にそれを果たすよう促すことができる
1933/1/30 ヒトラー内閣成立
2/27 ベルリンの国会議事堂炎上 犯人として現場にいたオランダ人共産主義者が逮捕される ヒトラーはこれを共産主義者による国家転覆の企みとして弾劾
ヒャルマル・シャハトを中央銀行総裁に呼び戻した
ヒトラーが政権について
失業者を減らした アウトバーン建設 できるだけ機械を使わずに、人力とした
企業には減税を行い景気を刺激
女性は家庭を守るものとして家庭外の仕事から追放 これも失業率を減らす 労働奉仕団 6ヶ月の無償奉仕
公共事業で直接雇用を創出、減税などで企業活動を活性化し新たな雇用を生み出す、女性や若者を労働市場から締め出すという3つのやり方で失業者を減らした
財形貯蓄 旅行衝立 源泉徴収
21世紀の今もナチスが原型の源泉徴収が完全な形で残っているのは日本だけ
1938 帝国水晶の夜 ユダヤ系の商店、事業所、企業が襲撃され、放火、破壊された
われわれは、われわれの罪を背負ってくれる人よりも、われわれの責任の肩代わりをしてくれる人を、もっと救世主と考える。もし、決断するかわりに、ただ服従し、義務をするだけでいいのなら、それを一種の救いと感じるであろう
言葉がすべてである時代は、危険な時代である
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ヒトラーについてまとまったものを初めて読んだ。
ヒトラーがとりたてて特殊な環境から生まれたものではなく、ナチスが民主的な手続きで政権を握ったことを知った。オーストリアの合併が歓迎されていたというのも驚きだ。特定の人たちを排除しようとする点で現代に通じる部分があるのは、その通りだと思う。
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極端な主張が人気を博すのはなぜか?
がわかる本です。
前半
第一章「少年ヒトラー」から
第四章「第二次世界大戦」までが
ヒトラーとドイツの経済、政治史です。
後半
第五章「反ユダヤ主義とは何か」から
第七章「ヒトラーに従った大衆」までが、
その後の研究者の成果と著者の解説です。
前半では
よく言われる「ヒトラーは合法的に独裁者になった。」が、どういうことか、具体的に解りました。
昨年、wikipediaの「全権委任法」(1933/3/23成立)を読みました。
そのときの理解は
「国会での議決で反対票を投じそうな議員をあらかじめ逮捕しているのだから、合法的とは言えないのでは?」
でした。
つまり「合法的に独裁者になった」と言うことが納得できませんでした。
本書では、このからくりがわかりやすく解説されていています。
納得(独裁者の誕生に)納得はできませんでしたが、何がまずかったのかを自分でも考えられる程度には、理解が至ったように思います。
三権の分立の大切さが肌身に感じられました。
本書とは直接関係ありませんが、イギリスのEU離脱問題で言えば、
ニュースだけ見ていると強引な首相が登場した時点で、合意なき離脱をするかと思っていました。
現在(2019/9/16)首相の強引さに議会が「待った」をかけたところです。
強引な首相(行政)に対し、議会(立法)が待ったを掛けられるのがイギリスの強さなのではないか、と思いました。
後半は、このドイツの歴史から何を学び、今どう生かすことができるのか、自分なりに考えを巡らせる助けになりました。
本書で著者は、主に移民や外国籍の人を排斥する人たちと、当時ナチを支持したドイツ国民との類似点を指摘しています。
僕は、それに加えて、いわゆる(放射能でなく)「放射脳」と揶揄される人たちや、複雑な消費税の軽減税率を歓迎する人たちの不可解が理解出来たように思います。
わざわざ放射線検査までしてから出荷している食品を、それでも「危険に決まっている。」「本当は食べない方が良い」などとフェイク・ニュースを流したり、
実際には金持ちのほうが税金を多く支払うのに「食品は税額を軽減するべきだ」と言う主張に納得してしまう人たちです。
いくら理屈で説明しても、聞く耳を持たない人たち。
技術立国日本において、ほとんどの人が高校以上の学歴を持っているにも関わらず、なんでこんなに阿呆なの?と思っていたのですが、本書のヒトラーの研究成果に触れて、「そういうものなのだ。」と思った次第です。
この本は、だから、
・ ネトウヨやヘイトスピーチがイケナイと思い、どうにかしなければ、と思う人たちや、
・ 放射線や公害の風評被害が収まらないことをなんとかしなければ、と思う人たち。
つまり、一生懸命「そんなコトをしていたら、僕たちみんな不幸になってしまうよ。」と訴えたい人たちに役に立つと思いました。
僕たちは一所懸命データを示し、エビデンスを明らかにし、そのヘイトスピーチが、風評被害が、間違ったものだと言うのですが、僕��ちが言う相手には、データも、エビデンスも、有効打ではなく、逆に「義務を果たさないのに、権利ばかり主張する。」とか「ベクれてるに決まっている」と根拠無しに、わかりやすい主張をするほうに乗りやすい「あの人が、そう言っているのだから、そうなのだろう」と支持されることを理解し、表現の方法を考えるべきだ、と思いました。
後半で紹介されているヒトラー研究の出典を見ると、戦後直ぐから、熱心に沢山に人が成果を発表していることが解ります。しかし、それらを読むのは、たぶん無理。
と言うわけで、新書一冊にまとめた、著者=舛添要一の仕事がグッド・ジョブである、と読み終えてつくづくと思ったモノです。
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ナチズムの総統として君臨したヒトラーについて、政治学者の立場から考察されている一冊。
一般に広く伝えたいという著者の意志が読みやすさから感じられました。
客観的且つ冷静にヒトラーを見据えることで、感情論で隠されている本質が見えるようになります。
ヒトラーは扇動家と言われていますが、その所以は彼が大衆感情がどんなものかを観察により究めた結果なのだと思います。
簡潔な表現で纏められた新書ですが、深く考えさせられました。
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舛添さんは都知事以前に学者だったが、ヒトラーをテーマにヨーロッパ留学をしていたとは知らなかった。さんざん書かれてきたテーマなので、他の本でも書かれていることのほか、今のポピュリズムや選挙制度、連立政権など分析していて読みやすい。タイトルも今さら「ヒトラーの正体」ではなく現代に繋がるキャッチーなものにすればよかったのに。とにかく一読の価値がある。
20世紀、当時世界で最も民主的と言われた憲法をもっていたドイツ(ワイマール共和国)でなぜヒトラーが生まれたか?ヒトラーは民主的な選挙で躍進し、憲法に則って首相に任命された。ポピュリズムが跋扈する今、ヒトラーを研究することは今日的な課題であると著者は言う。
舛添さんは大学で政治学、ヨーロッパ外交史を学んだあとフランス、スイス、ドイツに留学。ヒトラーを研究。1977年にはルール大学、マールブルク大学に招かれて研究成果の講義も行う。1980年にはアメリカ議会に招かれてミュンヘンに数か月滞在し、研究していたらしい。
ヒトラーはオーストリア・ハンガリー帝国の国籍だったが、大ドイツ主義(ドイツ民族は国境を越えて団結すべき)の信念を持っていてドイツ人であることを誇りにしていた。ドイツがオーストリアを併合した時、オーストリア国民は歓喜の大歓迎。舛添氏の留学中にも、「ヒトラー時代が一番よかった」という老人はいた。ヒトラーがドイツ国籍を得たのは、首相になる1年前の1932年。それまではドイツ国籍がないまま党首として活躍していた。ヒトラーはもともと当時王国だったバイエルンで軍隊に志願し1914年に第一次世界大戦に出征。その後革命が起き、バイエルン王国はなくなる。雑務をしたり、逮捕されたりしながら、教育将校となり、民衆を教育する役割を担う。政党の調査の任務で極右反ユダヤのドイツ労働者党という小党を担当し、その思想に感銘を受け、党員になり、やがて党を牛耳る。1920年2月24日、ミュンヘンのホーフブロイハウスで2,000人の聴衆を前に「25カ条の綱領」を発表。ヴェルサイユ条約によって削られた領土の回復、大ドイツの復活(ドイツ人の血をひくものがドイツ人と定義し、ユダヤ人から公民権をはく奪する内容)、財閥の国有化、小企業の保護、貧困家庭の教育費国庫負担、幼年労働の禁止など中間層に訴える内容もあるが、徴兵制や再軍備なども盛り込まれる。
ナチスとは敵陣営が侮蔑して呼んだもので「ナチオナールゾチアリスティッシュ Nationalsozialistiche 国家社会主義)を短縮して「Nazis」
当時は街頭活動などで思想的に対立する政治集団と暴力沙汰になることが多く、ガードマンとして武装集団を作り、ヒトラーユーゲントも組織された。
当時、ワイマール共和国は完全な普通選挙(男女とも)、比例代表制。しかし、小党分裂による政治の不安定化がヒトラーを招いたという反省から現在は5%条項(得票率が5%未満の政党には議席を与えない)がある。ワイマール憲法ではドイツ語以外のことばを話す少数派の権利も守られ、貴族の称号や勲章の授与は禁止、全てのドイツ人が法の前に平等。
【戦後フラストレーションの利用】第一次大戦中に革命がおこり、社会主義者が帝国を倒して発足したのがワイマール共和国。ヒ���デンブルクは勝てるはずの戦争に革命などしているから負けたと主張。革命の指導者はユダヤ人だったため、ユダヤ人のせいで戦争に負けたとヒトラーは考えるようになる。
火事や外交官殺人など暴力は必ず揚げ足取りの格好の材料になる。
第一次世界大戦の賠償金はドイツが払いやすいよう、8億金マルクの借款を与えて経済振興を図り、次第に返却額を増やす方法をとった。インフレが起こったが1924年には終息し、いったん社会は小康状態となりナチの議席が伸び悩むようになったが、1929年10月24日に世界大恐慌を迎える。アメリカ資本が撤退し、失業者が増える状況下で、大衆の不満に火をつけるデマゴーグが得意なヒトラーが勢いづく。
【ワイマール憲法の問題点】
①第48条 大統領の緊急命令
緊急時には公共の安定と秩序のために、個人の自由や住居の不可侵、通信の秘密などは全部もしくは一部分失効する。
②政党が政府をつくらない。諸政党は選挙結果に基づいて政府をつくらなければならないが、連立政権をつくるより、独自色を出すことを優先し、第一政党でありながら政権に加わらず、大統領内閣となってしまう。
日本は1931年9月18日に柳条湖事件(満州事変)を起こし、国際連盟から侵略と認定され、1933年3月に国際連盟を脱退する。日本は常任理事国だった。この時ヒトラーも国際連盟脱退のチャンスを狙っていた。
日本の政治家中野正剛はヒトラーに心酔。自身も「木戸銭を払っても演説を聞きたい」と言われるほど演説がうまかった。
今日の「権利を享受しながら義務を果たさない」「特権を持っている」などと難民や特定の民族に対してつかわれるヘイトクレイムはヒトラーの主張によく似ている。
【わが闘争下巻第6章】
「演説は書物より影響が大きい。全ての力強い世界的革新の出来事は書かれたものによってでなく、語られた言葉によって招来されるものだ。」「同じ講演、同じ演説者、同じ演題でも午前10時と午後、晩ではその効果はまったく異なる。朝や午後では全く盛り上がらなかった演説も晩だと大衆は容易に興奮する。朝や昼間は自分と違う意見をはねつけるエネルギーがあるが、夜はそれがなえる。一日の疲れもあり、注意力も散漫となり、プロパガンダに屈しやすくなる。「宣伝は全て大衆的であるべきであり、その知的水準は宣伝が目指すべきものの中で最低級のものが分かる程度に調整するべき。数が多くなるほど知的高度はますます低くする。」「大衆の需要能力は非常に限定的で理解力は小さく忘却力は大きい。重点をスローガンのように、思い浮かべられるように繰り返す」「真理の追求ではなく自己に役立つものでなければならない」
自由旅行は不安、孤独があり、盗難や命の危険、貧乏宿などに遭う。グループツアーは快適で安心、食事もバスも予約済み。しかも個人旅行より安い。ヒトラーはグループツアーの頼れるガイドに例えられる。不安や無力感を伴う自由を捨てて指示に従えば快適。1923年のドイツのインフレや1929年のアメリカの強硬派不安の感情を増大し、自分の努力で前進する希望や成功の無限の可能性を信じる伝統的な信念を粉みじんにした。奮起して努力し、次の目標に進むことができず、自由を捨て、隷属する道を選ぶ。
エリック・ホッファーは、大衆運動が誕生する時にはほとんどいつも適齢期を過ぎた未婚婦人や中年の婦人が参加するが、その理由は倦怠である。(オイ!と思うが、憎悪に並び、「倦怠」が大衆を動かす原動力になる例)
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ヒトラーとは異端ではなく、時代を象徴し国民によって政党に選ばれたリーダーだったのです。その政治手法は小泉元首相・トランプ大統領によく似ているような気がしました。そういった意味では、一見平和に見える現代にも一抹の危うさがあるのかもしれません。
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去年の夏に発行されたばかりの本。私は世界史に疎くてカタカナ語アレルギーだけど、新書だしわりと読みやすかった。歴史を学ぶ意義を改めて感じた。
ヒトラーが『ぶっとんでる極悪人』で、
ホロコーストが、ヒトラーという1人の男が勝手にやったことであったなら、それはまだ幸せな方なのかもしれない。
ヒトラーみたいな人が現れたとき、自分たちはそれに気づいて彼を止められるはずだ、と思えるから。
ヒトラーが死んだら、ふたたび同じことは起こらないと安心できるから。
でも、現実はそうじゃない。
1番怖いのは、民主主義国家のもとで、民衆の支持によって合法的に独裁が誕生し、ホロコーストが起きたことなんだと強く感じた。
人々が不安なとき、左翼右翼が躍進する。人々は分かりやすい敵を求める。自由を享受することはとても難しいことであり、自分がひたすらついていける、乗っかれるリーダーを求める。
筆者も繰り返し述べていたが、本当に現代とよく一致する。移民問題に揺れるヨーロッパはもちろんのこと、アメリカもそうだし、日本だって全然例外じゃない。
歴史は繰り返すし、歴史に学ぶって本当に大変なことだ。
『ヒトラーのやり方を学んだらどうか』みたいな発言した閣僚がいたような。きっと本音でしょう。いつの時代も、一般市民は基本的に政府になめられてる気がしてならない。現実、なめられて当然なのだけど。
「現代に特定の人種の虐殺とかするわけないじゃん!」「今の政治はこんなにいいんだからヒトラーとは違う!」とか、そういうことじゃないんだよ、、、
歴史を無駄にしてはならない。
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毎日新聞2019年今年の1冊に掲載されていた1冊。
以前に読んだものを補完する形で読み進めたが、内容はそれほど深くはなかったというのが正直な感想である。
まあでも、ヒトラーに関して読む最初の1冊としては適しているのではないかなと。
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『ヒトラーの正体』舛添要一 小学館・小学館新書 2019.8
ヒトラー入門書。舛添はヒトラーに興味を持って50年になる。
高校生のころの『サウンド・オブ・ミュージック』を見ている。まさに独墺併合が舞台の1938年である。
ヒトラーが政権をとって5年後のザルツブルク。オートリアを併合した。
舛添はヒトラーに関心をもちフランス・ドイツ・スイスに留学する。
アドルフ・ヒトラー。オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウで4男で生まれた。レアルシューレ(実科学校)に入るも成績が振るわず転校ののち退校。
学歴は義務教育のみ。小卒というと田中角栄も同じだが貧しくて行けなかった彼とは違う。1907に美術を学ぶためにウィーンへ行く。18歳。ウィーン美術学校を受験するが不合格。
翌年に再受験するが失敗。そこの校長から建築の才能はあると慰められたことは、のちに建物への関心を持たせる。すでに両親はなくなっている。
浮浪者収容所に入るが、これは徴兵令逃れだったとされる。大ドイツ主義を信奉しておりオ・ハ帝国に徴兵されたくなかったのである。
親の残した遺産と絵を描いて小金で生計を立てていた。このころからヒトラーは反ユダヤ主義にとりつかれていた。
共産主義とユダヤ主義に反発を持つ。ウィーンの街の200万人の1割がユダヤ人。カフカやフロイトもユダヤ人。
ロシアからの迫害でスラムに住み着いたユダヤ人の犯罪率が高い一面もあった。1913、24歳のヒトラーは南ドイツのミュンヘンに移住する。
ミュンヘンのあるバイエルン王国は分権国家ドイツでは独自の軍をもつ独立国家のようなものだ。移住の理由は徴兵逃れだが1914にミュンヘン警察に逮捕される。
取り調べを受けるが兵役不適格で釈放される。
1914.8.1にWW1が勃発。
大ドイツ主義のヒトラーはオ・ハ帝国国籍だが独軍に志願すべくバイエルン王国国王に請願する。伝令兵として活躍、��章6個も授与。上等兵から下士官に出世できなかったのは
部下を指導する能力に欠けていたからではないかと今日では分析されている。
1918.11.9。ベルリンで社会民主党のエーベルトを首班とするドイツ共和国が発足。いわゆるワイマール共和国。
11.11。コンビエーニュの森でドイツは連合国と休戦協定。ヴェルサイユ条約を締結。敗戦した。
ドイツの敗戦にショックを受けたヒトラーは政治家になろうと決意したと回想している。
そもそもドイツ帝国は1871.1にビスマルクのリーダーシップで北部のプロイセン(首都ベルリン)によって統一されたが、南部のバイエルン(首都ミュンヘン)とは別の国のような趣だった。
バイエルンでは1918.7~8に革命がおこりバイエルン王国がなくなる。統治していたのは労兵レーテという革命政権。各部隊は兵士レーテに代表(評議員)を送らなければならない。
ヒトラーはこれに選ばれた。首相のアイズナーは1919.2.21に暗殺されて5月には軍部は反革命軍を組織してミュンヘンを独占する。
ヒトラーも逮捕されるが反革命政権は彼を政治工作員として活用することにする。兵士・大衆を啓発して指導する役目の為に抗議や演習で鍛えられる。
訓練の責任者はカール・マイナース大尉。請負陣には反ユダヤ主義で有名なゴッドフリート・フェダーなどの知識人がいる。フェダーがヒトラーに反ユダヤ主義を叩きこんだと言われる。
ヒトラーは教育将校として兵士の赤化防止のため演説することになり大成功する。雄弁家ヒトラーの誕生だ。
ヒトラーの任務は政党の調査。ドイツ労働者党(DAP)という極右で反ユダヤ主義の小さな政党が対象。調査のうちにヒトラーは思想に感銘を受けて逆にDAPの党員になる。次第に牛耳るようになる。
1920.2.24。DAPはNSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)に改称。ビアホールのホーフブロイハウスで2千人を前にヒトラーが「25か条の綱領」を発表。
ここにはヴェルサイユ条約によって削られた領土を回復して大ドイツ国家を実現すること。ドイツの血を引くもののみドイツ国民であること。
反ユダヤ主義。条約で禁じられた徴兵制の復活をう���っている。
ナチスはもともと敵陣営がNSDAPを侮蔑して呼び出して生まれた。
ナチオーナルゾチアリスティッシュを縮めてナチ。ナチス。
ヒトラーの大演説のおかげでナチス党の党勢も拡大。入場料収入で党の財政も潤う。党首のドレクスラーを名誉職に追いやり1921.7.29に自ら党首になる。
街頭演説のときに思想的に対立する政治集団と暴力沙汰になることも多く組織したガードマンが突撃隊(SA)、準軍事組織になりSAに年齢的に入れない若者の組織・ヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)に発展する。
このころのイタリアでは国家ファシスト党の党首ムッソリーニが武装組織・黒シャツ隊にローマ進軍を命じる。1922.10。屈した国王はムッソリーニに組閣を命じる。ファシスト政権が生まれる。
ヒトラーはムッソリーニの動きをまねる。黒シャツ隊をSAに。ローマ進軍を見てベルリン進軍を考える。ミュンヘン一揆というクーデタ―を1923.11.8~9に決行。
1922-1923のドイツは悲惨だった。
ポーランド、チェコスロバキアで少数民族のドイツ人が差別を受ける。WW1の賠償金でハイパーインフレ。支払えないことにフランス・ベルギーが石炭を奪う。
反ベルリンのバイエルン州政府は反共和国派のグスタフ・カールを州総監に任命。カールはクーデターに消極的で、しびれを切らしたヒトラーはワイマール共和国を倒すべくビアホールで演説して2千人の軍の先導に立つが、
軍の士気が低いことにカールは変心してデモを封じてヒトラーを逮捕する。
1924.2。裁判ではヒトラーはドイツのためという愛国心が評価されて6か月の軽い刑。オーストリア国籍なので追放されてもおかしくない。
獄中でルドルフ・ヘスに口述日記をさせた『わが闘争』。1925上巻。1927下巻。
ドイツで発禁が解かれるのは2016。
釈放後のヒトラーは政権獲得を目指す。1925.2。ミュンヘン一揆のビアオールでナチスの再建集会を行う。反ユダヤ主義などの主張。才能を危険視するバイエルン州政府はヒトラーを2年間演説禁止にする。
ワイマール共和国は国会(国民の直接選挙)と上院(各州2名・州政府が命じる)の二院政。現在のドイツでは���%条項という得票数が5%未満の政党には議席を与えない。
だが近年、移民排斥を唱えるAfDが5%をクリアして話題になった。
WW1のドイツで社旗主義者・左翼が革命で帝政を廃止してワイマール国家が生まれた。皇帝ヴィルヘルム2世は廃位。11月革命の1年前にはロシア革命が起きている。。
1919.11.18。敗戦の責任を問うヒンデンブルク元帥は11月革命での背後からの匕首の一刺しで負けたという。匕首伝説と呼ばれる。
革命の主導者はユダヤ人でマルクスもユダヤ人。革命を主導した左翼許せない。ますますユダヤ人嫌いになるヒトラー。
ワイマール共和国は社会民主党が指揮している。社会主義者たち。ワイマール連合。共産党やナチス党・ドイツ国家人民党など極右・左の台頭で不安定になる。
ナチスの伸び悩み。1924-1929。恐慌が始まるまでの相対的安定期。ヴェルサイユ条約を糾弾して拡大したナチスにとっては都合が悪い。
1929.10.24 暗黒の木曜日、
1929.10.29 悲劇の火曜日。さらに大暴落
1939.9.14 ナチス107議席獲得で大躍進。大衆の不満に火をつけるプロ、デマゴーグ・ヒトラーの出番。
1930.2 失業者350万人オーバー
1930.9 選挙でナチスと共産党は大躍進。資本主義を敵とする共産党と同じ立場はとれないので、ナチスは大恐慌をユダヤ人とヴェルサイユ条約のせいにする。
ナチスのSAは国防軍から嫌われている。いうことも聞かなくなってきた。親衛隊(SS)をつくりSAの力をそごうとする。
WW1後のオ・ハ帝国は解体されてオーストリアは独立国になっている。
1932.春 ヒンデンブルク大統領の任期切れで大統領選。ついにヒトラーは立候補する。ドイツ国籍を獲得する。奇妙なことだが世間はドイツとオーストリアが統一されていないことを問題する
大ドイツ主義が支持されている。オーストリア側もこれを支持していた。
ブリューニング首相がヒトラーを危険視してヒンデンブルク84歳を再立候補。ヒンデンブルク大統領の再選だが、ヒトラーは2位の座に。
1932.7 国��選挙。ナチスは第1党に。ナチス230議席。共産党89議席。ナチスの政策は具体的で大衆に受けた。
1932.11.6 共産党のパーペン内閣不信任案で国会解散。選挙でナチスは議席を減らす。ベルリンの市電と地下鉄のストライキを共産党と一緒に煽り、
公共機関をマヒさせたことで顰蹙をかいナチ離れが起きる。ヒトラーは落ち込む、が第1党であることに変わらず。
1933 パーペン首相はシュライヒャーに引き釣り降ろされる。シュライヒャー内閣は安定に見えたが、パーペンは復讐のためにヒトラーと手を組む。ナチスへの資金を援助する。
大統領を説得してシュライヒャーを辞任に追い込み、さらに公認の首相の座にヒトラーが就くようする。
パーペンなどの保守派はナチスの減速で共産党が強くなることを危惧した。共産党に気を取られていた。
第1党とは言えナチスは全議席の1/3しかないのに合法的に政権についた。ワイマール憲法の欠陥。特に第48条の大統領の緊急命令。州が国の憲法の義務を果てしていないなら
大統領は個人の自由、住居の不可侵その他を失効させられる。大統領の独裁を許す規定。
1933.1.30 ヒトラー内閣成立。政権に就いた二日後にヒトラーは大統領に解散権を行使させて国会を解散させる。2か月前に選挙したばかりだがヒトラーは3割しかいない議席のナチス党を単独で国会過半数にしたい。
憲法第48条を使わせて共産党員や社会民主党員を逮捕した。来るべき選挙をマルクス主義、ソ連のボルシェビズムとの闘いと位置付けて反共主義に訴えた。
単独過半数にはいかないがDNVPと合計して過半数達成。48条を利用した大統領の緊急令で地方政権に介入してナチスに交代させた。
1933.3.21 ポツダムの教会で国会の開会式を行う。ポツダムの日と呼ばれる。
二日後に全権委任法の制定。首相があらゆる法律を制定できる。大統領から権力を奪う気だ。むしろヒンデンブルク大統領は議会政治制に反対なので賛成だった。
保守派の重鎮パーペンもフーゲンベルクも同じだ。ヒトラーを利用して棄てれると舐めていた。就任から2か月しないうちに最高指導者になった。
労働組合を解散。労働者はナチか主導するドイツ労働戦線に吸収される。協会の活動を制限。教育・学校の自由を弾圧。歓喜力行団(KdF):パッケージツアーを格安で提供して国民の余暇までも管理しようとした。
長いナイフの夜
1934.6。ヒトラーはSA隊長のレーム以下幹部を粛正した。SAは450万人の隊員がいる。
エルンスト・レーム。1919以来のヒトラーの同士。暴虐無人で国民の不興を買う。SAを国防軍に格上げしたいが、ヒトラーから反乱の罪(デマ)を口実に処刑される。
シュライヤー前首相:粛清される。
カール元バイエルン総督:粛清される。
エドガー・ユング:パーペン副首相がナチを非難する原稿を書いたために粛清される。パーペンは免れた。
ヘルマン・ゲーリング:ナチス党員。プロイセン大臣。ゲシュタポを傘下に持つ。レームとはライバルで反乱をでっちあげる。
ハインリヒ・ヒムラー:SS全国指導者。SAに対抗。ゲーリングと共に共謀。ゲシュタポ長官代理。
1934.8.2 ヒンデンブルク亡くなる。首相と大統領を統合した指導者兼首相をヒトラーに任命する。ヒトラーはフューラーを呼ぶよう命じた。マイン・フューラー。
ケインズ的政策。
ヒトラーは政権についたとき「4年で失業を解消する」と約束した。
1.公共事業で直接雇用を創設。2.企業への減税で企業活動を活性化して雇用を生む。3.女性や若者を労働市場から除外。若者はボランティア活動。
3年後には600万人の失業者が激減する。民衆の車フォルクスワーゲンをポルシェに作らせた。1938に試作品ができたがWW2が起こり未完のまま終戦する。
所得税の源泉徴収制度。ナチス時代に作られた。日本が引き継ぎ完全な形で今日に至るのは日本だけ。デメリットして国民に納税者意識が生まれない。
フランス以上にドイツに敵対的なのはポーランド。WW1で独立したポーランドはプロイセンの支配下のポーゼンと西プロイセンを自分の領土にした。ポーランド回廊。
ドイツ領の東プロイセンは飛び地になった。ポーランドは18世紀以降プロイセン・オーストリア・ロシアに3次にわたり領土を分割されて滅亡した過去を持つ。
軍備平等権を回復したドイツはポーランドには特に脅威だった。
1935.秋 ムッソリーニはエチオピアを侵攻。併合する。国際連盟はイタリアに制裁を加えるがヒトラーは支援を行う。二人の距離がちかづく。
1936.3.7 ヒトラーは軍を非武装地帯のラインラントに進駐。ヴェルサイユ条約に挑戦する行為だが、英仏が反撃すれば撤退を覚悟していたが実行には至らなかった。
フランスにとって過去50年でドイツには2度攻撃を受けている。普仏戦争とWW1.
フランスは農業国・人口4千万・個人主義。ドイツは工業国・人口6千万・集団主義。戦争になれば不利。
1936.7 スペイン内戦。軍部が左翼の人民戦線内閣にフランコ将軍がクーデター。内戦は1939.3に終わるが、1975までフランコが死ぬまで独裁が続いた。
フランコ将軍側にドイツとイタリアが味方し、人民戦線に反ファシズムのソ連が協力。ヘミングウェイやマルローやオーウェルが参加した。「カタロニア賛歌」「誰がために鐘は鳴る」
ゲルニカ爆撃。バルセロナ陥落。マドリード陥落。
1936.11 ソ連を対象にした日独防共協定をむすぶ。
1937.11 イタリアが加わり日独伊防共協定。
ナチスの党の25か条綱領、1章の「ドイツ人の大ドイツを目指すこと」3章の「過剰人口の移住させる土地を求める」土地は生活圏や生存圏に訳される。
この2条が戦争の道を切り開いていく。
ヒトラーは慎重な国防軍にいらだちブロンベルグとフリッチュの両軍人を更迭。全軍の指揮権を掌握する。
独墺合邦。
ヒトラーは墺の併合に乗り出す。1934.7にヒトラーが密かに支援するオーストリア・ナチス党がウィーンで暴動を起こしてドルフス首相を殺す。
ドルフスは前年にオーストリア・ナチス党を非合法化してムッソリーニをモデルにした独裁体制(オーストロファシズム)を築いていた。
ムッソリーニは盟友を殺した暴動に怒り国境に軍を送りオーストリアの独立を保証する。ヒトラーはうかつに手が出せない。
やがてエチオピア戦争でヒトラーと協力関係を深めたムッソリーニはオーストリアを守らなくなる。
1938。ヒトラーはオーストリアに進軍。3月に独墺合邦を宣言する。ナチス嫌いなオーストリア人も大ドイツ主義は歓迎した
WW1でオ・ハ帝国はドイツと同じく敗戦国だし、ヒトラーはオーストリア出身だ。
戦後は1956年に連合国との間にオーストリア国家条約が結ばれて独墺合邦は永久に禁止された。
最近の極右ポピュリズムは大ドイツ主義を復活させる可能性がある。
チェコスロバキア消滅
WW1後に作られた国。チェコ人・スロバキア人・ドイツ人の3大民族が暮らす。ズデーデン・ドイツ党のヘンラインはヒトラーと会見して協力を約束する。
1939.3 ヒトラーはスロバキアを独立させる。ハンガリー国境のカルパト・ウクライナも独立せる。
ヒトラーはチェコスロバキアを脅して統合を強要してプラハへ進軍する。チェコスロバキアはベーメン・メーレン保護領としてドイツに併合する。
チェコスロバキア消滅する。
東プロイセンと隣接するリトアニアからメ―メルを返還させる。ヴェルサイユ条約でとられた領土を奪い返していく。戦火なしで。
英仏の宥和政策の限界
ヒトラーは1935年に結んだ英独海軍協定と1934の独・ポーランド条約を破棄する。ポーランドを欲しがるヒトラーはスターリンと独ソ不可侵条約を結ぶ。
ソ連と挟みあうポーランドを攻めれば英仏は手が出せないと考えた。ソ連も東欧諸国への足掛かりになると考えた。Winwinである。
共産主義と手を組んだことに世界は驚き、日独防共協定の日本も同じ。
1939.9.1 ドイツはポーランドを攻撃。WW2開始。ポーランドは壊滅して9.17にスターリンがポーランドの東側を占拠。9.28には独ソでポーランドを分割する。
ソ連はリトアニア・バルト三国を支配してフィンランドと戦争する。フィンランドは米国の協力のもと抵抗するが1940.3.12に国土の1/10を割譲することでソ連と講和する。
ヒトラーの予想を裏切りいよいよ英仏が独に宣戦布告宣言。宣言から半年間は戦火がほとんどなく、これを仏で奇妙な戦争と呼ぶ。
1940.4.9 ドイツはデンマーク・ノルウェーを攻撃。デンマークはすぐに降伏。ノルウェーも6.10に降伏。
5.10 ベネレクス3国とフランスに攻撃西部戦線の戦闘。オランダ・ベルギー・ルクセンブルク5月中に降伏。
イギリスはチェンバレンからチャーチルに交代。ドイツに徹底抗戦の決意を固める。
5.24 ダンケルクの戦い。40万人以上の将兵がイギリスの敗走する。
6.14 パリ陥落。フランスは占領されているヴィシーを首都にする。ヴィシー政権。
6.22 WW1休戦協定が結ばれたコンピエーニュの森で仏政府と降伏調印式を行った。復讐劇のクライマックス。
秋 ムッソリーニはヒトラーに言わずギリシャ侵攻。
1941.6.22 イギリスがギリシャに上陸。ヒトラーにとってバルカン半島に英軍が上陸すればドイツの勢力圏が危うい。
4.6 ユーゴスラビアとギリシャを独は攻めて占領する。
41.6.22 ヒトラーはソ連を攻める。赤軍に抵抗されて冬が予想より早く来る。ナポレオンと同じ失敗で冬将軍に敗れる。初めての敗走。
12.8 真珠湾攻撃。三国同盟も米国に宣戦。
42.11 北アフリカで1941以降独伊で戦争していたが「砂漠の虎」ロンメル将軍の軍はモントゴメリー率いる英軍に敗退。
1943.5 42年からアイゼンハワー下の英米軍はモロッコとアルジェリアに上陸して独伊軍は降伏、北アフリカ戦争は終わる。
42夏~43.1.31 独はスターリングラードやコーカサスを攻めるがソ連の猛反撃で独軍は20/30万人をうしなう。降伏。
43.7.25 英米軍は北アフリカ拠点にイタリアの制定に向かいムッソリーニを逮捕する。ヒトラーはSSを派遣して救出。ムッソリーニはイタリア社会共和国を宣言して
北部イタリアの独支配下の傀儡国家の首班として生き残る。
44.6.6 ノルマンディー上陸。
7.7 ヒトラー暗殺作戦。シュタウヘンベルク陸軍大佐。東プロイセンの相当大本営の会議を爆破。7千人逮捕されて5千人が処刑される。
ロンメル将軍も事件に関与していたとされて英雄と知名度あるだけに毒殺を強要される。
暗殺失敗によって10カ月も戦争は続く。
8.25 英に亡命していたドゴール将軍は米軍とパリに戻りパリを開放する。
45.3.19 焦土作戦。
4.30 ヒトラーは愛人エヴァ・ブラウンと自殺。12年の独裁は終わる。1933.1~1945.5
33.4.7 職業官吏再建法。非アーリア人は公務員になれない
33.3 アインシュタインはアメリカにわたる。
33.5.10 ゲッペルス宣伝相がユダヤ人の本を訳命令を出す。21の大学で焚書を行った。
34.8 障碍者を殺す安楽死殺害政策で独内で21万6千人が犠牲に。ホロコーストに続く。
ポーランドの6つの収容所。アウシュビッツビルケナウ含む。475~485万人が殺害。
サウンド・オブ・ミュージック1938が舞台。独墺合邦が背景。
ヒトラーは美術学校に入れずそこの校長から建築の才能はあると慰められたことから建築物に対しては大変に関心を寄せた。
ナチスに入党した16歳年下の建築家のシュペーアを気に入る。
ヒトラーを信奉する大衆の真理を知る必要があると舛添。
フロム「自由からの逃走」ホッファー「大衆運動」ノイマン「大衆国家からの独裁」ラウシュニング「ニヒリズムの尊厳」
これらがお勧め。
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フロムの「自由からの逃走」の解説において、ヒトラーに従う大衆の心理を個人旅行より団体旅行を選ぶ消費者の心理に例えているのが秀逸。「帰ってきたヒトラー」を観た直後だっただけに尚更、現代社会は真の意味でこのようなデマゴーグの出現を克服しているのか、考えさせられた。