紙の本
わかりやすい
2019/09/23 09:24
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
おもしろいと言うことについて、いろいろな角度からの分析がされていて、興味深く読めました。生きるヒントになりそうです。
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面白いとは何か?面白く生きるには?(ワニブックス)
著作者:森博嗣
タイムライン
https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
①仕事で面白くアイデアの必要な人
②人生を面白くしたいすべての人に役立つと言う
面白さとはなにか?どうやって生まれるのか?
メカニズムを考察し、それを作り出している人たちのヒントになることを目的にしている。同時に面白さを知ること生み出す事。すなわち生きることの価値観とはどういう事なのかを「面白い人生を」について出来るだけヒントに成るような知見を後半で言及している。
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「ほのぼの」という面白さ
これは、緊張させて開放するという「可笑しさ」のメカニズムのうち、開放だけを最初から仕掛けてくるタイプといえ。
ほかのジャンルの小説だったら、読者が「面白い」と感じるものを書かなければならない。そうしないと、最後まで読んでもらえないし、悪い評判が立てば売れなくなる。それ以前に、編集者が駄目だと判断して、本にはしてもらえないだろう、と想像ができた。
ミステリィは、謎が提示され、最後には意外な展開があって、その謎が解ける、という構造を持っている。謎があれば、読者は答を知りたいから、最後まで読んでくれる。
したがって、トリックや意外性を考えれば良い。クイズを作るようなものだし、ある意味、数学の問題を作るような作業である。実は、僕は大学の工学部の教官だったので、数学や物理の問題を作ることは何度も経験していたのだ。(中略)
ミステリィの面白さは、小説の面白さに比べて、非常に特定的というか、狭い範囲に的が絞られているから、その面白さを作る側にとっては、何を考えれば良いのかが明確で取り組みやすい、と僕は考えたのだ。
もともとは、そういったほかのユーザ(読者や視聴者)の動向に対して共感するしない、ではなかった。そうではなく、作品の中のキャラクタに、受け手個人が共感したのだ。そこで描かれた心情が、「身に染みて」わかるような状況を「共感」といった。楽しさ、寂しさ、悔しさ、悲しさ、あるいは怒り、憤りのようなものが心に伝わってくる、という意味での「共感」だったのだ。
それが、子供のときからネット社会で育った世代は、「みんなで感じる」という意味で「共感」という言葉を使っている。 穿った見方をすれば、自分で感じたいのではなく、感じることで他者とつながりたい欲求が優先されている。そうなると、みんなが笑うから可笑しい、みんなが泣くから感動できる、という価値観になる。その結果、ネットの評価に過敏になったり、「いいね」の数を気にして、日常生活にまでその影響が表れる。
「待っているところへボールが来なかった」と書いたが、まったく取れないような大暴投では笑えない。あまりに外れすぎていると、驚きや呆れが大きくなり、あるときは嫌悪感も抱いてしまうから、笑うことができない。
笑いを誘うギャップとは、「適度なズレ」であることが1つの条件といえる。この微妙な手加減ができる人が、人を笑わせる名手となる。ただ、受け手によって、このズレがどれくらいまで許容できるのか、が異なっているので、相手を見て、合わせる必要があるだろう。このあたりが、「可笑しさ」を作ることの一番の難しさになる。
「微妙」という言葉は、もともとは褒め称える表現だった。今は、「今一つ」という意味で、残念な印象を伝えるときに使う場合が増えている。可笑しさのズレというのは、本来「微妙」なものだった。加減をし、適度にずれているものが一番面白い。その僅かさが、最大の「面白さ」を生んだのである。
この「簡単」という方向性も、また「面白さ」にブレーキをかける。逆なのだ。
何故なら、「面白さ」は簡単になるほど���白くなくなるからだ。「面白がりやすい」という言葉が聞かれないように、簡単に面白さを感じることはできない。そういうものは、面白くない。簡単だというだけで、「つまらない」ものになってしまうのである。これは、「面白い」の定義であるし、人間の感覚がそうなっているのだから必然といえる。
「面白さ」は、容易に得られないものでなければならない。たとえば、簡単なクイズでは面白くない。すぐに犯人がわかってしまうようなミステリィでは楽しめない、ということだ。
人間の満足というものが、なにかを成し遂げたあとに得られるからであり、そもそも、その「達成」が「面白い」と感じられる。何故、山に登るのか、という疑問と同じだ。山は高いから登るのが面白い。登るのが大変だから、面白いのだ。登りやすい山では、楽しめないのである。
そう、ゼロからだ。それは、たしかにそのとおり。
ただ、ちょっとした抜け道がないわけでもない。
それは、周囲にある「面白さ」、過去にあった「面白さ」から、本質を取り出す行為によって生まれる。
何故面白いのか、どこがどう面白いのか、ということを考えていくと、その具体的なネタから、抽象的な「面白さ」が抽出できる。これができるようになるためには、ものごとを客観的、抽象的に捉える目が必要だ。しかし、慣れれば自然にできるようになる。
さて、抽出した「面白さ」とは、言葉にはならない。「こんな感じのもの」「こんな雰囲気のもの」といった茫洋とした雲の塊のような素材である。
だが、そこから、幾つかの「面白さ」を作り出すことができる。ゼロから作るよりも、数段容易だ。一日中考えていれば、1つくらいは必ず出てくる。
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面白さを筆者なりにまとめた内容。まさに[面白さとは何か?]を考えるには参考になる。いろんな物事から楽しみを見出す参考になるかと思って借りたが、期待した内容とは違った。
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さすが森さん、わかってらっしゃる!とうきうきしながら読んでると急にばっさり否定されることもあるので油断できない。
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私にとってこの本には、「共感できる面白さ」がある。
初めのうちは、著者が作品を書く上で気を付けていたことを書き留めたような話が続く。ちょっと退屈だな、と思った頃に、著者がよく聞かれる「面白さについて」の質問に答えている章に突入した。
私は以前、この著者のエッセイを読んだ時に、「自分と似た考えをもった人に初めて出会った」という衝撃を受けたことがあるが、この本も然り。
「面白い」と思うことはひとりでこっそりと楽しむべきものだという著者の意見には大きく頷ける。
著者は、他者といることに「面白さ」を見いだせない私に、「それで良い」と飄々と言い切ってくれ、ずっと生きづらさを抱えていた私にとって強い味方を得たような安心感を与えてくれた。
最後に書かれていた著者の今の暮らしは、私にとっての理想だった。ひとつヒントをもらえたようで、私は今後を1人で楽しむためにどのように生きていこうか、と考える楽しみができたように思う。
様々な本を読むことで自分というものが少しずつ分かってくる。これも読書の面白さだ、と感じさせてくれる一冊となった。
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過去の森さんの本を読んでいると、予想通りの内容かなと。他人ではなく自分だけの面白さを見つけることが必要っていう内容。他者と関わることの面白さを見つけられなくて、一人でいてつまらないという状況にほとんどなったことがない自分にとっては、当たり前だという感想。
自分もアウトプットは面白いとは思うが、それを他人に見せることについては面白みを感じないんだよな・・ 昔から、自分のアウトプットを自分で見て面白がってる。自分は何でもひとりで面白がってるけど、周りはそれを悪いことのように言ってくるから不思議。
最近のテレワーク移行や外出自粛は個人的には最高に居心地が良い。自粛疲れがどうのとかいって活動してる人は、常日頃から面白さを見出せない人間なんだとしか思えない(それが悪いという意味ではなく)。
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森博嗣さんの本が久しぶりに読みたくなって購入。
以前読んだことある言葉も結構あるし、森さん自身の半生を振り返る話も何度も目にしているのですが、相変わらずの森節全開で予想通り楽しめました。
面白さの本質は自分で見つけなさい、という感じの結論ではありますが、自分自身が能動的に動かないと面白さって見つからないよな、と改めて感じたりしました。
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作家である著者の面白さに関するエッセイである。前半の面白さに関して分類して述べている章ははっきり言って面白くない。何がいいたいのかも分からない。
面白くなるのは筆者自身について述べ始めたあたりからである。面白さは他人と共有するものではなく自ら楽しむものだと断言する。面白さを他者に求めるからうまくいかないのだというのだ。
筆者の趣味は模型工作だという。庭先に鉄道を敷いてそれに乗って周回するのが日課というからかなり気合いが入っている。その趣味のきっかけは彼の父が欲しいものは自分で作れと教えた子どもの頃の方針だったようだ。だから、他人に頼ることのない趣味が定着しているのだ。
大学の教員としても作家としても成功した余裕がある人の到達できる境地であり、凡人には容易に近づき難く感じた。ただそういう生き方に憧憬の念を覚えるのは確かだ。
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「面白く生きるには」の回答を求めて手に取ったが、あまりそこの答えは得られなかったイメージ。もう一度、必要なところだけ読み直してみるかな。結局、自分で探さなければならないのは間違い無いので。
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「面白い」ってなんだろう?
色んな方向に、色んなボリュームの面白さがあって、自分なりに面白がっているつもりだけれど、まだまだだなぁ。
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面白さとは何か。を考えさせられる本。子どもの頃は面白さでいっぱいだったのに、大人になると面白さが減るのはなぜか。例えば、新しいもの、意外なもの、今まで知らなかったことに気付くこと、インプットよりアウトプットが楽しい、簡単に手に入らないもの
自由とは自分の思った通りになるのこと、それを実現するためには、その方法を思いつくことが大切
子どもの時は家族、友達が側にいて面白さを提供してくれていた。大人になると提供してくれる人がいない。自分で見つけるしかない
以上の言葉が気に入った。この作者は子どものように無邪気な人なんだろう。
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面白さは会議からは生まれず、設計図は描けず、偶発的なものも多い。面白さについて思うところ、そして面白く生きることについて述べる。でも、あなたの面白さは、あなたにしか作れない。
今の時代って、ヒットするもの、ウケるものを探してるんだって再認識。「面白い」を科学されてもあまり面白くなかったけど、経験談は面白かった。
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とどのつまり,人生というものをどのように捉え,生きていくべきかという哲学的考察を一人一人が行っているか否か,だけの問題である.特に日本は村社会なので,良くも悪しくも個ではなく群体としての性質を強制されることが多いため,個体としての特性を考えることなく大きくなれてしまうところに問題がある.そこに問題点があることを理解している家庭でのみ,本来の教育が子供の幼児期になされ,面白い行き方を追究できる人が育つと考える.それにしても相も変わらず抽象的な概念を明確に明文化している.
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「面白い」仕事をしたい、「面白い」人になりたい、「面白い」人生を送りたい。
お笑いだって、Non Styleの漫才考察を見ると、論理的に「面白い」は、
作り出せるのではないか?そう思って、本を探す。
森博嗣氏の著作は、昔に一作程度しか読んだことがないが、
理系の大学教員ということもあり、きっと、そのあたりを論理的に創出しているのではと思って、ほんをとった。
著者自身が、述べているように、この本では、論理的に面白いということを作り出すことは難しいと述べながらも、その「面白い」を類型化することで、
面白いというものを作り出すことのそのエッセンスを抽出はしている。
可笑しい:笑える、ギャグ、ユーモア、苦笑、ほのぼの、癒される
いないいないばぁ、はなぜ面白いか。変化。
意外性とは、「想像」とのギャップ、緊張からの解放
ほのぼの、ゆるさ、いやされる、童心に帰る慕情、忙しさからのギャップ
興味深い:考えさせられる、好きなもの、気づきがある、調べていたもの
設定、展開が想定外。気づくという面白さ。
想い通りになる:考えた通り、予測が当たる、同感、共感
共感:現代の特徴「わかるー」
繰り返す面白さ、動物的。→意外性との関係性
手応えがある:簡単ではない、やりがい、達成感
動きがある:スリル、目が離せない、加速度
アクション、加速度、メリハリ、どうなるんだ?という想像を引き出す、
意外性:驚き、予想が裏切られる、例がない、新しい、変
好奇心を満たす。子供は、新しいものに目を光らせる。
可能性のようなものに惹かれる。試したい、面白そうだ。
子供は無知、知らないことが周囲にたくさんある。それを知るのが楽しい。
成長して、新しいことができるようになる。
意外性の面白さは、知性による。ぎりぎりでわからない
物事の新しいたとえ(人がきが付かなかったようなつながりをつなぐ)
欲求を満たす:おいしそう、かっこよい、セクシィ、可愛い
一人の面白さが本物。
大正時代の面白さを享受できるか?
自分の想像範疇とのギャップだとすれば、笑えないことにある。
昔と今では、常識が異なるから。
作られた面白さがあふれている時代。→面白さは、与えられる時代。
与えられる面白さにははまらない。
面白さは自分で作り出すもの。
手に入れにくいものほどおもしろい。
簡単に手に入らないことも面白さの条件
インプットする面白さと、アウトプットする面白さ