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投稿者:コンドル街道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
下巻には現代日本の課題について触れられているが、ダイアモンド博士の周囲にいる日本人はリベラルばかりなのだと思わせる記述が多い。
移民云々は博士が移民で成り立っているアメリカ国民であることを割り引いても、それ以外の、特に戦後の日本の対アジア諸国への姿勢に関しては、リベラルの主張そのままなのだ。
かの碩学でも専門分野以外はやはり一般市民とそう変わりないのだ。
おそらくドイツの戦後史についてもドイツの保守派からは反発を受けるのではないか。
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
さて、下巻である。
今回選ばれた国家は、ドイツ、戦後の日本国、アメリカ、そして、世界。
上巻で、納得いかなかったことが、下巻ではっきりした。
彼は生理学を修めた科学者のはず。そして、科学的分野にテーマを求めて各種著作があったと認識していた。しかし、この作品は科学者の著わす作品とは思えない。養老孟司先生が国家、文化、社会、歴史を語ることはある。でも、養老先生は、科学者としての論評だと感じることが出来る。しかし、この作品は、科学者の視線は全く感じない。文芸作家のような美文でもないし(まあ、翻訳作品だから、原文が美文かもしれないけど)、哲学の香りも、歴史学の厳正さも感じない。
ドイツと日本国を論評するには、力不足だと思う。これまでの紋切型の理解で、自分の好む結果に持ってきた。そんな感じがする。
これで提言とは恐れ入る。
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本文のレビューは上巻の方に書いたので、下巻には著者が言及している参考文献について、少し。
「たくさんの参考文献を載せた結果、私の本は、とても長く、重く、値段が高くなってしまった。ある友人は私に文句をいってきた。「ジャレド、君の本は良いんだけど、夜ベッドに仰向けに寝転がって読んでいると、重くて首や腕が痛くなってしまう。お願いだから、次の本はもうちょっと軽くしてくれよ」
ということで、前作『昨日までの世界』ではウェブサイトに一部を載せることで軽量化したという。その結果、相当売れたであろう本の参考文献をオンラインでチェックした人が全世界で一人か二人しかいなかったという。
「『昨日までの世界』では、脚注や参考文献をすべて巻末にいれるのではなく、ウェブサイトにも一部は載せた。しれでたしかに長さや重さや値段は削ることができた。こうして、ウェブ上の脚注や参考文献を実際に何人の読者が見たかがわかるようになったのだが、一年間に全世界で一人か二人だった」
驚きではあるし、がっかりしたことだろう。
そこで、今回はウェブ方式はとらず、「読んで本当に役に立ったと思える文献」だけを厳選して掲載することにしたのだという。確かにそれはよい選択だと。
さらに言うと、電子書籍にしてもらえれば重さや長さ(や、出版社が誠実であればそれによる値段)は気にする必要はなくなる。さらにAmazonで買えるものであれば、リンクを張っておいてもらえるとなお優しい。少なくともkindle本くらいは皆喜ぶ話でもあるし、そうなっていてもよいのでは。
本が重いとか、値段が高くなる、とかアクセスする人が少ないとかいうのは、紙の本の時代の話であって、どんどん電子書籍化してほしいものだ。
参考文献と言えば記憶に残っているのは、高橋源一郎『銀河鉄道の夜』にあった次の参照だ。ぽつりと、ここにアクセスしてねえと語り掛けるようにそこにあった。
勝瞬ノ介「イェドヴァブネの闇 ―ユダヤ人虐殺とポーランド住民」
http://www.polinfojp.com/kansai/jedwabne.htm
本文中にはそのことがわからないように「イ××××××の町」と書かれている箇所がある。読んでみると、ああそういうことであったのね、とわかる。こういう趣向も凝らされていたりすることもあるので、そういう参考文献のところまで気を遣っているのだと教えてもらえると、なんだかとてもうれしい。
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『危機と人類(上)』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4532176794
『銀河鉄道の彼方に』(高橋源一郎)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087714365
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うーん。上巻の方が面白かったな。「国家的危機の帰結に影響する12の要因」しばりが、個人的危機に絡めるのに少々無理があって苦しい感じ。個々のケーススタディは楽しませていただきました。
しかし移民流入がほぼなく、初婚年齢は上昇し、出生数に占める婚外子率が極端に低い(2%)…我が国の少子化問題は、他の先進国より格段に深刻な条件下にあるって、改めて気付かされた。
更に人口減少の問題。2010年の1億2806万人が、2015年に1億2709万人に減少した日本の人口。今秋の国勢調査が怖い…。ま、こっちは一概に少ないのが悪いって話にはならないが。
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やっぱり読ませるな~というのが感想です。これまでの著書にあった人類史というより、近現代の歴史を中心に、個人の危機と国家の危機を比較し、後者については、さらに7つの国の危機対応を対比するという内容。特に、日本と米国には2つの章を割いており、関心の高さが伺えます。
7つの国は、ダイヤモンド博士が住んだか関係の深い国とのことですが、読んだ中ではドイツの記述が興味深かったです。
日本については、1つの章で明治日本をうまく危機を乗り越えた事例としてあげつつも、もう1章では現代の課題を列挙。人口減少については資源保全の観点から寧ろ喜ばしいこととする一方で、移民の受け入れやドイツとの対比での中国・韓国との関わり方については、日本では議論を呼びそうと個人的には思える内容でした(ただ、「外国人からはこう見えるのか」と、これはこれで参考になりました)。
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まだ読み途中。
日本の現在起きている危機に関して読んだが、
日本人の自分としては、よく言われている問題が書かれている。
そこに対してどう対応していくかという話では、
・日本人の古い価値観
・事実を正しく受け止められていない。現状を正しく認識できていない
といった点が指摘されていた。現状認識が甘いという点は、
すごく共感する部分なので、自国の中の話題だけを捉えず、世界の問題や世界の人と積極的にコミュニケーションを取ることで正しい自己認識を獲得していきたい。
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ジャレットダイアモンド氏の歴史書。政治史・社会史
国家的な危機について、その内容・原因・解消の分析が
個別の事例で紹介せれている内容です。
フィンランド・近代日本・チリ・インドネシア・ドイツ・
オーストラリアの6か国の歴史と
日本とアメリカの進行中の危機
現代日本の進行中の危機についての論述と分析について
非常に有意義で深い内容であったと思います。
また、この内容が個人的に個人の危機と
その原因や解消すべき方向に対する示唆があるように
思いました。
また、本当に今の日本の問題意識の本質を指摘している
ものだと思います。
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心理療法の分野で個人が精神的危機を乗り越えるために有効とされる12の要因を、かつて国家的危機に瀕した国々の歴史に当てはめて分析し、そこから今日の世界的課題の解決に向けた示唆を得ようとする著者の研究をまとめた一冊。
著者はフィンランドやオーストラリア、日本など、自身との関わりが深い国々に関して得られた様々な知見をもとに、他国からの侵略や敗戦など、過去に国家的危機に直面した国々が復活した背景には、まず自国が危機にあることを認め、その克服に向けた責任を受容するとともに、自国の現状を公正に評価した上で、守るべきものと変えるべきものを明確にして対処する「選択的変化」という必要不可欠なプロセスがあり、さらには国としての柔軟性と忍耐、他国との関係性も重要になる場合があるという。
著者自らが認めているように、本書の分析対象は著者がよく知る国に限られ、叙述的(定性的)な分析が中心となっているため、科学的根拠を基にした史実としての正確性については批判する向きもあるだろう。特に日本の戦争責任に関する記述は賛否両論があるだろうし、それは他国の分析についても同様かもしれない。ただ歴史の解釈は常に動くものであり、本書の日本に対する見解も、海外ではこのように受け止められることもあるのだという事実を理解する必要がある。その上で、著者が提起する核の脅威や気候変動などの世界的危機に対しても「選択的変化」を実現できるのか、そのために日本ができることは何かを考えるきっかけにしたい。
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下巻で取り上げられているのは、ドイツ、オーストラリア、日本(現代)そしてアメリカ。上巻で幕末~明治維新の日本は絶賛されていましたが、現在の日本はかなり厳しい。特に感じるのはドイツと異なる第二次世界大戦に対する清算かな。もちろん、現在直面する危機はあるのだけど、やはり認識の問題はとても大きく、日本人としては違うのではないかと思うことも、そう見えるということなのかもしれない。
現代アメリカの抱える課題はある意味世界の課題。一番課題として認識されていたのは格差の拡大ではなく「アメリカ人全体が二極化し、政治的妥協を受け付けなくなっている」ということ。民主主義に備わっている利点として、ダイアモンド先制は「運用に際して妥協が必要不可欠であるという点」を挙げている。妥協は権力の座にある者の暴政を抑制することに繋がるらしい。それと、経済格差も問題、地球環境問題(特に二酸化炭素排出による温暖化問題=異常気象)も問題であることはあえて語るまでもない。
ダイヤモンド先制は現代の世界の問題として3つを挙げている。核兵器と世界的気候変動、そして、必要不可欠な自然資源の世界的枯渇。どうも先進国は途上国の一人当たり最大32倍の資源を利用しているらしい。世界の人口が増えても、途上国で増えている分にはあまり問題なかった。しかし、増えている途上国で一人当たりの資源消費が先進国並みになってきたら・・・確かに想像を絶する話になる。グローバル化が明らかにこれを後押ししている。グローバル化は3つの課題を引き起こしている。ひとつは貧困国から富裕国への新しい病気の拡散。2つ目は貧困国の多くの人々が、世界の他の地域で営まれている快適なライフスタイルを知り、不満と怒りをつのらせている。なかにはテロリストになるものもいるし、多くはテロリストにならずとも、テロリストを容認あるいは支持している。そして、3つめのは、低消費生活を送ってきた人々が高消費のライフスタイルを求めるようになることである。そう資源消費だ。人類史上初めて、真の地球規模の課題に直面しているとダイヤモンド先生は指摘する。
さて、この本の結論はどこにあるのだろうか。危機、つまり何か大きな悪いことが突然起こるほうが、ゆっくりと進む問題よりも、また、何か大きな悪いことが将来起こりそうだという見通しよりも、人々に行動を促す。まず、世界規模の危機がそこまで来ていることは明らかだ。そして、この本で述べられてきたように、国の場合は、まず自国が危機のさなかにあると認識すること。他国を責め、犠牲者としての立場に引きこもるのではなく、変化する責任を受け入れること。変化すべき特徴を見極めるために囲いをつくり、何をやっても成功しないだろうという感覚に圧倒されてしまわないこと。支援を求めるべき他国を見出すこと。自国が直面している問題と似た問題をすでに解決した、手本となる他国を見出すこと。忍耐力を発揮し、最初の解決策がうまくいかなくてもつづけていくつか試す必要があるかもしれないと認識すること。重視すべき基本的価値観ともはや適切でないものについて熟考すること。そして、公正な自国評価をおこなうことだった。これから世界が向かうべきところは何とも��らかだということだろう。
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下巻は7カ国の国家の近現代史を俯瞰して、世界共通の国家課題への対処方法を心理療法の手法を使って分析したうち、ドイツ、オーストラリアを扱い、最後は「進行中の危機」と称して日本とアメリカに焦点を当てつつ、世界全体を対象に危機の対処方法を提示した著作。
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図書館で上下巻を予約し、下巻から先に読む事になった。
フィンランド、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリア、日本、アメリカの7カ国を例に挙げて国家の危機をどのように乗り越え、どのような問題や課題があるのかを解説している。
日本についての残された課題にはうなずけるものがある。日本の政治家に限らないかもしれないが、リーダーとなる政治家は間違いなく世襲的な者が多く(よく有権者が受け入れていると思う)、前代までの施策を簡単に否定するような事はしまい。また、民衆は、自国(自分)が否定されれば、そのまま(熟慮なしに)、反抗的な態度を選択するだろう。
筆者は国の指導者の姿勢について言及しているが、本書には民主主義の主体である民衆に対してのメッセージがふんだんに盛り込まれていると理解したい。
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ジャレドダイアモンド氏の他の著書に比べてインパクトが薄い気がした。ドイツ、オーストリア、日本、アメリカの危機とそれの対処法が書かれていた。強制収容所、ヒトラー、ウィルヘルム2世、日本の教育、国債、少子高齢化、移民の受け入れ、キューバ危機、気候変動、風土病。最近のコロナウイルスも想定に入っているところは凄いと感じた。
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2020年15冊目
下巻では、ドイツ、オーストラリア、現代の日本、アメリカを扱う。
上巻にも登場した戦前から戦後の日本に続いて、現代の日本について扱う。少子高齢化や資源の獲得について著書は人口が減ることで、日本は必要以上の資源獲得に走ることなく、改善していくと考える。但し、戦争への認識については改める必要があるとか。
歴史は何が正しくて何が間違っているかはその時点ではわからないけれど、ひとつ言えることは強者が歴史を作ってきたことは事実の様な気がしました。
オーストラリアはイギリスとの関係から、アジアやアメリカとの関係に重点を置く。
ドイツは戦後は隣国との関係改善に力を注ぎ、ドイツ統一を果たした。
アメリカは世界一の経済力や軍事力で唯一、壊滅的な危機に瀕することはなかったが、他国を参考にしないとあった。経済面や戦争でも日本を十分に研究していたこともあり、これは当てはまらないのではと思ったり。
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今この時点で読むと、もっと即物的に答えがほしいよ〜と思ってしまうが。部分的には、フムフムなるほどと思うけれど、自分の体験に引き寄せ過ぎではと思うとところも。要因12はやっぱり多いよ。散漫になる。
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バウアーは裁判や公の場で、繰り返しつぎのように述べた。ドイツ人が犯した人道に対する罪を自分は追及している。ナチス国家の法律は違法であった。そのような法律に従っていたことは行動の言い訳にはならない。人道に対する罪を正当化できる法律など存在しない。善悪の判断基準は一人ひとりが持つべきであり、政府に左右されるものではない。これにもとづいて判断すれば、アウシュヴィッツの強制収容所などバウアーが殺戮機械と呼んだものに関与していた人はだれであれ有罪である。(p.25)
ドイツは四方八方から近隣諸国に取り囲まれている。この地理的条件こそ、ドイツの歴史においてもっとも重要な要素だったのではないかと私は思う。もちろん、利点もあったのだろう。ドイツが交易、技術、音楽、文化の交差路となったのは、この地理的条件のおかげである。(中略)だが、この地理的位置ゆえにドイツが政治的および軍事的に被った不利益は、途方もなく大きい。(中略)統一を果たしたドイツにとって軍事上、最大の悪夢は西の隣国(フランス)と東の隣国(ロシア)両方と同時に戦う二正面戦争だった。この悪夢は現実のものとなり、両世界大戦でドイツは敗北した。(p.45)
ドイツにおいて、優れた政治家の外交政策を貫く哲学は、ビスマルクの簡潔な言葉に集約されている。「神が世界史のどこを歩んでいるか、そしてどこに向かっているかをつねに見極めよ。そして、神の衣のすそに飛びつき、できる限り遠くまで振り落とされぬようにせよ」。1989年から90年にかけてのヘルムート・コール首相の戦略は、まさにこれに尽きる。1969年から74年にかけてのヴィリー・ブラントの取り組みの後、その時期に、東ドイツとソ連における政治情勢の変化が、ついにドイツ再統一の機会をもたらしたのだ。(p.46)
オーストラリアの場合、「われわれは何者か?」というテーマの議論は、アイデンティティそのものだけでなく、アイデンティティを象徴するあらゆるものにおよんできた。通貨はイギリスと同じく十進法ではないポンドのままで行くのか、オーストラリアらしくルー(「カンガルー」の略)などの名称にすべきか?(結局、ポンドをやめて十進法を採用し、アメリカと同じ、すなわち国際的に通用する名所杖あるドルを用いることになった)(p.101)
民主主義に備わっているもうひとつの基本的な利点は、自分の意見が聞き届けられ、議論されることを国民が知っているということだ。たとえ今すぐに意見が採用されなくても、未来の選挙にはチャンスがあることを国民は知っている。民主主義がなければ国民は不満を抱え込み、自分たちに残された手段は暴力しかないという結論にいたるしかなく、政府の転覆を試みようとさえする可能性がある。平和的に意見を表明する方法があるとわかっていれば、国民が暴動を起こすリスクは低減される。(p.159)
アメリカ人の平均的な携帯電話ユーザーは平均4分おきに電話をチェックし、1日あたり6時間は携帯電話またはコンピュータのスクリーンを永目、1日あたり10時間以上(つまり起きている時間のほとんど)は電子機器を使用している。その結果、アメリカ人の多くはもはや、相手の表情や空の動きを見、声を聞い��、その人を理解するという経験をしなくなっている。その代わり、主にスクリーン上のデジタルなメッセージを通してお互いを知る。(p.179)
最近のアメリカ史を振り返れば、西欧やカナダのモデルを学ぶために、明治日本の岩倉市切断のようなものをアメリカ政府が送った例はほとんどない。その理由は、アメリカの方法は西欧やカナダの方法より優れているし、アメリカは非常に特別なケースなので西欧やカナダの解決策は何の参考にもならないとアメリカ人が確信しているためだ。こうした否定的な態度は、多くの個人役にが危機解決に有益だと見出した選択肢、つまり、他者が同様の危機をすでに解決した方法を手法として学ぶという選択肢をアメリカ人から奪っている。(p.212)
グローバル化(pp.252-253):
1、 貧困国から浮遊国への新しい病気の拡散
2、 貧困国の多くの人々が、世界の他の地域で営まれている快適なライフスタイルを知り、不満と怒りをつのらせている。
3、 程消費生活を送ってきた人々が高消費のライフスタイルを求めるようになること。
フィンランドの外交政策は今でもロシアと接する長い陸の国境に左右されている。ドイツの外交政策は今でも陸の国境を接する9つの隣国とバルト海や北海を挟んだ8つの隣国に左右されている。チリの砂漠と高い山脈は独立以来2世紀にわたり侵略されたことのない同国を今も守っている。アメリカはミサイル攻撃を受ける可能性はあるものの、今も侵略や占領が法外に難しい国であるし、オーストラリアも同じくらい難しいだろう。端的にいえば、「わが国の地理はけっして変化しない」というフィンランドの標語は、今もあらゆる国にあてはまる。(p.292)
それでも本が必要だ。なぜならそうした「あたりまえ」に必要なことがあまりにもしばしば無視され、今日でもいまだに無視されていることは否定しようがないからだ。過去はメロス人の男性全員、パラグアイ人数十万人、日本人数百万人が「あたりまえ」なことを無視して命を落とした。現在、「あたりまえ」なことを無視してみずからの幸福を危険にさらしている人々のなかには私の同胞であるアメリカ人数億人が含まれる。(p.312)