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「三島由紀夫」とはなにものだったのか(新潮文庫)
著者 橋本治
“同性愛”を書いた作家ではなく、“同性愛”を書かなかった作家。恋ではなく、「恋の不可能」にしか欲望を機能させることが出来ない人――。諸作品の驚嘆すべき精緻な読み込みから浮...
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「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)
商品説明
“同性愛”を書いた作家ではなく、“同性愛”を書かなかった作家。恋ではなく、「恋の不可能」にしか欲望を機能させることが出来ない人――。諸作品の驚嘆すべき精緻な読み込みから浮かび上がる、天才作家への新しい視点。「私の中で、三島由紀夫はとうの昔に終わっている」と語って憚らない著者が、「それなのになぜ、私は三島が気になるのか?」と自問を重ね綴る。小林秀雄賞受賞作。
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紙の本
三島由紀夫のわかりにくさに初めて答えてくれた
2016/04/17 10:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
三島由紀夫は、わかりにくい作家である。三島の作品はたくさん読んだが、いつもなにか不可解なものを残す。わからなければ読まなければいいのだが無視できない何かがあるような気がいつもしていた。三島に関するものもたくさん読んだが、いつも何かが違う、私の知りたい何かに答えてくれないと感じていた。この本は初めて私の知りたい何か、三島由紀夫のわかりにくさに答えてくれたような気がする。もちろん「完全に」ではないが。
紙の本
異色の三島論
2004/10/17 11:18
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
橋本治の友人が、三島家にあったアポロ像があまりに「チャチ」なものであったことに驚いた、というエピソードで本書は始まる。この友人は、三島の「チャチ」な部分にショックを受けるわけだが、そのことに橋本はショックを受けたりしない。ただ「ふーん」と思うだけだという。三島由紀夫が生きていた時代は「へんな時代」だった。そして、三島由紀夫もまた「へんな人」であったことは「間違いのない事実」であると橋本は言う。いかにも橋本治らしい視点で、本書への期待が高まる。
橋本は自決事件には関心がないと述べる。三島論では必ず考察されることになるこの事件の解読に向かわない。橋本が取り組むのは、『豊饒の海』の読解である。なぜなら、橋本にとって、「三島由紀夫は、「こういうものを書くと死ななければならない作家」であるからだ。思わず笑ってしまうような言い方だが、橋本はこのことをひたすら論証していくのだ。橋本は『豊饒の海』を読み進めながら、「三島由紀夫が死ななければならない理由」を論じていく。これは従来の三島論とは正反対の異色の三島論である。
本論でも橋本らしさは発揮される。たとえば「同性愛を書かない作家」という章がある。「三島=同性愛」という構図で三島作品を読み解くのは、三島論ではありきたりなだけに、この「同性愛を書かない作家」ということを論じるのは興味深い。また、三島にとって重要なのは「意志」であるということから、三島独特の「意志という恋愛」を論じている。「意志という恋愛」から出てくるのは、「不可能な恋」というものだ。三島は「不可能な恋」を書いたという指摘は面白い。
とはいうものの、本書における橋本の語り方には少し疑問を感じた。本論の進め方や議論の内容がかなり複雑に入り組んでおり、一読しただけではなかなか橋本の言いたいことが理解できないのだ。論じる方法や視点の斬新さという魅力があるにも関わらず、理解しにくい本文というのは少しもったいない。三島が持っている複雑さを、さらに複雑にして論じているような印象を受けた。どうしてストレートに論じないで、くねくねと核心を回避するかのように論じるのか。それが橋本治の思考方法なのかもしれない。橋本の他の本では、たしかにこの思考方法がうまくいく。しかし、この三島論では逆効果だったのではないか? 私にはその点が非常に悔やまれるのだ。
しかし、だからこそ、この本は貴重なものかもしれない。橋本治の視点を受け継いで、それを発展させることができる余地がまだあるのではないか。あとがきのなかで、橋本もこの本は「終わらせるため」ではなく、「始めるための本」(p.380)だったと述べている。これは重要なことだろう。三島論においては、まだまだやるべきことや考えることがたくさん残っているということを意味する。したがって、この本を出発点として、もう一度三島作品を読み直すことが必要となるだろう。このように、本書は三島由紀夫作品の新たな面を提示し三島再考へと私たちを誘う、重要な論であることは間違いない。
紙の本
三島由紀夫を巡る評論
2002/03/05 21:34
3人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初に発表された時の表題はたしか《そして、「三島由紀夫」とはなにものだったのか》だったが、そして、をとったのだろう。前のほうでもよかった。カバー表紙は三島由紀夫を愛読しているものにとってはたまらないだろう。
だが、三島をめぐる評論はもう数多く出版されていて、それを超えるとは思えない。