紙の本
人種によるレッテルは科学的ではない
2020/04/18 21:23
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投稿者:せきた - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間はあまりにも認知を視覚に依存していて、肌の色や顔つきは判別しやすい。
しかし、人種や民族、国家での分類は「純粋種」が存在しない以上、科学的に証明できない。このため「黒人」の定義は困難。
また、「人種」の区分は対象となる人数が多すぎて、身体が大きい、足が長いなどの身体的な傾向はあったとしても、それ以上に個人差があり、トップ選手のパフォーマンスに有意な差が生まれるとは考えにくい。
日本人でも長距離走・短距離走で、壁となっている記録を一度突破したら次々と突破する選手が出てくることがある。かくの如き、パフォーマンスは歴史・文化・環境要因に左右されるということだろう。
紙の本
人種とスポーツ
2018/10/22 16:46
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投稿者:のきなみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまり口に出しては言えないけど自分でもうすうす心の中で思ってた事どんぴしゃな題名なので読んでみた。
まぁ確かに大谷君を見て日本人全員野球が上手い、と判断されても困るよなーと。
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検証されたことではないにも関わらず、まるで事実のことのように喧伝されていることは多い。血液型信仰なども良い例である。
安易に「黒人は速い」ということは、努力による可能性、個人の多様性、ならびに人種による適材という考え方につながるため、その危うさを 理解したいと思う。
元来、黒人はフィジカルおよびメンタルで劣るものとされてきた。むしろ、「黒人は速い」は近代のトレンドに過ぎない。
本来、スポーツは余暇を有意義に過ごすためのものであり、白人のものであった。その白人のものであったスポーツがプロスポーツ化した結果、職業として捉えられ、多種多様な人種に開かれた。それにより、スポーツで活躍する黒人が増え、白人の持つ優位性が失われた。「黒人は速い」は白人にとって、個人の努力ではなく、備え付けられたものであり、白人の持つ努力を無効化するほどであるという論理的な帰結に至ったと推測できる。
「黒人は速い」は文化的なものを考慮する必要がある。同じ黒人であっても、キューバの短距離は速くないし、ジャマイカの野球はそれほど強く無い。なぜ速いのかは文化的なものを検証する必要がある。マラソンに限っていえば常態として走る民族を発見したことの意義は大きいと思われる。
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「黒人の身体能力は生まれつき優れている」というステレオタイプを真っ向否定から入っている所が良い。歴史的観点からそのステレオタイプを崩した。どのようにして今のステレオタイプが作られたのか?その生みの親まで遡っている。筋肉だけでは無かった!
それにしてもスポーツの面からも語られているポール・ロブソンの凄さに改めて気づかされた。
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川島浩平『人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか』中公新書、読了。黒人は他の人種に比べ本当に身体能力が強いのか。人種とスポーツの歴史を追跡し、科学的知見を交えながら、能力の先天性の問題、そして、そのイデオロギー性を暴露する一冊。私自身「そう思っていたから」目から鱗。
「僕は身体がかたくって、スポーツが苦手だ。まわりから『それでも黒人(ブラック)か』って言われてきたが、僕だって黒人(ブラック)だ」。川島浩平『人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか』中公新書、2012年、244頁。筆者とブラウン大・大学院で親しくなった友の愚癡。
しかし、ホント、「種」なるものへの還元主義は「わかりやすい」けれどもインチキな域を出ないんだなーとは思う次第。ふり返れば、19世紀の人類学やナチの優生学は「黒人は劣等種」という太鼓判。「種」のなかにも多様性があるし、記録をはじきだす動員システムも並行して存在するってだけですよね。
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黒人は柔らかな体を持ち、身体能力が高いという印象を持ってしまうが、それはアメリカという国で黒人が活躍できる場が限られていたことに起因する。実際にはそんなことは決してないということがよくわかる1冊である。
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この30年、夏季オリンピック陸上男子100m決勝でスタートラインに
立ったの56人は、すべて黒人選手だという。
「黒人は身体能力に優れている」という通説は本当なのかを探った
のが本書である。
主にアメリカでのスポーツの発展を軸に語られているのだが、奴隷
制下のアメリカでは今とは違い「黒人は身体的にも劣っている」と
見られていた。
それがさまざまな分野へ黒人が進出するにつれて、スポーツでの黒人の
活躍が注目を浴びるようになる。
だが、すべてのスポーツで黒人が優れている訳でもない。本書の話から
ははずれるが、私の大好きなウィンター・スポーツでは圧倒的に黒人
選手が少ないのだ。
すぐに思い出せる黒人選手と言えば、スルヤ・ボナリーという女子フィ
ギュア・スケートの選手だ。フランス代表として日本で開催された
長野オリンピックにも参加した。
フリーの演技で見せたバックフリップ(後方宙返り)には驚かされた。
競技でやっちゃいけないんだけどね。
もし、巷間言われているように、黒人の運動能力がほかの人種より
優れているのであれば、種目を問わずに黒人選手が占める割合が
多くてもおかしくないんじゃないかな。
でも、現実には限られた種目で目立っているだけなんだよね。
マラソンなどの長距離はアフリカ勢が強いと言われるが、それも一部の
地域に限る。なので、人種云々というより環境要因が大部分を占める
のだろう。
「黒人は身体能力に優れている」。これもまた、一種の偏見なのかも
しれないね。
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主にアメリカのスポーツ界における黒人の扱いについて、詳しくよくまとめられている。黒人を見る目や、或いは当の黒人たちの意識が、歴史的な潮流のなかでどう移ろってきたか、リアルな感覚と共に知ることができる。
結論がややぼやけてしまっているのが残念と言えば残念だけど、要するにそういうぼんやりした結論になってしまうのは必至であるというのは分かるので、それはそれでいいのかな笑
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黒人スポーツ選手が受けてきた差別と、やがて黒人の身体能力神話が人口に膾炙するまで
正直言って、遺伝や環境要因などの研究の知見が足りなくて著者の論旨の組み立てはいまいち弱いのだけれど、それでも勘違いしてる人たちの多さを考えれば読んで欲しい本です
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読み終わってモヤモヤが残る本。一般に言われる「黒人の身体能力は高い」と言われる「黒人」の定義が曖昧すぎるという話には納得。そして我々は歴史的、文化的背景や環境を考慮していないという点も納得。ただ読み終わった後にこういうことじゃないんじゃないか?という思いは抜けない
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「黒人は柔らかな体を持ち、身体能力が高い」という固定観念について、検証した本。
個人的には、“なぜ黒人の身体能力は高いと考えられるようになったのか”という点が興味深かった。
奴隷制度、人種差別政策といった「アメリカ黒人の特有の歴史」、それに起因する「特有の職業にしか就けない」「他の職業からの排除」といったことが、根底にあると思った。
ある黒人アスリートの言葉から考えると、この固定観念は、奴隷制度、人種差別政策といった「アメリカ黒人の特有の歴史」、それに起因する「特有の職業にしか就けない」「他の職業からの排除」といったことが、根底にあると思った。 黒人が特殊な能力を持っているのではなく、“なぜ黒人の身体能力は高いと考えられるようになったのか”が大きな問題でもあると思った。 冬のスポーツで黒人の選手が活躍するようになったら、この固定観念がどうなるのかという疑問も新たに持った。
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黒人の身体能力は優れている。先ずこの言説が生まれた歴史を細かく時代背景と共に紐解く。スポーツが発展した頃、黒人は差別され機会を与えられなかった。徐々に人種統合が進みスポーツでも黒人の参加が増えた時、白人は黒人の優れた成績は生まれつきの性質による所が大きく努力の結果ではないとした、同時に黒人はその生まれつき、に誇りを持ち両者の意思が揃った。また陸上で活躍するのは黒人選手というのは事実だが、ケニアの選手を分析すると、ある特定地域のみに優秀な選手が多い事がわかった。ケニアの他地域は黒人だからといって何も特別ではないという。などなどステレオタイプな認識を丁寧に覆す理論を重ねる。100%論破しきってはないが、何事も認識を見直すきっかけを与えてくれる。
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昨今の陸上競技では黒人選手が上位を独占する。これは『黒人は生まれつき身体能力が高い』という原因から生じた結果であるのか。本書はそんな一般人がなんとなく信じている理由なき因果関係を、米国の黒人のスポーツと社会の歴史から考察する一冊。南北戦争、人種分類主義体制、WW?。差別と偏見の米国の歴史の中で、如何にして黒人選手が居場所を奪われ、取り返し、その結果として環境要因が無視され、印象のみで語られてきたのか。その経緯と詳細が選手個人の歴史とともに語られ、自分もまた、印象で思い込むステレオタイプの一員であったことが思い知らされる。
ただしただし。本書を語る上で重要な点として、『科学』が皆無であることを忘れてはならない。社会学と歴史学から『スポーツの優劣は環境要因が大きい』ということには納得がいくが、『結局のところ身体能力に差はあるのか』に対する答えはない。遺伝的、身体生理学的にどうなのか、科学的なアプローチに対する言及が全くないのは、どう考えても片手落ちだろう。筆者が語る『人種を分類するのは難しい』という言葉も、分類学と統計学を軽視する逃げの論に思えてならない。
『黒人は本当に「速く」「強い」のか。』副題の疑問の解決には、本書だけでは足りない。
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黒人の身体能力は高い……。疑うことなく使っていたこのフレーズと意識を、歴史的、文化的側面から丁寧に解きほぐす。「黒人」とは恣意的な分類でしかなく、また、その出自であるアフリカにおいても多様であること。「人種」に対するイメージの形成を自覚させられる一冊だった。
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black lives matterが世界中で問題になって以降、人種問題についての本をぼちぼち手に取るようになったが、この本はスポーツという切り口から歴史的な人種問題を取り扱っていたので非常に新鮮で興味深い考察が多かった。
時代によって黒人は白人よりも運動神経が悪いと見なされていたり、現代のようにあるスポーツで黒人が活躍すると、黒人は運動能力が優れているという偏見が先行し、実際はどうなのかが盲点になってしまう。このような人種が絡んだ論点には歴史的要因がどうしても絡んでしまうのがよくわかった。
科学的に(遺伝子的に)黒人は運動能力に長けているのかが結局曖昧だったので、そこが一番気になる。あと黒人、白人だけでなく、アジア系のルーツを持つ人はどうなのかも気になるところ(俗に日本人は体格が小さいからスポーツでは成功しにくいとよく言われるように)