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投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作中に出てくる“谷崎さん”は柴崎さん自身がモデルなんだろうな。
柴崎作品に共通するのは、
語り部がひたすら“見て”いること。
見る風景の中で恋愛模様が多かったのかもしれない。
今回は新たに、見られる、という視線を取り入れて。
見る、見られる、の関係が崩れるとき、
あらたな隙間が生まれてくる。
紙の本
これは今までにない趣向の柴崎友香の小説だ
2022/03/01 21:29
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初は、恋愛小説家という肩書をすてるため怪談小説を書こうとするが、書けない小説家という私小説かと思った。まあ、ほんの最初だけだけど。これは今までにない趣向の柴崎友香の小説だ。ただ、柴崎テイストともいうべき味わいは十分残している。文庫版では、追加の章があるのでお得だ。
紙の本
好みが分かれるというか、読む人を選ぶというか
2020/07/27 11:42
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投稿者:たけとり - この投稿者のレビュー一覧を見る
良くいえば不思議、正直にいえばつまらない。怪異を見るということは怪異にも見られている…というメタ小説ぽい作り。その辺り、巻末の解説がわかりやすく本作の作風や内容を解説していると思う。タイトルや帯、あらすじを見て期待した内容ではなかった。まぁ嘘は言ってはいないのだけれども…w
結局鈴木さんは何だったのか、怪奇の謎はほぼ明かされないのは別に良いのだけれど、「日常が歪む」とあっても全然怖くないし、そこまで歪んだように感じられないのがねぇ…。その中途半端さに、悪い意味で「恋愛もの」っぽい雰囲気を感じてしまう。
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+++
読みかけていた本が、―ない。思い出さないほうがいい記憶が―よみがえる。別の世界との隙間に入り込んでしまったような。見慣れた風景の中にそっと現れる奇妙なものたち、残された気配。怖い日常。芥川賞作家が「誰かが不在の場所」を見つめつつ、怖いものを詰め込んだ怪談集。
+++
恋愛小説家というレッテルを張られるのが嫌で、怪談小説家に転向しようとしている谷崎友希は、中学の同級生だったたまみに、怖い話を知っている人を紹介してもらって話を聞いたり、町中で聞き耳を立てたりしながら、怪談のネタを探していた。友希自身は、いわゆる視える人ではないと思っているのだが、何となく不思議な感覚にとらわれることが多くなっているような気がしている。たまみの思わせぶりな言葉も気になるところである。怪談というよりは、日常の隙間に現れる不思議な事象、という感じではあるが、いつのまにかそちら側にするりと入り込んでいる感じに背筋が寒くなる。淡々と穏やかに語られながら、実は恐ろしいことが語られているような気がする一冊だった。
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あやかし物かと思ったら、怪談集だった。作家が怪談を集めている設定なのに実はこの作家も奇妙な世界に生きてるという…。鏡に自分の後ろ姿が見えるって地味に怖い。
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【収録作品】〇 窓/マイナス一/一 鈴木さん/二 台所の窓/三 まるい生物/四 文庫本/五 雪の朝/六 蜘蛛/七 雪の夜/八 電話/九 二階の部屋/一〇 ホテル/一一 古戦場/一二 足音/一三 桜と宴/一四 光/一五 茶筒/一六 ファミリーレストラン/一七 三叉路/一八 山道/一九 影踏み/二〇 地図/二一 観光/二二 喫茶店/二三 幽霊マンション/二四 夢/二五 宮竹さん/二六 写真
日常と隣り合わせの「異世界」が、ふっと顔を見せる感じが描かれている。怖いのだけれども、フラットな書き方なので、語り手と一緒に茫洋とたゆたう感じになる。ある書評に「バーチャル町歩き小説としても出色」とあり、そう言われればそうかもしれない。梨木香歩さんを思い出した。
単行本で読む。
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恋愛小説家から怪談作家に転身した主人公の周りで起こる不思議な出来事や知人からの階段話を連作短編で
綴っている作品!
それぞれの話にすごく怖い話とかインパクトは無いけど、
世にも奇妙な物語みたいな、ちょっと不思議な話でサクサク読めるので良かったです
次回作も期待です
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柴崎友香さんの文章が怪談に合っていたとは! というおどろきがありました。
『かわうそ~』は発売されたときから気になっていましたが、どうしても怖い話が苦手で読めていませんでした。
よく云われる「結局は生きている人間がいちばん怖いんだよね」的な怪談ではなく、背景にずっと得体の知れない怖さが流れているような読み心地です。
この得体の知れなさは主人公の記憶の問題と関わってくるもので、最後はその出来事と対峙していちおう解決もします。
怪談とはいえ、全体の雰囲気や設定にシリアスさはないです。たとえば主人公が恋愛小説家から怪談作家に転向しようと思ったきっかけや出逢う登場人物たちもとくべつ「霊感があります」的なこともなくて、だからこそふいに差し込まれる「見られる」感じにぞっとしました。
わたしたち生きている人間が、怖いものを見て怖い、となるのが怖い話の怖い部分で、筆力を試される部分だと思うのですが、この作品の場合は「あちら側のひとたち」が主人公を見て、どうしてあなたがここにいるのかと怖がる・ぎょっとする、という怖い話に馴染みがないもので、その発想の新鮮さにも感動しました。
鏡やテレビといった定番(という偏見かもしれません)アイテムが出てくることにも説得力がありました。
怖かったけど、面白かった、そして柴崎友香さんの文章の魅力が存分に発揮されている一冊です。
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怪談を書こうとする作家の主人公が、怪談を集めながら日常が侵食されていく、ゾクゾクする感じがたまらない。
短いエピソードの連続で話が進んでいく形式だが、最初の「鈴木さん」の気味悪さが際立って好き。
なかなかの終盤に判明する主人公の名前と、作者の先生のお名前にある関係性に気づいたとき、この本自体が怪談になる感覚が奇妙で不思議な読後感だった。
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幻想小説は好きだが、怪談には手を出さずにきた(たとえば平山夢明の小説は好きだが、彼の実話怪談ものには手を出していない)。
そうして読んだ本作。
筆のすさびに怪談専門誌「冥 Mei」に書いたんだろうなと少し侮っていたが、いやいや、怖い怖いマジで。
ただしおそらく実話怪談的な怖さではない。
柴崎友香がずっと書き続けてきた、記憶の不思議さ、忘却と抑圧、目の前にいない人が気になるとはどういうことか、といった事柄が、すべていちいち怪談と親和性が高いのだろう。
というか認知の曖昧さと記憶の不確かさはそのまま怪談。
語り手の体験を細切れに書くが、その感覚した事柄ひとつひとつが、認知や記憶のフィルターを通すと、もう怪談にしか見えない。ここが実話怪談との違い。
そのわかりやすい例が、入眠時幻覚すれすれの恐怖体験だ。
もはやこの作品が書かれてしまった以上、柴崎友香の過去の作品未来の作品すべてが怪談に転じ得る。
語り手≒視点人物の世界認識と文体は関連しているが、やはり柴崎友香文体が怖いのであって(奇想の藤野可織や松田青子とは路線がちょい違う。記憶や人称という点では似ているのは滝口悠生や奥泉光か)、きっとこの流れで実話怪談に手を出しても怖がれるわけではなかろう。
そういう意味では筆のすさびでは全然ない、極めて構築的な小説を読んだわけだ。
終盤に明かされるのは、柴崎友香なりのミステリでもあるし、文体の伽藍こそが怖さを生み出すのだ、とも言える。
柴崎友香の「語り手のやばさ」はなかなか言語化しづらいのだけれど、この作品はその極北。
連想。黒沢清「回路」。というか全作品。曖昧さという点で、世界の見方や感じ方が似ているのではないだろうか。
また、テレビとマンションの一室という点では、村上春樹「アフターダーク」、その流れでデヴィッド・リンチも、具体的に言えないが「テレビ的」。
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最後の話について。
「なにか空白があるというか、そこにないもの、見えないものの気配を感じてしまいます。ほんとうは知っているはずなのに、気づかないふりをしているような、気になるところがあるんです。」
それだなぁと思った。柴崎友香作品の凄みってたぶんそういうところやし、ワタシが好きなほかの作家の作品も好きなのはそういうところやなって。
好きやから全部知りたいけど、全部書いてあったらつまんない。想像したい。読むだけじゃ足りない。そういうのが楽しい。大好き、ということを思ったりした。
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怪談なのか、単なる綺談なのか、よくわからない。
薄気味悪さがもっとあるとよかったんだけど。
小説家の妄想談としか、感じられなかった。
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不思議なタイトルに惹かれた。
恋愛小説家という肩書きに違和感を覚えた「わたし」が、怪談を書こうと思い立ち、東京を離れて「かわうそ堀」という名前の街に引っ越してくるところから、この小説は始まる。
だから、「かわうそ堀怪談見習い」。
「わたし」は怪談を書くために中学の同級生に取材を始めるが、それから奇妙な出来事に遭遇するようになる。
ゼロ「窓」から始まり、マイナス一「怪談」を経て二七の「鏡の中」まで、29の断章からなる。
小説全体を貫くのは「わたし」の記憶にまつわる謎で、やがてその謎は深まり、ほぐされていく。その過程で、断章のひとつひとつが、派手さはないけど不穏な手触りを「わたし」と読者に残していく。
「わたし」は自らのことを「感情が上がったり下がったりすることが、基本的に苦手だ」というふうに説明する。
そんな性格のためか、奇妙な出来事に遭遇しても、「わたし」はどこか淡々としているように見える。出来事を確かに認知はしているはずだけど、その恐怖に対する姿勢、というか構え方というものが、読者の想像しているものとどこか違っている気がしてくる。
たとえばホラー映画であれば、怪異に遭遇する視点人物はだいたい悲鳴を上げる。そうでなくとも恐れおののく。その時観客は、視点人物と同じように悲鳴を上げながらも、同時にどこかで安心しているところがあるのではないか。自分と同じように怖がってくれる人物がいる。しかもその人物は、スクリーンのこちら側ではなく向こう側、つまり怪異と同じ位相にいる。その人物が怪異のすぐそばで悲鳴を上げてくれるから、スクリーンのこちら側にいる自分は、その人物の後から悲鳴を上げればよい。言うなれば、怪異と自分のあいだに少しの隙間ができる。
ところがこの小説では、視点人物にあたる「わたし」は、怪異と同じ位相にいるはずなのに、悲鳴を上げない。怪異と読者とのあいだに、隙間を作ってはくれない。だからこの小説の怪異は、ページのこちら側にいる読者に向かって手を伸ばし、そっと、しかし直接、肌に触れてくるのだ。
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『私は幽霊を見たことがあります』。
(*˙ᵕ˙*)え?
この世には不思議な事ごとがたくさんあります。そして、人は理屈で説明できないことに恐怖もします。しかし、科学技術の進歩によって、かつて不思議とされてきた事ごとも、その多くが科学的に納得できる説明がなされるようになってきました。このペースが続くと、やがてこの世のあらゆることは科学の力で説明できる、この世から不思議という言葉は無くなってしまう、そんな未来もやがて訪れるのかもしれません。
ただ、それはまだまだ遠い未来のことだとも思います。少なくとも私たちが生きているこの世界は、不思議な事ごとに満ち溢れています。例えば、『お湯が沸いたので、台所でコーヒーを淹れていると、背後でぱちん、と音が鳴った』とします。『振り返ると、テレビが消えてい』ます。『ブレーカーかな』と思うも『エアコンは暖かい風を噴き出してい』ます。見回しても『いつもと、変わりな』い台所。ただ、その窓が少しだけ開いているのに気づいたあなた。そんな間隙を見つめていると、『じわじわとそれが広がり始めま』した。
『そこに、…、窓に、…やっぱり、無理。…どうしても、自分の口で言うのが怖い』
人は口にすることで、否定したい目の前の恐怖が現実のものと確定してしまうのではないか、そんななんとも言いようのない感情を抱くことがあります。そう、私たちはそんな不思議な事ごとを、恐怖を感じる事ごとを、瞬間を、まだまだ身近に感じる時代に生きているのです。そして、そんな事ごとを他人に語る時、それは『怪談』という言葉の先に位置づけられていくのだと思います。
さて、ここに一人の小説家が『怪談』を書く様を描く物語があります。『恋愛小説家』と呼ばれる今の状況から転身を図ろうとしたその小説家。しかし、その小説家は、『怪談を書こうと決意したものの、わたしは幽霊は見えないし、そういう類いのできごとに遭遇したこともない』と気づきます。この作品は、そんな小説家が、『人魂を見たことがある』という友人の たまみに彼女が体験してきた『怖い』事ごとを訊く物語。『怖い、って、ほんとうのところ、なにが怖いんでしょうね』という『怖い』の正体に迫る物語。そしてそれは、『得体が知れないから怖いのか、それとも、その先に起こるなにかを、わたしたちはすでに知っていて、そこに近づいてはいけないって思うからでしょうか?』という問いの答えをあなたが目にする物語です。
キャー!怖いよー!読みたくないよー!(笑)
『今年の夏でも特に暑い日だった』という中、バスに乗っていたのは主人公の谷崎友希(たにざき ゆうき)。『交差点でバスが停止』した時、窓の外のたばこ屋の二階の窓にふと視線を移した友希は、そこで『なにかが動いた』のを感じます。『おばちゃん、という印象の人』が『わたしを、見ている』と感じる友希。そんな時、スマホがメールを受信します。『去年エッセイを書いた地域情報誌の編集者』からのそのメールに『来週の生島さんと鈴木さんとのイベントにはお邪魔する予定です…』という内容を見て、確かに『生島みなみさんと対談イベントを』予定しているものの『鈴木さんは、知らない。誰と間違えているのだろう』と思う友希。そんな中、バスが動き出し、再び窓を見るとカーテンが閉じられていました。そんな窓を『バスから見送った』と一旦思うも、『違う。わたしのほうが見送られている』と感じる友希。そんな友希は『「恋愛小説家」、と自分の顔写真の下に肩書きがあるのを見て、今のような小説を書くのはもうやめよう』と決意し、『別のジャンルの作家になろう』と思い『怪談を書くことにし』ました。そして、生島との対談を終えた友希は編集者から再びメールを受信します。『谷崎さんの遠くへ出かけなくても旅はできるというお話には膝を打』ったという内容には、『鈴木さんも、おもしろい方ですね』と、また『鈴木さん』という名前が記されています。当日の面々を思い出してもどうしても『鈴木さん』に思い当たらない友希。しかし、結局『鈴木さんて、どなたですか?』と『そのひと言を書きそびれたままお礼の返信を送』りました。そして、月末となり久しぶりに駅ビルの中にある洋服屋を訪れた友希は、『ご無沙汰してます』と店員に挨拶すると『わー、お久しぶりですぅ』と、友希のことを覚えてくれていました。『そろそろ来られるんじゃないかって思ってた』と続ける店員は『またこちらに戻ってらっしゃったって伺ってたので。鈴木さんから』と語ります。再び『鈴木さん』という名前の登場に困惑する友希…。『怪談を書く』ことを目指す小説家・谷崎友希が遭遇する『怪談』な物語が描かれていきます。
“行方不明になった読みかけの本、暗闇から見つめる蜘蛛、こっちに向かってきているはずなのにいっこうに近くならない真っ黒な人影、留守番電話に残された声”、”柴崎友香が、「誰かが不在の場所」を見つめつつ、怖いものを詰め込んだ怪談作品”と内容紹介に不気味にうたわれるこの作品。どこか薄ら寒さ漂う黒基調の表紙に「かわうそ堀怪談見習い」という白地の書名がさらに怖さを煽ります。そう、この作品は書名のとおり、『怪談』がまとめられた作品なのです。キャー!怖いよー!という叫び声と共にこのレビューを閉じようとしたあなた、ちょ、ちょっと待ってください。私はお化け屋敷に入ったことはありませんし、ホラー映画は予告さえ目をつぶる人間です。そんな私がご紹介する作品ということで、だ、大丈夫です。そこまでおどろおどろしい作品ではありません。どちらかと言うと、キーンと張り詰めた暗闇の空気感の中に夢中になって読み進めることのできる、そんな物語がここには詰まっています。血飛沫も、生首も、そしてうらめしやーも登場しませんのでご安心ください(笑)。しかし、この作品は紛れもない『怪談集』であることに違いはありません。なんと27もの章に細かく分かれて、さまざまな『怪談』があなたを恐怖のどん底に突き落とします。キャー!怖いよー!…しつこいって…すみません(笑)。
ということで、そんなこわーいお話の一部をご紹介しましょう。キャー!怖いよー!…あ、すみません、もう言いませんのでレビューを閉じないでください m(_ _)m
・〈蜘蛛〉: 高一の夏休みに祖母が一人暮らす』『瀬戸内海に面した小さな漁港の町』へと泊まりに出かけた たまみは『壁になにかが動いた』のを見て息を呑みます。『掌をいっぱいに広げたく��い』の全く同じ大きさの蜘蛛二匹を目にし『めっちゃでっかい蜘蛛』と祖母に言うも『なんっちゃ怖いことない』と返されます。二匹が並んで移動するのを見て『つがいなんや』と思う たまみ。何度も目撃する中、祖母がいるところで再び指摘すると新聞紙で『蜘蛛を叩』きます。『違う』と叫ぶも『これでええか』と動かなくなった蜘蛛を『ごみ箱に捨てた』祖母。それ以降、たまみは何度ももう一匹の蜘蛛に遭遇します。『蜘蛛が、いつもわたしを見張っている』と思う たまみ。
・〈幽霊マンション〉: 『数年前から空き家のまま放置されて』いる『海の底みたいに深い青色の、タイル張り。四階建ての細長い建物』というマンションのことが気になる友希は、不動産屋の娘で部屋の鍵を持つ たまみとこっそり訪れます。『所有者が行方不明』という『401』の部屋のドアを『一応、ノック』したあと鍵を開けた二人。『ドアノブをそっと押すと、湿っぽい空気が流れ出てき』ました。『その瞬間、耳のそばで声が聞こえた…小さくて、低い声』という中、顔を見合う二人は、『なんか、人が通ったような』と感じます。『中年の男の人。その感覚がぱっと体に飛び込んできた』という中、『古い木材のにおい』のする部屋へと入っていきます。
・〈鏡の中〉: 取材で『海に近い温泉町の旅館』へと出かけることになった友希は、『戦前にある小説家が宿泊し、その体験を日記に書い』たという旅館に宿泊します。『夜中にふと目が覚めると窓際に知らない女が座っていた』と記していた小説家。部屋に通され一人になった友希は、『部屋の隅に置かれた鏡台が気になりだし』ました。『緑色の麻の葉文様の布が掛けて』ある鏡台が気になり、思い切って布をめくります。『ごく普通の、鏡だった』と鏡面に映る自身の顔を見て安心した友希は、温泉に出かけ夕食を食べて旅路を楽しみます。そして、部屋へと戻った友希は、『なにか、変な感じがし』て振り返ります。『そこにあったのは、あの鏡台』。そして、そこには…。
抜き出しで書くには少し文字数不足という気がします。柴崎さんはそこにある場面を映像として読者の頭の中に鮮やかに浮かび上がらせるような記述を特徴とされる方です。上記では、文字数の関係でそれらがバッサリ切られてしまっているために雰囲気感が十分には伝わらないもどかしさを感じます。背筋が凍るというほどではないですが、真夜中の部屋で一人、キーンという空気の音を聞くようなそんな緊張感のある物語がここには綴られています。それは、柴崎さんらしく〈二階の部屋〉、〈古戦場〉、そして〈山道〉といった”場所”にこだわるものから、〈文庫本〉、〈茶筒〉、そして〈写真〉といった”モノ”にこだわるものまで非常に多彩です。文庫本240ページに27もの物語が詰め込まれている分、一つひとつの物語はあっという間に起承転結を迎えますが、雰囲気感は見事に『怪談』としてまとめられていると思います。個人的には後半の23章以降に怖さのレベルが一段上がったと感じました。血を見るような、ホラーっぽいおどろおどろしさではなく、身近な不思議の延長線上にある『怪談』がそこにある、そんな印象を受けました。芥川賞作家ならではの冷徹で透明感のある『怪談』。お化け屋敷なんて大嫌い!というあなたにもおすすめ���きる作品だと思いました。
そんなこの作品の主人公の名前は谷崎友希、作者の柴崎友香さんの名前を自然と思い起こさせもします。しかも友希は小説家です。これは、誰が読んでも柴崎さんご本人をモデルにされているのではないか?と思わざるをえない構成です。実際、読めば読むほど、これは柴崎さんのエッセイなのではないか?という思いにさえ満たされます。物語は、そんな主人公の友希が一つの決意をするところから始まります。
『「恋愛小説家」、と自分の顔写真の下に肩書きがあるのを見て、今のような小説を書くのはもうやめよう』。
そして、
『別のジャンルの作家になろう。別の棚に並べられる本を書こう。わたしは、怪談を書くことにした』。
しかし、
『怪談を書こうと決意したものの、わたしは幽霊は見えないし、そういう類いのできごとに遭遇したこともない』。
そんな自身の現実を見据え、『中学のとき、人魂を見たことがあると言っていた』同級生の たまみに取材を行っていく友希。しかし、この作品はそんな たまみが語ったことだけでなく、友希が遭遇する不思議な現象が数多く綴られてもいきます。そんな中には編集者も登場し、また取材旅行に赴くシーンなど、小説家の日常をさりげなく描写してもいきます。また、エッセイと裏表とも言える記述の数々も登場します。例えば、『書き物を仕事にしている人には、外で書くタイプの人がいる』と始まる文章には、『ファミレスやカフェを移動しながら』執筆する人が多いことを指摘されます。しかし、
『わたしは、校正のチェックならなんとかできるが、小説そのものは自分の部屋の自分の机でないと書けない。喫茶店では、つい周りの人の会話を聞いてしまうからだ』。
そんな風に書く谷崎友希=柴崎友香さん。どこまでが友希なのか、どこからが柴崎さんなのか、そんなことも思いながら読み進めることもできるこの作品は単なる『怪談』を超えた魅力を放っているように感じました。そして、そんな友希のことを編集者がこんな風に評する箇所があります。
『谷崎さんの書かれるものには、なにか空白があるというか、そこにないもの、見えないものの気配を感じてしまいます。ほんとうは知っているはずなのに、気づかないふりをしているような、気になるところがあるんです』。
う〜ん、これは凄いです。まさしく柴崎さんの作風を言い表しています。それを自らの作品中で編集者に言わせるという凝りよう。『怪談』と聞くと、おどろおどろしいものを想像してしまいがちですが、本当に怖いのは、人の勝手な想像の先にある世界とも言えます。『そこにないもの、見えないものの気配』、そんなものを感じる瞬間に背筋を凍らせる感覚が私たちを襲うこの作品。それは、あなたの想像力が試されているとも言えます。柴崎さんのこの作品では、そんな巧みな構成の中に『怪談』が、その先に見え隠れする異世界への扉が開かれているのだと思います。そんな作品の書名に『見習い』と謙遜を入れられる柴崎さん。なかなかに心地良い塩梅の『怪談』がここにはありました。
私たちは日常を生きる中で、何かしら怖い体験の記憶というものがあるように思います。この作品では、そんなさまざまな体験の数々が27もの物語の中に散りばめられていました。柴崎さんを思わせる主人公が、『怪談』を書くという決意の先に取材を進めていく様を見るこの作品。 『思い出さないほうがいい、なにかが』、という言葉にあるように、はっきり描かれないからこそ、怖さが際立つのを感じるこの作品。
日常に潜むちょっとした違和感の先にあるものを、見事な情景描写とともに、読者の頭の中にリアルに見せていく、病みつきになりそうな怖さを秘めた素晴らしい作品でした。
キャー!怖いよー!そして、また読みたいよー!(笑)
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断片的に綴られていく、ホラー 小説。
幽霊など見たことのない作者が怪談を書くために取材を始めるが、徐々に自分自身も奇妙な体験あるいは違和感を感じる。
作者本人は自分はそういうものと無縁と思っているが、友人からそれは嘘だと言われる。
実際に奇妙な体験をしてもそれを見ないようにしているかのような振る舞いが、いかにも現実感というか、肌感覚で恐怖を少しずつ、ひしひしと感じる。実際に見たら自分もそんな風に受け流そうとしそうだ。
穏やかな描写のようでいて、気がつくと怖さが心に侵食してくる、都市伝説系の怪談では得られない強風感覚のできる一冊。