道行きや

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何とも風変わりなエッセイ集だ．22編もある．落ち着きのない著者の失敗談が満載だが、動植物への関心が素晴らしい．聞いたことのない名前がどんどん出てくる．オオキンケイギクの話が面白かった．鴉の種類で、ハシブトとハシボソの区別があることを知った．よく見るので観察してみよう．ボーランドに赴任していた話も、視点が想定外で楽しめた．

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今までの作品と同様、リズム感のある文章に引き込まれてどんどん読み進めてしまう。内容的には、読んでいて疲れてくるものもあったが…

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　ドガは行かない。パピヨンは崖から飛び降りて海に泳ぎ出していく。崖の上からドガが見下ろしている。感傷的な音楽が流れるドガは立ち去る。海の上ではパピヨンが筏の上に仰向けになって、空に向かって、（死肉を食う鳥が上空を旋回しているのだろう）叫ぶ。
「Hey, you bastards !（ちくしょう）」
「I’m still here ! （わたしはまだ生きてるんだ）」（p.93）


　入国審査のピリピリする場から出て、市民や移民の行き来する区域に入った。一足歩くごとに浮世の汚れが身にしみ通り、身に馴染んだ。やがて階段があった。そこを降りれば、すっかり「外」である。（p.121）

　わたしの家にははめ殺しの大きな窓がある。観葉植物の鉢は、その窓のあたりに並べてある。春から夏、そこにはあまり日があたらない。ところが日があたらないというのは、人間であるわたしの考えで、室内の観葉植物にとっては、明るすぎ、熱すぎて、耐えがたいようで、サトイモ科もウコギ科もシダ植物もあっという間に葉やけを起こしてしまった。それで窓際にはトウダイグサ科を置いている。（p.126）

　地下鉄の大門駅に階段がある。
　浅草線の大門駅と大江戸線の大門駅は一つの構内にあり、改札を出て、地上に上がって数分歩けば、JRの浜松町駅、モノレールの浜松町駅に行き着く。
　改札を出て、「浜松町駅」という表示にしたがって歩いて、エスカレータ、エスカレータ、もう一つエスカレータ、あと一息で地上、というそのときに、エスカレータが途切れる。階段だけになる。階段がある。
　エレベータは実はある。しかし奥まったところにあるから、知る人ぞ知る。知らない人は気づかずに行き過ぎる。（pp.178-179）

　ときどきわたしの脇で、階段だけになることを知らずにそこにたどり着いた外国人が、立ち止まって、はるか向こうの空を見あげている。それから、観念したような表情で、息を吐くと、特大のスーツケースをむんずとつかんで、身体を反らせ、歯を食いしばり、顔をまっ赤にして、上へ、外へと運びあげていくのだった。（pp.179-180）

　初めて海辺に連れていったときの犬の目は忘れられない。目の前にある知らないものを、ほんの数秒ただ見つめていた。それから波の中に突進していった。犬は波の中で跳ねて遊んだ。筋肉や毛の一つ一つが楽しくてたまらないように動いた。（p.216）

　インターは、何かと何かをつなぐとい意味だ。インターステイトは、ステイト（州）をつなぐという意味だ。インターステイト５号線が、カリフォルニア州のうちの前から、オレゴン州、ワシントン州をつないでいった。その道を北上し、娘たちの住むオークランドに行き、バークリーに行き、橋を渡ってサンフランシスコに行き、同じ道を南下して帰った。路上でタンブルウィードが、道路脇のフェンス際に、まるで、まるで何だろう、今までいちども見たことの無い光景だった、命の無くなった骸が、フェンス際に吹き寄せられて、まるで満潮の波打ち際のように、吹き寄せられて、積み上がるそばから崩れはじめて、最も、動きも、存在も、いかにも過剰だった。過剰なのだった。過剰に吹き寄せられ、過剰に吹き溜まり、風が吹くと、風なら、絶え間なく吹きつ���けていたのだったが、次から次へと路上に転がり出ていって、車に轢き潰された。（p.221）

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・無理難題だったと思う。学生たちは悩んだ。しめきりは一か月後に設定したが、間に合ったものは数人しかいなかった。それでもかれらは書き続け、春学期が終わるという今頃になって、続々とクラスのほぼ半数の学生たちが書きあげてきた。ほんとにカフカみたいに仕立ててきたのがいる。ファンタジーがある。ミステリーがある。戦いがある。ホラーがある。どれにも必ず「自分の死」がついて回る。わたしみたいな世代で、周囲のものがどんどん死んでいく経験をしたならともかく、みんな若いからほとんど死に出会ってない。それでも死について必死で考えたようだ。
　中にこんな短編があった。高校生の主人公が実は死んでいて、周囲の人々は彼の死を知っていながら、最後の数日をいっしょに過ごすのである。主人公は死んでいるが、普通に学校に行き、家に帰れば母親が(息子は死んだとわかっていながら）夕食を作り、会話し、お風呂に入って、寝て、起きて、母親が(息子は死んだとわかっていながら）朝食を食べさせて学校に送り出した。母親の気持ちを丹念に描いた、そのぎこちなくてみずみずしい短編を、私は泣きながら読んだ。

・いつも話題になっていたのだ。
　死ぬときはどこだろうか、日本だろうか、ここだろうか。誰とも会えなくなるね。誰とも会えなくなるのは寂しいだろうかね。年取ったら感覚がナムして(麻痺して）感じなくなるのではないだろうか。
　いつも話題になっていたのだ。
　日本には日本食がある。安心な健康保険がある。日本語が通じる。そこらで気軽にしゃべれる。誰からも軽んじられない。でも自分の子どもたちは全身すみずみまでアメリカ人になって、アメリカにとどまる。
　子どもたちに会いたいよね。
　会いたいよ、いつでも会いたい。
　老人ホームに入って英語で世話されるのはしかたないけど、食べものがね。
　そうそう、ターキーサンドイッチなんか食べたくないよね。
　老い果てた自分。英語を忘れかけた自分。老いて英語を忘れかけた自分の前に置かれる、ぱっさぱさのターキーのサンドイッチ。
　そうそう、食べたくないよね。

・しかたがない。種も花粉も散らさぬように、そうっと袋をかぶせて、きつく口をしばり、生ゴミの日に出すしかない。生ゴミに、切り取られたばかりの、水差しに入れれば何日も咲きつづける花を・・・・・と考えると、その運命が哀れでたまらない。
　北アメリカの平原に生えていたときは満ち足りていたのである。
　生態系の中の役割もちゃんと果たし、風景の中に溶け込んでいたのである。
　それが遠く離れた日本に来てみれば、侵略者、獰猛で邪悪、殺し尽くさなければならぬと社会からみなされて、こんな扱いを受ける。
　あたら咲いて、人に憎まれる。

・大学で、今いる子は、川の水みたいに、次の瞬間にいなくなる。新しい子が次々に流れてくる。わたしは待っているのに、わたしの前を流れていく子は少ない。手をさしのべてやれる子はもっと少ない。その中から手を突き出して、わたしの手を握り返す子はさらに少ない。
　この間、男子学生が三人、熊本まで遊びに来て、河原の土手の上を犬を連れて散歩に出た。犬はわ��しを置いて家から離れることに抵抗し、後ろをふり返り、ふり返り、隙あれば戻ろうとし、ついに「せんせー、ホーボーが歩きません」と言って全員が戻ってきた。そのようすは、わたしの住む集合住宅のどの窓からも丸見えだったようで、数日して隣人の古老に聞かれたのだった。
「こないだ、はたちくらいの男の子がホーボーを連れて歩いていたが、あれはだれですか」

・三人とも背が高かった。ひょろりひょろりとしていたが、それなりにたくましくもあり、すっかり成熟した人間のように見えた。でも、身体の機能はまだ子どもじみて不安定だった。酒を飲んだら一人が真っ赤になって酔っぱらった。阿蘇の山道では一人が車に酔った。一人が風邪をひいて、もう一人がちょっと具合がわるいと言ってしばらく横になっていた。
　そういうのが、わたしにはいちいちおもしろくてたまらなかった。わたしの周囲のおとなたちは、もう、酔っぱらうほど飲まなくなっていたし、少しのことでは体調を崩さないようにもなっていた。くずすのは、死に向かうときに限られていた。

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いつも思うけど、伊藤さんは愛情が深い人なんだ。だから、自分の家族（飼っている犬含む）、友達、たった一回言葉を交わしただけのヨーコさん、悩み相談に悩みを寄せる見知らぬ人、さらには教え子の早稲田の学生（三百人を超える！）まで、真剣に考える。愛情があるから、苦しみもある。
学生なんて高校生と大して変わらない、自意識過剰で、経験と思いやりに乏しく、相手（特に有名な人、目上の人）を切って捨てるような言い方をすることがかっこいいと勘違いしている者も多いだろう。そんな奴らだからいちいち気にしてたら身が持たないと、普通の教員は割り切って接する。ゼミみたいに少人数で接する学生は別だが、私立大学の巨大な講義室で300人の学生に対して、そんなに真剣になる教員は本当に少ないと思う。
それだけ伊藤さんはいい先生なのだ。学生は本当に幸せだと思うけど、きっと気がつくのはずっと歳とってからだろうな。自分が若い人の世話をする立場になった時、ああ、先生は本当に体当たりで、未熟な自分たちに接してくれた、それは生易しいことじゃない、とわかる。

苦しむ伊藤さんは教務課に相談する。相手は辛抱強く話を聞いてくれるが、何も解決しない。大学のルールを繰り返すのみ。
それは、｢くずのは｣（もちろん、人間との間に子をなして、置いていかざるを得なかった狐を思い描いている）でも同じ。
アメリカ人の夫とは離婚したいが、子供とは別れたくない。しかしアメリカでは自分は言葉が不自由で、監護権を持てるほど収入もない。非正規、低収入である。子どもを日本に連れて帰りたいが、子どもはアメリカ人になっており、それも子どもにとって幸せとは言えない、というヨーコさんの苦しみを聞く。日本もハーグ条約を批准しているから、外務省に電話してきいてみる。伊藤さんは、ハーグ条約は、子どもの幸せためのものなのか、親の幸せのためなのかきいているのに、相手は｢監護権を持つ親の同意なしに外国へ連れ去ることを防止するための条約です」を繰り返す。
緒方貞子さんが、（クルド人問題が起きたとき）難民の定義に合わないから難民として保護することはできないと言われ、苦しむ人を助けるためにできた条約なのだから、定義の方を変えなさい、と指示した話を思い出した。何のための条約なのか。そこを考えずに運用することの愚かしさ。役所は平気でこういうことをする。

ポーランド時代からの友人、カリフォルニアで別れてそのまま亡くなってしまった友人、立田山の自然、犬の寂しさ、どれも胸に迫った。出会いは偶然の産物で、生きていくうちには、別れたり、それっきりになったりすることはよくある。でも、それらの人やものが自分の一部となっていることに気づくと、喪失感と折り合いながら生きていくのは、犬でも人間でも切ないものだ。

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父と夫を見送り、カルフォルニアから故郷の熊本に拠点を移したんね。
で、早稲田大の教授の仕事の時は上京してという生活。
私も著者の授業なら受けてみたいな。
よく間違えられると言ってたオノ・ヨーコ、うーんわかる。
髪型かな。
後半に出てきた早稲田の学生4人の熊本旅行。
夏のいい経験になっただろうな。

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一番好きだったのは「四足の靴」
いい先生だなぁと思ったし、男子学生を伊藤さんの目とペンを通して見るわけだけど、なんかとてもいい感じだった。
伊藤比呂美さんの講義に文句つける学生がいるとか信じられない。学生の時ってわからないんだ。その先生がどんなにエライ人なのかって。そうだった、自分も。わからない人に批評させるって、おかしいだろう。そういう大学のシステムが古い私には理解できない。学生が教授を評するって何？って思ってしまう。

ずっと著作を通して、後を追って来た私としては、ずっとずっとたくさんたくさん書き続けてほしい。先の道を照らしてほしい。

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熊本の自然や植物たち
愛犬たちとの生活
と書くと　いかにも
枯れた生活に思いますが
伊藤先生が書くと
内蔵を触ったように
美しくて体温が伝わるんです
どこがどう　とは言えないですが
この生々しさが好きだなぁ

死ぬまで　まだ道半ばが続く
ちくしょう　生きてるんだから
生々しく生きるんです

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“人が、前を向き、頭を上げ、立ち上がって、歩き出そうとする。ああ、それが尊厳てことか。”（p.33）


“わたしには子どもたちと自分の関係はわかる。しかし子どもたちと父親の関係は、わたしにはわからない。わからないから、泣いた父親も、会いに来ない父親も、わたしの尺度で推し量りたくなるが、たんに関係が違う、表現が違うというだけのことなのかもしれない。”（p.155）

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老いていく自分を、どのように見つめ、どのように諫め、どのように励ますのか、人生の折り返し地点というものを過ぎてから、それが自分にとっての重要なタスクとなりました。
ほんのわずかな不安ではあるが、毎日少しずつ積み重なり、そして、ある時は思いがけない形で自分を脅かす、今まで通りでない得体の知れない何かを、嘘なくそのまま受け入れ、格闘し、情の強さで最後は抑え込んじゃう伊藤比呂美という人！爽快！痛快！
この人がこんなふうに生きていてくれるから、私もがんばれる。こんなふうに解放していいんだなと今までどれだけ励まされたか。
今回もゆっくり丁寧に読ませてもらいました。
ジュンバラヒリやルシアベルリンの短編小説を彷彿させる各章の最後の一文。その突き放しと余韻、相変わらずセンス抜群でした。
詩であり、短編小説でもあり、日記でもあり、エッセイでもある、贅沢な一冊です。