紙の本
教員にぜひ読んでもらいたい一冊
2021/01/31 20:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はな - この投稿者のレビュー一覧を見る
楽しい授業やアクティブラーニングを重視する中で、活動あって学びなし にならないように授業を考えなければと思わされる一冊であった。やはり基礎基本は大切である。
紙の本
的確な指摘に共感
2020/07/05 10:55
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
今の学校教育の質の低下を、著者が的確に指摘した1冊です。共感できる指摘がい数多くありました。
オビに「小学校で行われている英語の授業の様子」を描いた絵が、如実に今の教育現場を現しています。
ページ数が少なく、行間もかなり広がった体裁になっているため、一気に読み切れます。
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教育のあり方は子どもたちの人生を左右する。ゆえに、安易な教育改革は避けるべき。実用性重視の改革に疑問を提起し、より良い教育の方向性を探る書籍。
小学校では、英会話を中心にした英語の授業が行われている。調査によると、その時間を楽しいという子どもたちは多いが、これを根拠に英語教育を推進するのは危険だ。最近、「楽しいかどうか」にとらわれすぎる風潮が強まっている。
今日、知識偏重の教育からの脱却が唱えられ、英語教育は読解・文法中心から会話中心へと転換した。だが、言い回しや発音のハウツーを習うばかりでは国語力や思考力が向上せず、子どもたちの英語の学力は一貫して低下している。
近年、主体的な学びが大切だとして、グループ活動などを行うアクティブ・ラーニングが推奨され、授業に取り入れられている。しかし本来、主体的な学びとは、授業外の学習活動などによって行われるものであり、強制されるものではない。
脱・知識偏重教育の一環として、学校では、思考力と知識を分けて学習評価をするようになった。だが、正答に至る思考は、それに関する知識があって初めて可能になるものだ。知識と思考を分けて評価するのは至難の業である。
最近の教育界はアメリカの教育を模倣しているが、自分に自信を持つことを重視するアメリカと、協調性を重視する日本では、目指す人間形成の方向性が異なる。教育の方向性を模索する際は、自国の文化的伝統を考慮すべきである。
日本の教育改革は、実学を重視する方向に向かっている。だが、プレゼンや討論などの実用的なスキルを身につけても、知識や教養、深く考える習慣を身につけさせることができなければ、薄っぺらいのに自信満々な人間を生み出すだけだ。
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<目次>
はじめに
第1章 「授業が楽しい」とは、どういうことか
第2章 「能動的に学ぶ」が誤解されている
第3章 学力低下にどう対処すべきか
第4章 楽しいことしかやりたくない!
第5章 学校の勉強は役に立つ
おわりに
<内容>
学校現場の教師の立場に立つ著者による、今の教師を勇気づける本。至極もっともなことが書いてある。「アクティブ・ラーニング」だ「学校の授業は役に立たない」、「主体的・協同的に学ぶ」だの、学習指導要領が変わるたびに、文科省は何かと押し付けてくる。前の提案が正しかったかの検証もなしにだ。「総合的学習」も「ゆとり教育」もしかり。まあ大体どれも一義的には正しいのだが、あたかも前回の提案はなかったかのように、新しいことを言ってくる。
この本では、それを指摘し、従来型の日本の学習スタイルで問題はないことを指摘している。むろん、どの教え方でも、無能な教員は一定数いる。そこを考えずに、短絡的な指導法を見つけてくるから、こうなるのだ。現在の日本は本当に教育の危機だと思う。この本は、そうした中、正統的に頑張っている教員を勇気づけるものだろう。
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アクティブ・ラーニングと称するグループワーク、教員の受けを良くするための処世術の進化、「授業が楽しい」とするためにただ遊ばせる内容をやっている大学教育の危機を訴えている。
たしかに読解力は低下しているし、飽きっぽいのが今の学生。
そんな学生の主体性はたかが知れているので評価に値しないというのもわかる。
じっくりと文献に取り組み、一人で考え抜く力が求められている、内的体験が重要であるという点はまったく賛成する。
それから日本人の優秀さが悲観的なところ、謙虚なところだ、と持ち上げるのは少しずれている。
一方で、著者の手前味噌な自分の授業はよくできている、学生も感動したアンケートの紹介が連続する部分について、恣意的なデータ抽出に過ぎず、そこはなんだかなー、という印象。
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楽しいだけの授業、知識軽視の傾向、好きなことみつければよいキャリア教育など、教育現場で起こっていることを具体的に示し、教育改革との矛盾を訴えている。
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とても分かり易く、私自身にも実感のある話が多数ありました。同じことが繰り返されるのが少しくどいところですが…。教育に携わる者は、その立場(小中学、高校、専門学校、大学など)の違いに関わらず、一読することをお勧めします。
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Kindleで電子書籍を読んだ。
榎本博明氏の主張は、私の考えに近いことが多い。
したがって、榎本氏の著書は私自身の考えを補強するために読むことが多く、本書もその趣旨で読んだ。
2000年にノーベル賞を受賞したジェームズ・ヘックマンは就学前教育で大事なのは非認知能力であることを明らかにした。
非認知能力とは、
・我慢する力
・動機付ける力
・展望を持つ力
・自分を信じる力
・他者を理解する力
・衝動をコントロールする力
などのことであり、それらは「忍耐力」や「克己心」といった日本の教育で重視されてきたものであると指摘する。
さらに、本書で特筆すべきは、
①アクティブラーニングの否定
②キャリア教育の否定
の2点である。
①アクティブラーニングの否定
勉強の本質は孤独の中で思考するところにあり、わきあいあいと仲間と語り合うところにあるのではない。もちろん、友人との価値的な対話が学習意欲につながったり、コミュニケーション能力の向上につながることはあるだろう。
しかし、勉強をしていなければ、友人との価値的な対話そのものが成り立たない。一方的に話を聞くだけなら、授業を受けるのと同じでありもはやアクティブラーニングではない。
さらに、アクティブかどうか、つまり学習意欲がアクティブかどうかは、精神的な問題であり、友人と語らうかどうかという行動とは無関係である。
教師・講師の一方的な講義であっても精神がアクティブであれば、つまり学習意欲が高ければ、それがアクティブラーニングである。
②キャリア教育の否定
激動の時代に中学生が職業体験をすることに、どれほどの意味があるのか、どれほどの価値があるのか不明である。
キャリア心理学では、
・クランボルツの「計画された偶発性理論」
・ジェラットの「積極的不確実性理論」
・ブライトとプライヤーの「キャリアのカオス理論」
など、不確実性を折り込む必要性が強調されている。
さらに、「好きなことを仕事にしよう」というアプローチを榎本は否定する。好きなことが明確で、その道で生きていくと決められる若者はそれでいい。
しかし、好きなことが分からない若者も少なくない。否、「好きなことがあっても、それが仕事にならない」のが普通だから、「仕事になるような好きなこと」は容易に見つからないものなのだ。
立川志の輔は大学では落語研究会に入っていたが、広告代理店に就職する。しかし、落語への思い止みがたく、30歳のときに立川談志に弟子入りする。
「好きなこと」とはどうしても抑え切れない衝動であり、探して見つかるような代物ではない。
目の前の仕事を一生懸命やって、それが好きになれたらそれで良いのだ。目の前の仕事を一生懸命やっても、他に好きなことが出てきたら、そちらに行ったって構わない。
「好きなことを仕事にすれば苦労少なく人生を送れる」という発想では、好きなことを仕事にすることも、仕事を好きになることも難しいのではないか。
なぜなら、苦労を乗り越える充実が真の「楽しさ」だから。人生の充実とは「成長」のことだから。
人生の幸福は「成長率で決まる」から。
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現場が困っているというより著者は怒っているか。大きな社会動向の前に一個人が抗うことはほとんどできない。理念は良いが実行段階で組織的にできるだけ公平に誰もが扱えるようにと具体策に落とし込むと理念と裏腹な結果になることも多い。子ども(~大学生)は自ら現在の教育制度を選べない。全て,大人が敷いた制度である。子どもが危機的であるならば,それは大人の責任であろう。教育を任せてしまうことのメリットとリスク,そこにどう関与するか。そのうち,子ども(未来の大人)から大人が「俺たちを低能力にしやがって」訴えられる日が来るかも。そんなことも思わない考えない状態かもしれない。そうすると危機的な状況に気づいた個人の力が意味を持つ。自立の気概だ。
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今起きている新教育課程へのもやもやをわかりやすく言葉にした本。
実学自体は決して悪いものではない。
だけど、なんでもすぐに役立つものばかりを求めたり、
短絡的な楽しさだけを求めたり、
それだけでは人間は成長できないとも感じた。
現場はほんとに困っている。
楽しいことしかしたくなくてベラベラ話す子どもとか、
この勉強はなんの役に立つのかと聞かれることもあるし、
小学生レベルのことがわかっていない子どももいる。
言葉が通じていないって感じることが増えた。
国語の話が多くてありがたかった。
新しい教育課程になることで、スピーチやプレゼン、実用文の読解をする時間が増えて、
文学や古典をやる時間は減ることになる。
私自身は、文学や詩といった文芸の力を信じていて、
それは答えのない問いを考える機会になるからなんだけど、
もはや高校生の中で、『山月記』とか、『こころ』とか、『源氏物語』とか、過去の素晴らしい作品を読む機会は絶たれてしまうかもしれないなと思う。
たしかに高校生たちがその先の将来使いようが無い知識かもしれないけれど、
役に立つことしか知らない人たちが、
その場その場のことしかできないで、
文化はどう深まるのだろう。
テクノロジーが進化していったときに、
中身のない人たちがモノに使われてしまうだけじゃないのか。
私自身も現場でアクティブラーニングもするし、楽しい授業を心がけているけれど、やはり力を伸ばせるのは厳しい状況でも、壁を乗り越えられる力のある生徒だと思う。
グループ学習やプレゼンは、アウトプットをさせることで、一人ひとりの力を伸ばすことのできる活動ではある。
でも、中身のない生徒が何をアウトプットするんだろう。
話し合いが深まり、面白い意見が出るのは、成績の高い子だったり、美術や科学など、何かに秀でた子だったりする。
アクティブラーニングだけでは子どもは育たない。
今の子どもに必要なのは厳しい中でもやり切る力だと思う。
それが本書でも触れられている非認知能力ということなんだろう。
知識と思考力の間をとった改革と言いつつも、実はどちらにも向いていなくて、コミュニケーション至上主義になってしまっただけだったのかも。
来年度から新しいカリキュラムが始まるけれど、不安しかない。
教育って、誰しもが受けるものなので、今起こっていることを批判的な立場で書いた本として、いろいろな人に読んでほしい。
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内容には完全同意。自明のことだと思いつつも、他のレビューや現場の声を聞いていると著者のように思っていない人は多い。
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■感想:
自分が本書をこんなきのめり込んで読んでしまうとは思わなかった。
学校教育を受けているときは、当時の教育方法、指導方法に不満など一切持たずにいたわけだが、今現在大人になり、自分の受けた教育方法と、国内外の教育方法、今後の子どもたちが受けるであろう教育方法に関心を持たなければいけない。
著者は近年取り入れられている「アクティブラーニング」(活動あって学びなし、教えない授業の蔓延)、「楽しい授業」の追求(学びの楽しさではなく、楽な学びに移行)、「主体性への評価」(何を持って主体性を測るのか)を批判、危惧している。
そもそも、意見を述べたり討論する授業「アクティブラーニング」はアメリカで学力の低い学生や学習意欲の乏しい学生を救済するために注目されたものらしい。
アクティブラーニングは、私の大学生の頃からあったが、確かに薄っぺらい学生の討論をするくらいなら、講義型の知識が吸収できる授業を受けてたほうがよかったとすら思えてきた。
発言、討論が「能動的な学び」ではないということ。能動的な学びになるか否かは、学習者次第。
■メモ:
•発達期待:こんな人間に育ってほしいといった期待のこと。
アメリカでは、自身を持つこと、自己主張ができることが母親の発達期待であるが、日本では、思いやりを持つこと、強調的であることが発達期待らしい。理想とする人間像が異なるため、教育によって人格形成をしていく方向性も異なるのは当然のことである。
•外向に価値を置くアメリカ、内向に価値を置く日本。
•問題は講義型の授業ではなく、問いや課題が生起しない授業。求められるのは、能動的に見える授業ではなく、知的能動性が発揮される授業である。
•クランボルツの「計画された偶発性理論」:私達のキャリアは偶然の出来事によって大きく左右されるため、偶然を自分のために活かすにはどうしたら良いかに力点を置くべきだとしている。従来は批判的に見られてた、未決定の心理状態を肯定的にとらえ直し、心を開いた状態を維持することの大切さが強調されている。
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対話についての捉え方が、やや違っているのでは?と感じたが、大筋は賛成。
薄っぺらだけど、自信満々な人って、いるよなあ。
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知識を軽視し、アメリカ型の実学偏重教育によって薄っぺらい人間が多くなってしまうのではないかと警鐘を鳴らす本書。今日の教育改革や若者の現状を捉える上で、とても良い視点を提供してくれた。
データ自体が筆者の経験則や一部の学生アンケートに偏っているため、厳密な議論とは言い難い部分もあるが、実際に今日に生きる若者として深く納得できた。
日本文化から教育を考えること、一人で深める学びがあること、既に他者への配慮が尊重される社会における対話的学びの必要性など、なるほど確かに、と思える部分が多い。教育を志すのならば目を通しておきたい1冊である。
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「教育現場は困っている」というタイトルであるが、「筆者が教育現場に対して困っていること」がメインに書かれている印象を持った。筆者の意見は概ね賛同することができた。しかし、全てに賛同できるわけではなかった。筆者の意見の概要としては、「何でもかんでもグループワークだ、アクティブラーニングだ言っていないで、内向的に考えることを重要視するべきなんじゃないか」と言ったものであった気がする。現代の教育現場ではアクティブラーニングに重きが置かれていることは間違いない。そして、アクティブラーニングをしたからと言って深い学びになっているとは限らないということも十分理解できる。しかし、本書の中でも述べられていたように、アクティブラーニングは、そもそもは学力の低い生徒を救うために考案された授業形態な訳である。つまり、アクティブラーニングは、学力が低く、勉強・授業に対するモチベーションが低い生徒には有効な授業形態であると考えられる。筆者の主張にも一理あるとは思うが、やはり学力の低い生徒にはグループワークやアクティブラーニングを駆使して、授業に参加させるきっかけを作ることが重要なのではないかと思う。学力が低い生徒に対するアプローチとしてああb、一概には言えないものの、まずはモチベーションを高めて授業に参加している感を出させるような授業形態にするのも一つの手なのではないかと思った。筆者の主張が当てはまるのは、ある程度学力の高い生徒であって、すべての生徒に当てはまることではないのではと思った。しかし、内向的な思考というものを促すような授業を展開していくことも考えなくてはならないことは間違い無いと思う。