紙の本
色んな人に読んでほしい
2021/01/24 14:34
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投稿者:うえありひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
関西弁でのツッコミが楽しく、読みやすいのに内容はいたって真面目。教育に真摯に向き合われているのが伝わってきます。日本で生まれ育った人間には気付けないことも指摘されていて、ハッとさせられました。
紙の本
30年前に受かった大学の変貌ぶりを知る
2020/12/31 12:40
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
外国人、西洋やアジア系ではなくアフリカ人の学長というのが一際噂になり、この著作を手に取った。いろんな国の文化やくらしに触れたからこそ、日本という国のありのままの姿を捉えていて、感じたことを率直に表現できるのだろう。
天災に人災、戦争やコロナ禍、いろいろなことが起きるが、これからの世の中を作るのはこの地に住む人々なのだ。大学は指南を仰ぐところではなく、自身で考えて成長する場所。当たり前のことだが、日本の大学は徐々に経営至上主義と企業ファーストに成り果てた。慣習の良し悪しはともかくとして、学生に慕われ、時に厳しい姿は、学長というより徒弟を育てる親方に見える。これほど希望の持てる教育者が、今の時代日本にどれほど存在するのか。そんなことに思いを馳せた。大学だけでなく、社会での人との出会いで、人は育つ。コロナで人と出会うことも少なくなってしまった現在、非常に危惧されるのがこれからの社会のしくみだ。学生には厳しい現実が付きまとうが、諦めずに時に人を信じて歩める人になってほしい。
紙の本
だらだらと過ごす意義
2020/10/13 11:56
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の人生は波乱万丈だ。そして彼の母国マリと日本との文化や人間関係の違いを、自らの経験に基づいて、批判的に述べている。いくつかの点については、素直にうなづくしかない。社会的有用性だけを基準として日本の子供たちは格付けられていいるのは事実だと思う。それを弊と思わない人が多いことが、日本の悲しい社会をつくる要因か。中途半端にいろいろなことに、関心を持つことを否定せず、「だらだら」というかリラックスして、人生を楽しみたいものだ。
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勉強になる本でした。
普段、海外出身の方と接する機会がないので、ものの見方や考え方の違いを知ることができて面白かったです。印象的だったのが、日本では教育機関の学校にすごく多くを求めすぎていること、家族の中で母親に対して失礼な子供や夫が多いと感じると記載があったことです。
本来、何かを学ぶための学校であるはずなのに、家や地域で担うべきしつけ部分ともいえることを任せようとしすぎている、さらに、個性を伸ばそうとすれば反対に均一化させようとする教育の方を望んでいる親が多い、それはなぜなのか?と記載があり、私自身疑問に感じている点だったので共感しました。
また、日本では子供だからといって家などで役割を与えないことが多く、その割には大人同士でも協力するわけではないので、母親の負担が大きくなりすぎているように感じるとの旨の記載がありました。さらに街中で「ババア」扱いしていたり、不思議であると。
日本人の私でもそれは不思議なので、すごく共感しました。
色々な人がこの本を通して、考えや行動を見直すきっかけなるような気がします。
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読みすく、サコ学長の生い立ちから今に至るまでと
日本の教育制度の問題点等が書かれている。
総合評価と偏差値に教育をサッカー練習の基礎練習を繰り返し行い弱点を失くすのか、ゲーム形式の練習を繰り返し
ひとり一人の個性を伸ばしていくのかという例えが興味深かった。
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私が暮らす町の
近所に「小京都」と呼ばれる
昔ながらの町並みと路地を遺している
小さな町がある
その町の中に以前はメインストリートであった
細長い商店街がある
麹屋さん、和菓子屋さん、荒物屋さん
魚屋さん、履き物やさんね散髪屋さん
つい近くまで鍛冶屋さんもあった
ここ30年ほど前から、その昔ながらの
店はほぼ閉めてしまい
閑散としたとおりになりつつあった
ところが10年ほど前から
その町に その町出身ではない
(少し年かさの)若者たちが
やってきて
自分たちができる「商いの店」
が少しずつできだした
当初は二、三軒だったけれども
すこしづつ増えて
数十軒を超えるほどになり
今では 秋に一度
大きなイベントをするぐらいの
路地になっている
その町のこれまでの因習に
とらわれない人たちだからこそ
できたことのように思っている
サコ学長が
もし 地域の商店街の活性化を
授業の一環として とらえたら
きっと このような町になるのだろう
と 本書を読んでいて
思った次第です
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マリ出身で、学問に目覚め、紆余曲折あって日本で建築(だったっけ?)を学び、日本人の女性と結婚して日本国籍も取得した著者が、マリの価値観をもちながら、フランスの価値観、日本の価値観も理解したうえで、日本の社会や教育に物申す。物申すというより、ここが変だよね、ほんと、理解できない!とストレートに述べている。
私も、まったくその通りだよ!と思うことが多かった。一番その通りだよ!!!!と共感したのが、とにかく学校でなんでも引き受けすぎ、ということ。学校は学問をするところでしょう?それが、日本人の子どもは学校が生活のすべてになっているから、そこでいじめにでも遭おうものならもう死にたくなるし、学校に適応できなかったらもう落ちこぼれになるしかない、みたいな。学校で基礎基本を学んだら、あとは自由に一人孤独に思索したり、家庭で手伝いをしたり、地域でクラブチームに入ったり、友達と遊んだり、自然の中で探検したりして、生きる知恵や、思考力や洞察力や、いろんなことを学ぶのが人間というもの。それなのに日本の教育は、学校は、学校で学力以外にも生きるためのすべてのことを教えようとして自滅の道を歩んでいるような気がする。そんなことできるはずもないのに!総合的な学習の時間で「生き方」を学ぶ、みたいなの。何それ?ほんと偽善。
けっこう自分の大学の宣伝みたいになってたけど(笑)、著者の来し方は面白く、行動力に感服させられました。そして日本の教育に対する意見に対しては、本当に、「ごもっとも!もっと言って!」と思いました!
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筆者自身の生い立ちから、教育論、文化論、教育論のみならす、日本のあり方、コロナ禍の今後の世界のあり方まで、幅広いテーマで語られている。特に、以下の点は参考になった。
●学校以外の誰にも制約されない時間や、だらだらした時間を使って考え、遊びや家庭での経験とシンクロさせて、自分の中に落とし込んでいくというプロセスも必要だ。個性は、そうやって伸ばしていくものであり、余暇の時間をしっかり使うという事によってしか、自分自身が成長しないのではないか。
●趣味と言ったら、まるで専門家のような勢いになるのでびっくりする。「映画を見るのが趣味で」と言った時には、映画オタクが近づいてきて、○○監督のある作品の、このアングルの取り方が、とウンチクを垂れてくる。
なんやねん!知らんわ!こっちは軽い気持ちで映画を楽しみたいねん!
コスプレイヤーのことをあまり知らずに授業で軽い発言をした時には、受講者の一人が研究室に来て、コスプレについて延々2時間教えてくれた。コスプレイヤーがいかにキャラクターに対する知識とリスペクトを持っているか、ということを、ご丁寧に教示してくれるのだ。
「あ、そうなんや、服着て遊んでるんちゃうか」と言うと、服を手作りしていること、それにかける時間と、キャラクターとのコミュニケーションの重要性など、ものすごく細かく聞かされた。「この子はどこでリラックスするの?」と正直そんな気持ちにもなる。
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日本人は外国の方から批判されたり、持ち上げられたりすることを有難がる傾向があるように思える。この本もそこを狙っている本かと思っていたが、いい意味で裏切られた。
著者はマンガ家の竹宮惠子氏の後任として、京都精華大学学長を務めており、本物の「教育者」だと感じた。サコ氏はアフリカのマリ共和国の出身で、中国に留学したが留学生と中国人学生との衝突を経験。その後、日本に留学する。日本に来た理由は、「面白さ」を感じたからだという。それは「だらしなさ」や「わけのわからなさ」だという。こんなこという人初めてでしょう。
本書の中盤以降、真摯でユニーク(日本人にとって)な教育論が展開されている。教育とか大学に興味のない方でも、本書の第8章だけは読むと良い。そこに書かれている「政治に関心がないのに政府に依存する」という文にハッとさせられるに違いない。
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アフリカ出身のサコ学長が、日本を日本の大学をそして日本の文化を語る。おそらく、このタイトル自体が日本的で、アフリカの人が日本で学長をやっているのが極めて珍しいから、だからその人が日本をどうみているのか気になっているということが根底にある。アフリカの人が学長なんてできるのか?という疑問を日本人なら持つだろうということもこの本を出版する人が考えたポイントだろう。
日本の言わなくてもわかる、なるべく近寄りすぎないでいる距離感、空気を読むということは、実は真の友達、分かり合える関係なのか?という問いは非常に的を得ている。確かに、多民族国家であったり、移民を受け入れたりしている各国では、言わなくてもわかるなんて奇跡なわけで、お互いに主張しぶつけあうことで分かり合える。ニューヨークは、まさにそういうところで、先生がLGBTだろうが、アフリカの人だろうが、アメリカ人であろうが、中国人だけど国籍がアメリカ人だろうが関係ない。実力があれば、それはすなわち認められるのだから、アフリカ出身であることはあまり関係ない。そのサコさんが、アフリカ人で、日本人と結婚して、日本でしっかり仕事するために帰化し、大学の先生から学長にまで抜擢される。想像するだけでも難しいが、サコ学長は人柄、人と向き合って真っ直ぐに話し合う姿勢と明るい性格や、言葉を超えたコミュニケーションで乗り越えてきた。日本の学習は、学校のための子供に見える。決まった教育を、、、というのは学指導要領で決まっているし、外れたことはダメという教育。これは昔から変わらぬ批判と一緒だ。でも、実際の子供たちはそこから抜け出ようとしてもがいている。
教育が根本にある、日本という国をよくするには教育から変えていく必要がある。大前研一氏が、最後のライフワークに選んだのも教育だった。ハーバードの竹内教授も、教育を通して経営者を育てたいという強い思いを学生に伝えている。リカレントも注目されているけれど、日本には人生勉強ということばもあるくらい日々、コツコツと学ぶ文化がある。日本は島国だからと諦めずに、目を見開いて世界を見ることができるような、子供たちが増えてほしい切に思った。
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大学長になるまでの前半パートは、かつてWebで見た内容が詳細化されていた(あらすじを知っていても面白い)が、後半の日本の学びへの提言パートがグサグサ刺さる内容だった。
自分の大学生時代の考え方なら、著者に乗っかろうと安直に考えてゼミ志望しそうだが、その姿勢では物足りないと叱責されるだろう。
印象に残った言葉
・グローバル化とは、自分の価値観を持ったまま、お互いに強調していけること
→同化するのではない
→マックス・フリッシュ「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」
・政治に関心がないのに政府に依存する
フレーム化された集団教育に疑問を感じているのに、学校に求めすぎる
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ーー「誰か私を自由にして」って、何でやねん!
「自由」をラディカルに考え、身体を動かし、人を動かし、社会を変えようとしているサコ学長と学生たち。なんて風通しがよくて、人間味のある大学なんだろう。本当の「リベラル(=自由で寛大で風通しがよく分け隔てのない)アーツ」をサコ学長と学生たちは一緒につくろうとしているようだ。
専門の建築学を学ぶにしても、インドのスラム街から学んで「スラム型集合住宅」を町屋再生計画で提案するなんて、楽しそうすぎる。そんな話をしながらも、「スラム=かわいそう」というテンプレートに嵌まり込んで思考停止する姿勢にはピシッと鞭を入れてくれる、あたたかくも厳しいサコ学長。外国人留学生や労働者を使い捨てにしようとしている政府や企業の姿勢に「超やばい」と警鐘を鳴らしつつ、日本社会で暮らす不自由を自由に変えるべく自ら動いた経験を踏まえて「自由はもらうものじゃない」と諭すサコ学長。息子のイジメに立ち向かうべく、自分の肌の色までもネタにしちゃうサコ学長。
いいなぁ。
かっこいい。
読んだら元気が湧いてきた。
サコ学長に会って、お喋りしてみたくなった。
ナスビタコになりたい、って言った小学生の気持ち、分かるわ。
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サコ氏は、京都精華大学の学長。 アフリカのマリ出身。 自分自身の半生と学長になった経緯から日本の教育の問題点や提言まて、彼の教育に対する考え方がとても明確で共感できることが多かった。 日本の教育の問題点は、画一的なものであり窮屈な感じで、子供の個性を封じるようなもの。 日本人自身は気付いていないが、多様な文化の中で育った著者にはそれがよく分かる。 日本人は、親たちが受けてきた教育を、子供にも当然の教育として強いるが、そもそもその教育制度は本当に現代社会にマッチしたものなのか、昔ながらのこの制度で育って社会人になっていけるのか、著者は疑問に思うことがあるようだ。 声を上げるだけでなく行動することが大事。 著者はこれを実践している。 素晴らしい考え方の持ち主なので、彼の今後の行動にも注目してみたいと思う。
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マリ共和国出身。京都精華大学学長が反省と日本について語る。貴重な視点から得るところの多い一冊。
中国留学から日本に興味を持ち来日。日本で学び日本国籍取った一アフリカ人。日本の大学では初のアフリカ系の学長となる。
日本語も堪能であるし日本文化に十分に精通しているが、マリの視点ももちろん忘れない。日本人では気づかない日本の長所、短所そして未来の日本国に向けた提言が記されている。
欧米に追いつけ追い越せが従来のアジア、アフリカの立場だったが、現在はそれほとを単純なものではないようだ。
日本の教育の弱点を指摘した部分は特に炯眼。
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・子どもの足りない部分を補う、という発想ではなく、子どもが目指している目標を支援する、という「目標教育」という考え方を知った。
・大学はもっと社会に対してメッセージを発信し、人間形成の場としての価値があることを社会に説得するべき、といった主張に共感。経済や産業に教育が従属している関係を改善することが重要と感じた。
・内田氏の解説はなるほどという感じ。日本の専門家は自分の専門分野について、ハードル上げすぎかも。