紙の本
精査すべき1冊
2021/02/21 21:27
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投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新型コロナウイルスによるパンデミックについて、『サピエンス全史』や『ホモデウス』で人類史を取り扱ってきた著者が、自身の考えを表明した1冊。
この事態で私たちの生活は一変したが、かつての生活を懐かしむだけでは意味がない。
アフターコロナをどう生きるか、さまざまな識者の意見を精査する必要がある。
それは、ワイドショーで流布される感情任せの持論ではなく、きちんと考え抜かれた意見を対象にすべき。
本書はその対象本の代表格。
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まあ、緊急提言とあるからそういう内容でそういう本だろうなと期待した通りの内容と本だった。
だから期待外れではないのだが。
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著者のユヴァル・ノア・ハラリは名著にしてベストセラー『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』を書いたイスラエルの歴史学者である。本書は新型コロナによる感染症が世界に拡大し始めた2020年3月から4月に書かれた3「タイム」「FT」「ガーディアン」に寄せられた3つの寄稿記事とインタビューから成る。
この本を読んだのは、2020年秋のだったが、このレビューを書いているのはそれから約1年ほども経った21年9月である。
ハラリは、コロナについておそらくは何かを書く必然性があった。なぜなら、『ホモ・デウス』において人類の歴史において長きに渡って苦しんできた飢餓・疫病・戦争を克服したとして人類の未来についてその論を進めたからだ。おそらくは執筆当時この危機が克服可能であり、影響は大きいが、そこまで長く続くものではないという前提であったはずだ。
ハラリは冒頭、 「医学的な助言はできない」と断りながら、歴史学者としての観点からの「助言」ならできるかもしれないとする。そのひとつは「私たちが直面している最大の危機はウイルスではなく、人類が内に抱えた魔物たち、すなわち、憎悪と強欲と無知」だというものである。その危機を乗り越えるために人類は互いに協力し、叡智を集めこの危機に対応すべきではないかと願う。今なら「憎悪と強欲と無知」は問題であり続けたと言うと思うが、決して「危機はウイルスではない」とは言わないだろう。とは言うものの、ここで書かれた内容が価値がないというものではない。むしろウイルス自体の危機に目を取られていない分、ますます本質を突いている部分も多くなっているかもしれない。
■ 人類は新型コロナウイルスといかに闘うべきか ―― いまこそグローバルな信頼と団結を (タイム)
歴史学者らしく、これまで人類に降りかかった感染症 ― ペストや天然痘、エイズ、エボラ出血熱 ― と人類との闘いの歴史を辿る。
新型コロナウイルスの特徴は、グローバル化された現代において発生したというものである。対策はひとつの国に閉じることはなく、全人類を危機に陥れることがわかった。これが全人類の協力が進展することをハラリは期待し、切望する。そして、この時期に生じているアメリカが残した空白を嘆く。
ここにはワクチンのことはまだ書かれていないが、全人類における協力は一部では実現した。それでも、この危機を抑え込んだというにはまだまだであるし、ハラリが懸念をしたアメリカではその政治的にも多くの要因を挙げることができるであろう対応のまずさによって大きな犠牲を払うこととなった。
■ コロナ後の世界 ―― 今行う選択が今後長く続く変化を私たちにもたらす (フィナンシャル・タイムズ)
コロナの嵐はいずれ収まる。われわれはコロナ後の世界のことを考えて今行動する必要があるという指摘である。
「緊急事態は歴史のプロセスを早送りする」とハラリは言う。そして、今迫られている重要な選択として、①全体主義的監視か、国民の権利拡大かという選択と、②ナショナリズムに基づく孤立か、グローバルな団結かという選択の二つを挙げる。
①についてはハラリは皮下モニタによる生体監視システ��まで想像する。しかし、われわれはプライバシーと健康の二者択一ではなく両方を目指すべきで、その鍵は知識と信頼であるという指摘する。この危機によって、その意識が高まることを望む。②については、もはやアメリカへの批判と捉えるべきだろう。トランプが大統領選に敗れ、バイデンが勝利したことはハラリにとってはひとつの懸念がなくなったことになるのかもしれないが、もしかしたら大統領選挙を越えてここまでコロナ危機が長引くとも思っていなかったのかもしれない。
■ 死に対する私たちの態度はかわるか? ―― 私たちは正しく考えるだろう (ザ・ガーディアン)
死の問題はハラリが『ホモ・デウス』で提起したわれわれの世代の課題である。コロナが蔓延したことで、われわれは唯々諾々と死を受け入れることになるだろうか。当然、その反対で必死の体で死に抗おうとするだろう。少なくとも今の世代の人間はいずれにしても死すべき運命であるにも関わらず。ハラリは次のように言う。
「医師は私たちのために、人間の存在にまつわる哲学的な謎を解き明かすことはできない。だが彼らは、私たちがそれに取り組むための時間を、あと少しばかり稼ぐことはできる。その時間で何をするかは、私たち次第なのだ」
コロナの重症化から医療のおかげで回復することができた個人的な体験からは、もちろんあと少しばかり稼いでいただいた時間をどのように使うか考えたい。一方で、死を受け入れるための準備もまた同時に必要と感じるのだ。
■ 緊急インタビュー「パンデミックが変える世界」 (NHK Eテレ インタビュアー 道傅愛子)
インタビューでは、従前の三つの寄稿での考察と主張が繰り返されることになる。パンデミックの後、雇用市場や働き方・学び方には新たな秩序が確立している。経済や教育のシステムのルールが書き換わるとき、政治はそれを絶好の機会と捉えるべきなのだ。
監視体制への影響にも改めて憂慮を表明する。それはイチかゼロではない。また、相互協力とそのための情報共有の透明性にも言及する。集団的リーダーシップについて言及し、パオロ・ジョルダーノが指摘したように新型コロナ対策を戦争のメタファーで語るべきではないと伝える。そして、科学的合理性への信頼を表明するのだ。
ハラリもここまで危機が長引くとはこのとき思っていなかったのかもしれない。そのため、コロナ後の世界について拙速に語りすぎていたかもしれない。もし何か修正が必要であるとすれば、もう少し長くこのコロナ危機の状況と変化に付き合っていく必要がどうやらありそうだということと、コロナ後の世界はより大きな変容が待っているかもしれないというところだろうか。そして、科学への信頼は一層重要になることだろう。
『ホモ・デウス』の自己正当化のモティベーションがあったとはいえ、2020年4月という早い時点で、コロナに対して知識人としてまとまった見解の表明をする勇気にも感謝。
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本当は何が起きているのか、コロナ後をいかに生きるべきか。新型コロナウイルス感染症のパンデミックという世界的危機の中で、知の巨人が発したメッセージ。英米の有力紙への寄稿とNHKで放送されたインタビューをまとめる。
分かりやすかった。
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人はプライバシーと健康のどちらかを選ぶかと言われたら、たいてい健康を選ぶ。全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、コロナのパンデミックに終止符を打つ選択がえきる。
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新型コロナウイルス感染症がもたらした危機を語る書籍。この危機に対して人類社会は全体主義的な監視か、国民の権利拡大かという岐路に立っている。
感染拡大防止のためには監視と処罰を強化するよりも、信頼できる科学的な事実を国民にしっかり伝える方が有効である。警察が監視しているから、人々は石鹸で手を洗う訳ではない。手からウイルスや細菌を取り除けると理解しているから、人々は手を洗う。21世紀に感染症で亡くなる人の数は、石器時代以降のどの時期と比べても少ない。病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が、隔離ではなく情報であるためである。
本書は「緊急事態ではプライバシーよりも健康を優先すべき」との議論には賛成しない。そもそもプライバシーか健康かという問題設定が間違っている。私達は両方とも享受できるし、また享受してしかるべきと主張する。これは安易に全体主義に流れやすい日本社会にとって特に重要である。日本では右翼は「滅私奉公」、左翼は「一人は皆のために」とどちらも全体主義的傾向があるためである。
本書は新型コロナウイルスの拡大によっても死生観の現代的傾向が変わらないと指摘する。前近代社会は死を受け入れるものとして、宗教家などが死に特別な意味を与えてきた。しかし、科学技術の発達によって死は神の定めではなく、技術的な問題になった。近代以降に生まれた自由主義や社会主義、フェミニズムのようなイデオロギーは、死後の世界への関心を持っていない。死の意味を強調する思想は、国に命を捧げることを称賛するナショナリズムくらいとする。
不思議なことに日本社会では終活やリビングウィルなど死を速やかに受け入れる方向への誘因が強い。欧米先進国の動きに逆行し、前近代に先祖帰りしているのか。現代で死の意味を強調する思想はナショナリズムくらいとの著者の分析に従うならば、日本でナショナリズムを強化したい動きが出ているのか。
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ウイルスとの戦いで必要なのは情報。情報には信頼が必要。
そのためには国際的な団結が必要。
実際は科学に対する不信、国際的な協調の欠如。自国優先。
大事なことは、この先、この体制がしばらく続くということ。緊急事態は、政府によって続けられ、支配するのに都合がよい。
日本は自由をギリギリ保っているが
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「ウイルスが歴史の行方を決めることはない。それを決めるのは人間である」「今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各刻は互いを信頼する必要がある」等々、人類が今おかれている状況と、一人一人が考え行動することがの意味を伝える。「21Lessons」とは異なり、ほとんどにおいて「こうすべき」だと述べる。
しかし現実は、著者のいう「最悪の方向」へ向かっているようである。
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短くてもっと読みたかった。
科学を信頼し、皆で協力する。コロナの危機を前向きに乗り越えていけると、そう思わせてくれる本だった。現実は前向きになれない人たちもいるので、そういう人皆読んでほしいと素直に思う。
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半年くらい前のインタビューをまとめた本。当時の状況を歴史的に眺めて、我々は何を選んで行くのかという視点で語っている。つまらなくはないけど今となるとそこまで内容ない感じだった。
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一見すると二者択一に受け取ってしまうことも、しっかり考えれば両立するということ、独裁者はそういうことを言いがちで、そして言いなりになってはいけないこと、とにかく協力して情報を共有することを学んだ。
そのためには、安易に敵を作るのではなく、新型コロナウイルスが共通の敵であることを切り返し認識することが必要だと思う。
ふだんの生活でもそうで、簡単にいがみあうのではなく、なるべく共通の目的を見つけて協力すること、二者択一も疑ってかかることが必要。
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過去の寄稿とNHKでのインタビューをまとめたもの。
過去作品において人類の未来に対して悲観的な見解を示して警句を発してきたのに対し、コロナに関しては理想主義的な発言を繰り返している。
これはコロナに対する(というよりもコロナ下においても混乱し続ける国際社会)に対する不安から来たのでろうと思える。
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いまから振り返れば2020年3月ならびに4月時点で「未知のウィルス」に対するInsightとしてハラリ氏のインタビューは特筆すべきものがある。Post COVID-19の世界を冷静かつ的確に見詰める頭脳レベルの高さが窺える。他方で理想論を唱えるあまり実現性と具体性に欠ける面も否めない。理想なくして実現なしではあるが。暗に(明に?)トランプ大統領を批判しているが、米国が「世界の警察」を名乗るのが良いのかは多分に疑問(COVID-19対応では恐ろしく悪手続きだったがトランプ大統領の在任中に戦争が起こらなかったのは事実だ)。
それはそれとして、有事は緊急の名のもとパラダイムシフトが起こりやすくニューノーマルが定着する一方で、プディング令のような有名無実むしろ悪制も残りやすいのは事実。ハラリ氏の言うように、ニューテクノロジーを脅威として排除するのではなく、国際間で連携し民衆が自らの意思でチェックすることが大切だろう。
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本書の出版は2020年10月で、本書を読んだのは2021年6月だったが、このタイミングで読んでも今出版されたかのような真新しさを感じた。
必要なのは国際的な強調で、ナショナリズムに走ってはいけないと感じた。人類全体で、コロナに打ち勝つにはどう行動すればいいか考えていきたい。
グローバルな今、世界中で情報共有は非常に重要なのだと感じた。
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図書館の分類では公衆衛生となっていましたが、これはコロナ後の世界をも見据えた提言と考え自分は社会というジャンル分けにしました。
2020年4月の緊急インタビューはリアルタイムで見ており感染拡大への危機感を募らせていましたが、今現在から約一年前を振り返ると著者が懸念していたことが実際に今起きていることに震撼します。
そして、このパンデミックが収束したあとの世界のことまで今よくよく注視していかないと世界はより厳しいものになっていくという、感染拡大とはまた違う危機感を強く持ちました。
ワクチンが普及しつつある現在から、この提言はより一層重い意義を持つのではないかと感じます。