電子書籍
ついに最終章
2023/01/16 20:28
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投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本を出て1年以上。遂に最終章。それにしても沢木氏の旅は人との出会い。至る所で助けてくれる人に出会う沢木氏。すごいなあ。
最後の日本への電報は秀逸。
紙の本
深夜特急6
2022/09/16 20:50
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
旅はついにヨーロッパへ。物価が高くなり、旅が終盤に近づくにつれて金を払ってできることが少なくなってくる。イタリアから北へ、フランス・パリからロンドンを目指すのかと思いきや、南仏、スペイン、ポルトガルへと旅が続く。そして最後、ロンドンの中央郵便局から電報が打てるか、というところも含めて面白かった。
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南ヨーロッパ・ロンドンの旅。いよいよ終わる、そんな感覚と終わりたくないという感覚。旅に出ると感じる相反する二つの感情が、一気に湧き上がってくる最終巻。同じように読者も、終わってしまうことへの寂しさと安堵感を共にしていったことだろう。これを読んだ大学生の当時は、ヨーロッパはつまらんなという感想だった。何度か出てくる、スリルやドラマが起こらないからだ。イタリアでも、スペインでも、要すればある一定の生活レベルが存在しているために、旅人に対しての特別な意識がないからである。NY編とかもつまらないんだろうな、なんせサプライズが起きにくいのだから。そして、旅に出ようと決めた瞬間だった。親友と森戸海岸にバイクで行って、俺世界旅行してこようと思う。と言った。いいね、俺も行くわと。結局アジアを一緒に旅した。
旅の終わりに出会った人たちや体験してきたことを総まとめにするように、物語をとじていく。最初にやった大小を思い出しつつ、結局やらなかったモナコのカジノの話など、色々あったことを改めて思い出すことになる。
この小説の色褪せないところは、異国の地のドキドキ感とトラブルを楽しみながらすすむ感じは、変わらないからだ。いつの頃からか、守るものがあったり、仕事があったりで、海外に行くのは面倒だし、危険だしやめておこうなんて思うようになったらおしまいだ。Be a Traveller。自分が変わらない限り。今でこそ、香港、タイ、シンガポール、マレーシア、サウジアラビア、ドバイ、モロッコ、アメリカ、中国などなど、とにかくいろんな国に行ったけれど、沢木耕太郎さんのもつ文章と味わい深い旅の香り、そこで勇気をもらって旅に出ることができたことに感謝しかない。
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最終巻。ローマから地中海沿岸部を通ってマドリード、リスボンへ。ユーラシア大陸の果てを味わい、パリ、ロンドンへ。長旅のため気持ちの上で終わりを決めかねる。1年2ヶ月に渡るひとり旅。ただゴールを目指すのではなく、その土地その土地の空気、街、人を体感する。終了の仕方が今ひとつだったのが残念だったが、感覚が鈍らない若いうちの旅の経験は貴重だ。2022.2.25
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初めて日本以外の海外を意識した瞬間というのは人によって大きく違うだろう。一般論的に言えば、海外を旅する、というのがその瞬間の王道であると思う。しかしながら、直接旅をしなかったとしても間接的に海外、ひいては世界を意識するというのは可能でもある。
私自身にとって海外を意識したのは、大沢たかおが主演する本書のドラマ版であった。というのも、高校1年生のとき、必修の地理の授業で教師が授業時間を使ってこのドラマの映像を流してくれたからである。とはいえ、全体のストーリーなどは忘れてしまっていて、強烈に印象に残っているのは冒頭の香港の猥雑なシーンくらいなのではあるが(ただし、それは大学生になって初めての海外旅行で香港を訪れ、深夜特急にも出てくるチョンキンマンションに滞在した、という影響も大きいかもしれない)。
高校1年生のときから、四半世紀の年齢を重ねた今、ロバートキャパの一連のノンフィクション等で著者の作品を読んではいるものの、その原点たる本書を読んでいなかったということで、5月の連休を利用して一気に読んだ次第。
広い意味では旅行記という括りになるだろうが、実際にユーラシア横断の旅をしてから、かなりの年月を経て本書が執筆されたという経緯もあるのだろうが、単なる事実や時系列の積み重ねには堕しないストーリーテリングの才に満ち溢れている。そして本書を読むことで強い旅情を誘われるのは、やはり本書の持つ高いエネルギーの力に他ならない。
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ポルトガルでは、茶のことをCHAと言うと知る下りが良かった。
世界はぐるっと繋がっているんだな。
ポルトガルのサグレス。いつか行ってみたい。
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文庫版の「深夜特急」の最終巻となる第6集。ヨーロッパ内を移動する旅。ギリシャから船でイタリアのプリンディッシに移動し、そこからは陸路での移動。ローマ、フィレンツエ、モナコ、マルセイユ、バルセロナ、バレンシア、マドリッド、リスボン、パリ、ロンドン等、私自身も行ったことがある場所が多くなってくる。これまでの旅のような大きなトラブルはヨーロッパでは起きず、順調に旅は続いていく。
第6集では、どこで旅を切り上げるかが沢木耕太郎にとって大きなテーマとなっていく。香港から始まった旅、一応、目的地はロンドンと決めているが、ロンドンに行き、旅を切り上げる決心がなかなかつかない。ポルトガルでいったん旅を切り上げる決心をして、パリ経由でロンドンに行くが、結局、もう少し旅を続けることにしたところで、「深夜特急」は完結する。
「深夜特急」を読み返すのは、何度目になるか分からない。5-6回は全体を読んでいると思う。私は、1度読んだ本を読み返すタイプの人間ではない。5-6回読んだ本は「深夜特急」だけだし、読み返すこと自体が珍しい。
この本を、最初に読んだのは、おおよそ30年以上前。こんな旅の仕方があるのだ、ということに驚きながら、また、各地で沢木耕太郎が巻き込まれる出来事や、あるいは、各地の様子等が面白くて、息もつかずに読んだことを記憶している。2度目以降は、筋は頭の中に入っているので、描かれている旅自体に新鮮な驚きはない。それでも、読み返すのは、私自身が、ここに描かれているようなこと、「このようなことをしてみたい」と思っており、自分自身をこの物語に投影しているからだろう。
でも、「このようなこと」ってどんなことだろう?ひとつは、日常から離れて、自由気ままに旅をすることだ。それは、「男はつらいよ」の寅さん的な生き方に憧れる気持ちに近い。もう一つは、自分自身の想像の及ばない世界を経験してみたい、ということだ。あらゆる意味で「遠くに行く」旅をしてみたい、ということだ。「深夜特急」の中で、沢木耕太郎は、旅を続けていくにつれ、旅に飽きてしまう部分が出てくる。そのことを、作品中に書いているが、そのようなこと自体も、「遠くに行く」「想像もつかない経験」のひとつになり得ると思うので、読み返しても面白く読んでいるのだろうと思う。
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沢木耕太郎『深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン』新潮文庫。
刊行当時、若者たちの旅のバイブルと呼ばれた本作もいよいよ最終巻。インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスでの移動を主題に旅を続ける著者はイタリアからスペイン、ポルトガル、フランス。そして、ゴールのロンドンへ。長い旅を終え、新たな旅が始まる……予感。
著者は26歳の頃に1年を掛けて、アジアからヨーロッパを旅したというのだから、並みのスケールの旅ではない。普通に働きながら1年という時間を創り出し、海外を旅するのは経済的にもかなり難しいのだが、本作に描かれた旅はそれだけ価値のあるものであったのは間違いない。
マカオのカジノで痛い目を見たはずなのに、モンテカルロのカジノで200ドルの敗けを取り戻そうとする著者の姿には苦笑したが、後に『波の音が消えるまで』という傑作を刊行したことを考えれば、こういう経験も無駄ではなかったのかと思う。
最後の最後にオチがある。
巻末には井上陽水と沢木耕太郎の対談『森の少女とカジノの男』と『あの旅をめぐるエッセイ』を収録。
旅に対しての自分なりの経験と考えを少しだけ。
結論から言えば『若い時の旅は絶対に人生の糧になる』ということ。
最初の本格的な旅は35年以上も前のこと。学割で北海道周遊券を購入し、深夜列車で青森に向かい、青森からは青函連絡船に乗って北海道へ。周遊券を最大限に利用し、列車とバス、時にレンタカーやヒッチハイクで1ヶ月余りを掛けて北海道を隈無く巡った。時刻表を見ながら行き当たりばったりで旅するというのは刺激的で非常に面白い経験だった。その間、畳の上に寝たのは僅か4日。殆どが野宿か、旅先で出会った同世代の若者のテントに泊まったり、移動途中の列車やバスの中で寝たりと、若いからこそ出来たのだろう。
働き出してからは、毎年夏になると仲間とワゴン車に乗り、2泊3日で波乗り旅行に出掛けた。テントに泊まったり、民宿に泊まったりして、波乗りを満喫し、食事や酒盛りを楽しんだ。まさかこの波乗り旅行が15年も続くとは思わなかった。
こうした経験があってか、どんな場所でも余り動じず、中国やタイの怪しいホテルのベッドでも苦もなく眠れ、衛生面が多少怪しいローカル食堂で食事するのも楽しみの一つになった。
最近では海外出張でトランジットで乗り継ぎの飛行機に乗り遅れそうになったり、空港にピックアップのドライバーが居なかったり、台風で飛行機が飛ばなかったりと様々なトラブルに遭遇したが、自らが行動さえすれば何とかなるものだ。
新型コロナウイルスで海外出張も中断してしまったが、本作を読み、海外出張の再開が非常に待ち遠しい。
本体価格590円
★★★★★
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Cの国からTの国に入って寂しさを感じ、行き着いた先は再びCの国…
なんて美しい巡り合わせなんだろう。
そしてオチの清々しさ。いつまでもこの世界に浸っていたくなる…
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ついに完結…!
後半にかけては多少のマンネリ化もありつつ新しい巻に入るたびにワクワクさせてもらっていた。苦手なシリーズものでここまでひょいひょい進めたのはハリーポッター以来かも笑
ローマに入ると心なしかトーンアップしていた。雰囲気が、かな?とにかくフィルターが地中海の青からバラ色くらいの暖色に色変わりしていて、ローマから離れがたいのが何となく理解できた。フィレンツェでは街の佇まいとミケランジェロに軽く翻弄される筆者が何故だか羨ましかった。その土地の空気に心ゆくまで浸れることへの憧れか。
イタリアからフランスへと直行するのかと思いきやスペインを経由するのが筆者らしい。自分が訪れたマドリードはホームレスや物乞いで溢れかえっていたけどこの時は活気があったみたいで、またもや羨んじゃった。
しかし筆者の高揚感が徐々に薄れてきており(中継地点の描写が乏しくなりつつある)、終わりがそこまで迫っていると嫌でも実感せざるを得なかった。ついでに自分の感想もいつもよりコンパクト、じゃなくて、薄っぺらい笑
「ほんとにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな」
旅の締めくくりは些か拍子抜けしたけど、途中漏らした↑を考えると自然な流れなのかも。行ったつもりが良くないと言うけれど、分かったつもりだって充分おっかない。
自分自身全く旅慣れていないけど、いちばん心に留めておかなきゃいけない心得なのかも。自分の中に「分からない」の余地を残しておく事で余計な痛い目を見なくて済むし、旅ももっと楽しくなる。本当に分かった日が、本当の旅の終わりなのだ。
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政情や感染症の影響で2021年時点では行けない国も沢山ある一昔前の旅行記。一年をかけて、ユーラシア大陸をバスで横断すると言う素敵な旅。同じような旅に出たくなる。
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・ふと、私はここにくるために長い旅を続けてきたのではないだろうか、と思った。いくつもの偶然が私をここに連れてきてくれた。その偶然を神などという言葉で置き換える日つようはない。それは、風であり、水であり、そう、バスなのだ。私は乗合バスに揺られてここまで来た。乗合バスがここまで連れてきてくれたのだ・・・。
私はそのゴツゴツ下岩の上に寝そべり、いつまでも岸に打ち寄せる大西洋の波の音を聞いていた。n1861
(中略)
ポルトガルでは、chaは茶ではなくシャと発音するということだったが、「c」の仲間であることに変わりはなかった。
私は髭の息子が入れてくれた香り高い紅茶を飲みながら、これはあの懐かしい「c」の紅茶なのだと、笑いたくなるのをこらえながら思っていた。私は「c」より出て、今ふたたび「c」に至ったのだ・・・。
翌朝、朝の光降り注ぐテラスで食事をとりながら、これで終わりにしようかな、と思った。n1894
→終わりを決めていない人が、何によって終わりにしようと思うのか。5巻の対談で著者が言っていたけど、旅する中で擦れていった著者が再び旅の初期衝動を思い出したところで蹴りが着いたっけことかな。
・クックック、と笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思ったところ、そこが私の中央郵便局なのだ。 通りに旅行代理店が何軒か並んでいた。私は安いチケットを売っていそうな一軒に入り、船のチケットはあるかと訊ねてみた。応対してくれた女性は、そんなことは当然というように頷いて、訊ねてきた。 「どこ?」 「…………」 「どこに行きたいの?」 どこがいいだろう。そういえば、パリの屋根裏部屋の隣にいた若者がアイスランドの話をしていたことがあった。アイスランドに行けば魚の運搬の仕事があるというのだ。仕事はきついが、それは信じられないくらい高額なアルバイト料を払ってくれるということだった。しばらくアイスランドで働いてみたらどうだろう。 「そう、アイスランドは?」 私が言うと、相手の女性もにっこり笑って言った。 「もちろん、あるわ」 私はそこを出ると、近くの公衆電話のボックスに入った。そして、受話器を取り上げると、コインも入れずに、ダイヤルを廻した。 《9273──80824258──7308》 それはダイヤル盤についているアルファベットでは、こうなるはずだった。W、A、R、E──T、O、U、C、H、A、K、U──S、E、Z、U。 《ワレ到着セズ》 と。n2250
→5巻の対談であった、実際は帰ってきているけど、作品上は帰ってこないという文学作品としての「漂白」は、多くの人のガス抜きのための装置として必要。終わり方としては美しい。
・「第一便」と「第二便」を同時に刊行したときには、「第三便」もすぐに出せるものと信じていた。だが、それは実に長い「すぐ」ではあった。ゆうに6年はかかってしまったのだから。
理由は幾つかあるが、書き終えた今はどうでもいいことのように思える。この6年が、この「第三便」には必要だったのだという気さえする。
人は、深く身を浸したことのある経験から自由になるのに、ある程度の時間を必要とするものらしい。n2841
→部活で辛くても、後から振り返ると「悪くなかったなぁ」と思えるように、過去の経験を客観的に評価するには、一定の期間をかけてその経験を消化する必要があるんだろうな。
・しかし、そうした旅を気軽にできるようになった若者たちに対して、私が微かに危惧を抱く点があるとすれば、旅の目的が単に「行く」ことだけになってしまっているのではないかということです。大事なのは、「行く」過程で、何を「感じ」られたかということであるはずだからです。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降り注いでいる光を、そして行き交う人をどのように感受できたかということの方がはるかに重要なのです。 もし、あなたが旅をしようかどうしようか迷っているとすれば、私はたぶんこう言うでしょう。 「恐れずに」 それと同時にこう付け加えるはずです。 「しかし、気をつけて」 異国はもちろんのこと、自国においてさえ、未知の土地というものは危険なものです。まったく予期しない落とし穴がそこここにあります。しかし、旅の危険を察知する能力も、旅をする中でしか身につかないものなのです。旅は、自分が人間としていかに小さいかを教えてくれる場であると共に、大きくなるための力をつけてくれる場でもあります。つまり、旅はもうひとつの学校でもあるのです。
入るのも自由なら出るのも自由な学校。大きなものを得ることもできるが失うこともある学校。教師は世界中の人々であり教室は世界そのものであるという学校。 もし、いま、あなたがそうした学校としての旅に出ようとしているのなら、もうひとつ言葉を贈りたいと思います。 「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」 と。n2878
→いく過程が大事だよな。話したくなる経験も、後から思い返していいなと思えるのも、大体家庭に起こる出来だったりする。
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インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗合バスで2万キロを行く。26歳の沢木耕太郎による大旅行記。多くの若者たちが熱狂したひとり旅の面白さを堪能できる。他の本は意外とつまらない沢木唯一の傑作。そして何よりインドに行くまでの前半のアジア圏の旅が非常にエキサイティング。その勢いで最後まで一気に読むことになる
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読み終わってしまった、旅が終わってしまった。アイスランド行ったのだろうか。また「C」の国に戻ったというのがよかったな。
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人生を共にしてきた、私の愛読書。
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