自由。―――世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学

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【No.35】「少し前の僕は、”勝利”のみを目指して走っていた。誰よりも速く走ること、そして”勝つ”こと以外に信じるものはなかった。僕は長年にわたり、心身ともに限界まで追い込み続けていた。それが日常だった」「だからこそ、自分で自分がおかしいと気がついた時には、体も心ももうとっくにすべてが限界を超えてしまい、まともに走ることさえできなくなってしまっていた。最後は自殺なんてことを考えるほどになってしまっていた」「そういった事情もあって、陸上界から姿を消した。正確には消すしかなかった。僕はやむを得ず、休養を余儀なくされた」「いつからだろう？こんなふうになったのは。走ることが苦しくてたまらなくなってしまった」「2000～2008年くらいまで憶えている範囲で、僕は”負けたこと”がなかった。勝つってことが”当たり前”になっていた当時の思考自体が、すでに”普通”の精神状態ではなかったはずだ。とにかく健全ではなかった。本当に不健康だった」「負けてしまう自分を見せたくない。あるいは、自分の弱い姿を他人に見せたくない。そういった姿を見せることを”恥”だと思っている」「最初は勝ちも負けも含めて競技を楽しんでいたはずだった。でも、人より優れた能力や才能があるせいで、本来負けなければいけない瞬間にしっかり負けられなかったのだろう」「近くにいる人たちも、”勝ててしまう”選手に対しては厳しい事は言いにくいし、言わない。 だから、表面的な結果だけでしか物事を捉えることができないまま成長してしまうことになる」「頭を使って賢くやるとか、技術力を活かしてやるってことは、最初から誰でも当たり前にやること。それは大前提の話。ありとあらゆる要素を全部考えつくし、その上で”さらに何が必要なのか？”を当時の僕は本能で追求していた」「さまざまな恐怖を真っ向から受け入れた上で、楽しめるってところまで昇華する」「休養中のある時期、僕は人生で初めてハワイに行った。砂浜をたった独りで走った。その時は、とても幸せに感じた。”走るの、好きなんだよな”」「夢や目標は”叶えたか、叶えられなかったかが”重要なのではない。その先にあるものが重要なんだ。夢や目標の先にある本当の自分自身にしか見えない世界だ。でもそれは、”本気”で挑戦してみないとわからない。その先は、”本気で挑戦した人間”しか知ることはできないのです」「しょうがないと思えなかった自分。しょうがないけれどもしょうがなくねえ、聞き分けのない子どもみたいな自分も。その真剣さが、憎かったりもした」「僕は人生の中で、走ることでたくさん希望を持ったし、絶望もした。走ることが単なる遊びの範疇だったらそんな感情は湧いてこなかった」「一般的には速く走ることなんて、どうでもいいって思うよね？だって日常生活にそこまで必要のないことだし、せいぜい横断歩道をかけ足で渡る時ぐらいじゃないかな（苦笑）。でもね、他人にとってはそんなふうに見えるかもしれないことを僕は好きだったんだ。真剣に好きだった」「嫌いになれないのならば、そのまま好きでいればいい。というか好きでいるしかない。そして、また自分の好きなことを自分のできる形で続けていけばいい」「2008年北京で獲った銅メダルは、10年後に銀メダルになった。僕は銀メダリストになった。メダルを獲ることが人生の目的地ではないからこそ、そのメダルの色が変わったという事実に対して嬉しくも悲しくもなかった。これから、またメダリストとしての生き方が問われるのだという”覚悟”をしただけだった」「君の過去がどうだったかは、僕にはどうでもいい。今の君はきっと速く走れる。自分を信じなさい」「何でもそうだと思うけど、専門分野をいったん極めたら、今度はほかの分野のことからもヒントを掴んでいくこともできる。だから、”走る”って個性を極めると、走らなくても走れるようになるのだよ」「普段からスポーツをしている人は、正確に自分の体の変化に気づくことができる。体力の変化を感じ取るセンサーのような機能が働くようになるんだ」 「”スポーツをやる意味はなんですか？”って聞かれることがあるけれど、”自分を深く知ることができる”と答えている」「”勝ち負け”のようなわかりやすい結果だけでなく、今を大切にして、その過程のすべてを味わいながら進んでいく世界。ようこそ、”自由”な世界へ」