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投稿者:咲耶子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文政の江戸、芝居小屋で起きた怪異を元役者の美青年と鳥屋の青年が追います。
芝居小屋の怪異は鬼の所業と踏んで調べますが、次々起こる事件はどうやら人の仕業。
これは時代モノのミステリーか?魚之助は探偵か?藤九郎はワトソンか?と思ってた終盤、「あっそっちですか」ってなります(笑)
こう書くと明るい話のようですが、芸に生きる人々の業や、
才能があるも舞台を追われた魚之助の葛藤や悲しみ、自分のあり方を変えられない諦めがひしひし伝わってきます。
紙の本
バディもの
2021/08/15 12:00
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投稿者:えぬ - この投稿者のレビュー一覧を見る
歌舞伎や町人の風俗がいきいきしているのがいい。なんとなく先が読めたり、解決の部分は既視感があるのはそれとして、メインの二人が印象通りの性格ではなくて揺らぎがあるのが魅力かな。次ぐらいでどハマりするかどうか決定する雰囲気がある。
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小説野性時代新人賞受賞作
本作がデビュー作とは、今後が楽しみな作家を見つけた気分。
役者にすり替わっている鬼を探すことになった、足を無くした元女形・魚之助と鳥屋・藤九郎。
装画の喉ぼとけのある女形が羽を折られ魚の尾を持つ着物姿が読み進めるごとに響いてくる。また表紙をめくった先で女形の指先をそっと支える手に羽がついているという装丁の作り方も上手い。
羽を折られた金糸雀も歌う喉もあると言い切った藤九郎に出会えたことで魚之助は生きられたのかもしれない。
本作ではあまり活躍のなかったメルや虎魚たちも読んでみたいし、ぜひシリーズ化して欲しい。
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江戸時代の歌舞伎役者を描いた小説、っていうのになんだこの読みやすさは!面白くて手が止まらないではないか!
いや、参った参った。まずはこの表紙。美しい。美しいのに恐ろしい。その美し恐ろしが小説全てにちりばめられていてぞくぞくぞくぞく。
演じることに取りつかれた女形と鳥屋のバディ。その関係の変化が楽しくも切なくももどかしくもあり。なおかつ歌舞伎を演じる者たちのあるいみお仕事小説の側面と「女形」という男であり女でもある者たちの性の問題もあり、そしてなにより「犯人(鬼)は誰か」という謎解きがベースにもあり。あぁ、こんなに盛沢山なのにとっちらかった感じが全くないんだからたまらん。
美しさがすべてである女形が足を失い舞台から去る。女形という世界から離れ、自分とはという問いの中でもがく魚之助の苦悩が痛々しい。この魚さまが傲岸不遜なキャラじゃないところがいい。
足を失っても常に毅然超然として役者たちを睥睨し糾弾する、という流れなのかと思いきや、揶揄や同情に感情を揺さぶられるところが嘘っぽくなくてよかった。
振り回される唐変木の藤九郎も、従順でいちずなめるもいいですね、彼らに救われましたね魚さま。
そして、「心中」。
誰と、誰が、心中するのか、あるいはしたのか。
「心中」にこめられた思い、そして本当の意味。
あぁ、こんなにも美しく艶やかでそして切なく妖しい時代小説があっただろうか。
「時代小説はちょっと苦手」とか「歌舞伎、なにそれ知らない」という若い世代に超絶おススメ。
このバディ、癖になる(シリーズ化希望
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"好き"を極めた先に何があるのか。
個人のアイデンティティはどう生まれるのか、そのアイデンティティをどう受け入れていくのか。
そういう「いま」に貫く問いかけを、物語を通して、強く感じた。
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文政の江戸。舞台上に鬼が現れ人を喰い、そしてすり替わってしまった。稀代の女形で足を失った魚之介と心優しい鳥屋の藤九郎は、鬼を探すことになる…。役者にとってどれだけ芝居が大事なのか、どれだけ上へ行きたいか、そのためならば何でもしよう。その激しさは人であっても鬼以上かもしれない。舞台が日常の彼らには鬼も死体も日常か…。一方で、魚之介の絞り出すような悲鳴も聞こえてくる。藤九郎は彼を救えるのか、彼らの強さと脆さが痛々しくそして愛しい。題名の意味に震え、まるで映像のように繰り広げられる世界の迫力にため息をついた。
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文成時代の江戸歌舞伎を題材にミステリー仕立てで、芸の道にしのぎを削る傾奇者たちの苛烈な生きざま、業を描く。
主人公の一人はかつて一世を風靡した稀代の女形・魚之助。贔屓の客に足を切られ、今は檜舞台から退いている。もう一人の主人公・藤九郎は母と「百千鳥」という鳥屋を営み、魚之助の足代わりとなっている。彼が物語の運び手となり、同時に歌舞伎に関して門外漢であることから読者に梨園の知識を深めるナビゲーターの役割も務める。
二人は、江戸随一の芝居小屋・中村座の座元から゛鬼探し〝の依頼を受ける。座元の話によると、中村座で6人の役者が車座となり台本の前読みをしていた最中に、誰かの頭が転げ落ち、血だまりができたが、役者の数は6人揃っていたという。鬼が誰かを食い殺し、その一人に成り代わっていたとしか考えられないということで、魚之助と藤九郎は真相解明に乗り出す。
鬼が誰なのかを探るため、二人は6人の役者のもとを訪問する。
当初、藤九郎は鬼は単に人間が真似できない残忍さを持つ化け物と考えていたが、役者たちと接しその本性を知る過程で、しだいにその考えが揺らいでいく。
「客を騙す」ことを生業にしている歌舞伎役者たちは芸のために血のにじむような努力をするが、同時に己の評価、地位、恋路、嫉妬心、向上心のために同僚を陥れようともしていた。
藤九郎は「役者の中で誰が鬼か」を探すうちに、傾奇者たちと鬼との境目が分からなくなっていく。そしてまた、役者を退いてからも心も体も女として生きてきた魚之助の人生や業の凄まじさを知り、それに向き合っていく。
虚実混ざり合う芝居の世界、女形の芸を極めようとするうちに疑似生理まで引き起こす魚之助の心情、人と鬼との境目とは何かなど読みどころは多いが、現在、社会的に認知されてきたLGBTの人たちを考える機会も提供されていると感じた。
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あまり時代物を読まないので、歌舞伎小屋などの構造を想像することが難しかった。己の教養のなさを反省。また、登場人物の把握もイマイチ。誰が何だっけ?といちいち確認する始末。しかし、読了後はこの題名の持つ意味が分かり、なるほど、と感心。また、一つ一つのセリフが奥深く、作者の頭の良さが窺えた。
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人物造形、設定、物語、そして語り口、すべてが芝居がかっていて幻のような小説でした。今、初めて体験する読後感を味わっています。最初は、藤九郎の主観である地の文に振り回されて、次は江戸、文政時代の芝居の世界の濃厚な特異性に振り回されて、そもそも根本である魚之助の異常なキャラクターを掴み切れず振り回されて、なかなか読み進めることに難儀しました。それって、よくよく考えると藤九郎の煩悶そのものの行程なので、我々読者と物語をシンクロさせるための仕掛けなのかもしれません。だんだん読むスピードが上がってくると、もう止まりません。作者の外連、堪能しました。あまりの濃厚さに、本来の主旋律である鬼の物語も後景化していくようですが、そこも気持ちよく処理してもらえます。江戸の歌舞伎という今ほど権威化されていないけど盛り上がっているカオスを場にすることで、正と邪、虚と実、才能と努力、偽物と本物、男と女、上方と江戸、鬼と人間、そのそれぞれの間の揺らめきを物語にすることに成功している作品です。エンターティメントという言葉で括りたくない小説でした。
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嗚呼!この文体!江戸時代の戯作者の正本を読んでいる様な錯覚になる。ゆっくりと楽しく読ませて頂きましたー。多くの歌舞伎役者、それも女形が登場、鬼探しのミステリー楽しかった。星五つだ⭐️
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江戸の役者言葉にいまいち乗れず...登場人物が多いし、誰が誰だか状況がわかりにくい感じで更に入り込めず...
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内容(「BOOK」データベースより)
その所業、人か鬼か―時は文政、所は江戸。当代一の人気を誇る中村座の座元から、鬼探しの依頼を受け、心優しい鳥屋の藤九郎は、かつて一世を風靡した稀代の女形・魚之助とともに真相解明に乗り出す。しかし芸に心血を注ぐ“傾奇者”たちの凄まじい執念を目の当たりにするうち、藤九郎は、人と鬼を隔てるもの、さらには足を失い失意の底で生きる魚之助の業に深く思いを致すことになり…。善悪、愛憎、男女、美醜、虚実、今昔―すべての境を溶かしこんだ狂おしくも愛おしい異形たちの相克。第11回小説野性時代新人賞受賞作。
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江戸時代,歌舞伎の世界を舞台に鬼が登場しての犯人探し.足を失って引退した女形の魚之助の妖しい魅力とその哀しさ,業に戦慄する.それを助ける鳥屋の藤九郎も鬼を探しているのか,魚之助に魅入られているのかわからなくなってくる.そして鬼もまた悲しい思いがあり,鬼というのは何だろうと考えてしまった.
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野性時代新人賞の作品だということで読み始めた。
江戸時代の歌舞伎が主に書かれているので、江戸時代が舞台の本が好きな人にはおすすめだ。
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登場人物それぞれの炙り出し方が上手い。芸に生きる者たちの業は、それはそれで鬼のようでもある。本物の鬼を探す流れながら、鬼との戦いを描いた物語ではないので、夢枕獏系を期待してはいけない。芝居の世界に生きる人の業のオムニバスを楽しむ物語です。