「頭のいい人には恋ができない」?ベスト・オブ・寅彦's科学エッセイ。
2008/05/16 11:17
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治から大正、昭和にかけて、活躍した著名な物理学者である寺田寅彦はたくさんのエッセイも残しました。全集も出版されていますが、なにしろその量の多さに圧倒され、読み通す気力も萎えてしまいがち。科学関係のエッセイをまとめて読みたい、と思う者にはありがたい、コンパクトによい作品を集めた一冊です。
編者は「多くの随筆から、現代でも通用する、彼の鋭い感覚が感じ取れるもの、科学の研究が浮かび上がるものを選びました。p9」と記していますが、その通りのものばかりです。
例えば、こんな作品が収録されています。
・身近な題材に向かった彼自身の思考の流れをたどることで「科学的なものの考え方」を示してくれる「電車の混雑について」や「線香花火」「藤の実」。
・「蜂」や「蓑虫」「草をのぞく」などには鋭い観察眼と興味津々といった楽しさが感じられ、まるで「ファーブル昆虫記」「ファーブル植物記」を読んでいるような気がします。
・「昔の人は、多くの自然界の不可解な現象を化け物の所業として説明した。やはり一種の作業仮説である。p112」と書く「化け物の進化」。迷信、などといって無闇にしりぞけず、「作業仮説」と科学的な考えで理解しようとする態度は学びたいものです。
・「頭のいい人には恋ができない。・・・」と書き始め、「頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。」等々の名言が続く「科学者とあたま」。ちょっとどきりとしたりもしますが、寅彦自身の苦笑いが聞こえるような文章でもあります。
・夏目漱石との交流を描いた「夏目漱石先生の追憶」や「冬の田園詩」といったもの。寅彦が科学と文学の双方に通じた人だったこともわかります。
少年文庫の一冊としても、とてもよい一冊だと思います。若い人には、編者と同じく「君たちにも、この本が良い出会いになればいいな、と思っています。」
意外なおもしろさ
2016/09/25 15:05
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投稿者:afrk - この投稿者のレビュー一覧を見る
寺田寅彦の名前は知っていたが、読む機会がなかった。先入観で寺田の科学は趣味の世界であり、プロの科学ではないと思っていた。しかし実際に読んでみると、身近な自然現象に対するプロフェッショナルな視点が伝わってくる。最先端の科学研究において、ややもすると忘れられがちな自然現象に対する驚き、素朴な好奇心を思い出させてくれる。私は寺田の科学論文を読んだことはない。しかし所収の「科学者とあたま」を読むと偉大な研究者であったろうと思う。また随所に大正から昭和初期にかけて古き良き時代の日本が感じられる。岩波少年文庫に収録され、長く読み継がれる古典としてふさわしいだろう。
著者も編者も物理学者
2022/02/28 23:37
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
熊本の第五高等学校時代の
夏目漱石の教え子である著者による
科学随筆を、これまた一般読者向けの
科学書を数多著している編者が
選り分けて纏めた本です。
少年文庫の一冊とはいえ、なかなかに
読み応えがありますぞ。
科学と文学は、実は相性がよかったんです
2000/09/30 23:03
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投稿者:LIN - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学は数字や記号だけで表されるのではなく、わかりやすい「ことば」で説明できると、この本が証明しています。
物理や数学の授業がこれくらい面白ければ、勉強ももっと楽しかっただろうなあ、と少し残念な気がします。そういう意味で、特に学校の先生にお勧めしたい本です。もちろん、少年文庫といっても大人も十分に楽しめますから。
この本を読むと、著者の興味が多方面にわたっていることに驚きますが、興味の対象は難しい特別なものではありません。茶碗から立ちのぼる湯気、庭木に下がったみの虫、満員電車が混む理由など、私たちが見知っている日常的なものです。だからこそ科学の苦手な人にも、興味深く読めると思います。
半世紀以上前に書かれたこれらのエッセイは、社会に対する警告も多く含んでいます。
それらは現代にも当てはまるもので、科学技術は日進月歩なのに、人間そのものは数十年経っても変わらないことが表れていて、なにか複雑な気持ちを起こさせます。
この本から寺田寅彦に興味を持った方は、岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』『柿の種』にも手をのばしてはいかがでしょうか。『柿の種』は短文集なので、この本の対象者である年若い読者にも無理なく読めると思います。
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「寅彦の随筆の特徴をあげると、見る、聞く、匂う、触る、のような人間の五感を大事にしていることです」これは岩波少年文庫の一冊として、寺田寅彦の随筆を編集した池内了さんの言葉だが、寺田寅彦の文章の魅力を的確にとらえた、いい評価だといえる。
寅彦の文章には飾りが少ない。俳句でいう写生そのものだ。文章とは本来事実を正しく伝えるという目的がある。それなのに人はまわりくどい書き方をしてしまう。これは自分をよく見せたいという心理が働くのだろうか。そうではなく、ありのままに伝えることが大切なのだ。そのことが、寅彦の文章を読むとわかってくる。
僕がどんなに言葉を多くついやしたとしても、田舎の八十歳手前の母が書いた手紙の純なものに負けてしまうのは、母の文章に飾りがないからだろう。素朴な母の手紙。そこからすると、僕はあまりにも多くの余計なものを身につけすぎてしまったのかもしれない。
「科学者ってどんなこと考えて生きているのか」という疑問に答える
2000/07/30 09:12
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投稿者:田口善弘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
寺田寅彦といえば『我が輩は猫である』の寒月先生のモデルとして、また、「天災は忘れた頃にやってくる」という言い回しで、有名な人物であるが、本職はれっきとした物理学者で東京大学の教授を長く務めた。しかし、何といっても『寺田寅彦随筆集』でそのほとんどを読むことができる随筆の書き手としてこそもっとも有名だろう。その随筆は科学者の目を持ちながら、夏目漱石に師事したほどの文才を併せ持つ、他では味わいがたい趣を持っている。
本書は自身も科学者兼随筆家として名高い(bk1でもコラムニストとして寄稿中)池内了がその数ある随筆の中から選んだ随筆集である。題名にもあるように科学者寺田をほうふつとさせる随筆を選択してあり、茶碗一杯のお湯から気候まで論じてしまう有名な「茶碗の湯」など、日常の些細な出来事にも科学的に切り込んでいく寅彦の思考過程を窺い知ることができる。「科学者ってどんなこと考えて生きているのか」という疑問に答えるには最適の一冊だろう。
(田口善弘/中央大学 理工学部 物理学科 助教授 http://www.granular.com/tag/index-j.html))
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昔の科学者が書いた本だけれど、今でも通用する”科学の基本的考え方”がよくわかる、大人になっても読みたい本である。
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いや~、面白かった!!! 一読後の KiKi の最初の想いは「しまった~! どうしてこの本を子供のうちに読んでおかなかったんだろう!!!」というものでした。
電車の混雑には法則があるのか? 虫たちはいったい何を考えているのか? 日常生活の身近なことがらを細やかに観察しながら、科学的に考えることのおもしろさを書きつづった、明治うまれの物理学者による随筆。 (中学以上)
これ(↑)が背表紙に記載されている岩波書店さんのいわゆるこの本の紹介文なんですけど、中学時代の KiKi は「岩波少年文庫は小学生が読むもの」と勝手に決めてかかっていたようなところがあって、かといって随筆とかエッセイを楽しめるほどは成熟していなくて、もうちょっと「知識の本」っぽい本を読み漁っていたようなところがあるんですよね~。
(全文はブログに)
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これをぜーんぶ読んで、人にオススメするというのは
大変なことだ・・・
興味深く読めたのは、
・夏目漱石のはなし
・匂いの追憶
とやはり少し興味のあるものしか読めない。
もっと一般教養が必要だと感じた1冊。
これがわかるようになったら
世界ももっとおもしろいかもしれない。
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寺田寅彦の随筆はこれまでにも読んだことがあって、なんどか読んだ『柿の種』なんかはタイトルとも印象深い一冊。
この少年文庫のことは、『We』読者でもあるNさんから、子どもの本棚にあったのをたまたま開いてみたら「津浪と人間」という三陸大津波のことを書いた文章が入っていたと聞いて知った。それで、図書館で借りてきてみた。この「津浪と人間」のほかにも、地震や災害についてふれたものがいくつかあった。寺田寅彦は、身辺の世界を科学の目をもってよくのぞき、退屈することなど全くないほどそこは「驚喜すべく歓喜すべき生命の現象」があるのだと書いた人だ。この本も、そんな日常の観察からみつけたオドロキとおもしろさに満ちている。その生命現象の世界と、人間のつくる社会と、どちらもよくみつめながら書いた文章がしみじみとイイ。
「津浪と人間」には、たとえばこんなことが書いてある。
▼…自然の法則は人間の力ではまげられない。この点では人間も昆虫もまったく同じ境界にある。それでわれわれも昆虫と同様、明日のことなど心配せずに、その日その日を享楽していって、一朝、天災に襲われればきれいにあきらめる。そうして滅亡するか復興するかは、ただその時の偶然の運命に任せるということにするほかないという、すてばちの哲学も可能である。
しかし、昆虫はおそらく明日に関する知識はもっていないであろうと思われるのに、人間の科学は人間に未来の知識を授ける。…(pp.186-187)
寺田寅彦といえば「天災は忘れられたる頃来る」がユウメイな気がするが、その「忘れられたる」ゆえんは、30年、40年あるいは100年もたてば、当の天災を経験し、その災害の記念碑をたて、警告を発した人たちが代替わりし、みないなくなってしまうからだという、ある意味かんたんなことだ。身辺の世界を驚きをもって見る目をもちつづけることとともに、災害を忘れないようにすることは難しいとつくづく思う。
池内了が編んだこのエッセイ集のなかで、とくに強く印象に残ったのは、「音の世界」と「夏目漱石先生の追憶」の2篇。
寺田寅彦がある日、研究室で新着の雑誌を読んでいくと「音の触感」に関する研究報告があったと。レコードの発する音響をすっかり殺し、さらに耳を完全にふさいで、指先の触感だけで楽音の振動をどれだけ判別できるかを研究したものだという。
寅彦の書きとめるところによれば、「その振動が二つの音から成り立っている場合に、それが二つだということがちゃんと判別ができて、その上にそれがオクターヴが五度か短三度か長六度かということさわかるものらしい。それでその著者は、聾者のための音楽が可能であろうということを論じ、また普通の健全な耳を持っている人でも、音楽を享楽するのに耳だけによるのではなくて、実は触感も同時に重大な役目をつとめているのではないか、そうして、それを自覚しないでいるのではないかという意味のことを述べている」(pp.206-207)。
夏目漱石は、寅彦の生涯の師であったという。編者の池内了が巻末で、漱石を追悼した寅彦の短歌をあげている。
俳句とはかかるものぞと説かれしより
天地開けて我が目に新(あらた)
追憶を綴った寅彦の文章からは、そのむかしは千円札で見慣れた"文豪"とは違う姿がみえる気がする。
虫や鳥など、寅彦が身近なさまざまな観察を述べているくだりでは、その身体をとおした観測の能力におどろいた。仰角などから目測して、高さや距離を測り、あるいは火をつけたタバコをかざして風向を知り、というのが随所に出てくる。こんな風に身近な世界を見ることができるのだと、読むだけでも心があらわれる。
自分が子どもの頃には化け物がたくさんいたと書く寅彦を読むと、鶴見俊輔が内山節のキツネにだまされる力を失った日本人の話を引いていたのを思いうかべたりするのだった。
▼まったく、このごろは化け物どもがあまりにいなくなりすぎた感がある。今の子どもらがおとぎばなしの中の化け物に対する感じは、ほとんどただ空想的な滑稽味あるいは怪奇味だけであって、われわれの子ども時代に感じさせられたように、頭の頂上から足のつまさきまで突き抜けるような鋭い神秘の感じはなくなったらしく見える。(p.116)
そして、人間社会のあり方について、ぐさりと刺す言葉を、いまの世の中に寅彦が生きていたら、どんなことを書いただろうと思いながら読む。
▼頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思いりこうだと思う人は、先生にはなれても科学者にはなれない。(p.203)
▼…いまさらのように、自然界に行われている「調節」の複雑で巧妙なことを考えさせられた。そして気まぐれに箸の先で毛虫をとったりしている自分の愚かさに気がついた。そしてわれわれがわずかばかりな文明に自負し、万象を征服したような心持ちになって、天然ばかりか同胞とその魂の上にも自分勝手な箸を持っていくようなことをあえてする、それが一段高いところで見ている神様の目には、ずいぶんおろかなことに見えはしまいか。(pp.248-249)
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自分が生まれる丁度一世紀前に生まれた科学者の随筆。とても面白く、いぶかしんでものを見る大切さがよくわかる。寅彦が疑問に思ったことの幾つかは現代においては解明されているのではないか?と思われるので、その辺りを答え合わせした資料等があれば更に面白くなりそう。
唯一読み辛いという点は、当時の計測単位が○町とか○尋(ひろ)なので、距離が感覚的に掴みにくいという部分かな。。
岩波少年文庫シリーズということで、中学生以上が対象となっているが、今の中学生がこの本を読むのだろうか???
子育て中のお父さんにお勧めしたい一冊。
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今年になって寺田寅彦さんの名前や電車の法則などのエッセイの話を続けて目にする機会があり、いままで読んだことがなかったのでまず岩波少年文庫で読んでみた。
短編のエッセーなので、読みやすく、話題もとても面白かった。
なかに「津波と人間」という話があった。昭和8年3月3日の東北日本の太平洋岸の津波で沿岸小都市村落が多数の被害にあった話である。明治29年の三陸大津波から37年で人々の記憶はたちまちうすれ、同じような被害が繰り返される。
その10年前に関東大震災を寺田寅彦も経験しているが、関東でも安政(1854~1860)の地震の経験は残っていなかったからこそ、また被害を受けたのだと書いている。
そして78年経った今年また同じ地震と津波が襲いこんなにも大きな被害がでてしまった。
これを読むと地震は100年に1度などではなく、もっと頻繁におこっているのに、人間が生きている間の10年くらいで、すっかり過去になってしまうように思える。
彼は後半地球物理学へ興味を移し、地震・火山・海洋・気象などについての研究をもとに、自然災害の多い日本の防災のために、数々の提言を行ったそうです。
そういうことも含めて災害の経験もなかなか伝わっていかないということを、人間の自然現象で終わらせてはいけないのだと思う。
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身近なものから、科学や物理(とわけていいのかすらわからないほど理科系が苦手)の話。とっつきやすい本ではなく、何回かに分けて読んだ。読み終わって感じたことは、科学では説明しきれない不思議なことが、生き物、地球では存在するということ。それを、著者も伝えたかったのではないかと思う。
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寺田寅彦氏は、昭和初期に活躍した物理学者で、夏目漱石に俳句を習ったという変わった経歴の持ち主です。
本書は、自然のあらゆる姿を氏が捉えて、様々な法則性を見出す前段階を描いたエッセイです。
私が中学生時代に出会っていたら、間違いなく自然科学の道を志しただろうなあと思えるほど、凄く楽しいストーリーの数々でした。
大人になっても、何故?と問える気持ちは持ち続けたい、寺田寅彦先生に学ぶものは大人にこそ多いように感じました。
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請求記号:404テ
資料番号:020105235
寅彦は、熊本第五高等学校で二人の先生と出会いました。田丸卓郎先生と夏目金之助(漱石)先生です。