紙の本
仕事論の新たな地平
2022/01/19 07:34
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ブルシット・ジョブ」という言葉は、今や人口に膾炙した言葉となったが、その大元の書籍が本書である。エッセイ調の語り口でありながら、本質を突いていくグレーバーの姿勢は面白くもある。「ブルシット・ジョブ」は、「クソどうでもいい仕事」と訳されるが、これは仕事に従事する人が主観的に「この仕事は無意味」だと感じる仕事のことを指す。このブルシット・ジョブを皮切りに、現在の仕事や労働をめぐる問題点や仕事と精神状態などを考察する。人類学的方法論というよりも、事例から解き明かす論稿のような書籍である。面白く読むことができる。
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ブルシットジョブ
2021/10/24 08:46
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブルシットジョブとは、著者の造語であるようだ。仕事をしている本人が、無意味であり、不必要であり、有害でもあると考える業務で、主要ないし、完全に構成された仕事である。それらが消え去ったとしてもなんの影響もないような仕事であり、何より仕事に従事している本人が存在しないほうが増しだと感じている仕事なのだ、という。
だれでもが知っているが、だれにも言われないが故にだれも言わない、ことを2013年にある雑誌に投稿した論評記事をさらに詳しく研究したものが本書だという。。
仕事の価値とその対価としての支払われる金額は反比例する、という事実も指摘している。しかし、このことに関して、多種多様な職業の社会的価値を実際にすべて計量しようと試みた経済学者はほとんどいないそうだ。それでも、そのことを試みてきたその少数の経済学者達は、有用性と報酬のあいだには反転した関係があることを立証してきた。
本書に限らず、欧米や中国社会について様々な視点から研究調査した図書を読むとなるほどと思う。マイケル・サンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か?」、フランコ・ミラノヴィッチ「資本主義だけ残った」はそれぞれ政治哲学、経済学の研究者の視点からの論考だが、本書は人類学の研究者である。
今回は興味津々の論題だった。種々の観点からみれば意見も食い違うが、著者の主張に共感したい。
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半分納得で、半分疑問
2022/01/05 16:16
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投稿者:葛飾ホーク - この投稿者のレビュー一覧を見る
半分納得で、半分は疑問が残る。
経営者側の改善できない(したくない?)硬直化はよい結果を生まない。
しかしだからといって本書のようにあれもこれもぶったぎるぜーというのもなんか違う気がする。
問題提起と内容の本質はとてもおもしろいので、同テーマを別の語り口でも読んでみたいと思った。
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私たちはなぜ「無意味な仕事」に苦しみ、「いい感じ」で働く自由を阻害されなければならないのか?
2021/09/08 15:03
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
まず「ブルシット・ジョブ」とはなにか。筆者であり、この言葉の作者でもある、人類学者のデヴィッド・グレーバーは、こういうふうに説明している。「BSJとは、あまりに意味を欠いたものであるために、もしくは、有害でさえあるために、その仕事にあたる当人でさえ、そんな仕事は存在しないほうがマシだと、ひそかに考えてしまうような仕事を指している。もっとも、当人は表面上、その仕事が存在するもっともらしい理屈があるようなふりをしなければならず、さらにそのようなふりをすることが雇用上、必要な条件である。」ブルシット・ジョブとは、当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事であること。しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件であることである。ブルシット・ジョブは、地位が高く、他者から敬意をもたれることも多いし、その仕事に就いた人間は、高い収入を得て、大きな利益を受け取っていることも多い(ところが、内心では、その仕事を無意味であると感じているのである)。現在の金融化した資本主義システムが作動するとき、必然的に、この壮大な「ブルシット機械」も作動をはじめるということである。ブルシット・ジョブ階級もその機械に押しつぶされているものなのであって、この機械をこそ壊さなければならない。
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(以下の感想文を書くにあたり、詳細に読み直しをしたわけではないので、カン違い読み間違い等多々あるかもしれませんが、あんまり広範に拡散するつもりのない文章ですので、寛大な心でご容赦いただきたい・・・)
とても刺激的な著作であった。が、正直僕にはとても読みにくい文体で、読み終わるのに数か月かかってしまった。
この本では、「明らかに無意味である事がわかっているにも拘らず、さも重要であるかの如く振舞わねばならない仕事」の事を『ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)』と定義づけて、ブルシット・ジョブの類型、なぜブルシット・ジョブが、効率を至上とする資本主義の世界で増殖しているのかを、多くのインタビュー記事をちりばめながら述べている。
前半のブルシット・ジョブの分類は、理解のしやすさという面においては有効であるかもしれないが、逆に安易なレッテル貼りを引き起こす危険性もある。たとえば、管理職はすべてブルシットで、現場のケアワーカーはすべてブルシットではない。という決めつけが流布するのはある労働系の運動を煽るのに便利な言葉となるかもしれない。
しかし、何もかもが全てブルシットであるようなカテゴリーというのも、また、全くブルシットでない価値のある労働しかしていないカテゴリーというものもまず存在しない。あるカテゴリーの中でもブルシットであったり、またそうでない価値のある業務が混在していることもありうるだろうし、さらに、ある一人の人間の仕事の中にも、ブルシットであったりそうでないものが混在しているというのが、むしろほとんどではなかろうか。インタビューでは、自分がブルシット業務をせざるを得ない事に悩み、高給でありながらその仕事を辞め、別のやりがいのある仕事に就いたという経験談を語るケースが多いが、実際には、自ら進んでブルシット業務を創作し、自分の仕事を薄めて8時間を過ごして給与を得るような人間が数多くいることも、様々な職を経験した私は知っている。
このことは当然著者も認識しており、誤解が生まれないような注意書きが数多く記述されている。逆にこの記述の多さが全体の読みにくさの原因となっているように(僕には)思われるのだが・・・。
そのような、若干危険をはらんだ概念のように思われる「ブルシット」という言葉ではあるが、やはり興味深い考え方である。それは後半以降の章で、急に面白さを増して現れてくる。
まず、著者は、資本主義(合理性・効率性による最大利益追求)の権化であるとみなされている営利企業が、実は資本主義の論理で動いていない。すなわち現在資本主義と言われているものは実は資本主義ではない、と述べている。じゃあ企業は何の論理で動いているのか?著者はそれを、『経営封建制』という言葉で表している。
『経営封建制』とは何か?それは、古式ゆかしい封建制と似たものである。
昔の貴族や富豪の世界には、来訪者の対応のみをする「ドアマン」、道を進む馬車の前に小石が無いかを確認するだけの「フットマン」など、「偉い人間を偉く見せようとするため」に���を雇用する事があたりまえであった。
それは本書において『ブルシット・ジョブの五類型』の第一、「取り巻き(フランキー)」として定義づけられるものである。そのほか「脅し屋(グーン)」「尻ぬぐい(ダクト・テーパー)」「書類穴埋め人(ボックス・ティッカー)」「タスクマスター(仕事割当人)」とあるが、これら残り4つのブルシット・ジョブは結局、第一の「取り巻き(フランキー)」に還元されるといっても良い。
『経営封建制』とはすなわち、大企業になればなるほど、自ら大企業であることを証明するために、効率・能率とは真逆の「取り巻き」を抱えるようになる。自らの会社がある基準を満たしているという審査に通るためだけの書類をつくるためだけの部署など、がそれだ。これらの部署は自分たちだけがブルシットであるだけならまだマシだが、あろうことか自らがそのことについて指揮権があるかの如く振舞い、周囲にもブルシットな作業を強要することすらあるのだ!
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世界は『資本主義』ではなく『経営封建制』によって支配されている。後半の論旨は非常に刺激的で面白かった。「イェルサレムのアイヒマン(アーレント)」で『悪の凡庸さ』を知り、「測りすぎ(ミュラー)」で『過剰な測定指向による改竄の誘発』を知り、そして本書で『経営封建制によるブルシット・ジョブの増殖』を知った。僕は、この三つの概念は非常に密接に関わっている様に思えてならない。個人的な不遇の時期&コロナ禍により、読書の時間が増え、これらの書物を比較的短期間の間で読了することができたのは非常に良かったと思う。どの書籍も決して明るい未来を楽観するようなものではないが、今をサバイブする心構えを改めて指し示してくれたように思う。(2021/01/17記)
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p111「囚人を六カ月以上、独房に閉じ込めつづけたばあい、物理的に観察可能なかたちで脳に損傷をこうむることが、いまでは判明している。人間とはたんに社会的な動物であるだけではない。もしも、他の人間との関係から切り離されたならば肉体的な崩壊がはじまるほどに、本質的に社会的な存在なのだ。」
巻末脚注より
「無能というだけでクビにするのは――パイロットや外科医ですらも――ほとんど不可能だが、ふるまいの基準に反しているようなばあい、つまりきちんと役割を演じていないようなばあいは、きわめてかんたんにクビにできる、と。」
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★金銭に換算できないケアリングの価値★労働は苦行を伴うものであり、教師や看護師など誇りとやりがいを得られる職業は低賃金でも仕方ない――。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に先立つ、労働を修養の一環とみなす英国の考え方まで立ち上り、無意味なのに意味があるように取り繕わなければならないブルシット・ジョブの存在に光を当てる。
労働はそもその金銭と換算するものではなく、時間の切り売りという概念を取り込んだから雇用者は働き手が暇そうにしているのを許せない。労働は生産にばかり焦点を当てていたからこそねじれが生じ、サービスという概念を取り込めていない、と主張する。最後に遠慮がち(?)ながらベーシックインカムに触れ、労働を金銭から解放しようと訴える。
代替可能性や市場性で収入が決まるおかしさに違和感が
あるのは確か。満足度で収入を補うやりがい搾取に通底するものだろう。
前段の各地の体験談は興味深く、後段の理屈も納得感がある。ただ、実はそのつながりはうまくつかめなかった。読み物に仕立て上げたいのだろうが、論旨をはっきりさせた章の名称にしてくれたらもっと理解しやすいのに。
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その仕事って、本当は存在する必要がない、ブルシット・ジョブなのでは? ブルシットな仕事ってこんなだよ。という事が豊富な事例とともに解説される。読後、自分の周辺だけ見回してもブルシット・ジョブに溢れかえっているということに気づき、愕然とする。著者がいうところの ダミージョブ や仕事をするフリを延々と続けている人物に心当たりがあり過ぎる。自分自身の仕事でさえ怪しいもんだ。
この問題は絶対に解決しないと感じた。だって生きるためには収入が必要で、魂が傷つくような不毛な仕事だとしても、楽に稼げ家族を養えるなら手放さない人が大半だろう。それにしても全てのブルシット・ジョブに支払われている給料をまとめたら、どんな凄まじい金額になるのか。南半球全ての国の国家予算を軽く超えるんじゃなかろうか。
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働くということの意味を良く考えて見るべきかもしれない現代人に必要な一冊かもしれません。「何でこんな意味の無い仕事ばっかり増えんだよ!」とか、「こんな仕事ばかり増えるのは本末転倒だよ」って思っているオフィスワーカーは多いんじゃ無いか思う。少なくとも自分はそうです。上品にいえば雑用、正直言えば実にクソくらえなお仕事、手段が目的と化したような仕事の増大。こんな仕事ばかりやってても何の意味も無いし、こんな仕事ばかりなら正直社会に不要じゃないか?とか。こんな仕事、辞められるなら辞めたいけど、現状でそこそこ給料もらって生活はできて安定しているし・・・と思いながら、でも何かおかしいとおもいつつもやもやとしていたり。コロナ禍でエッセンシャル・ワーカーなんて言葉も溢れ増した。そう言う仕事に限ってなぜか低賃金。そして、自分は仕事休んでも何にも社会に影響ないってことで、自分は不要不急な仕事をしていたことが明白になったり。
この世の中にそんなブルシットジョブ(シットジョブではない)が溢れているという現状を明らかにし、また、それを定義し、なぜそのようなことが起きているのかを多くの人から寄せられた証言と歴史的な背景から明らかにしていこうというのが本書です。著者によると、現代は(金融)経営封建制とのこと。そう捉えるとこの20〜30年の種々の組織の変化もいろいろとスッキリ納得できます。
著者は文化人類学者なので基本的に現在の社会の様相をあぶり出すことを行っています。また、反政府・アナーキストということなので、そのような立場での世の中の見方を反映していることを念頭に読む必要はあると思う。でも、多くの人モヤモヤと抱えている悩みを言語化し、あぶり出している一冊と言えるでしょう。著者は「ではどうしたら良いのか」という政策提言は通常は提言しないことにしているそうですが、本書では最後にひとつのアイディアを示しています。
想像してたのと違ってかなり学術専門書に近い・またかなりの分量。そして、元々の英文を反映しているとは思うが、日本語翻訳がかなり読みにくい。翻訳作業が大変だったとは思うけど、この日本語訳をもとにもう一度読みやすい日本語にして欲しくなる。
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仕事について改めて考えさせられた。
何故このような無駄な仕事がこの世の中に沢山あるのか、その状況が受け入れられているのか?ちょっと飛躍してると感じるところはあったが、深い考察であり、考えさせられる問題提起だった。
『仕事の社会的価値とその対価の転倒した関係』に関するメカニズムは、この世の不条理。
本当にこの人間社会は不思議です。
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デビッド・グレーバーは、2013年の「ブルシット・ジョブ現象について」と題された小論で、どうでもいい無益な仕事「ブルシット・ジョブ」が世の中に満ち溢れているのではないかという刺激的な仮説を世に問うた。この小論は各国語に翻訳され(例に挙げられた14か国語の中になぜか日本語が入っていない。ラトビア語や韓国語は入っているのに)、様々な議論を巻き起こした。その中にこの論争に関してイギリスで世論調査が行われ、労働者のうち37%が自分の仕事に意味がないと感じていて、不満と考えている割合はそれよりも低い33%という結果が出た。論争や世論調査の結果は著者の想定していた以上のものだったのだ。
「なにか有益なことをしたいと望んでいるすべてのひとに捧げる」とした本書は、この小論を大幅に拡張して一冊の本にしたものである。小論はそのまま収められているが、そこで十分に掘り下げられていなかったこと ― なぜこの状況が問題視されずになんらかの手が打たれなかったのか ― を探求したものである。ブルシット・ジョブに関する広範な議論やヒアリングの事例が含まれるため、結果とても長い本になっていて、もう少し冗長度を下げて短く(そして値段も安く)することはできたかと思う。またもちろん、その内容について必ずしも賛成するという人ばかりではないと思う。しかしながらそれでも、何かしらの大きな問題提起がされていて、読まれるべき本とひとまず言っていいかと思う。
【ブルシット・ジョブの定義】
グレーバーは、ブルシット・ジョブを最終的に次のように定義する。
「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」
自分の仕事はこの定義にズバリと当てはまります、正にそうです、という人はもしかしたらそれほど多くはないのかもしれない。ただ、自分でもそのように感じているという主観的評価が定義に含まれているところがここでは大事なところだ。そして、実際にイギリスの労働者の37%がイエスと答えたのだ。
グレーバーは、具体的なブルシット・ジョブの例として、人材コンサルタント、コミュニケーション・コーディネーター、広報調査員、財務戦略担当、企業の顧問弁護士、などを挙げている。果たして、これらの仕事全部がブルシット・ジョブなのかどうかわからないが、より一般的な観点から整理して、ブルシット・ジョブのカテゴリーとして次のようなタイプの仕事を挙げている。
・取り巻き (Flunkies)
・脅し屋 (Goons)
・尻ぬぐい (Duct Tapers)
・書類穴埋め人 (Box Tickers)
・タスクマスター (Task Masters)
このレビューで詳しくそれぞれがどういうものかは書かないが、何となく想像は付くだろう。
【ブルシット・ジョブの精神的負担】
グレーバーは次のように書く。
「わたしが募った証言から強烈に伝わってくることのひとつが、これだ。つまりは、腹の煮えくり返るような不明瞭さである。なにかいやなこと、馬鹿げたこと、途方もないことが起こっているというのにその事実を認めてよいのかさえはっきりせず、だれを、なにを非難したらよいのかも、それ以上にはっきりしないのである」
自分の社会的価値に疑問を抱きながら働いていることの心理的負担は相当のものだとグレーバーは指摘する。さらに悪いことには、これらのみせかけの仕事がいったい誰のせいなのかがわからないということだ。
グレーバーは「精神的暴力」と呼ぶ。本来、受ける必要のない暴力である。
「ブルシット・ジョブは、ひんぱんに、絶望、抑うつ、自己嫌悪の感覚を惹き起こしている。それらは、人間であることの意味の本質にむけられた精神的暴力のとる諸形態なのである」
無意味な雇用目的仕事がどうしてこれほど人を不幸にさせるのか。本書の最後の方で、フーコーの権力論を援用してブルシット・ジョブに関わる権力構造を分析している。フーコーの権力論は、権力そのものは悪ではなく具体的な個人に集約されているものではなく、逆に権力は社会の中に組み込まれる関係であるとされる。ブルシット・ジョブはそのような社会構造の中から生まれてきたのだ。
ブルシット・ジョブのような無駄な仕事が市場資本主義の中でこれほどまでの大きさで生まれているのは市場資本主義の逆説である。グレーバーは、ブルシット・ジョブを生み出しているのは資本主義それ自体ではないという。その原因は、マネジリアリズム・イデオロギーだと指摘する。
【ブルシット・ジョブに関する問い】
グレーバーは、ブルシット・ジョブに関して三つの次元の違う問いを立てなければならないと指摘する。
1. 個人的次元: なぜ人はブルシット・ジョブをやることに同意し、それに耐えているのか?
2. 社会的・経済的次元: ブルシット・ジョブの増殖をもたらしている大きな諸力とはどのようなものか?
3. 文化的・政治的次元: なぜ 経済のブルシット化が社会問題とみなされないのか、なぜだれもそれに対応しようとしていないのか?
この件に限らず、これらの異なる次元を混同して説明しようとするから、議論が発散したり、
レイシズムにせよ男女平等にせよLGBTQ運動にせよ学歴社会・競争社会問題にせよ社会保障問題にせよ、複雑な社会問題を論じるときにはすべからくこの次元を意識して議論するべきだ。著者が指摘する通り、ブルシット・ジョブ問題もしかり。グレーバーは、特に政治的次元でなぜブルシット・ジョブが社会において問題化されずに増大していくのかという点を論じている。
これは、労働に関する倫理的価値の問題だとグレーバーは言う。義務であり創造であるという労働倫理感が西欧社会に敷衍したがゆえに、無駄な労働を作ってでも雇用を確保し、さらに労働者がそれに対して異議を唱えたり、そもそも労働を拒否したりすることがないということが起こったと論じる。仕事を全くしないことの引け目を感じることにより、ブルシット・ジョブであってさえも仕事をすることが道徳的に正しいと感じるのだ。グレーバーは、社会学者らしく、ヨーロッパで労働が精神的に義務化され、かつ倫理的に正しいものとなっていった歴史を振り返る。また、これは資本主義の誕生によって賃労働が主になってきたことによって強化された。社会���労働価値説を受け入れ、時間を所有し売買することとなった。その労働倫理は、宗教的にも社会的にも利益があることだった。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』で論じたように、仕事は神の恩寵であった。守るべき美徳であった。
【ベーシックインカム】
ケインズは、テクノロジーの進化によって二十世紀末までには週十五時間労働が実現されるだろうと予測した。テクノロジーの進化はおそらくはそれを可能にするほど進化したにも関わらず、ブルシット・ジョブが生まれたおかげでそのような社会にはならなかった。完全雇用や、労働の美徳という道徳観から、本来必要のない仕事を多くの人がしていて、それがおかしいことと指摘されず、修正に向けて動くこともなかったからだ。
ここで持ち出されるのが、普遍的ベーシックインカムである。著者は、政策的解決策としてベーシックインカムを提言するわけではないことを強調する。何となれば著者のポジションはアナキストであるからだ。ただ、それよりもまずは多くの人がこの観点からベーシックインカムを検討してみてほしいというのが著者の意図であるのだ。
グレーバーは、ベーシックインカムによって金銭的な必要性がなくなった上で人が仕事を選ぶようになるとブルシットジョブではなく、「有益な仕事」をするようになるだろうと主張する。ベーシックインカムの究極的な目標は、生活を労働から切り離すことだと主張する。
一方でベーシックインカムは政府の肥大化や不経済・非効率を生み出すのではと言われる。それに対して著者によると、ブルシット・ジョブの存在を前提とすると、それらが縮小することから、ベーシックインカムの導入によって政府の経済的な面からも削減される効果を期待できるとも主張する。少なくとも導入されるベーシックインカムにより、国家権力の拡大を招くのではなく、まったくその逆として立ち現れる限りにおいて著者は賛同するのである。そのためには、条件付きではない、普遍的ベーシックインカムが求められる。
【ベーシックインカム社会と宗教的社会】
グレーバーは、「本書の主要な論点は、具体的に政策提言をおこなうことにはない。本当に自由な社会とは実際にどのようなものなのかの思考や議論に、手をつけはじめることにある」という。そこで、著者の狙いに沿って、ベーシックインカムが実現されるような社会とはどういう社会なのかを考えてみたい。
本書の議論を読み進めて頭によぎったのは、新興宗教が成立する条件との親和性である。ちょうど旧統一教会の問題が日々話題になっていることから影響されて連想されたことではある。そこには何か本書の議論で不足している要素のようなものがあるのではと思うので、結論があるわけではないが、少し考えてみたい。
ある種の閉鎖的な新興宗教においては、その閉鎖的コミュニティが最低限の生活を保障する。一方でメンバーは、そのコミュニティに「有益な仕事」に従事する。そこにはブルシット・ジョブは存在し得ないだろう。そして、そのための経済的な基盤として持てるものが拠出する、という構造である。それを実現するための条件が絶対的な「善きこと」をコミュニティのメンバーが共��することである。この構造は、ベーシックインカムが経済的かつ社会的に成立するための条件と似ているのではないか。政策的な法制度がそれを保証するのか、教義が保証するのか、違いはたくさんあれども、ベーシックインカムが成立するためにはそれを受け入れるための信心・道徳のようなものが必要となってくるのではないかと思う。
これは、グレーバーの考えが新興宗教に似ているということでは全くない。閉鎖的な新興宗教が成立する構造が、ベーシックインカムを成り立たせる構造とが似ているのではないかということである。逆に新興宗教がグレーバーの考え方をある意味では先取りして、実践をしているのではないかとも思えてくるのである。たとえば、週15時間労働を美徳として、それ以上にお金のために働くことを忌避し、コミュニティのケアのために時間を割くことが当然とされるような社会である。
そもそも『プロテスタンティズムと資本主義の精神』でマックス・ウェーバーが説くように、資本主義の成立において宗教が説く価値観が重要であった。仕事を天職と捉えて、その成功に邁進し、結果としての富の蓄積を神の恩寵と捉える精神が涵養されたことがプロテスタンティズム国家によって資本主義が発展したことと相関性が認められるという主張だ。ベーシックインカムのように社会的価値を生産性や労働価値といった既存の価値観から大きく変化させるような社会学的かつ人類学的な思考の押し寄せる大きな変化が必要ではないかと思う。それはもちろん宗教であるとはいかないだろうが、これまでの資本主義的価値観が大きく変わるような社会的変化が求められるだろう。それは、もちろん起きえないことではなく、常識や倫理観などは思うよりもたやすく変わる。最近でも、レイシズムやセクシズムの世界で起きた。課題はこの問題において、特に労働と社会的価値観において、そういった倫理観のシフトが社会全体で起きうるのかということだろう。
【まとめ】
著者は、ブルシット・ジョブという多くの人の眼からは見えていなかった事象を見えるようにして取り出して、その分析を行った。その上で、著者は普遍的ベーシックインカムの導入について論じて、導入を視野に入れた議論が行われることを望んだ。それは高齢化社会における社会保障の問題と大きく絡んでくるだろう。
グレーバーは、ブルシット・ジョブの問題は三つの次元において問われるべき問題だと言った。「ブルシット・ジョブ」はベストセラーにもなり、ワードとしてはそれなりに世間には広まった。しかし、ともすれば個人的次元の問題のように捉えられがちであったブルシット・ジョブの問題を、本来問われるべき文化的・政策的次元から問うべき問題だと理解するためにも、「ブルシット・ジョブ」というワードと紹介記事だけを読んでわかったような気にならないように、ちょっと長いけれどやはり読まれるべき本だというのがひとまずのまとめになる。決して、シンプルな問題ではないのだから。
とはいうもののやはり長いし高い、という人には、新書で『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』という本が出ていて、かなり忠実なまとめになっているので、いったんはこちらで読むのもお薦め。
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自他ともに意味がない無駄な仕事だと、30%くらいの人々が感じていることについての考察
資本主義とか市場原理だからこそ、官僚的で煩雑な事務手続きが増える
ま、あるよね、そういうの
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ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないととりつくろわなければならないように感じていて、たいてい、とても実入りがよく、きわめて優良な労働条件のもとにある。ただ、その仕事に意味がないだけの仕事と定義している。
具体的な5つのくそどうでもいい仕事の種類
1.取り巻きの仕事:誰かの権威を見せつけるような仕事。具体例、受付、ドアアテンダント
2.脅し屋の仕事:他者との勢力争いの上に成り立つ、誰かを脅迫する要素をもつような仕事。具体例、軍隊、企業弁護士、広報の専門家など
3.尻拭いの仕事:誰かのまたは組織の欠陥を穴埋めするような仕事。
4.書類穴埋め人:本来必要のない書類を作成し、保管するような仕事。
5.タスクマスター: 本来は必要でない人を管理したり、その人達のために余分な仕事を作ったりする人。具体例:中間管理職、リーダーシップ専門家
実態は調査する事が困難だが、本書の調査では全体の3割から5割が該当するかもと言う、これまでの市場経済の原理からは衝撃的な結果となっている。
そんなバカなと思ったか、これを読んでサラリーマンで一切そんな仕事をしている人を見たことも、自分がした事も無いと言う人はいないのでは無いか?と思い空恐ろしくなった。
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「ブルシット・ジョブが増え続けている!」というポイントに絞ってほしかった。枝葉の議論が多すぎるように感じた。
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開いては閉じてを繰り返し序章を読み終えるのにも時間がかかったので、諦めてサイトやYoutubeのまとめで全体を把握した。
また読む気が出てきた時に読もう。
色々なブルシットジョブがあるのは分かったけれど、それに対する解決案はベーシックインカム。
そうなると今ブルシットジョブに就いている個人が皆今すぐどうにかできるものでもない。
本書最後にも「本書の主要な論点は、具体的な政策提言をおこなうことにはない。本当に自由な社会とは実際にどのようなものなのかの思考や議論に、手をつけはじめることにある」とある。