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投稿者:iha - この投稿者のレビュー一覧を見る
グレゴワールは勉強が苦手な劣等生。誰でも受かる試験にも落ち、行きついた先は老人ホームでの過酷な労働。そんな冴えないグレゴワールがそこで出会った老人に読み聞かせをすることで、人生の意味を見出し、活路を開いてゆく物語です。よくある若者と老人の構図ですが、一風変わったふたりの交流が美しくもほほえましいです。
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本とは縁のなかったグレゴワールが、老人施設でムッシュー・ピキエと出会い、本とも出会っていく。
ムッシュー・ピキエのための朗読会は、広がりたくさんの人々に喜びを与え、何よりもグレゴワールが変わっていく。
人生を重ねた人がそれまでの得たものを若い人に手渡していく、そんな繋がりが好きだ。
ムッシュー・ピキエが聖人君子ではないのがまたいい。一人の人間のありのままの姿を見せるからこそ、グレゴワールと友情が芽生えたのだろう。
ムッシュー・ピキエの最後の願いを叶えるためグレゴワールは、フォントヴロー修道院までの旅をする。
そこには、王妃アリエノールが両手に開いた本を持った永眠の姿勢が刻まれている。
それは、本を愛する者であれば願う永遠の姿だ。
本から得るもの、本を通して繋がること、本と共に成長すること、本好きに喜びを与えてくれる良い話だった。
そんな好きな本もいつか読めなくなるのだろう。その時、グレゴワールのような人が身近にいたら、朗読会が身近にあったらいいな。
ラストがなんとも素敵!
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海外文学に慣れていないせいかなぁ・・・?
文章がフランス文学過ぎて、
書いてあることがほとんど理解できなかった。
だから全く入ってこない。
活字を追うだけで、
残念ながら私は楽しめませんでした。
もっと日本風に訳されていたなら、
面白い物語なんじゃないかと思いました。
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軽い調子で書かれている(翻訳されている)が、意外と高齢者施設の本質を描いているのではないかと思わせる作品でした。
高齢者施設で働く本を全く読まない少年が、本好きの老人と大人になっていくお話。
そんなにハッピーでもそんなに暗いわけでもない、あり得そうであり得なそうな不思議な気持ちで読み終わりました。
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グレゴワールはバカロレア(高校卒業資格)も取れず、コネで入った老人ホームで調理場の下働きとして働いている。そのホームに三千冊の本と一緒に入居している元書店主のムッシュー・ピキエ、体も眼も不自由になって本を読むことができないピキエのために、グレゴワールは本を読んであげるようになる。老書店主は、グレゴワールに本を朗読するときに必要なことを教え、声が出るようにするためのトレーニング方法も教えてくれる。やがてグレゴワールは、ホームの朗読者となっていく。
老書店主ピキエの本への愛情がグレゴワールを変えていく。老人ホームで本を朗読する、日本の老人ホームでそんなことをしているところはあるのだろうか。ピキエとグレゴワールのチームワークにワクワクさせられる。体力の落ちた老人の未来は想像していたこととはいえ悲しい。でも、その遺言をひそかに実行するグレゴワールに拍手を送りたい。
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高校を卒業したもののバカロレアに落ち、母の伝手で老人ホームの厨房の職を得たグレゴワール。入居者の元書店主ピキエと親しくなり、病気のため本が読めない彼のために本を朗読することになる。本書がデビュー作の著者は朗読家と紹介されている。職業なのかボランティアなのかわからないが、そうした経歴が本書の下敷きになっているのだろう。本など読まなかった青年が、老人のために朗読を続けるうちに本の虜になっていく。後半は一転してロードノベルとなるが、この過程もいい。
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風景描写が美しく、草のにおいや河の水音、びゅうびゅう吹く風が頬を打ってくるのを感じました。
フランス映画のような。
元書店主ムッシュー・ピキエの出してくる本をAmazonで検索しながら読みました。
ムッシュー・ピキエの推薦書、今では日本では絶版になったものもありましたが、私の興味を引くものが多く、読んでみたいなぁと思いました。
最初の三分の一ぐらいは、シンプルな老人と若者の物語っぽいけど中盤から引き込まれて、夜の読書時間が楽しみでした。
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バカロレアに落第し、就職にも失敗した青年が、介護施設で
年老いた書店主に出会い、朗読に目覚めていく。
日本では、この朗読というのはなかなかなじみがなく、
学校では、読み聞かせという言葉のほうが浸透している。
でもこの読み聞かせは、多人数に本の絵の力を借りて、
聞かせる感じがする。朗読は、あくまで一人芝居に近い。
ラストはかなり好きだった。
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210615*読了
SNSでこの本のことを知ったんだったかな…。違うかな…。
フランス領の国の作家さんで舞台はフランス。
とはいえ、パリの華やかさではなく、主にとある老人施設が舞台になっていて、静かな小説でした。
バカロレア入試に落ちてしまって進学できなかったグレゴワールが、老人施設で働くことになり、3000冊の本を居室に詰め込んでいる元書店主のおじいさんと知り合い、本を読む習慣もまるでなかったのに、おじいさんのために朗読をすることになる。
そして、開ける世界。
この朗読をし始めるようになってからの目覚ましい変化が好きです。
本はやっぱり人を変える力があるのだなぁ…。
グレゴワールだけじゃなく、おじいさん以外の施設の住民へも影響を与えていく様子も素敵。悪だくみも含めて。
最後は胸がきゅっとなる展開なのですが、間違いなくグレゴワールは老書店主と出会えてよかったと思う。
人生を大きく変えてくれた人。
グレゴワールはこの先、どんな大人として生きていくのだろう。
でも、きっと傍らには本があるのだろうな。
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老いた書店主が朗読を通して人生を教えた若者に
自分がやりたかった旅を依頼する。
老人は自分の死が近い事を知っていた。
落ちこぼれの若者が成長していく物語。
老人の骨が本の中に、、、。
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老人介護施設で働くグレゴワール・ジェランはバカロレアに失敗した落ちこぼれで母親の口利きで施設の厨房で働き始めた。
ジョエル・ピキエは書店主だったがパーキンソン病を患い部屋の壁一面の三千冊程の書籍と一緒に入所して来た。
ピキエはグレゴワールに施設所長の許可を得て毎日1時間の朗読をする事になった。
最初の日は、J.D・サリンジャーの''ライ麦畑でつかまえて''だった。その後同じ施設の入居者、マドレーヌとセレスティーヌの2人が加わりモーパッサンを朗読した。
ある時、ピキエは死期が迫っている事を感じグレゴワールに頼み事をした。それは歩けない自身に代わって250km先にある教会へ行き本を持つ女性像アリエノールを見るという冒険だった。老人の目となり手、足となって彼の分身として歩行旅をする。
目的地目前の日に、ピキエは亡くなった。グレゴワールはそれでも老人との契約を果たすべく教会に辿り着いた。
落ちこぼれだったグレゴワールは、ピキエ老人とのささやかな朗読によって今までと全く違った人生を感じる様になってきた。施設の皆が彼の朗読に期待し感動する。看護士のディアリカという恋人も出来た。
施設という狭い世界でグレゴワールは本と老人達の人生を感じながら文章と言葉を通じて精神的に大きく成長して行くのです。柔らかで老人と若者の強い絆と本を通しての思考や想像力が羨ましい。古典文学に殆ど馴染みは有りませんが落ち着いた穏やかな気持ちになりました。
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『人を惹きつける朗読力・本のソムリエと共に…』
元書店主で老人ホームに入居中のムッシュー・ピキエと、ホームに勤める若者グレゴワールは、本と朗読を通じて交流を深めていく。老人の読書案内、チャレンジしてみようかな…
・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』
・モーパッサン『装い』『トワーヌ』『ベロム師の獣』『売りもの』『メゾン・テリエ』『脂肪の塊』
・ナジャ『青い犬』
・ユゴー『徒刑場を訪ねて』
・アレッサンドロ・バリッコ『海の上のピアニスト』
・ルイ・アラゴン『イレーヌのコン』
・ギョーム・アポリネール『一万一千本の鞭』
・ベルナール・ノエル『聖餐城』
・モーリス・ジュヌヴォワ『十四年の人々』
・ジャン・ジュネ『薔薇の奇跡』
・ジョージ・R・R・マーティン『七王国の玉座』
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主人公グレゴワールは高校卒業後、バカロレア(高卒認定のようなものらしい)に落ち、進学も就職もままならず母のコネで老人ホームで働くことになった。
そして、入居者の一人で元書店主のムッシュー・ピキエに出会う。それは同時に本との出会いであり、朗読との出会いであり、彼の人生の指針との出会いであった。
学生時代落ちこぼれだったグレゴワールは最初朗読なんて、と思っていたが、ムッシュー・ピキエに習い朗読を続けることで、どんどん成長していく。
いろいろなことについて考えるようになり、様々な経験をする。
老人ホームでは死に向き合わなければならないこともある。グレゴワールは死の床にある入居者に最期まで朗読をするなど、彼なりに死について考えることもある。
このようにグレゴワールが成長する描写や、グレゴワールとムッシュー・ピキエが楽しそうに本や朗読について話している場面や、トイレの配管(他の入居者の部屋に繋がっている)を通じて「ラジオ」と称しエロ本を朗読するエピソードなど、面白いシーンはたくさんある。
(逆に少し私には難しくてよくわからない場面もいくつかあった。)
しかし、中でも好きなのは、やはりムッシュー・ピキエのためにグレゴワールが老人ホームから二百キロ離れたフォントヴロー修道院まで徒歩で(!)旅する道中のエピソードである。もちろんその後のエピソードからラストまで…名シーンの連続だと思う。
なぜそんな旅をグレゴワールがすることになったのかは、本書を読んで確かめてほしい。
老人と青年の友情物語でもあり、愛の物語でもあり。
最後の数行が好きなのだ。
「まだあなたを説得しなければいけませんか、ムッシュー・ピキエ?ぼくのヒーロー、それは木だって。」
グレゴワールのムッシュー・ピキエへの思いと、彼の成長と意志を感じるから。
ちなみに著者はこれが処女作で、朗読家であるとのこと。朗読への愛も感じるおはなしだった。
本書は図書館で借りたのだが、ティーンズ向けに分類されている。読みながら、たしかに、ティーンズや20代など若い層が読むと、よりグレゴワールの物語に沁みるなと思った。
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本を介して老人心を通わせていく、落ちこぼれの青年の成長を描いた一冊。
映画を観るように読み進めました。
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題名からしてそそられる。
楽しみにしていた一冊である。
バカロレアにも落ちてしまったグレゴワールが、老人施設の仕事でピキエ老人に知り合い関わり合いを深めていくにつれ、眠っていた知性が呼び覚まされ、ピキエ老人のみならず周りの人々を巻き込みながら人としての成長をしていく。
いわゆる『学校のお勉強』は良く出来るが、社会に出ると全く役に立たない人や、『学校のお勉強』が合わず個性が埋もれてしまう人は一定数存在する。
グレゴワールはお勉強は全くダメで、本など手に取るのも嫌。社会人として多少の忍耐強さを持ち、釈然としないものを抱えながらも見て見ないふりが出来る鈍感さを身につけている。
それが、自室に3,000冊の本を持ち込んでいる元書店主のピキエ老人と出会い、本とは読書とは何かということを通じて人として成長していく。
作者は朗読家で、そのような職業があることを初めて知った。朗読がいかに真心とテクニックを必要とするか、ということも。
このところ海外文学が続いている。特有の詩的な表現においては、文字や言葉が上滑りしてしまい、何度も何度も読み返したりした。
それでも自分の中に落とし込めず、言葉がツルーっと流れ出てしまう。
これはもう文化の違いで致し方ないのかも知れないと諦めた。
例えば、北村薫さんの小説に編み込まれている膨大な知識は、まるでわたしがそれを語っているかのように一体となる。
けれどこの物語は舞台も生まれ育った文化も違う。違うどころか、想像も出来ない。想像したとしても、ネットなどで断片的に拾ったものだけだ。
それに、物語に出てくるのは作者も内容も知らない本ばかり。
だからきっと、滑って滑って滑ったまま終わってしまったのだ。
つまらないわけではない。面白い物語だった。
老人ホームの老人たちが、実は心の中には熱い想いを隠している描写とか。
グレゴワールの人生が意外な方向へ進んでいくのも楽しかった。彼が旅する様子は映画を観ているように感じた。
ただ登場する作家や物語に、馴染みがなさ過ぎた。
わたしが知らな過ぎて、プロの朗読者である作者の熱量が遠かった。
降参。
ひとつ、心に留まったのが、「プレザン(出席)」の手をちゃんと挙げ意思表示をすること。
人生は切り拓け、自ら参加していくんだ!と鼓舞されている気がした。