紙の本
家族が家族となるために
2023/01/02 08:10
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投稿者:ユープケッチャ - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画「コーダ あいのうた」を観て、「コーダ」(CODA=Children of Deaf Adults 聴覚障害のある親に育てられた聴こえる子ども)という言葉を初めて知った。この本は、コーダとして生まれ育った著者が、耳の聴こえない母との関係を築き直すまでを描いている。
自分の行動や心情をこれだけ冷静に客観的に記せるようになるまでには、長い時間や葛藤があったにちがいない。それは、家族がほんとうの家族となるために必要な時間と努力だったのだと思う。
電子書籍
コーダ
2023/07/30 19:48
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は、この本を読むまでコーダという言葉すら知りませんでした。しかも、作者は、まだ、この国に優生保護法があった時代に……。これって、コワイです。国に殺される、というのは、ホント、その通りですねえ。
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障害に向き合う人々の強さ、愛の深さ、そして苦しみもがく姿が、真摯に読み手に知ることの大切さを訴えてきます。家族愛。ずっと涙が止まらない一冊です。
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CODAという言葉を初めて知った。他とは違う家族、恥ずかしい、周りの目、どうしてわたしだけ?そんな気持ちを誰かと共感できれば少しは楽になれるのだろうか。
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手話を知らない人はいないあまりいないかもしれないけど「コーダ」って知らない人はまだまだ多い。
ろう者の両親から生まれた聴者の子供、コーダ。
周りの人達と自分の家族が違うことのある日気づき、とまどい、悩み、そして親への反発心や感謝などを赤裸々につづられています。
コーダに限らずマイノリティの世界はいつだって差別の目にさらされることが多い。
マイノリティ側にいる人の真っすぐなメッセージはこちらの心に深く突き刺さります。
とても良い本です。
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聴覚障害のある親に育てられた聴こえる子《コーダ(CODA)》である著者の体験談。
「隣にいるかもしれない聴覚障害者のことを想像」し、無知ゆえに傷つけることがないよう知っていきたい。
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2019年の12月にハフポストのある記事を読んで
CODA、KODAという言葉を知った
五十嵐大さんが書いた記事だった
ご自身がCODAである
その五十嵐さんが自身と聴覚に障害のある母のことを丁寧に正直に書いたのがこの本だ
読んでよかった
障害とは、どんなものなのだろう? と、私たちは知ろうとする
知ることがその障害を障害ではなくなることへのステップになるかもしれないと思うから
でも、家族に障害のある人がいる人のことを知ることは、あまり無かった
障害のある方は、障碍者枠でのお仕事に就くことがある
その場合、障害の無い人と同一の賃金ではないことの方が多い
実際に経済的に豊かでないというハンディをもつことになる
そういった物理的なハンディだけではない
その子どもが、やさしくてまじめであればあるほど、
「親を助けてあげなくちゃいけない」と、
親の生涯をも背負い込むメンタリティを持つ
当然のことながら、人の人生なんて背負い込むことは難しい
子どもなのだからなおさらだ
そこから逃げ出すことに罪悪感を持つことになる
両親に障害が無ければ、ほとんど持つことがないであろう感情だ
そういった過程を通ってきた五十嵐さんは、紆余曲折を経て、
母のことを「守ってあげる」対象と受け入れ、
さらに母のことを知ることで「ともに生きる」相手なのだと思うようになる
それは、ご本人が様々な経験を経て、大人になっていったからだろうし、
お母さんを人として知っていく過程だったのだろう
すごい本だと思った
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コーダ(Coda,Children of Deaf Adults)とは、ろう者の親を持つ聴者のこと。
この言葉は丸山正樹さんの著書で知った。
コーダの五十嵐大さん。
ご両親のことが嫌いで、それ以上にお母さんのことが好き。
と書かれている。
この矛盾した思いはどこから来るのか知りたくて読み始めた。
旧優生保護法、第1条には「不良な子孫の出生を防止する」
その時代に大さんは生まれた。
不勉強で、私はその法律はずいぶん昔の話だと思っていた。
知ることができて良かった。
お母さんの思い。
P107
〈手話を使って話してくれて、本当にうれしかった〉
ありがとうの言葉がこれほど大きな意味を持つなんて。
本を読み涙を流すことはそれほど多くはない。
むしろ〈泣けた〉という帯文が嫌い。
でも、本作は最初から最後まで涙しながら読み進めた。
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障害者にはできないことがある、だからサポートが必要になる、でも「できること」まで取り上げてしまわない、だって対等の関係なのだから。介護の現場たとえば認知症でもそうかもしれない、と思い至った。
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幼少期の大さんと母の会話や母のこと好きなのに恥ずかしい。という葛藤に、何回も苦しくなって泣いた。
聴覚障害者は、音は聞こえない。けど、できることはたくさんある。聴者が聴覚障害者に対して、何も出来ないから助けなきゃではなく困っている様子が見られるときにスっと手を貸すことができるようにすることが大切なんだなと思った。
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2021/08/08予約 8
p107
電車の中で大勢の人がいる前で、手話を使って話してくれて、本当にうれしかった。今日はとても楽しかったの。だからありがとうね。
僕は駅のホームで号泣した。
こここそ、コーダの人の抱える形容しがたい気持ちなのだと思う。
これがわかるくらい大人になった僕。ここまで、文句も言わなかった母。どちらも、口には出せない大変な気持ちの中で葛藤していたのだろう。
心の中でボロボロ泣いていたのは、僕より、母なのだろう。
どのエピソードを読んでも、なんと素晴らしいお母さん、と思うが、このようなやさしい気持ちの子どもに育って、本当に子育て成功ですね、と感じる。
p135
コーダにはコーダの生きづらさがあるから、障害者への支援が必要なように、コーダへの支援も必要だと思う。
コーダの仲間と出会い、どんどん外へ発信する側にまわれるようになる僕。ひとりじゃない、他にも同じ思いを持つ人がいる。それはどんなにか心の支えになったか。
いつかご両親を呼び寄せ、手話教室を開くことができますように。
読んでよかった、いい本です。
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コーダ特有の悩みは尽きないけど、聴覚障害者との間に入れる特別な存在なんだと思えた。
両親との辛いことや子どもの冷たい態度も受け入れられるお母さんは、聞こえないことでいろんなことを諦めてきたことで、幸福の基準が低くなってるからかなと悲しくなった。
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親子関係を思い起こさせるような箇所が多く、当事者とは違う立場でも葛藤を理解できるところはあった。
聴覚障害の友達がいたり、脳の障害などで話し方に特徴がある子どもとの関わりを思い、言葉にしていなくても失礼な対応をしていなかったか考え、また今後その可能性があることも忘れずにいたい。
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耳の聴こえない両親から生まれた、耳の聴こえるCODA(Children of Deaf Adults)の"ぼく"。
聴こえるのが「ふつう」の社会と、聴こえない「ふつうでない」両親との間で、苦悩し、忌避し、孤立していく"ぼく"が、いかに自分を肯定し立ち直れたかというドキュメンタリー。
序盤から中盤までは、"ぼく"の悩み苦しむ姿がとにかく哀しい。
特に、自分でもひどいことをしていると理解しながら、先天的に聴こえない母を避けてしまう、それでも手話を覚えて母と会話する…
愛憎どちらにも触れる姿は、読んでいて居た堪れない気持ちになる。
同時に、"ぼく"の育った家庭環境や、人との関わりが密接になる地方での同調圧力を考えると、よく頑張ったね、苦しかったね…と声をかけてあげたくなった。
後半で東京に出て、ようやく"ぼく"は同じようにCODAとして生きてきた仲間を見つけ、今までの自分と母の姿を肯定的に捉えられるようになっていく。
同時に、母への贖罪の念と感謝と共に、ようやく「ごめんなさい」と伝えられるようになる。
"ぼく"の母に対する態度は、確かにひどいかもしれない。もっと他にやりようがあったのかもしれない。
けれども、彼が強いられていたことは、例えるなら小学校で習った英語だけを武器に、英語が全く喋れない人の通訳を外国で、かつボランティアでするようなものだろうと思う。
まして、耳が聴こえない場合、危険に気付くタイミングが遅れる可能性もある。
その神経のすり減らしようは、想像するだけでも大変なことだと思う。
だから私は、つらい中よく頑張ってくれた、と難聴者の立場から声をかけてあげたい。
そして本書をきっかけに、CODAや、ろう、難聴者のことが広く知られていくといいな、と思った。
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前作?「しくじり家族」を読んだ時に感じた歯切れの悪さの答えをこの作品で知った気になった。
周囲の無理解や想像力のなさ、成長期の子供が抱える複雑な思い。
どの登場人物に対しても、状況も、白黒つけられるような単純な話では無いし、この1冊で帰結する物語でもない。
愛しさと哀しさを内包した私小説だった。