らは「愚か者」だったのか
2021/02/25 16:22
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「暗殺」というのも殺人であるが、「多く、政治的に対立している要人を殺すこと」と「広辞苑」にあるように、いささか区別して使われている。
歴史をひも解けば、古くは「大化の改新」もそうだし、戦国時代にも多くの「暗殺」が行われてきた。
中でも突出しているのは、幕末から明治維新の頃で、「わずか十数年の間に、その数は百件を超す」という。
本書は副題にあるように「桜田門外の変から大久保利通暗殺まで」の主だった暗殺事件の、起こった背景(つまりは「殺人」ではなく「暗殺」として括られる政治・思想を明らかにする)や殺された側と殺した側の人物像にも迫ろうとする試みである。
幕末の「暗殺」者として有名なのは、「人斬り以蔵」と呼ばれた土佐藩の岡田以蔵だが、彼の場合斬ることを巧みに利用されていた節がある。
この頃の「暗殺」にはそういう安易な誤解で行われたものも多い。
数多く書かれている「暗殺」事件の中で、印象に残ったのは横井小楠を暗殺した男の息子が語ったという次の言葉だ。
「私の父は善人だった。(中略)その半面におゐて私は父が時勢を洞察することの出来ぬ昧者であつた」。
「昧者(まいしゃ)」というのは、愚か者という意味である。
そこまでいうのは酷としても、少し熱を冷ませば凶刃を手にすることはなかったかもしれない。
しかし、その熱があればこそ、時代の歯車は間違いなく、ガラリと回ったともいえる。
暗殺の幕末維新史
2021/05/27 23:26
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末、そして明治以降の日本の政治的暗殺を列挙している。尊皇攘夷派の襲撃が桜田門外、坂下門外の変を経て、名を上げる為の暴力に変わっていき、単に命を奪うだけでなく、過度な暴力や侮辱を与えるようになっていった様子も分かる。
明治維新後、それまで権力側を襲ってきた人々が権力側となり、今度は暴力を取り締まるようになると、自分たちの行ってきた行為のみを肯定するようになる、などとても面白かった。
明治期の様々な暗殺事件のリアルな実相と世間の反応を詳細に描いた興味深い一冊です!
2021/03/02 10:41
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、歴史研究家で、『幕末歴史散歩 東京篇』、『同 京阪神篇』、『高杉晋作』、『坂本龍馬を歩く』、『高杉晋作を歩く』、『司馬遼太郎が描かなかった幕末』などの著作で知られる一坂太郎氏の作品です。同書の中で筆者は、「明治維新は近代日本の原点とされる。だが、日本史上、これほど暗殺が頻発した時期はない。尊攘論の洗礼を受けた者たちはなぜ暗殺に走ったのか。大老井伊直弼暗殺から内務卿大久保利通に至る国家の首班、外国人、坂本龍馬なのど志士、さらには市井の人々が次々に標的となる」と書かれています。同書は、こうした事件のリアルな実相と世間の反応を描くとともに、後世、一方で暗殺者を顕彰し、もう一方で忌避した明治国家の対応が詳述されています。闇から見つめる幕末維新史の一冊とも言える歴史愛好家には興味をそそられる書です!
明治維新あっつい
2020/12/02 19:45
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸から明治へ、日本の近代化に向けて熱い熱い思いの男たちの物語。
考えが違う、なら殺してしまえ。それを野蛮というか、正義というか、武士としては、
当然の行動なのか…。
教科書に必ず掲載されている政治家や紙幣でおなじみの人々も、意外と人の命を軽く扱っていたらしい。少し驚きました。
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<目次>
序章 繰り返されてきた暗殺
第1章 「夷狄」を排除する
第2章 「人斬り」往来
第3章 「言路洞開」を求めて
第4章 天皇権威の争奪戦
第5章 維新に乗り遅れた者たち
第6章 ”正しい”暗殺、”正しくない”暗殺
終章 それでも続く暗殺
<内容>
幕末から明治初めにかけての暗殺についてのみ紹介した本。暗殺=いわゆるテロ、だが、伊藤博文や井上馨など、明治の元勲たちもみんな幕末は「テロリスト」。大久保や西郷も然り。自分の考えだけを推し、人の意見は認めない。哀しい時代だったのだ。
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面白いし、大変勉強になったのでニ度三度読み返しそう。幕末の敵味方の思想の変遷は不勉強でまだまだ理解が難しいところがありますが、個人的には幕府側に同情的な見方になってしまいます。薩摩・長州はあまり好きになれないなぁ。
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概ね20年間程度になるのだと思うが、幕末から明治維新の“暗殺”という事柄に関する事典のような様相も呈する一冊で、同時にそうした営為の社会での受け止められ方の変遷というようなことも論じられている。これまでに「無かったかもしれない?」という角度から、幕末や維新を論じるということになるのかもしれない一冊だ。
それにしても、この「幕末・維新」という時期に関しては、驚く程に多くの(未遂も含めた)暗殺事件が発生している。が、それらに関しては少しずつ“性質”を変えながら続いていたという面も在る。そういうことが論じられているのが本書だ。
更に本書は、事件関係者の「扱い」が「後年に如何なった?」に言及が在る。幕末期の色々な事件に関わった人達で、明治時代の或る時期に至って、“功労の在った人物”という取り扱いになって、位階を贈られる、靖国神社に合祀される、場合によって御本人を祭神とする神社が所縁の地に起こるというような例が生じている。或いは立派な墓碑で御本人の事が伝えられているというような例も見受けられる。そういうことが加えられている部分が本書には多い。それも興味深く読んだ。
こういうような「事典的」な要素も在るような形で論じられている一冊は、手元に置いて時折参照して記憶を喚起するために役立たせるという使い方も出来るであろう。
様々な事件に満ちていて、少し「判り悪い?」という感の「幕末・維新」という時期を知る上で、本書は「好き道案内」になり得ると思う。
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思ってたより倍くらい面白かった。これぞ歴史とい感じがした。
歴史は為政者によって都合よく語られるというのは良く言われることで、明治維新とはまさしくその側面があると改めて知ることができた。正しいことなど主義主張によって違うし、世の中歴史の理は決して単純ではない。
あと、暗殺は肯定されることではないが、やはり敵陣営の有能な人を1人殺すことで世界は変わっていく、というのも事実かもしれない。だからこそ暗殺が流行ったのだと思うが、一般人は何人いても大勢に影響ないが、いわゆるインフルエンサーは1人でかなり世界を変えられるものなのかとも思った。
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桜田門外の変から大久保利通暗殺まで、近代日本が生まれた幕末維新期。日本史上これほど暗殺が頻発した時期はない。この国の夜明けは・・・?血に塗られていたのか???
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正義と不正義が、国の方針とか声の多さに寄る世の中を現していた。暗殺された人の中にも後に位を貰った人とか靖国に弔われた人とか、まさに時の権力が後ろにいた、底知れない怖さを感じた。
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幕末から明治、暗殺という視点から見つめ直した日本史。
幕末から昭和の戦前までの日本史は暗殺の歴史といえるだろう。本書は明治期までだが、実に多くの人材が暗殺で失われている。「言路洞開」、言論の道が開かれていない時代にはテロはやむを得ない手段だったのかもしれないが、どうも腑に落ちない。テロリストを礼賛する隣国のような狂信的な態度はどうかと。
暗殺に関する評価の変化が本書では面白い(第6章正しい暗殺、正しくない暗殺)。井伊直弼を顕彰し横浜に銅像を建てる旧幕臣。一方で桜田烈士50年祭を挙行する新政府寄りの立場。その翌月に大逆事件が起こるという皮肉。
暗殺という手段に違和感を覚えるのは、今の日本が恵まれているからなのか。平和ボケなのかもしれない。世の中には過去も現在もテロに頼る以外に現状の苛酷な環境を変えられない人々がいるのも事実である。
淡々と暗殺に関する記述が続く中、殺す側殺される側両方の立場も考慮した、良著でした。
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「正義」は我にあり? 近代日本のあけぼのは、暗殺の嵐が吹き荒れていた。尊攘運動から倒幕、藩閥政治打破へ。もう一つの幕末維新史
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暗殺を羅列では無くて時系列に並べてみせた面白い趣向の読み物。意外に面白かった。
この方、文章が上手。
別の時代の暗殺の歴史とか書いても面白いのでは?
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ペリ-提督の黒船来航から「明治」と改元される十数年間に百件を超す暗殺事件(政治的テロ)が頻発した。 桜田門外で主君を護ろうとして闘死した井伊側八名は忠臣として顕彰され、無傷で藩邸に帰った七名は絶家、斬に処された。坂本竜馬と中岡慎太郎は、明治12年に靖国合祀された。長州の大村益次郎は、故郷に大村神社が創建、明治11年に靖国神社に銅像建立。大久保利通暗殺の首謀者島田一郎は、藩閥政治に抵抗した政党政治の先駆者して浅草本願寺の「憲政碑」に合祀など、暗殺事件後の様々な処遇に目を奪われる血生臭い幕末維新の暗黒史。
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戦争は暴力そのものなのだ。実は政府が入れ替わる明治維新期は、歴史的に最も暗殺が行われた時代であるそうだ。本書は、そうした暗殺事件を多数取り上げて、それぞれの暗殺の理由というところに特化して語る一冊である。
ぼくには維新期の暗殺者ということで言えば、映画や大河ドラマで勝新太郎や萩原健一の演じた「人斬り」岡田以蔵のイメージが強く、彼の処刑シーンはどちらでも印象深かった記憶が残る。だが、人斬り以蔵にせよ、人斬り新兵衛にせよ、捕縛されるまでになかなか捕まらぬプロの殺し屋であったことは今更ながら異例に近いようにすら思える。
むしろ複数思想犯による斬殺とそのあとに目立つ場所に晒される首級、そして暗殺者たちも刑場の露となって消えてゆくことが、維新の暗殺史のスタンダードのようである。殺せば処刑されるのだ。
しかし、中には、生き残る殺人者もいて、それらが実は明治政府の中心人物であるばかりか、日本国首相として生き延びてゆく者すらいる。また首相ですら、また凶刃に倒れたりする、というテロまたテロという世界がこの時代の狂気の強さを表していて驚かされる。
暴力でしか解決できないサムライ、剣の文化であった。外国人を襲撃するという攘夷行動も目立つが、それらが国際戦争に直結しなかったのは今更ながらあまりにも幸運であったとしか思えない。それだけ各国の日本との交易の旨み、反して国際情勢の緊張が東アジアを席捲していたに違いない。
背筋が凍るのを通り越して、胃の具合が悪くなりそうなほど残酷な、山のように連続する暗殺行動、それらを次々と記録した本書を通して、日本の、否、世界の人間の未来に警鐘を響かせたくなる、まさに心が寒くなるような、それでいて読むべき一冊なのであった。