紙の本
躁鬱に限らず、現代人の心に刺さる。
2021/07/26 11:38
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゲイリーゲイリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「躁鬱大学」というタイトルの本書だが、決して躁鬱の方のみをターゲットとした作品ではない。
本書は、将来への漠然とした不安を抱えている方や承認欲求に囚われている方、つまり全ての現代人が健やかに生きていく方法を指南してくれる。
本書には「思い切った行動をするタイプなのに、実は人の顔色をよく見ている」など自らの繊細な内面を見透かしたかのような記述がずらり。
著者はそういった要素を性格と評するのではなく、体質であると述べる。
性格という表現ではなく体質という表現されることで、自分自身の責任という見方から体質であるならば仕方ないと肩の荷が下りる方も多いのではないだろうか。
また人の悩みは全て、人からどう見られているかということだけである、とアドラー心理学と同様のことを述べている部分にハッとさせられた。
著者は「いのっちの電話」(自身の携帯番号を公表し自殺志願者の悩みを聴く活動)を10年間も行っている。
つまり著者は誰よりも自殺志願者の悩みを聞いてきた経験があるのだ。
そんな著者だからこそ辿り着いた、人が抱える悩みの本質に対する結論には非常に説得力がある。
その上著者は、悩みを生理現象であり我慢するのではなく吐き出すべきだと結論付ける。
この考え方が世に広まることで、どれほど多くの方の苦しみを取り除くことができるだろう。
その他にも、「他人の言葉に縛られて窮屈になるのではなく自身の感性に従い伸び伸びとする」、「適度な距離感を保ち他者と接する」など
閉塞感で息が詰まりそうな現代人の心に風穴を開けてくれる言葉が溢れている。
躁鬱に限らず、自身の抱える悩みを誰にも打ち明けられない方にこそ読んでほしい一冊だ。
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【1回目】通読後、すぐに再読したくなった。躁鬱は、治療し、克服するべきものではないとされている。そうではなくて、むしろ「体質」。きちんとできないことを卑下する必要ななく、そうすることはかえって鬱を招くことさえある。自分のしたいことをしたいように、自分のためにするという生存戦略。以下、再読後に・・・。
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自分は躁鬱病ではないが、躁鬱人の性質は持ってるかもしれない。逆に、非躁鬱人にこの感覚ってないの?と思ってしまった。
窮屈にならずのびのび生きる、吐露する、時間割を決める、鬱語の変換、ほどほどの人付き合い、など心掛けたいことが色々見つかった。
自分にとって心地いい、のびのび生きれる形が見つかるといいな。試行錯誤。
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躁鬱病を病気と言うよりも一種の体質と捉え躁鬱人としている。本書は躁鬱人による躁鬱人の為の講義です。
精神科医の神田橋條治氏をソクラテスと見立て、彼の言葉を著者の坂口恭平氏がプラトンとなって解釈しそれを皆で共有する。
「気分の波で悩んでいるのはあなただけではありません」の副題に惹かれ本書を手にした。躁鬱病の気分の落差に驚き対処法を会得する事が大事だと思った。
自分には鬱状態の解釈、対処法が為になった。今まで悩みと思っていた事が人類共通の特徴であり生理現象である、出す事が重要だと教わった。
★★★✩✩ 3.0
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ここ最近、周囲の人にすすめられて興味を持っていたので入学して(読んで)みた。
坂口恭平の本は5,6年前、自分がようやく読書というものを覚えはじめた時期に何冊か読んだ記憶がある。
この『躁鬱大学』、おれは半信半疑で後ろのほうの席から講義を聴いていた感じだが、まったく眠くはならず、むしろ坂口氏の言葉一つひとつに身体性を感じて見惚れた瞬間があった。
長年、躁鬱の波に翻弄されていた坂口氏が神田橋という精神科医の言葉と出逢って、そこから得たインスピレーションをもとに突っ走ったような講義。
自分が今、過度な躁でも鬱でもないので、それほど動揺せず聴けたというのはあるのかもしれない。
坂口氏はこの本や、Twitterなどで自分の電話番号を公開して「いのっちの電話」という、いのちの電話のソロ活動を10年続けている。
累計2万人くらいの話を聴いたらしい。
まあーすごいことだと思う。真似できない。
おれも3年前、死にたくなったとき何回かいのちの電話をたよったが、一回も繋がらなかったもんなあ。
絵、文章、音楽、畑 etc と、万華鏡のような活動で器用富豪を体現している坂口恭平はツイートも頻繁で、フォロワーである俺でさおもミュートを考えるときがあるが、
この本を読めば、その真意的なものは何となくわかる。
そして内容が自分にも当てはまることが多かった(そういう風に書いてるのかもしれないが)。
我がゲリラ戦のような毎日の参考にさせていただこうと思う。
読みながら何度か、同じ躁鬱を生き抜いた中島らもさんが浮かんだりもした。
興味ある方はぜひに
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鬱の時に、自己否定文にカギカッコをつける
がとても役になった。
読んでいく中で、気持ちが上向きになった。
気持ちが沈んでいてもいなくても、何度も読み返したい。
P252
「物欲を満たす行為が何か別の創造に変化する」
というフレーズが心に響いた。
ストレス発散が、消費→浪費(もののインプット)から何かを作る(思考のアウトプット)に変化させていきたいと思う^ ^
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著者が2万人の「いのっちの電話」を受けてわかったことは「人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる」「この世に悩みというものは存在しない」「それは悩みではなく、生理現象」ということで、ここを読んだ時はあまりのシンプルさに、まさに肩の力が抜けたようになった。よく「難しく考えなくていいよ」とか、「楽にして」とか「好きなことをしなよ」と声をかけてくれる優しい人はいるが、それをどうやって実行するかは教えてくれる人はいない。まして学校教育では教えてくれるものではない。横並びの同級生同士だと、ズルいと思われるポジションにつくと非常に窮屈になる。
この本はすごい。なにがすごいかというと、薄々気づいていたけれど、どうすればいいかわからない気持ち悪さとか、どうすればいいかを言語化しているところだ。ようはこの本を読めば、いま自分がなにを感じているかとか、なにをしたいかとかが自然と降りてきてしまう。観念の世界をここまで言語化するとは、すごい。
【よかった文言メモ】
・自分にとって都合がいいこと、嬉しいことは、ひたすら栄養になる
自由なときになにをしたいのかわからなくなったときの問い
問1「寝ていたい?起きていたい?」
問2「外で動き回って人によく会う仕事と、部屋でパソコンに向かって座っている仕事、どっちが好き?」
問3「青と赤、どっちが好き?」
鬱語からの意味の抽出
外に出られない→外に出たくない
布団から出られない→布団から出たくない
死んでしまいたい→死んでるみたいになにもしたくない
自分にはなにもできない→なにもしたくない
簡単な掃除もできない→掃除がしたくない
人生には意味がない→今は意味など求めずぼちぼち生きていたい
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良い本だった〜読めてよかった〜!
「私か?」と思うようなことしか書かれてなくて逆に驚く 当事者を「躁鬱人」名付けてこの本のようにその生態(笑)を解明してもらえるの、ネットの情報には絶対できない。まさに「気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません」。
診断受けてネットで調べて本も読んでみて「まあ別に私そんなんちゃうしな」と思っていたのが私ですがここまで「私か?」なことばかり書かれていると回り回ってそうか私は本当に躁鬱人だったのか…と妙に腑に落ちてしまった。
私が今まで読んできたものは何だったんだ、この一冊さえあればよかったのだ…
全般的に「そうなんです泣 」みたいな感じで読んでいて首もげるくらい頷いて染み渡りまくっていたのだけど「ということで躁鬱人に会社勤めなんて無理アンド無理」と書かれていたのにはちょっと笑ってしまった
会社勤めでなんとかやっていきたい私、報われてほしい 言わんとすることは100わかるがね!
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HSPだなーとかACだなーとか思うことはあったけど躁鬱だなーと思うことはあんまなかったからそんな期待しないで読んでたけど共感の嵐だった
小学生の頃は曜日毎に使うランチョンマット固定して、時間毎に使う鉛筆も固定して、朝の準備は分単位で何するか固定して、心地よかったなあ…
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その10 トイレを増やせば自殺はなくなります。の章がすごく府に落ちた。
『人からどう見られているかが気になってしまう』という生理現象に関しては、このトイレにあたるものがないんです。
トイレ、ウンコに例えるところがなんともすばらしい。
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自分は躁鬱病(双極性障害)ではなく、うつ状態なんだなってことがスッキリわかった。
それだけ、躁鬱人の行動や思考は自分のものとは違う。躁鬱人を支える理解ある非躁鬱人になれたら。
文体や構成については、あの、まあね。
そういう感じ。
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果たして私は躁鬱人なのか?という判定するような気持ちを持ちながら読んだ。結果としては、この本の躁鬱人の定義からすれば、私は非躁鬱人になるのかな、と。他者と自分の境界が曖昧でサービスの才能があるというのには、私は全く当てはまらないからだ。基本が他者と壁ありまくりの人見知りであり、基本が薄っすらと鬱で、サービスをしようにも鬱っぽいのでなかなか難しいからだ。著者のようにホテルマンの仕事とかやったら、たぶん半日ももたずに辞めてしまうと思う。
この本が面白いと感じたのは、著者が躁鬱病という既成概念を、躁鬱人と言い換えることで脱構築し、著者独自の新たな概念として打ち立てているところだ。著者が自らの経験を新たな概念として創造する過程に立ち会っているような気持ちがして、読んでいるとなぜだかワクワクさせてくれるのだ。
私は著者の定義する躁鬱人には当てはまらないが、それならば私は自分の病を元に新たな概念を作り出せば良い。そもそも心の病に社会が決めた定義なんて窮屈なのだ。そんな勇ましい気持ちにさせてくれる魔法の書。
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サクちゃんか蘭ちゃんが紹介していた本だったから読んだけど、自分は軽い躁鬱人だということが判明した。びっくり。
本棚に入れておきたい本。鬱になったときに開いて、違う違うそうじゃない、こうしないとね、と確認したい。
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どう生きればいいのか、無駄に真剣に考えてしまう、だから疲れる。
大好きな本も読めなくなる。意味もなく気が塞ぐ。
かと思えばハイになって眠れなくなる。深夜にお金をたくさん使ってしまう。
私だけじゃなかったんだね。サンタみたいなものかと思っていたから、リアルで存在が確認出来なかったから、こんなにも共感できて涙が出てしまうとは思わなかった。
今はただ寝ている。でもそれでいいらしいから、ただ寝ていよう。それでも生きていることになるでしょう、きっと。
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もう悩まなくていい。躁鬱病と診断され、気分の浮き沈みの激しさに苦しんでいた僕がみつけた、誰でもできるラクに愉快に生きる技術。
躁鬱病の人が生きていくためには、他の人とはちょっと違う技術が必要です。コツは「自分のために」やること【目次】躁鬱病が治らないのは体質だから
心が柔らかい躁鬱人のための返事の術
「居心地悪いなぁ」と感じたらすぐ立ち去る
資質に合わない努力を避けるための吐露の術
「今から作り話をします」と前置きして話そう
「自分とはなにか?」ではなく、「今なにがしたい?」と聞いてみる。鬱の奥義・一の巻 鬱のときに「好奇心がない」と嘆く理由
鬱の奥義・二の巻 心臓と肺だけがあなたをラクにする
鬱の奥義・三の巻 自己否定文にはカギカッコをつけろ
トイレを増やせば、自殺はなくなります
人の意見で行動を変えないこと
孤独を保ち、いろんな人と適当に付き合おう
躁鬱超人への道
実例:躁鬱人の仕事の歴史(坂口恭平の場合)
最終講義:それぞれのあなたへ