紙の本
心地よい虚実。
2022/03/20 14:54
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙でまず騙される。また、読み進めて行って出てくる現代を代表する芸術家たち。確かに海外には本国で有名でも日本で知られていない小説家はいるだろう。そんな気分で面白くなってくる。
多様性を認めているようで実にマッチョな白人男性のホモソーシャルの存在するアメリカ合衆国で、上流・中流といっていい育ちの男性たちが繰り広げる実に刺激的な人生。
著者自身の体験として描かれる終章がまた素晴らしい。
紙の本
途中で投げ出さなくって良かった。
2022/09/05 17:48
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
末尾にフィクションであると記されているが、アメリカ文学に疎い私は、実録の回想録と小説との流れに、流されるままでいた。ジュリアン・バトラーという作家の、自分自身を楽しむように生きた人生を、目にしたわけだ。その作家と、同性愛の関係、共依存の関係ともいうべき存在のもう一人の作家が、二連星のような状態で、物語を語り続けるから複雑だった。人生は芝居ではなく、ジュリアンのように承認要求することは、自分を他人に譲り渡すことだという。そういう生き方は悲劇的な結末を呼ぶ。誰にも認められなくても、楽しく読みそして書けばいい。
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星5個じゃ足りなくて50個くらいつけたい。今年の1冊は決定した(まだ2月だけど)あまりの面白さに、読みながら何度か本をぶん投げたくなった。人は酷い本を読んだ時だけじゃなく信じられないほど面白い時にも本を叩きつけたくなるんだな。ジュリアンとの出会いの場面が魅力的で(「じゃあ花屋が来るから」)その2ページを何度も読んだ。会話も含めてとっても映像的。実は中身について何も知らずに読み始めて(また!)河出という出版社のイメージも相まって混乱しまくって最後まで読んだ。登場人物も個々のエピソードも混ぜ具合が最高度に凝ってる。最後の参考資料(資料ったって!)の羅列までしっかり読ませた後に印字された、ラスト1ページの小さな文字列よ。。。知的な大人が嬉々として遊ぶとこうなるんだなあ。いいなあ。
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ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から借りた表題からも分かるように、世に知られた著名人の人生をよく知る語り手が、本当の姿を暴露するというのが主題だ。それでは、ジュリアン・バトラーというのは誰か。アメリカの文学界で、男性の同性愛について初めて書いたのは、ゴア・ヴィダルの『都市と柱』とされているが、ジュリアン・バトラーの『二つの愛』はそれに続く同性愛文学のはしり、とされている。
一九五〇年代のアメリカでは、同性愛について大っぴらに触れることはタブー視されていた。ジュリアン・バトラーのデビュー作も、二十に及ぶアメリカの出版社に拒否され、結局はナボコフの『ロリータ』を出版した、ある種いかがわしい作品を得意にしていたフランスのオリンピア・プレスから出ることになった。アメリカに逆輸入された作品は、批評家たちにポルノグラフィー扱いされ、囂囂たる非難の的となる。
しかし、続いて発表された『空が錯乱する』は、ローマ史に基づいた歴史もので、相変わらず同性愛を扱っているものの、繊細な叙述と実際の見聞によるイタリアの遺跡の描写を評価する向きもあった。ところが、三作目の『ネオサテュリコン』は、ペトロニウスの『サテュリコン』を現代のニューヨークに置き換えて、二人の同性愛者のご乱行を露骨に描いたことで、またもや顰蹙を買うことになった。
その第一章を、裏技を使って雑誌「エスクァイア」に載せたのは、ジュリアンの友人のジョンだったが、それがもとで彼は解雇され、友人の薦めでパリ・レヴュ―誌に引き抜かれ、ジュリアンとともに渡仏する。『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、そのジョンが、晩年になって過去を回顧して自分とジュリアンの創作と生活について、世間に知られていない秘密を余すことなく書き綴ったものである。
作品によって作風が異なるのも当たり前のことで、実はジュリアン・バトラーというのは、名前こそジュリアンの名になっているが、その内実は、エラリー・クイーンや藤子不二雄と同じ、合作者のペン・ネームだったのだ。二人は、アメリカの上流階級の子弟が進むことで有名なボーディング・スクール(全寮制寄宿学校)、フィリップス・エクセター・アカデミーの同窓生で、寮の部屋をともにしていた仲だ。
演劇祭でジュリアンがサロメ、ジョンが預言者ヨカナーンとして共演したことがきっかけで、交際が始まり、結局ジョンは生涯ジュリアン以外とベッドを共にすることがなかった。デビュー作はジュリアンが書いたものにジョンが手を入れた。ジュリアンは発想や会話は抜群だったが文章力は皆無。一方、内向的な性格のジョンは、部屋にこもって文章を読んだり書いたりするのが好きだった。派手好みのジュリアンは湯水のように金を使う。一緒に暮らし始めた二人は、不本意ながら合作に舵を切る。もっとも、書くのはジョン一人だった。
どこへでも女装で出かけてゆくジュリアンは、華奢だったため、まず男と見破られることはなかったが、アメリカでは変装は罪で、逮捕される危険もあり、二人は渡欧。最後はイタリアのアマルフィ近くのラヴェッロに居を構え、ジョンは日がな執筆を、ジュリアンはカフェで酒を飲んでは興に乗って歌を披露するという暮らしを続ける。トルーマン・カポーティ―やゴア・ヴィダルといった友人がヴィラを訪れては、飲めや歌えの大騒ぎを繰り返す、この時期は二人にとっての酒とバラの日々だった。
十代後半から八十歳代に至るまでの回顧録で、当時のアメリカの作家やアーティストが繰り広げる乱痴気騒ぎを、楽屋話よろしく本編に織り交ぜて語られるので、文学好きにはたまらない。人気者としてちやほやされ皆に愛されるのが大好きなジュリアンは本のことなどそっちのけでひたすら飲んでいるばかり。一方、締め切りに追われるジョンの方は書くことに夢中。相手に対する葛藤もあるが、ヨーロッパ各地を巡っては、料理や酒に舌鼓を打ち、名所旧跡を訪れては、感慨に耽る。この膝栗毛は読んでいて愉しい。
まるで、外国文学の翻訳のような体裁なので、ついうかうかとその気で読んでしまうが、実は根っからのフィクション。ジュリアン・バトラーという作家は存在しない。ジュリアンとジョンの二人は、イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』のチャールスとセヴァスチャンがモデル。二人が楡の木陰で蟠桃を口に含んで白ワインを飲むところに仄めかされている。『ブライヅヘッドふたたび』では、それが栗の花と苺だった。また、ジョンとジュリアンの略歴は作中にも何度も登場するゴア・ヴィダルのそれから採られているようだ。政治家の父を持ち、晩年はラヴェッロでパートナーと暮らすところまで。
しかけはその他にも用意されている。実作者と思わせる日本人がジョンにインタビューしにくるのだが、そのインタビュアーである川本直による「ジュリアン・バトラーを求めて――あとがきに代えて」という文章が末尾に付されていたり、『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書いたアンソニー・アンダーソンが、自分で小説を書くのをやめたジョンの変名で、いわば、ひとり芝居だったという詐欺まがいの行為まで含めて、この小説の作品世界は成り立っている。
これが初の小説だというが、実に達者なものだ。引かれ合いながらも全く異なる資質を持つ二人の男が、長い人生を共に暮らす。なにかと窮屈なアメリカを離れ、祖父の資産と小説の印税や、映画化による契約金で、潤沢な生活を送る二人。放蕩生活を楽しむジュリアンが酒に溺れ身を持ち崩してゆくのに比べ、他人との接触を避け、執筆一筋できたジョンが、ジュリアンの死を契機として、人と生きることに目覚めてゆくところなど、翻訳小説風であるからこそ読めるところで、日本の小説だったら嘘臭くなるにちがいない。次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみな作家の登場である。
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本編は当事者による回顧録という形でジュリアンバトラーの人物像やその関係性を描き、あとがきは第三者による調査で当事者が語らなかったことを解明して真実を添えるという構成なのかな。
ジュリアンバトラーを裏で支えた人物との共依存や愛憎や破滅的な生活は、何となくイメージしていたものとピッタリ合って、実在する作家や著書も登場するためどこまでがリアルかの境目がわからなくなるが、それがこの本の狙いなのだろうか。アメリカの文学やローマ時代の知識が足りないため理解出来なかった点も多かったのが自分的には悔しい。
今は当時に比べたらLGBTQに理解があるように見える時代だけどこの本の舞台になった時代の方がその本質があるような気がした。
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【オンライン読書会開催!】
読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です
■2022年1月7日(金)20:30 〜 22:15
https://nekomachi-club.com/events/ff7345cf2cdd
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1950年代に同性愛や過激な性描写で話題となったジュリアン・バトラーという作家、彼を支えたパートナーのジョージ・ジョン(アンソニー・アンダーソン)による回顧録。ジュリアン・バトラーを知らなかったが、それでも十分魅力的な作品だった。回顧録は作家が書いているので理路整然としていて本人を知らなくても十分楽しめた。また日本版の著者の熱意も十分に伝わってきて読み応えがあった。世界を揺るがしたジュリアン・バトラーだが、妙に特別視されるわけでなく、弱いところ、強いところがある一人の人間として描写されており、彼を取り巻く人々たちの良い関係性が描かれていた。
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たいていの文庫本には、本篇の後に研究者による解説が収めてあって、本篇よりもその解説の熱さにグッとくること、良くあります。そういう優れた解説を読んでいる感じでした。
この作品はたしかに、「ジュリアン・バトラーを求めて」の併録を以て完全版、です。本篇と後書き・バトラーとアンダーソン・僕と作者・フィクションとノンフィクション・言葉と肉体・生と死、相反する2つのものが混ざり合いぐるぐるする快感を味わえます。そして、男と女は人間を二分するものではなくただそう呼ばれているものに過ぎず、新しくて古い家族の形と愛(なんと手垢にまみれた、謎にみちた、ワイルドカードだろうか)が描かれます。
書き溜めてきた小説を、自分が得意とする文芸評論の中に登場させるアイデア。自分が好きなことと、生きるためにしてきたことが結びつく。たった一度だけ希望と歴史が手を取る瞬間があるとは、こういう瞬間のことをいうのではないでしょうか。
アンダーソンが「出版の全盛は20世紀前半」と語っている通り、いまは文学の時代ではありません。tiktokの時代にどう書くかということに対して、柔らかいアイデアと緻密な組み立てと熱い想いを感じました。
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妖艶な女装に身を包んだホモセクシュアルの男性として20世紀を生き、世間を震撼させるような文学作品を世に生み出しながら毀誉褒貶の中でトルーマン・カポーティやアンディ・ウォーホルらとの親交で知られたジュリアン・バトラーの生涯を描いた作品。当時のアメリカやヨーロッパの世相、そして何よりもカポーティなどの多数のアメリカ文学に名を連ねる作家・有名人たちとのスキャンダラスな逸話が面白すぎる。
・・・のだが、ジュリアン・バトラーという作家は実在しない。著者が作り上げた架空の人物である。でありながら、この語り口や実在の人物たちとのエピソードの数々はいかにもすべてが史実のような信憑性を読者に与えるには十分すぎる。フィクションだと思いながらも「ジュリアン・バトラーは本当は実在していたのでは?」とつい何度も思ってしまうほど、高いフィクションの完成度を誇る。それでありながら、ジュリアン・バトラーの長年のパートナーであったジョージ・ジョンとの愛憎入り混じる関係性などは強く心を打つ。
2021年の最後に非常にエキサイティングな小説を読めて嬉しい、とすら思わせてくれた傑作フィクション。特にアメリカ文学に関心のある人は必読。
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これはやばい、きた、滅茶滅茶面白い。
真実ってある面から見れば、全然意味無いんやねと思わせてくれる。主要参考文献さえもがどこまで事実なのかも分からず、どこまでが本当なのか?と心のどこかで目を凝らそうとするんだけれども、一蹴されることも心地よく感じる。
いやぁ、小説ってこういうもんですよね、こんなに興奮して読んだのは久しぶり。この作家の力量は恐るべしです、次続くんかいな?と余計な心配さえしてしまう。
とにかく震えて読め、と申し上げまする。
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2022/2/3読了。毎日新聞の書評で本作を知ったのだが、最初はオカマの同性愛作家の話かと思った
(そもそもそれが偏見であり、大方の好奇心の本質はそれか)が、自然にページが進んですっかり面白さにはまって?しまった。本作の面白さの背景には
今でこそ同性愛…ことに男色の世界に関してLGBTなんて市民権を得てきたが、1920年代つまり20世紀中葉は極端に言えば犯罪、宗教的にも全くの排除される世界だったんだのがよく分かった。そんな背景で能力や個性のある連中はアート、文学、音楽の世界で生きて行くしかなかったのか。自分を表現する手立てとして。これは米欧の違いはあるものの主人公ジュリアンとジョンが描く群像小説だ。そして
最後章で作者川本直氏が語るバトラーの真実に辿りつくところには胸を打たれるものを感じた。
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アメリカ文学が全くわからないために、この本の本当のすごさはわかりませんでしたが、ものすごい質量の本でした。圧巻。知識がなくて、どれが実在の人物なのか不明。その程度の人間が読んでも読ませてしまうのがまた、すごかった。少し前のアメリカでの同性愛者目線で切り取った純愛物語として読みました。
★4なのは私の教養のせいです。この本自体は★5の価値あり。
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序章を読み続いて本文Iを読み始めたときは買ったことを後悔もしたが読むのをやめるのも腹立たしいので最後まで読んでしまった。ジュリアン-バトラーとジョージ-ジョンソン(アンソニー-アンソン)との関係は離れることの出来ない腐れ縁になっていく話だ。読み終わってみればなかなか重たい話だった。
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エンパイアステートビルを頂点とした摩天楼は威圧的で、悪党の砦のようだったとの表現がある。超高層ビルが住環境を破壊することは随所で指摘される。芸術家的なセンスも破壊するものである。東京電力管内では2022年3月22日に停電の可能性が生じた。エレベータに依存する超高層マンションの住みにくさが改めて注目された。
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怪作。
本編よりも、あとがきで、その怪作ぶりが際立つ。
こんな書き手が存在することが、なんか嬉しい。