紙の本
著者の思いが、最後までじっくり読ませてくれます。
2022/12/24 00:25
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投稿者:クッキーパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
聞いたことも無いロシアの文学者の名前が数多く出てきて、そこは少し気後れするのですが、著者の文学への情熱が溢れていて、素晴らしい内容です。文学大学での生活は苦労の連続でしたでしょうが、アントーノフ教授との思い出は羨まし様な気もします。後段は更に重厚で、「人と人を分断する言葉ではなく、人と人をつなぐ言葉をどうしたら選んでいけるか」、言葉が大事なのだとその思いは一貫しています。生意気ですが、この人は本当に優秀な研究者なのだろうと思います。クールな描写と鍛えられた文章で、最後までじっくり読ませてくれる好著です。
紙の本
今(2022年4月)こそ読む
2022/04/04 12:35
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者は高校卒業後にロシアに渡り、日本人として初めてロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業したという、キリル文字に何となく拒絶間をもってしまう私には想像できない人。この感想文を書いている2022年、ロシアはとんでもないことをしでかしてしまった、しかもその言い分が「自衛のため」、プーチンって、何を考えているんだろう、多分碌なことしか考えていないのだろう。作者がロシアに行ったのが2002年、今から20年前、作者から見たロシアとロシア人、私が作者を通して見たロシアとロシア人、日本のどこにでもある情景、どこにでもいる人物としか捉えられない。とくにアントーノフ先生の作者への愛情(私は彼が彼女が好きだったことは間違ないと思うのだが)なぞは、ロシア人である彼がいじらしく見える。だから今回の出来事は指導者だけが悪いのだ思い込みたい
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
今、読むといろいろ考えさせられる本だと思う。ロシアという国をもっと知りたくなる。良い面も悪い面も含めて。
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今読むべき!
2022/02/25 21:52
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投稿者:tamagoneko - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初はよくあるドタバタ留学日記かと思いきや、思いがけない着地点に連れていかれます。
「大学時代の私やマーシャに『ロシアとウクライナが戦争をする』などと言っても、私たちは笑い飛ばしていただろう」
作者の大学時代は2000年代半ばの事。
戦争が起こるなんて考えられなかったけれど、分断の兆しは「言葉」をめぐって垣間見えていたというのが興味深い。
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呆然と幸福感に包まれながらも、嫉妬と後悔が綯い交ぜになったような読後感。おそらく僕の今年のベストワン。
こんなにも真摯に、身体ごとぶつかかっていきながら、楽しく「学ぶ」姿は、とても眩しく、羨ましく、そして自分自身の後悔をも喚起させる。「細胞が生まれ変わる」ほどの勉強を僕もしたかった。いや、したくなった。(そう今からでも!)でも素直な文体がとても可愛らしく、まるで(SPY×FAMILYの)アーニャが大人になったみたいで心が癒やされる。この本こそ、僕は孫に読ませたい。あと何年後だ?
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◯私は「ああ、ほんとうにそうなんだ」と思った。この瞬間を、あの鳥を、私は生涯忘れないだろうと。(39p)
◯いちど清書してしまうとそのノートからは、いつひらいても先生の声がした。(100p)
◯私はいまでも、もし一瞬だけ過去のどこかに戻れるとしたら、あのとき歴史図書館に向かっていた坂道に戻りたい。(184p)
◯なにも言えなかったのは、言うべきことがなかったからではない。ただ、どの言葉も心を表しはしなかったからだ。(255p)
★ここまで何かにのめり込めるのは素晴らしい。こんなに眩しい思い出を持つ著者を羨ましく思った。
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20歳でロシア留学をしたときの出来事を中心にしたエッセイ。知らない人に助けられたり、友人たちとの交流など暖かく優しいエピソードだけでなく、身近に起きるテロや警官の腐敗、知人の蒸発などの様子など、2002年当時のロシアでの学生生活や社会の様子が活き活きと記される。そして、言論の画一化や統制強化、ウクライナとの関係悪化などが進み、大学や信頼する恩師の生活も影響を受け変ってゆく。届くはずのなかった亡くなった恩師の思いを知るくだりは、まるで小説のように切ない。時代の制約の中での個人の生活、人との信頼関係、別れの悲しさと出会ったことの意味、生み出され、受け継がれ、残り続けるものについて考えさせられる。読んで良かった。
#夕暮れに夜明けの歌を #文学を探しにロシアに行く #奈倉有里 #イーストプレス
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大変に愉しく読了したが、同時に余韻が深いような一冊だった。
少し前に『戦争日記 : 鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々』という本を読んだのだったが、巻末に解説文を寄せていたのが本書の著者であった。その記憶が新しい間に本書のことを知り、直ぐに入手して読んでみたのだった。
著者はロシア文学の翻訳家であり、大学の教壇にも立っているということのようだ。ロシア語や文学を学ぶべく、高校卒業後にロシアに渡って大学に入って学び―随分を思い切ったことをされたのだと驚いた。―、研究を続けようとした中で帰国して日本国内の大学院で学んだということである。
本書は、そのロシアへ出て過ごした学生時代の回顧というような内容が軸になっている。時期は2000年代だ。
雑誌等に長い期間に亘って連載されるエッセイのような文章で読み易いのだが、或いは「“著者”が主要視点人物になる、独立した短篇にも見える章を折り重ねて創った長篇の小説」というような雰囲気も漂うような気がした。
題名に在るように「ロシアに行く」ということで、そこへ至った経過や、出逢った人達との様々な交流、出くわした巷の動きに感じたこと、更に著者がロシアに在った期間に感じた社会の雰囲気の変化に関する事等が綴られた篇が折り重なっている。何れも好いのだが、殊に秀逸なのは「アントーノフ先生」関係の篇だ。
「アントーノフ先生」というのは、著者が学んだ<文学大学>で出逢った人物で、最初に受講した講義に強く惹かれたという教員である。この「アントーノフ先生」との交流は続き、学年が進んでからも別な担当講義を受講している。<文学大学>卒業後も、一生懸命に独自に作った講義録を参照する機会が少なくなく、しばしば思い出した懐かしい人物となっていた「アントーノフ先生」だが、やがて衝撃的な事実に出くわしてしまう。
この「アントーノフ先生」に纏わる数々の篇に触れていて、「独立した短篇にも見える章を折り重ねて創った長篇の小説」というように感じたのだった。
更に、本書が登場したのは2021年だが、その時点で顕在化もしていた「ウクライナを巡る色々」に関しての論が在る篇も入っていて、何れも読み応えが在る。
ロシア語圏での文学、文学に纏わる批評、それらを包括した諸々の経過、そういうようなことに関して様々な教員達の論に耳を傾け、考え、時に学友達と語らったであろう著者による論だけに酷く説得力が在る。
濃淡は様々ながら“灰色”という中に在る人達が大勢居たが、或る時に“黒”と“白”とに分けようということになって、何か息苦しくなってしまったというような論だ。そして人々を「結び付ける」のも「分断する」のも、何れも“言葉”という論にもなる。更にそれは、ロシアの有名作家が論じていたことでもある。
2021年に本書が登場し、翌2022年からは「特定軍事行動」とロシア側が称するウクライナ侵攻という事態になってしまっている。現在時点で“出口”も視え悪い。そのロシアとウクライナとの問題に関しても、両地域に所縁が在る作家―作家に限らず、そういう人達は実に多いのだ。―のことを取上げる等しながら、濃い内容が入っている本書である。そういう点では「今こそ!」という一冊かもしれない。
実を言えば、自身もこの著者がモスクワに住み始めるような時期の10年程以前、モスクワに滞在した経過が在る。当時は随分と街を歩いたのだったが、そういう理由で本書の中に登場する街の感じの一部は「よく判る!」というように思う面も在った。そういうことも手伝いながら、「何かの雑誌に連載されている気の利いたエッセイ」を集めた一冊という感で、気軽にドンドン読み進めた本書である。が、そういう表層的な「気軽さ」の奥に、非常に強い魅力が在ると思った。広く御薦めしたい。
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ある大教室の壁には、レフ・トルストイの言葉が掲げられていた―
「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこと も できれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え 、敵意と憎しみのにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」。その教えは私たちにとって指標であり規範であった。
人には言葉を学ぶ権利があり、その言葉を用いて世界のどこの人とでも対話をする可能性を持って生きている。 しかし私たちは与えられたその膨大な機会のなかで、どうしたら「人と人を分断する」言葉ではなく「つなぐ」言葉を選んでいけるのか その判断は、それぞれの言葉がいかなる文脈のなかで用いられてきたのかを学ぶことなしには下すことができない。
文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史のなかで繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだ-これまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。
統計や概要、数十文字や数百文字で伝達される情報や主張、歴史のさまざまな局面につけられた名前の羅列は、思考を誘うための標識や看板の役割は果たせても、思考そのものにとってかわりはしない。私たちは日々そういった無数の言葉を受けとめながら、常に文脈を補うことで思考を成りたたせている。文脈を補うことができなければ情報は単なる記号のまま、一時的に記憶されては消えていく。
文字が記号のままではなく人の思考に近づくために、これまで世界中の人々がそれぞれに想像を絶するような困難をくぐり抜けて、いま文学作品と呼ばれている本の数々を生み出してきた。だから文学が歩んできた道は人と人との文脈をつなぐための足跡であり、記号から思考へと続く光でもある。もしいま世界にその光が見えなくなっている人が多いのであれば、それは文学が不要なためではなく、決定的に不足している証拠であろう。
いま世界で記号を文脈へとつなごうとしているすべての光に、そして、ある場所で生まれた光をもうひとつの場所に移し灯そうとしているすべての思考と尽力に、心からの敬意を込めて。
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ロシアの日常の空気感、留学生の生活を感じることができた。文章も美しく読みやすい。
大学の講義内容については読み飛ばしてしまうところもあった。
夏目漱石のこころが引用されている箇所があった。
「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
文学を読み込んでいる人は日常生活のなかで本から学んだことを思い起こして、自分の気持ちを整理したり、客観的に分析したりすることができるのか、そんな風に文学を自分の血肉としているのは格好いいなと思った。
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筆者の奈倉友里氏は、ソ連崩壊後、2002年にロシアに単身留学し、ペテルブルクの語学学校から、モスクワの国立ゴーリキー文学大学でロシア文学を学び、同大学を卒業した最初の日本人となった。
今はロシア文学の翻訳者としても活躍している。
その彼女が、ロシアで過ごした学生時代の思い出を、毎回ロシアの伝統的な文学作品や、ソ連時代に政府に隠れて発行されていた地下文学、詩作などと絡めながら語る。
そして後半は自分が大きく影響を受けた講師との、どこかしら淡い恋愛感情さえも感じさせる交流も語られる。
昨年あたりからソ連時代に書かれた作品や、ソ連という国家について書かれたものなどをいくつか読んできたが、そこで描かれていたソ連という国の暗部、そして時には命をかけて抵抗し、見つかれば重罪となった政府を批判する作品を地下出版していた人々の物語などが、ここにも出てきていた。
そして、何よりも奈倉氏の大学での友人やルームメイトたちが、ウクライナやベラルーシから来ていた事なども今の情勢と照らし合わせて、なんだかモヤモヤしてしまう。
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小さく副題として「文学を探しにロシアに行く」とあるが、タイトル、装丁から、ロシア関連図書とは思えない本書。2月以降、どの書店でもロシア関連図書のコーナーがあり、そこで出会えた。いいこともある(← もちろん皮肉を込めて)。
高校卒業後、ロシアに渡り、ST.P、モスクワで暮らし、文学大学を卒業した筆者が、大学での授業、ロシア文学を軸に当時の生活と、現代につながるロシアの日常をリアルに描き出す。
ロシア文学、ロシア語への造詣は実に深く、とはいえ、米原真理ほど破天荒な性格ではないからか(あくまで推測)、地に足の付いた、実に飾り気のない実直な日々が真摯に描かれていて、親身に感じられて好印象。
1991年夏のクーデター。著者は9歳だった。 私は、まさに秋からのロシア赴きの準備中で、この先どうなるのか?と戦々恐々だった時だ。そんな冒頭第1章の記述から、現代に至るまでのロシアにまつわる体験談なだけに、共にこの30余年を振り返ることが出来て、懐かしい。
“ 「ヒトラーの誕生日には外出しないように」という主旨のメールが日本大使館から届いていた。ヒトラーの誕生日にどうしてスラヴ人がアジア人狩りをしなければいけないのか皆目見当がつかなかったが、そもそも排外主義は知識や論理とは無縁だ。
こうした 2000年代に入ってからのキナ臭い空気も、同じモスクワで体験していたんだと、勝手ながらに親近感を覚える。
時節柄、今はロシアとウクライナの問題、世界との軋轢、分断に言及した箇所に、ついつい目がいきがちだ。 2014年以降の章には、そうした記述が増えるのも事実。
「ロシアでは、言論の画一化があきらかに進んでいた。(中略)まず、マスコミの変化 — 独立系テレビ局や新聞社への弾圧やスタッフの(政府によって都合のいい人員への)総入れ替え、出版社へのモスクワ中心地からの立ち退き要請といった現象が立て続けに起こった。」
「大学時代の私やマーシャに「ロシアとウクライナが戦争をする」などと言っても、私たちは笑い飛ばしていただろう。」
終盤の章で引用されるトルストイの言葉も胸を突く。
「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のために使え、敵意を憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい。」
そんな箇所に読者が気を取られるのは、著者にとって望んでいたことではないだろう。本書には、異国の地で、その国の文学を通して学ぶ生活、思想、文化、語学を通じて理解し合える人と人との繋がり、広がりゆく世界、洋々たる未来、そんな喜びに満ち溢れている。
そして敬愛する恩師への感謝と愛を綴った最終章。 その文末にだけ記された日付を見れば、本書は何のために編まれたかは一目瞭然なのだった。亡くなった恩師への弔辞、いや、ラブレターと言ってもいいものだろう。
恩師への愛、文学への愛、ロシアへの愛、言語や文章、書物に秘められた人類叡智への果てしない愛情が感じられる、とても温かい作品。
本書を、
“「分断する」言葉ではなく、「つなぐ」言葉を求めて。”
という帯の惹句で紹介しなければならない世相を恨む。
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旅はしないけど、旅本。強烈な異文化体験。ロシアの社会思想は、いまだにトルストイやドストエフスキーや・・その他多くの文豪、文学者の思想や思索が底流にあるにあるらしい。すごい。共通知になっているということ。僕らは、漱石や鴎外や、川端も三島も、春樹だってみんな知っている、読んでいるっていう前提では話なんてできないのに。
著者はソ連崩壊後のロシアへ。ペテルブルクの語学学校でロシア語を学んだ後、モスクワの国立ゴーリキー文学大学に入学。学生数は全学年合わせても約250人程度だが、ロシアでは知らない人はいない大学らしい。「文学大学」なんてあるのもすごいし、そのカリキュラムもすごい、というか・・・ロシアっていう感じ。卒業すると「文学従事者」という資格を得るらしい。
学友も先生もユニーク。東京藝大をもっとずっと圧縮したような感じだろうか? 多分そうなんだろう。
ソ連崩壊後の混乱・・・テロ、宗教、貧困・・の渦中のモスクワで文学を通じて先生や学友との交流。
当たり前だけど、ロシアの人々も普通に生きている。
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2023.3.22市立図書館 →購入(2023年4月3日)
ずいぶん前に予約を入れてずっと待っていた本。ウクライナ侵攻から一年余、ぎりぎり春休みを使って読み終えられそうなタイミングで順番が回ってきた。
こどものころにロシア語に興味を持ったきっかけから書きおこし、20年前にロシアに留学していた間の勉強三昧の毎日と仲間や師との交流、当時のロシア社会や現地で見聞きした事件などを回想してえがくエッセイ。終盤は帰国して大学院に進学してからこの作品を執筆した2021年ごろの日本での思い、ウクライナはじめロシア国内外での分断を憂う話も入ってくるが、なんといっても中盤に登場するアントーノフ先生との出会いからお別れまでがこの作品の幹であり核だろう。
コンパクトな1篇1篇に内容にふさわしいロシア文学(小説や詩)からの引用が添えられていて、紹介されているロシア語文学の作品を次から次へと読みたくなってきた(巻末に登場した書籍一覧がついている)。特にワシーリー・アクショーノフ「クリミア島」や「ウクライナ日記」のアンドレイ・クルコフが2018年に発表した長編「灰色のミツバチ」が気になるけれど、これらは未邦訳のようで残念、著者やヌマヌマコンビあたりが鋭意翻訳中と期待したい。
奈倉有里さんのことはこの1年のロシアとウクライナの情勢にからむ発信で名前を覚え、翻訳を手掛けたサーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』も読み、冷静に真摯に考えて発信している姿をずっと目の端に入れていたが、このエッセイ集は雰囲気的にちょっと須賀敦子さんを思い出させる美しい作品で、いずれ文庫になったら・・・いやいやこの単行本の手触りや雰囲気がいいので手元においてときどき読み返したいので返却期限を待たずさっそく手にいれた。思いがけない展開にひきこまれつつ最後までたどりついて、またすぐにでもはじめから読み返したいが、すこし寝かせておいて、いくつか芋づる式読書をしてからのほうがいいかもしれない。
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文学を、あるいは文学の勉強を語る筆致がとてもイキイキと楽しそう。学ぶのが心の底から好きなんだなあ、この人。読み終わると切なさも残る。
そしてロシアとウクライナがこうなってしまった今読むと更に、いろいろ思う。こうなってはしまっているが、ロシア文学やロシア文化の深さ豊かさは変わるものではない。そのことは心しておきたい。