タキトゥス 年代記 上
著者 国原吉之助
『年代記』はローマ帝国初代の皇帝アウグストゥスの死(紀元一四年)から筆をおこし,以下ティベリウス帝からネロ帝の死(六八年)に至る四代五十五年の治世を物語る.人間の本性に肉...
タキトゥス 年代記 上
商品説明
『年代記』はローマ帝国初代の皇帝アウグストゥスの死(紀元一四年)から筆をおこし,以下ティベリウス帝からネロ帝の死(六八年)に至る四代五十五年の治世を物語る.人間の本性に肉迫してやまぬ洞察力,類まれな描写力.――この史書をひもとく者は,あたかも一篇の秀抜な歴史小説に接するかのごとき感を深くする.
目次
- 凡例
- (第一部 ティベリウス)
- 第一巻
- 一 アウグストゥスからティベリウスへ
- 二 属州パンノニアの軍隊の暴動
- 三 属州ゲルマニアの軍隊の暴動
- 四 ゲルマニア戦役
- 五 首都の出来事
- 第二巻
- 一 東方の不穏な状勢
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ユリウス=クラウディウス朝
2024/01/10 20:17
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投稿者:DB - この投稿者のレビュー一覧を見る
タキトゥスがティベリウス帝、クラウディウス帝、そしてネロ帝と三代にわたるローマ皇帝について書いた歴史書です。
古い時代のローマの栄枯衰勢の様子やアウグストゥスについてはすでに輝かしい歴史家の記録があるので、それ以降についてを書き記したと最初に書かれています。
アウグストゥスが死んでティベリウスが皇帝の座につくまでの出来事ではじまるが、やはりアウグストゥスの娘ユリアが産んだ孫のガイウスとルキウスが夭逝し候補者がいなくなったことによる譲位だった。
そしてその陰にティベリウスの母でありアウグストゥスの妻となったリウィアの姿が見え隠れする。
ティベリウスが皇帝となってからも粛清があり、ゲルマニクスの死があり、そしてセイヤヌスへの寵愛による政治の乱れとセイヤヌスを処刑してからの恐怖政治、カプリ島への隠棲、そして晩年を悩ませた東方の動乱について語られていきます。
その二十三年に及ぶローマの支配について、タキトゥスは「ティベリウスの運命が最大の試練にさらされたのは、ユリアを妻に迎えた時から」として、彼の性格も運命と共に変転したという。
アウグストゥスの下で命令していた間は日常生活も世間の評判も完璧であったが、ゲルマニクスとドゥルススが生きていたうちは狡猾に美徳をよそおうようになり、母が健在であったうちは善と悪を同じくらいつき混ぜていた。
だが最後に遠慮や羞恥心から解放されて彼自身の本性にのみ従うようになってからは、悪行と破廉恥の中に身を沈めたとまとめていた。
タキトゥスの原典は欠損していて、その部分がカリグラ帝の短い治世とクラディウス帝の治世初期について書かれていたものと思われるそうです。
なので下巻はクラディウス帝の治世の後半、メッサリナが貴族たちを殺し淫乱の果てに処刑されるところから始まります。
メッサリナのあとに迎えた四番目の妻アグリッピナは、ゲルマニクスとアウグストゥスの孫大アグリッピナとの間に生まれ、クラウディウス帝の姪でもあった。
メッサリナが淫欲の女だったとすればアグリッピナは支配欲にとりつかれていた。
自分の息子ネロを皇帝にするためにアグリッピナがクラウディウスを毒殺したのだというのが通説だが、ローマの女は猛女が多い。
続くネロもまた健全な精神の持ち主とは真逆だったが、アグリッピナに支配され続けていればそうなってしまっても当然なのかもしれない。
こうしてネロの死と共にタキトゥスの歴史書は幕を閉じる。