私たちが知るべきタブートピック
2022/04/18 03:37
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投稿者:魚大好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
イスラエル人の社会学者が母親になって後悔している23人にインタビューした報告書。
子どもをもったことを後悔してはいけない?そりゃあ人間だもの、子供をもってから感じる後悔だってあるだろうなと私は思う。でも世間はその気持ちをもつことさえも、許してはくれない人が大多数なんだろうなと想像してしまう。もちろん直接子供にその気持ちを伝えることがいいことかどうかは、別の話だけど。
このインタビューを受けた23人は皆、母親になったことを後悔しているけれど決して子供を愛していないというわけではない。ただ母親という役割に違和感や息苦しさを感じている。
これが経済的支援や周りの助けが十分にあったとしてもその気持ちは変わらないと答える人もいた。
子供を産んでも母親という役割に向いてない人だっているし、自分の意思で決めたと思っていてもそれは文化的背景、偏見、社会通念などによって誘導されたものかもしれないことを認識しておくのは大事だよね。
インタビューを受けた方たちの勇気ある行動はすばらしいと思う。
刷り込まれていた「良い母親」像
2023/02/13 11:54
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kkzz - この投稿者のレビュー一覧を見る
無意識的に刷り込まれていた「良い母親」像は社会的圧力を生み出すほどの偏見の塊だという気づきを与えてくれる一冊。言われてみると「子供を持てば母性は自然に生まれてくる」「苦労は多いが報われる時が来る」といった子育てに関する常套句は、冷静に考えると異様だということに気づかされる。しかしそれを今までは当然のものとして感じてしまっていた無意識下への社会的刷り込みは恐ろしい。母親には社会的に崇拝する母親像を押し付け、結婚・出産しない女性には未熟のレッテルを張り付ける。複合的な社会問題に実際の声とともに触れられました。
誰にだって後悔はある。
2022/09/07 14:37
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生は選択と可能性と後悔に充ちている。
しかし、子を持って後悔していると公言すると、非難の嵐にあうらしい。
子どもを愛し、きちんと育てている女性でさえも、出産しなかった場合の人生に諦めきれない可能性を感じている。
さて、後悔を自覚しているからこそ子どもには後悔なき人生を送って欲しいと立派な教育を施そうとする母親と、あなたの為だと過干渉、過保護で子を支配しようとする母親と、どちらが子どもにとってよい親か?
子育てすることと、母親の役を演じるのは別物
2023/09/27 15:35
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投稿者:ブラウン - この投稿者のレビュー一覧を見る
母となること。子を持つこと。実存として見れば分かち難いことだが、概念としては確かに別物だ。本書では母親のロールを引き受けたくなかった女性たちのインタビューを通して、こういった混同しがちな概念や固定観念を解きほぐす。
著者の主張は観念的に現状の課題とゴールを示唆する論調で、かつ引用も思想色が強いせいか、趣旨の理解の足を引っ張っている感は否めない。が、インタビュイーたちの生の言葉がとにかく目の覚めるような表現で綴られており、彼女たちの心情の真に迫っている名文ばかりである。
「母親になって後悔している」なんて個人の感想に怒涛の怒りのメッセージが集まる世界があるんだと驚く一方、取り巻く複雑な様相が彼女たちの口をいかに塞いできたか。数少ない証言から浮上する、現代の「母の愛」の材料が何だったのか。当事者ですら言語化が非常に困難な後悔にまつわる実話の数々であるために、慎重に扱わざるを得ない著者の息苦しさが伝わるようだ。複雑に入り組んだ、言語レベルでの細分化が必要な問題に対して、フェミニズムは決して軽率かつカジュアルに標榜できるとは限らないと思った。非常に示唆に富んだ一冊だった。
母親になって後悔している
2023/10/10 20:04
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あり - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は母親とは何なのかを改めて気づかせてくれる本でした。
著者の実体験もあり、とても引き込まれました。
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タイトルに衝撃を受けて読んだ。母親はこうあるべきだと社会に刷り込まれていたんだと。だからタイトルに衝撃だったんだなと。読んで良かった。
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強烈な題名である。しかし、とても読んでみたくなった。
【母であることに気持ちが揺れるのが普通だと私は信じているが、少しでも「ネガティブ」と解釈される可能性があることを書くときはいつでも、次の免責事項を付け加えるという痛々しい衝動に駆られてしまうーもちろん私はわが子たちを何よりも愛しています、と。】
後悔していることと子どもの存在とは切り離して考える。子どもの存在を後悔しているわけではない、という気持ちにはとても共感が出来る。
母親から子どもへの愛情をあまりにも神聖視するから少しでもマイナスな気持ちを持つと糾弾されるかのような気持ちになってしまうのではないか?
【「(子どもを)欲しくない、または欲しくなかったのに持ってしまった人は、子どもを愛していないと、即座に決めつけられる」のだ。…愛があれば後悔はなく、後悔があれば愛はないと言うように、この2つは共存できないかのように語られるのだ。「私は子どもを愛しているが、母になったことを後悔している」という表現は、定義上不可能であると見なされるー母であることを消したいという願いは、愛する子どもを消したいと願うのと一緒ではないか、と。なのに、辛い恋愛関係の後に「私はまだ彼を愛しているが、彼に会ったことを後悔している」と発言するのは逆説的とは考えられない。言い換えれば、母であることが神聖な位置に置かれているために、女性が愛すると同時に人生における幅広い愛の意味合いを認識するという状況が受け入れられにくいのだろう。】
母になったことへの後悔と子どもの存在とは別物と考えられないだろうか。子どもを消したい訳ではなく、母であることへの責任感や周囲からの当然あるべきという期待に押しつぶされそうになったことは誰もが一度はあるのではないだろうか。それが恒常化する可能性だってあるのではないだろうか。
そしてパートナーは
【一般的に言って、父親は自分お時間の所有者になることを多分に許されており、そうする機会も多い。】
日本だけではないのか、と失望する。
【親子関係のロマン化というプログラミングを無効化するのは難しい。そこには社会的・政治的イデオロギーが関わりますから。】
母が神聖視され、子どものためには沢山のことを我慢できるとしておいた方が、社会的に楽だからそうなっているのか?
【以前よりも多くの母が、「調和のとれた穏やかな母」を期待されることに意義を唱える権利を主張し、母として感じる可能性が有り、実際に感じているあらゆる感情ー失望、敵意、欲求不満、退屈、アンビバレンスなどーを表に出している。】
人は多面的だし、母は持続的で長期的なものだから、いろいろな感情を抱えることはあると思うのだ。後悔していることを子どもに悟られないように、という意見もあれば、よく言われる「子どもは聡く、感じる」という意見もある。それでは後悔という気持ちを持つな、というのも同義だ。
母であることを後悔するということと、子どもの存在を後悔するということは別物である、と私は思う。そして母であることを後悔している人の多くは��どものためを思って行動していると思う。たとえそれが子どもに理解されなくても。いいか悪いか、ではなく、その人の主観的な考えからは子どもを愛しているのだろう。時に過酷な状況になり、責任から逃れたいと思うことはあると思うのだ。自己の選択により、子どもを持ったと言われるが、全てのことを見通せる訳ではないのだから、ひとかけらの後悔もなく、子どもを育てる人はいないだろう。多かれ少なかれ、後悔はある。個人の心の中で思うことにいいも悪いもない。それを他者がどうこう言うことにどんな生産性があるのだろう。
このインタビューに答えた女性の何人かは自分は良い母親だと話していた。それを私はとても羨ましいと感じた。
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私は全然母になりたくないんだな、と思った
訳だからすごく読みにくいし興味がない人には「あっそ」で済まされそうな内容
男性が親になったことを後悔したり嫌気がさしたら「男ってこういうもん」って態度で関わらないことができそうだけど女性ってそれは虐待、ふさわしくないって思われるよな
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これから母になる予定なので、読んで正解だったと思う。彼女たちの本当の後悔を完全に理解できたとは思えないけど。
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出版社(新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/507271/
目次、著者紹介、試し読み、柚木麻子の書評
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題名と表紙の絵がインパクトがあり、前から気になっていた
じっくり熟読というより、斜め読み
実は私も子供を持ちたいと強く思っていなかった
結婚して子供がいることが当たり前と思っていなかったし、仕事をバリバリ続けたかった
結婚してずっと子供を授からなかったので、周りからも心配されたり、義母からは「子供を産まない人はうちには必要ない」とまで言われてしまう
そう言われても、私の人生は私が決める!と思っていた
ある時、子供を持たない人生が確定されてしまうのは嫌だなと思っていた時に、妊娠し元気に産まれてくれた。
子供を持つことで、自分が人間として成長できたこと、まだまだ足りない部分が多いこと、小さなことに感謝できるようになったこと 変化は大きかった
そして子供を愛していること!!大切な宝物です
でも、2人目は絶対作らないと思った
だから、この本の伝えたい事もすごくわかる
「兄弟がいないと可哀想」とよく言われた
でも、誰が産んで、誰が育てるの?勝手なことばかり言わないでと思ったし
自分には2人育てるキャパがないこともわかってた
この本の中で
現代女性は仕事、子育て、家事とやることが多すぎること
仕事の後=セカンドシフト 家でも仕事の続きのような忙しさ
これは本当にわかる!!!
だからイライラするし、疲れも取れなくて子供に寛大になれない
子供を大切に思う気持ちと日々の大変さは別物だと思う それが楽になるならもっと子供を産みたいと思う人も増えるはずだし、もっと余裕のある子育てができると思う!
だからこそ「居場所」を作って安らげたり、ガス抜きできるところを作りたいのです
わたしは自分の子供を持てて、本当に幸せだし、母になれたこと感謝してます
子供に対して、素敵な母になりたいけどなれなくて、足りない部分は相方がサポートしてくれてる事にも感謝
ただ自分の人生を自分のために生きていきたい!と思う気持ちが強いのです
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自分とは真逆の意見を知りたくて、読んでみた。
訳がちょっと苦手な感じで読みづらくて、ところどころ飛ばしてしまった。
インタビューに答えている女性たちは「母親になったこと」を後悔しているだけで、子どものことは大切で愛しているし、ちゃんと子育てもしている点は救いだった。
子どもにだけは、「生まれてきてよかった」と思ってもらいたいから。
たしかに女性は「母親になれたことに喜びを感じていないわけがない」と当たり前のように思われているので、そうでない人にとっては生きづらいだろうなと思う。
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生物学的に妊娠・出産の能力は女性にある。だからといって、全ての女性が母親になりたいと思っているわけではない。母親になる/ならないというのは個人の自由な選択であるはず。
だけど、母親になることを望まないという意志への疑問や批判を持つ人は多い。
母親でない、それだけで属せないコミュニティがある。居場所がないと感じることがある。
女性というだけで、社会からの“女性は適切な時期に母親になるべき”という圧に晒される。
母親になったらなったで、世間の作り上げた良き母親のイメージ通りに振る舞うことなんて難しいことぐらい分かるだろうに、ちょっとしたことで悪い母のレッテルを貼られる。
子どもに非はなくとも、子どもを愛していても、母親であることを後悔する。「母親になる」という不可逆性を持つ現象。もう母親ではなかった頃の自分には戻れない。ある種の自分の喪失。
母親である人達から母親になることを勧められるこの頃。母親になることの素晴らしさを語られても、実際に産まれた子どもを抱かせてもらっても、私は母親になりたいと思わなかった。
子どもが欲しいと思わなくても、母親になったことを後悔しても、産んだ我が子を愛することは別のことなのだ、という事実が私には救いだった。
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「一度母になったら常に母」(p176)という言葉にゾッとした。私は母親になったことはないけれど「母親」というのは役割だと思う。そして社会が過度に「母親」としての役割に期待をしすぎて彼女らの選択肢を狭め、自己犠牲を強いているのではないか。ここに出てくる母親は「子供は愛している。それでも母でない人生を思う」と考えていることからも。
女性にしか妊娠・出産はできないけれど、それを強制してはならないし、母親にならない(なれない)という人生の選択も当然あっておかしくない。枠組みを持たずもっと自由で良いと思う
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やっと読み終えたが、読み難く、なかなか頭に入ってこなかった。
母になる事を考える。自分自身を大切にしたい。