『映画を早送りで観る人たち』
2022/09/04 18:52
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投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
・最初と最後がわかればいい
・「つまらない」となったらあとは1.5倍速
・“どうでもいい日常会話”は早送り
・連続ドラマを“話ごと”飛ばす
・先に結末を知ってから観る
こんな「倍速視聴・10秒飛ばし」の習慣がなぜ現代社会に出現したのか
その理由と背景をさまざまな角度から考察する
副題「ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形」
納得しうるメディア論であり、コミュニケーション論であり、世代論であり、創作論であり、文化論となっている
2021年3、6、12月にビジネスサイト「現代ビジネス」に書いた9本の記事を全面的に加筆改稿、書き下ろしをくわえて新書化、2022年4月刊
あとがきの最後、著者の慨嘆に共感
〈ただ、それでもやはり思うのだ。
映画を早送りで観るなんて、一体どういうことなのだろう?〉
視聴スタイルから垣間見る現代社会に蔓延る根。
2022/12/30 16:46
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投稿者:ゲイリーゲイリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
倍速視聴、10秒飛ばし、ファスト映画。
こうした視聴スタイルがなぜ蔓延したのか。
外的要因と内的要因の両方から分析を試みた本作は、視聴スタイルの是非を問うのではなく、そうした事象の裏側にある土壌を明らかにしていく。
飽和状態にある配信サービス、多忙を極める現代人のライフスタイル、SNSの普及による増長された同調圧力。
そのような要因が絡み合い、今や映画とは「知る」ため「情報収集」のために観賞、いや消費されていると著者は述べる。
ではなぜそうまでして情報収集に努めなければならないのか。
その背景には、周囲からの「これ観た方がいいよ」「これ観てないの?」といったプレッシャーやマウンティングによる義務感の肥大化、
多くの人が絶賛している作品に対して同様に絶賛すれば同意は簡単に得られるといったことが挙げられる。
つまり、観賞それ自体が目的ではなく、観賞したことで得られる知識や話題といったステータスを得ることが目的と化しているのだ。
そうした背景も相まって、観客の幼稚化が進んでいく。
観ておいたほうがいい作品のリストや先にネタバレを見てから観賞する人々。
特に、解釈の自由度は作品の奥深さとして捉えられることなく、むしろ不親切さとして受け取られてしまう現状には唖然としてしまった。
心に余裕がなくストレス過多な者たちにとって、エンタメに求めるのは心が豊かになることではなくストレス解消。
そのため求められているのは、心を揺さぶることとは対極に位置する居心地の良い快適さである。
そうした快適な時間を過ごすための防衛策として、上記のような視聴スタイルを多くの人が選択しているのだろう。
映画観賞が趣味の私にとって、倍速等の視聴スタイルや快適さを求めるといった作品への態度は到底共感できない。
しかし一方でこうした視聴スタイルが主流になりつつあること、またなぜそのような視聴スタイルになってしまったかについて理解することは放棄したくない。
他者視点の圧倒的な欠如や他者に対する想像力の喪失に端を発する狭量さ。
全部説明してもらってはっきりさせたがるような白黒思考。
根が深いこうした問題を言語化し対策していくためにも、思考を止めてはならないと今一度強く決意させてくれた一冊だ。
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一日は24時間なのにネットの情報チェックやSNSの返信などやることが多すぎる!という中、映画やドラマを早送りで見るという考え方は当然の帰結としてあるかなと。一方例えば、野球で球場に行って初回から最後まで観戦するファンと勝敗だけ分かれば良いという人の差は埋まらない。それと同じようなことという考え方はありますが、しかし映画を倍速で見たり、ドラマを回飛ばしでというのは、制作者への冒涜と思います。私は否定派。
タイパが求められる現代に
2023/09/28 06:23
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
そんなに急いで何が楽しいのかと、一石を投じています。せめて好きな映画を観ている時くらいは、時間を忘れたいものです。
時代と共に、動画を見る意義が変わるのね。
2022/06/14 20:04
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投稿者:おじゃもんくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者は、仕事柄その昔大量の動画サンプルを観ていて。
どうしても間に合わない時は、早送り等でこなしていた。
今になって、DVD視聴して愕然としたそうな。
作品を、味わえていなかったのである。
最近若者達が、有料動画サイトで倍速視聴者が多い事を知り。
その調査の中から、この本が出された。
若者達は、時短(倍速視聴)でコスパ(コストパフォーマンス)を求め。
駄作を見る時間は、タイパ(タイムパフォーマンス)が悪いそうな。
諸々の調査で、動画制作の業界の流れの変化を。
映画しかなかった時代。
テレビの台頭で、映画が衰退し。
番組のビデオ録画で、視聴者は放送時に別の事が出来。
ビデオテープ販売から、DVD販売・レンタル業の台頭。
そして、ネット配信時代へ。
月極見放題で、映画等の作品やとドラマの一括配信で。
視聴者の、見方は多様化して。
パソコンから、パッドやスマホ視聴の時代へ。
「それでは、作品を味わったことにならない」。
「10秒の沈黙シーンには、演出の意図がある」。
と筆者は思うのだが、生まれた時代の違いで考え方も違う若者世代。
作品の鑑賞者ではなく、すでに動画の消費者になっている現実。
便利な社会は、どこに向かうのでしょうか??。
私は、映画というものは映画館で見たものが映画で。
テレビやレンタルで見たものは、映画とは思っていない。
単に、作品鑑賞しただけである。
これを「??」と思った方は、私とは別の感性を持っておられる。
予測のつかない未来。
それも面白いですね。
あわせて読みたい『写真はわからない』(小林紀晴著)
2022/05/26 10:46
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投稿者:安堵 玲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
面白い。映画がつまらなくなった理由がわかる。ただ、本書は誰を対象に書かれているのだろうか。映画を早送りで観る若者向け、ではないだろうし、その HOW TO本でもないし、研究書でもないし。映画を早送りしない年齢層にとっては、カタカナ語のオンパレード、説明のないアルファベット略称の羅列された本書は 悪文だし。
映画を早送りで観るのは若者に限らず、また映画に限らず、堪え性のなくなった現代人の一現象。それに迎合している製作側の怠慢。
面倒くさくなければ小林紀晴著『写真はわからない』をお勧めしたい。本書とは逆の感性の鑑賞をとらえています。こちらも「10行飛ばし」で「消費」できますから。
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すっごく面白かった!なんでこんな夢中になって読んだんだろうと振り返ると、自分も無意識にしていた行為の理由を作者の考察と色んな人のインタビューによって言語化してくれて認識できたからかな。
ファスト映画とかドラマ、アニメの倍速で見る行為は自分にはちょっと抵抗感があるししないけれど、YouTubeでiPad使い方とかは倍速で見たりする。
鑑賞ではなく情報収集としての閲覧の場合、自分もタイパを求めていたことに気づく。
でもそれがダメな行為なのか?と言われると断言できない。例えば動画ではなくて読書で考える。本の読み方も人それぞれで本の種類によっても変わる。じっくり読む小説もあれば、ストーリーだけ追っかけて適当に読むこともある。この本のようにメモしながら読む本もあれば、情報収集のために一部を斜め読みすることもある。本をあまり読まない人からすると本を読むのは時間がかかってそれこそタイパが悪い。けれど読むことに慣れると、それこそ自分の好きなスピードで、隙間時間でちょくちょく読んだりできるから、逆にタイパがいいのでは?と感じている。逆に動画の方がまどろっこしいと感じてしまう。
個人的にはセリフがたくさんあったり、なんでも言葉にしてる物語は苦手で余白のあるものが好みだから、時代の流れでなくなってしまうのは嫌だなあ。
以下自分のメモ。
オタクになりたい若者=どこかに拠り所を探している。属性、ラベリング、「ぼくは性別モラトリアム」の名札の話が連想された。
好きなこと、夢中になれることを探せと言う圧力、プレッシャー。推しとオタクの違い145ページ。
157.8急げ、急げ。早く、早く。この改行とシンプルな表現。
未体験なことが怖い、大事に育てられているから。ホラー絵本を企画した意図にも同じことが書いてあった。夢にすらコスパを求める風潮。
嫌な気持ちになりたくない。
絶対外れを引きたくない、という心理。選択肢が無数にある故にすべてのジャンルの消費者が同じ傾向だと感じる。
大量消費社会、情報のオーバードーズでみんなすごく疲れちゃってるんだろうな。
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ライターであり漫画原作も手掛ける稲田豊史さんの著。
Z世代を中心に、「映像作品を早送りで観る」という視聴層の心理や、彼(女)らを取り巻く状況について考察する本です。
私自身はほぼ1.5倍速や2倍速をしない人間ですが、
この本を読み終えてみて思ったこととして、確かに傾向としてはZ世代が該当しますが、「Z世代=こうだ」というと語弊がありそう(該当しない人もきっといるし、世代は違ってもこういう傾向のある人はいる)です。著者も世代が違っても該当する人はいる、と書いていた通りですね。新書の傾向として系統立った構成になっているため、意識せずに読んでいるとそっちに傾いてしまいそうな感じを受けました。
ですから、これを単なるZ世代の傾向として読むのはちょっと危険です。
この本を読んで私が感じたZ世代象を試しに、ここに挙げてみたいと思います:
・オタクをリスペクトしている、と言いながら実際にやっているのはオタクの努力を(自分は対価を払わずに)横流ししてもらうこと
・(伏線について)思考すること、(面白いアニメを発掘しようと)努力することは「コスパが悪い」というひと言で敬遠する
・ストレス耐性0だから辛い描写は見ない。予想外の展開はストレスだから先にネタバレサイト見る。どんでん返し要らない。
・「タイパがよくて合理的」は本当に自分達の頭で考えて答えを出したことなのか”怪しい”(=実はタイパ悪そうなことを堂々としている)
・身内大切。仲間大切。でも、それ以外はどうでもいい
・ハッキリ言われないと相手の気持ちが分からないのに、相手にハッキリ言われると「傷ついた」と言ってコミュニケーションを遮断(OR相手を敵認定)する
・一つの群れの一員であって、個ではない。かとおもえば個であって、他の人には興味がない
この本に書いてあること、そして私が感じ取ったことが
現実でなければいいな、と思いました。
余りにも稚拙で、考えることに乏しく、誰かのいいなりにそのままなってしまいそうな、”ある人たち”について書かれています。
著者は実際に倍速視聴を(仕事の都合上)する立場にあったからこそ、この話を書いたそうです。それは「制作側からすれば、やっぱりそんなことをされたら悲しい」ということなのかもしれません。
一方で、これから何世代も経た先に、「昔は倍速視聴で目くじらを立てる人がいたんだって」と笑われる時代が来るかもしれない、とも書いています。
これについては、「オーケストラの生演奏、映画館での視聴が本来の形」とされた言説と少し違って、倍速視聴は「同じ映像を自分でカスタマイズして視聴する」といったほうがしっくりきます。現代にも「やっぱりライブコンサートは配信よりホールで聴いたほうがいいね」という価値観が残っているのと同じで、生演奏や演劇、映画館などに赴く人たちがいるのと同様、「等倍が時代遅れ」になるのではなくて「等倍で観られる=贅沢」という価値観にスイッチしていくのではないかな、と思いました。
量を求めるか質を求めるか、ということは悩ましい問題で、この問題は解決策がなかなか見つからないものですから、時代背景が変われば、バランスが変わって倍速視聴が廃れる日がくるかもしれない、と個人的には思います。
ツッコミどころもありましたが、(「倍速視聴の経験」以外の数字データに乏しい、など)読み物・著者の考え方を知るものとしてとても面白かったです。
でも、なんとなくですが、Z世代への風評被害がすごいような気もします……。
全員が全員「結末を知らないとアニメが見れない」「ネタバレを見て安心したい」のではなく「お勧めされたから一応見よう。等倍だとタイパ悪いから2倍速。でも大事なところは後から話せるようにしないと」ということで、「ネタバレを見た後で倍速視聴」を選択しているんじゃないかと思います。
クラスメイトにハブられるシーンがネックになって売れなかった小説については、どういうものか確かめられなかったので推測ですが、(昭和世代と比べて)いじめが身近なものとなったZ世代にとっては、いじめ描写が耐えがたい(当事者であった読者が多い)ということなのではないでしょうか(ハブ=いじめかどうかは不明ですが)。
どちらにせよ、「こういう分析があって、この人はこういう風に世界を捉えているんだなあ」ということを知れて面白かったですし、これを機に自分の考えも改めて確かめることが出来て良かったなと思います。
このお値段でこんなにもいろいろと考えることが出来る本なんて「コスパがいい」ですね。
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思ったより広範囲で考えさせられる内容だった。
単に時間がないとかではなく、作品を鑑賞するのでなく、コンテンツを消費するため。その裏にある、事情の分析、若い奴らの反応にも愕然とする。悪いわけではない。時代がそうなってきてるということだが。
明らかに、ヒトが劣化している。
均質化と、思考停止。
考えることも感じることもせず、失敗と批判に我慢ができず、安直に結果を求める。傷つきたくない。
つか、正解があると思ってるところがもう、ダメとしか思えない。
そうしたのは大人たちだろうと言って、憚らなさそうなのも、後を引く。
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SNS上で話題になった現代ビジネスのウェブ連載が大幅に加筆・修正の上で書籍化。動画配信サービスで映画を倍速視聴するのは一部の人々(必ずしも若者とは限らない)の間では常識となっているそうだ。けしからん!と憤るのは簡単だが、彼らには彼らなりの切迫した事情があるというのは目から鱗だった。まぁそれでも知性の敗北・後退・退化であるという認識は変わらないけど。怖いのはこれがエンタメ分野に閉じた話ではなく、勉強や教養といった領域にも「手っ取り早く」が浸透し始めていることか。
単純に映画を好きな人間目線の感想はnoteに書きました。
https://note.com/masahiro884/n/nb1e9a14d0447
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自分も映画やドラマを早送りで見るからどちらかというと取り上げられる側の若年層の気持ちの方がめちゃめちゃわかるなという印象。間とか余韻とかもわかるんだけど、それ以上に見なければいけない作品に対して時間が圧倒的に足りていない。
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Web連載の時から興味深い内容だと思ったので、書籍化が嬉しかった。倍速視聴をする当事者たちの声が数多くサルベージされ、さらに彼ら彼女らをそういった行為に駆り立てる社会背景まで掘り下げている。
その声の中には「バカじゃねえの」と斬り捨てたくなるものも多いが、私自身、早送り視聴の経験もあるにはあるので、全否定はできないんだなぁ。
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思うところがたくさんあってうまく考えをまとめられない
自分は映像作品は早送りとか一切しないのでそんな人もいるのかと思って読んだ
機内で本著を読んでいたのだが斜め前の席の大学生くらいの人が映画をアクションシーンだけピックアップして何本も観ていたので説得力がめちゃくちゃ増した
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とてもよかった。問いが多いし気づきも多い。サービスを提供する側の仕事をするようになったから特にこの時勢の変化は理解しておけてよかった。
自分は早送りしないと思っていたが、youtubeでは早送りすることもあるし、映像よりテキストが好きだし中々ドキッとする部分もあった。
こういった本はあまり読まないが、例えも多いのでイメージしやすく没頭して読めた。
違和感を感じていたことに、新しい気づきがあって早めに読んでよかった◎
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感想を書くのが難しい。
それだけ、身近な話題でした。
私は映画やテレビを倍速で見ない人間です。
ですが、友人や妻、娘は倍速で観ている。竹を割ったように「作者の意図に反した視聴なんかただの時間つぶしじゃないか!」といったところで、反発は目に見えています。
それだけの風潮になっている倍速というライフスタイルを、この本を書いた稲田豊史さんは多方面から考察してくれました。
多少、倍速反対の姿勢を感じるところはありますが、自分のライフスタイルがある以上、いずれかに偏ってしまうことは目をつむります(むしろ自分の立場に近いので読みやすかったです)
この本から学べたとことは何か。
一番は、私たちを取り巻く環境(特に情報に関わること)が変わったことで、映画やテレビというメディアとの向き合い方も偏向されているということです。
私たちの触れる情報量がたった10年前と比べただけでも何倍にも増えている。
その状態で、もしこれまでのように「同級生や友人とドラマの話題で盛り上がる」という目的を達成しようとしたら、何倍も視聴しなければならない。
しかし1日は地球ができて以来24時間しかない・・・・
そうなると、私たちが取り得る選択肢は、「人間関係をへらす」か、「作品を鑑賞するのではなく消費し、取り敢えず観たことにする」となる。
人間関係欠如は私たちの社会的地位、しいては生存を脅かす可能性がある。
だから多くの人は鑑賞する時間を無意識にあきらめ、効率性を求めるようになる。
今40代の私は倍速視聴を嫌厭しています。
ですが、もしも生まれる時代が20年遅れていたら、当たり前のように倍速でYou Tubeを観ていたのではないでしょうか。
ですので個々にその態度を責めるべきものではなく、社会的なこと、情報化社会の副作用とも言える状態だと言えます。
残念に思えるのは、こうした視聴が増えることで、書中にでてくる仮託(かたく:言葉ではなく、時間の間や表情でメッセージを暗に伝えること)を楽しむ機会が減ってしまう可能性があることです。
仮託は作者の暗喩であり、受け手の解釈の余地が入ります。
中学生時代、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を見た時に、
「綾波レイは、どうしてあの時怒ったの?」
と同級生と語り合った時間。
大学時代、映画『ブレードランナー』を観た時に、
「最後のワンシーンで鶴の折り紙が置いてあったけど、あれって・・・ということだよね」
と、サークル仲間と確認した時間。
今後はこうした話ができる人が減っていくのではないかな・・・という寂寥感。
書中でも、こうした「わかりにくい」作品は制作の段階で、「ユーザーの多様性」というお題目を盾に、減らされている風潮があると書かれています。
「わかりやすい」がすなわち「面白い」とは限らない。
しかし、市場では「わからない」作品は売れない。
この二律背反に軽く身悶えしてしまいました。
倍速視聴の是非について、結論が書かれている本ではありません。
私自身が導いた感想は
「それでも私は、今より背伸びして鑑賞する人間でありたい」
ということです。
映画も、本も同じ。
観た(読んだ)数ではなく、流行だけでもなく、自分に必要なものを絞り込む。そして、その向き合い方に重きを置こうと思っています。
恐らくこの本のこの骨子は、
メディア視聴の多様性を尊重するために、私たちを取り巻く環境、事実を提供してくれること。
そして読んだ後に、1人1人のメディアとの向き合い方を考えさせてくれることではないでしょうか?
家庭内で口論する前に、まずは一読をオススメします。