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『逃亡くそたわけ』の続編! あの二人が10年後に富山で再会!!
2022/05/29 08:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ごはんですよ家族は。
毎日炊いて毎日食べるものですよ。
ほんとうはそう言いたかったけれど、気恥ずかしいのでやめた。」
あの絲山秋子さん著『逃亡くそたわけ』の続編が誕生したのです。
それがこの『まっとうな人生』。
またあの二人に会える!読み始める前から、わくわくがとまりませんでした。
病院を抜け出して九州を逃避行したなごやんと花ちゃんが、再会するのですよ。。
それが10年後に、しかも富山で、それぞれが家族持ちになって!!
この二人の再会ぶりもいいし、
その後家族ぐるみのお付き合いになっていくのもいい。
コロナ禍の状況の中、
なごやん家族も、花ちゃん家族も、ぞれぞれいろいろあって…。
家族って何?
花ちゃんの(冒頭に紹介)思いがずしんと響きます。
そうして、タイトルのまっとうな人生についても。
小説の舞台になる富山県。
手描きの地図が巻頭にあって、それを何度も見ながら読み進めました。
花ちゃんの家、なごやんの家、ふーん、この距離感なんだ。
ここへキャンプに行ったんだね。
呉西、呉東って、こういうこと。
富山の方言も心地よく、
花ちゃんの夫、アキオちゃんのキャラもよく、
なごやんの実家、極楽のこともまた出てきて、
改めてまた『逃亡くそたわけ』が読みたくなりました。
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
逃亡くそたわけの続編と思って読むと「へっ?」
なにこれ、まっとうな人生じゃん!
本の題名そのまま。
あの花ちゃんもなごやんも、結婚して富山県に住んでいる。
子供もいて、しっかり生活して、家族や友人達と富山をしっかり楽しんでいる。
病気は完治していなから、そっと暴れないように付き合っている。
富山の良いところが盛りだくさん。
今までの絲山さんの小説にはなかった書きっぷりだから、絲山さんも年を重ねて病気ともうまく付き合って、小説を書いて、生活を楽しんでいるんだと思ってしまう。
不安定で不安な世の中だし、過去にあったことがまた同じように復活するのかも分からない、でも博多弁で「あーしゃーしか」なんて言いながら、毎日をしっかり生きていくんだと思ってしまう。
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怒涛のような逃亡をした若いころの「なごやん」と「花ちゃん」の続編
ばったり富山で再会した どちらももう30代の家族持ちなのだ コロナ禍の息苦しい人生をぎゅうと詰め込み、花ちゃんの心と頭は揺らぐけどコントロールしている。病気もだんだんと褪せてくるらしい。ずしりと響く文章がたくさんあって読み応えあった。さすが絲山秋子作品。
犬の「小太郎」の逃亡や花ちゃんが子どもの頃飼っていた「マル」を語る部分に『うんうん!そうだよね!』と共感した。犬も嘘ついたり様子を作ったりしますよね。うちのワンコも死んだあと3度夢にあらわれて私を安心させた。
「逃亡くそたわけ」の主人公らが見事に中年になっていた。ちょっと不真面目をしながらも「まっとうな人生」を私も生きたい。
絲山秋子作品の傑作長編。
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まっとう=全う
まとも=真面(正面)
表記を変えるとなおさら思う、なるほど
まっすぐに受け止められなくても、不真面目っていうわけじゃない
それこそ「逃亡」せずに向き合えるのなら、それでいい
何気ない日常にいろいろ積み重なって、いつか爆発するのかそれが財産になるのかはわからないけど、そうやって毎日生きる
まるでノンフィクションのような忍び寄るコロナ過の件は、なかなかに辛い
「くそたわけ」の記憶が全くないけど読み直しはしないでおこう
そしてもう少し軟化したら、富山に行く予定を組もう
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富山は駅周辺に少し行ったことがある程度であまりイメージは湧かなかったけど、主人公(しずか?)のし生きづらさとかどんよりした感じは自分も常に持っているものと同じ感じがした。
まっとうな人生って、なんなんだろうなぁ。
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『逃亡くそたわけ』を再読してから、待望の続編を読む。
病院から抜け出し九州を南進した2人が帰ってきた。
それぞれに家族を持ち、元気に暮らしていてくれただけでも嬉しい。
富山での再会、家族ぐるみでの付き合いで生まれるあれこれ。
物語にはコロナ禍も描かれる。
後半は、コロナ禍の絲山さんの思いが吐露されているかのよう。
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あの大好きな『逃亡くそたわけ』から10数年後のお話。
なごやんと花ちゃん、それぞれに結婚して子どもがいてお互いに名古屋とも福岡とも縁のない富山に住んでいたなんて。しかもばったり会っちゃうなんて!
なんだろうな、この邂逅。二人の再会からの、家族ぐるみの付き合い。それはどういう意味を持っているんだろう。
入院先の病院から二人で逃げ出したあの時。病気に追われるように、延々と九州を南下し続けた時間。
それは結婚したお互いのパートナーとも子どもとも共有できない二人だけの記憶。だからといってそれを大切にしているわけでもなく、それはなんというか、めくったあとのページのようで。
忘れてしまってもいいけれど、何かの拍子にふと思い出す。そんな過去のある1点で繋がった関係。
富山の街や流れる川、食べるもの、その一つ一つが温度やにおいを連れてくる。
健康で、死にたいと思わないでいられる人生は、そんなにおいで満ち溢れているのだろう。
そしてそんなまっとうな人たちの中にもコロナは不穏な空気を運んでくる。
自身の病気とコロナという二重の壁に囲まれて、内と外を意識せざるを得なくなる。
内と外を隔てるのは壁だけじゃなく、川によっても物理的に遮られる。そして意識する家族のこと。
家族とは。血のつながりとは。
絲山さんの小説はいつも土地のにおいがする。そこに住む人の、その足の下にある土を感じる。
今回は土着ではない、外から来た人たちだから、土のにおいはそれほど感じないけれど。
そこに「家族」という「社会的な形」が足場を固めているようで。
結婚すると自分が育ってきた家族からそとに出て新しい家族を作っていく。その中で、子どもであった自分が親になって、親の元から離れていく、その時間の流れを強く意識した。
なごやんと花ちゃんが一生懸命自分の足で歩いていこうとしている、その一歩一歩をすぐそばで見守っている。すぐそばなのに私と彼らの間には多分川が流れている。こちらとあちらを隔てる川が。
彼らも土着の民ではない。それでもそこで新しい記録を残していく。
まっとうに生きようとしている彼らの、その毎日を、川の向こうから見ている。自分の歩いてきた道を振り返りながら彼らの明日も見ていたいと思う。
読み終わった後、身体の中からいろんな思いがあふれてくる。それを言葉にするのは難しい。
あふれたものを救い取って眺めて感じてそっとまた飲み込む。
それでいいんじゃないの、という声が聞こえる。内と外を隔てる何かも一緒に飲み込みながら多分明日も歩いていく、きっとそれでいいんだ。
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「逃亡くそたわけ」から10年。花ちゃんとなごやんは、それぞれ家庭を持ち生活していた。それが居所の富山で再会し・・・。家族を持つことで変わっていく価値観や生活、また、コロナ禍という状況でもそれは変わっていく。
花ちゃんの双極性障害の病状も一進一退で、それを理解し受け入れてくれていたと思っていた人からの思いもよらないぶつかり合い。前作のようなバタバタ劇がない分、人の中の感情の変化がより伝わってきました。
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「逃亡くそたわたけ」の続編。花ちゃんが大人になっている!なごやんも!
逃亡くそたわたけは、生活どころか、人生が破綻しかけているように読めたので、数年後の花ちゃんとなごやんがそれぞれ結婚し、子育てしたりしてる様子にビックリした。
あのヒリヒリした逃亡劇や脅迫めいた妄想は、薬でやわらぎ、周りとの出会いや、たぶん過ぎていった日々のかいもあったんだろうなあ、と。
当時なごやんより年下で、現在なごやんより年上ですが、子なしながらも私も結婚しましたよ、と報告。一緒に逃亡くそたわたけを読んでいた元同僚は疎遠になってしまい、続編読んだ?と話せないのが寂しいけれど、物語も現実も幸せに成長しています。
本作では、富山を中心にいろいろな町が出てきて、随分と穏やかな旅が描かれる。小さな幸せをポケットに詰め込んでドライブしているようなゆったりさは、前作とは大違いだ。けれど、ときどき、花ちゃんの世間とのズレや、人との対話で過剰に繊細になる部分は、あいかわらずの花ちゃんというか、絲山秋子の得意とする表現方法でした。
他の絲山作品もそうなんだけど、小さな引っかかりだったはずが、どんどん差異を浮き上がらせていき、自分もこんな人間だったのかもしれない、と登場人物に共感してしまう。知りたくなかった自分のダメさを痛感してしまう。
「まっとうな人生」でも、その波に飲まれて、花ちゃんと手を繋ぎながらアップアップで泳いでいる自分がいた。
中盤、物語のなかでもコロナ禍が始まる。先の見えない状況に怯えたり少し慣れたりして、花ちゃん達の生活は続いていく。
気がつけば、コロナ生活ももう3年目。未知のウイルスが入ってきたばかりの混沌期をどうやって過ごしてたのか忘れていることに気付いた。当たり前に暮らしてるけど、大惨事が続いてる。
余談だけど、まっとうな人生と、まともな人生では意味が同じかもしれないけど、口に出したときにニュアンス違ってくる、と勝手に思っている。まともより、まっとうが切実で緊迫感がある。まっとうな人生を送りたい。
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『逃亡くそたわけ』の
あの逃亡から十数年、
花ちゃんとなごやん、二人の再会に歓喜!
今この現代を共に生きている共感が嬉しい。
胸の内で覚えのある感覚が言語化され、
言葉のパズルがぴたりとハマるような
絶妙な表現が小気味良い。
弾むようなテンポで踏み越えていく軽快さと、
スッと胸を刺すような真っ直ぐな鋭さのバランスが
最高なのです。
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Amazonの紹介より
名古屋出身の「なごやん」と繰り広げた九州縦断の脱走劇から十数年後――。富山県のひょんな場所でなごやんと再会した「花ちゃん」。夫のアキオちゃんと娘・佳音の成長を愛おしむ日々に、なごやん一家と遊ぶ楽しみが加わった。しかし、新型コロナ・ウイルスの感染拡大でその生活が一変!! 押し寄せる不安の波に押しつぶされそうになりながら、花ちゃんが出会ったもうひとりの自分とは?
「逃亡くそたわけ」の続編だそうで、そちらの方は未読でしたが、富山を舞台にコロナ禍での暮らしぶりが、懐かしくもあり、色々なことを思い出せてくれました。
前作のレビューを見る限りでは、なかなかアグレッシブなことをしているなという印象でしたが、それとは裏腹に穏やかな暮らしが描かれているので、この作品を読み終わった後、過去にこんなことをしていたことに驚きでした。
穏やかな暮らしを描きつつも、今、主人公がどう思っているのか。微妙な心の揺れ動きを的確な表現で書かれている印象があって、より読み手に伝わりやすく書かれている印象がありました。
コロナが発生してから、もう2年以上経ったことに時の流れは速いなと思いました。あの時、どんな事があったのか?どんなことを思っていたのか?
あんなことあったな、こんなことあったなと読んでいて色んなことを思い出しました。物語はフィクションですが、リアルにどこかの家庭を映しているようでもあり、今でもどこかで生きているのではとも思ってしまいました。
それでいて、コミカルに書かれているので、心が軽い感覚で読んでいました。
富山の「空気」を感じつつ、コロナ禍で色んな出来事があっても、明るく振る舞っている姿に頑張り過ぎず、肩の力を抜いていこうと思いました。
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2005年に刊行された『逃亡くそたわけ』の17年振りの続篇。前作は文庫本を購入し読んだが、非常に曖昧な記憶しかない。
花ちゃんとなごやんはそれぞれに家庭を持ち、平和に暮らしている。双極性障害ともなんとか折り合いをつけながら生きていたが、そこにコロナが襲いかかる。特にドラマチックな展開があるわけではないが、あの頃の先行き不透明な世界が見事に描出されていて、当時を思い出して息苦しくなった。
絲山さんの作品は各地の名所や名産品が魅力的に描かれていることが多いが、今回は富山のあれこれだった。
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読み始め。予習で再読した『逃亡くそたわけ』の勢いも無く、沈んだ書き出しです。ストーリーの全体の流れも掴めず戸惑いながら読んでいました。
結婚して富山に移り住んだ花ちゃんと旦那のアキオちゃん、娘の佳音との日々を描いた物語。花ちゃんの双極性障害(躁鬱)は完治したわけでは無いですが、医者や家族の協力を得てうまく付き合っています。
なごやんとの偶然の再会、娘の初潮、突然の母の死、大雪、そして延々と続くコロナの日々。そういった中で主人公の感じたことを随筆風につづった小説~そう思い至ると一気に読みやすくなりました。
流石の文章力です。
ハッとさせられるような考えを見事な文章でつづったフレーズが随所に在り、手元に置いて何度も眺めたいと思うのですが、後ろに行列が出来てる図書館本なのでサッサと返すしかないですね。再読の楽しみは文庫化まで待つことにしましょう。
文中の富山の記述が余りに地に着いているので、絲山さんは富山在住なのかと思いきや、群馬との事。ただ2014年から1年間にわたり、県内各所を訪れる紀行エッセーを北日本新聞で連載したとのことで、随分訪問されたのでしょうね。その時に「花ちゃんはここに居るのでは」と感じて、それがこの本を書くきっかけになったようです。
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花ちゃんことあたしは、十歳上の夫アキオちゃんと娘の佳音と富山で暮らしている。
そこで、バッタリとなごやん一家と出会い時々遊ぶようになる。
だが、折りしもコロナの波が徐々に押し寄せてきて、動きも制限される。
それでも、ゆるゆると富山県での生活をそれなりに楽しんでいる。
双極性障害の持病を抱えながらも夫の理解そしてなにより娘が上手く中和の役目をしてくれている。
娘が言う。「うちの家族って、みんな真面目だよね」
アキオちゃんが答える。「真面目にしてるのが結構楽なんだよ。面白いこと言わなくちゃとか、気が利いてなかったなとか、そういうことを取っ払って集中できるから」
なるほど、楽だから真面目にしてるんだ。
大まかにいうとほとんどの人が、まっとうに生きてるんではないか⁇と思ったりした。
外出自粛の時代であっても、なんとか生きていく…
少しの楽しみを見つけてるくらいは、良いじゃないか。
真面目に生きてさえいれば…と。
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富山の話、というから他何も知らずに読んだ。地名や方言や地方ならではの敵対意識を面白おかしく書かれている。砺波の散居村がみてみたい。
絲山氏が躁鬱病で入院した時期があることすら知らなかったので、赤裸々な生活日記、結婚されて九州から嫁ぎ富山へ来た作者のコロナ禍日記を拝見しているような気がした。
富山弁だったり、能登の旅行の話だったり、とても面白い。ただ躁鬱に関する描写はどうしても重い。
他の人には理解できない、と書かれていたがまさにそれ。
娘ちゃんの生理の時の気持ちの表現も面白い。また母の死に対して言葉にできない気持ちをとてもよく表現されていた。
アキオちゃんと、作者のバランスもなんとも言えずいい。「ああもうしゃーしか」と怒って出ていってしまう感じも笑
言葉が秀逸で、いくつか刺さった。
ほどほどでいいという言葉の裏には、あなたの努力に関心はないけれど私の期待するレベルは満たしてくれよ、という要求が隠れている。
異性の友達って、いちじくの天ぷらみたいなもんよ、
ご飯ですよ、家族は。
親というのはユニークではっきりとした存在で…言葉や冷たさ、いい加減さなど許せないことは一つ一つの事象と結びついて具体的だった。
若さは狭さだ。そして色の濃さだと思う。 p. 70
いつも使っているスーパーとは、家庭の冷蔵庫の延長線上にあるわけだから、身内の同然で愛着がどんどん増してくる。あまり行かないスーパーはよその家の延長だからよそよそしく見える。 p.82言い得て妙
お互いを識別しすぎないということは、他人の生活を変えようとしないことでもあった。… 人を人と思わない、というのはいい言葉でないかもしれないけれど、人を人としか思わなければ、それがちょうどいい距離感なのだった。p.190
人は死ぬと仏になるというけれど、残された者が少しずつ思い出を清めていくのだろうか。好ましいところだけをより分けてのこしていくのだろうか。そんなことは生きている者の都合で、その方が心地いいからなのだろうか。 p.212