慌ただしい時代こそ、羅針盤を持つ必要性
2021/10/09 22:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:第一楽章 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日々の暮らしでのちょっとした出会いを(それは人だけではなく植物や動物や食材も含めて)、梨木さんらしい感度の高さで綴った28編のエッセイです。梨木さんの話は地に足がついている感じがする上に、周囲を見る目の解像度が高くて、こうありたいものだといつも思わされます。自分の中に”羅針盤”があるとはこういうことかなと思います。
(平松洋子さんの『夜中にジャムを煮る』の話の流れから)「真夜中の台所でぐつぐつと変化してゆく真っ赤な苺を見つめる、その心もちを、たとえば真昼のスクラングル交差点を渡っているとき、ふと引き寄せて、空を仰ぐ。
わずかに見える都会の空に浮かぶ雲の種類から、その雲と自分との距離を測ってみたりする、刷毛ではいたような巻雲なら、一万メートルほど。そこには西風が吹いている。
五感を、喧騒に閉じて、世界の風に開く。」(P.99、五感の閉じ方・開き方)
最近同僚に借りて、浦沢直樹の「MASTERキートン Reマスター」を読みました(本編のその後の物語です)。最後のエピソードは、フォークランド紛争で主人公と共に上陸作戦を行なった、そして戦争によって、人生、倫理観の羅針盤が狂ってしまった戦友の物語でした。
戦争ほどの極端な経験ではなくとも、忙しさやストレスで自分の中の”羅針盤”はとかく見失いがちですよね。最近読んだなかで日々暮らす上での”羅針盤”の大事さを感じた2冊でした。
より身近に引き寄せる日常
2018/10/28 11:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まな - この投稿者のレビュー一覧を見る
人はその一生を通して、変化する時代の中でその時々目の前に現れる物事との付き合い方を学び続けることがどこまでできるのだろうか。
「じっとしていたものを動かす」春の力が充満している「春先のもの」との付き合い方。
群れで生きる上で個性的なリーダーに付き合っていく術について。
日常レベルから社会の大きな流れについて、本書で自在に移り変わる目線やスケールに無理はなく。まなざしを向ける先を指し示す著者の内包する羅針盤に導かれて、読み手の止まってしまって久しい内なる羅針盤が静かに動き出すのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
程よい距離感。
梨木さんの文章は主張しない。
何かに憤慨しても心動かされても
それをそれとして
まるで自分のことも含めて
傍らで観察しているような気配。
何ものにも染まず染まらず。
彼女の小説が放つ強い存在感の正体は
彼女のエッセイ集を読み重ねているうちに
少しずつ分かり始めたような気がする。
ご自分の中に生まれる感情や思いを
ごく自然にこぼれ落ちる言葉に
何の違和感もなく託しているのだろう。
不自然も気負いも恣意もない
ただ言葉にしたいだけのこと。
そこに特定のベクトルが あらかじめ
用意されてからの言葉ではないので
無色透明の清々しさがあるのだろう。
だから 私たち読み手が
そんな梨木さんの小説に心動くのは
梨木さんの内面に感応するものが
私たちの中に最初からあるからなのだと
信じたい。
そんな自分なら 好きでいられる。
自然と生き物に触れる言葉は
慈愛…と呼びたくなるような
とびきりの優しさに守られて
私の心にちゃんと届く。
それが うれしい。
投稿元:
レビューを見る
中学時代、学校の図書館で「家守綺譚」と出会って私の核ができました。その本を書いた方のエッセイである本書は、私の心に寄り添ってくれているようは心持ちがする読み応えでした。
投稿元:
レビューを見る
単行本ででたときに一度読んだはずなのに、覚えている話が多くはなくて、新鮮な気持ちで読めた。でも、ここで片山廣子の名前に接していたんだな…森下典子さんの「日々是好日」もこの本がきっかけで読んだのかしら?
前回の読書記録によると印象深かった章として「近づきすぎず、取り込まれない」「近づきすぎず、遠ざからない」「スケールを小さくする」「「アク」のこと」「「いいもの」と「悪いもの」」をあげていた。
投稿元:
レビューを見る
梨木さんの日常のエッセイ集。
ところどころに動植物へ注がれる鋭くも優しい視線に、彼女のほかのエッセイを思い出します。(「渡りの足跡」が好きですので)
このエッセイを書かれた時が「自己責任」という言葉が出始めて、日本が息苦しい時代へと移りかわっていったことが書かれていますが、今、私は国そのものが過呼吸を起こしているような気がしてならない。
白か、黒か、すべてをはっきりとさせる必要とは何なのだろうか? エッセイを読みながら考えた。
曖昧模糊したものがいけないとは私にも思えない。そこにしか出せない答えがあるはずなのだが…。
透き通るような美しいものだけではないことが描かれている深いエッセイだった。
投稿元:
レビューを見る
やっぱり素敵な方だなあと思う。
この人の感覚を感受性を見習いたい、といつも思わせてくださる。
スケールを小さくする、というお話。
はっとさせられた。広くを見ようとして細部に追いつかない、ではないけれど、人間関係とか行動範囲とか身の回りのいろいろなことに通ずる。
他にもはっと、もしくは普段何気なく過ぎることに改めて目を置く気持ちになる。
『夜中にジャムを煮る』が新たに気になりました。引用されている文は梨木さんの感想も含め、目の前にまざまざとその光景が見出され、食べたくなりました。
投稿元:
レビューを見る
梨木さんの文章を読むと、凛とした空気に包まれたような気になります。このエッセイもそんな読み心地でした。植物や生き物、ちょっとした日々の出来事に向ける視線に愛情深さを感じます。『「スケール」を小さくする』『金銭と共に遣り取りするもの』『見知らぬ人に声をかける』あたりが印象深かったです。あと、実家のある地名が出てきて親近感を覚えたり。
投稿元:
レビューを見る
まだ読み途中だけど、今まで読んだエッセーの中で一番好き。忙しい毎日の中で、生きることの基本というか、原点に気付ける本。それこそ羅針盤、という言葉がぴったり。心が洗われる。丁寧に生きようと思う。
投稿元:
レビューを見る
雑誌『ミセス』に連載されたものだそうです。梨木さんの穏やかで芯の強いお姿がぎゅっと詰まっています。いろいろ大変な世の中でも、ため息つきながら、くすっと笑いながらくっきりと生きている感じ。憧れます。
投稿元:
レビューを見る
梨木香歩のエッセイは、じっくりと噛みしめるように読みます。決して読み難い訳ではないのですが、一言一言が重みをもっているので、しっかりと受け取らないと取り落としてしまいそうなのです。
対象物へ目や耳や心をしっかと向けて受け取ったものを、文章にのせて読み手の元へと届けてくれます。植物や動物たちに向ける目も人に向ける目と同じように、いや言葉をもたない相手だからそれ以上に真摯な心持ちがあります。植物に対して「彼女」と呼びかけるけれど、安易に同化するのでなく距離をおくべきところは距離をおく。それが敬意にも愛情にも繋がっているように感じられます。
婦人誌に掲載されていたということもあるのか、他のエッセイよりも作者との距離が近く感じられます。お茶のお供には少し歯ごたえが強いかもしれませんが、作者と空気感を共にすることの贅沢さにひたれます。
投稿元:
レビューを見る
植物にあまり詳しくない私は、度々名前を検索して画像を見ながら読むこともあったけれど、
それでも楽しめるくらい、話の流れが良い。
素敵なエッセイだった。
投稿元:
レビューを見る
おお、文庫になった!よかった!と購入。
単行本が文化出版局だったので、
文庫にはなんないだろーなーっと諦めていたので嬉しい誤算
ありがとう、新潮社さん。
再読。
やはりプラスチック膜のおはなしが一番好き。
今回再読してみて前回は特に思わなかったのだけれど、人というのは群れで生きるものだから、という文脈の中でいろいろ語られていることが多かったように感じた。
梨木さんと群れ、というものがどこかそぐわないイメージもあったりしたのだけれど、よく読むと、鳥や植物だけでなく、人との関わりも多い人なんだなーっと。
一番親近感を抱いたのは車をめったに洗わない、という一文だったりする。
まあ、それでも気になってくると私はついつい洗ってしまうんだが。
ほどよい距離感のある居心地のいい群れ。
それをどうにか見つけたいのだけれど、なかなか。
結局本の中に安住してしまうのだよなあ。
このめんどくさがりをどうにかせねば。
もっと生きることに丁寧にならねばなあ、とぼんやり思う。
投稿元:
レビューを見る
日々を丁寧に生きるってこういう事だと気づかされる。小説通りの素敵な生き方、考え方に共感。梨木香歩さんの小説を読み返したくなった。
投稿元:
レビューを見る
初読。梨木香歩さんらしさがぎゅっとつまったエッセイ。エッセイなのに、なぜか涙腺を刺激する。梨木さんの本を読むと、丁寧にゆっくりと生きていくことの大切さをしみじみと感じ、自分の生活を見直して姿勢を正そうという気持ちになる。でもいつも実践できないままなんだけど。それでも梨木さんの存在と、梨木さんの書く作品の存在が、私の人生のどこか知らない深いところで拠り所になっている。