沢木耕太郎さんが見ている、来た道、行く道
2022/08/09 15:21
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生は旅である、あるいは旅は人生に似ていると、よく耳にする。
沢木耕太郎さんの旅のエッセイには、その言葉がよく似合う。
沢木さんが『敗れざる者たち』というノンフィクション短編集で颯爽と登場したのは、1976年で、沢木さんはまだ二十代の青年であった。
それから現在(いま)にいたるまで、沢木さんの作品とともに読者である私もともに歩んできたような気がする。
いくつか年上の兄のような存在として。
JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」に連載されていた国内の旅エッセイ35編を収録した本作は、2020年に出た『旅のつばくろ』の第2弾になる。
なので、新型コロナウイルスの影響で国内といえども旅がままならない時期でのエッセイということもあって、いくつかの文章にその影響がみられる。
そのひとつが女優の吉永小百合さんに修善寺でインタビューした時のもので。沢木さんは「細心の注意を払いつつ、全力で普通でありつづける」と吉永さんを評している。
そして、そのあとに「ウイルスの流行というこの特別な状況においては、やはり「細心」と「全力」が「普通」であるための必須のものであるに違いないのだ」と続ける。
沢木さんの文章の構成のうまさは、若い頃から変わらない。
今回のエッセイには16歳で初めて東北一周の旅した時間の記憶がしばしば訪ねられている。
そのことをもって、沢木さんも年をとったということもできるが、何故か私には16歳の少年の後ろ姿をじっと見つめる沢木さんのまなざしの柔らかさを感じる。
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トーンが著者のラジオで聴いた語りのままで心地良い。
「旅先に心残りをつくるのも悪くない」「偶然の遭遇 すれ違い」「旅に出てから学ぶタイプ」「思いもよらずの為に隙間を作っておく」「黄金の刻 旅の神様」ー33のエッセイに出てくるこれらの言葉。旅はいい。
私も若い頃に著者の真似をしていた”旅のリュックにリンゴを…”の最初の話が出てきたのには感動。
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とても読みやすいエッセイシリーズだと思う。
土地勘や全くない地域がほとんどだったり、自分自身の知識が浅い内容を色々出てくるが、栞を挟んで置くという選択肢が出てきてもおかしくないが、読み進めさせてくれる。(最近、本を読むのがしんどいと思う時間が長いがそれでも読める。)同じ経験はしていないが、「わかる!!」と思わせてくれることが多く記されている。
西日本中心のものが是非出てほしいと思う。
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沢木耕太郎(1947年~)は、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家、写真家。著者が、1974~75年に香港からロンドンまでを旅した記録『深夜特急』(発表は1986~1992年)は、当時のバッグパッカーのバイブル的存在としてあまりにも有名。1979年 『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1985年 『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、2003年菊池寛賞、2006年 『凍』で講談社ノンフィクション賞を受賞。
本書は、JR東日本の車内誌「トランヴェール」の連載(現在も継続中)をまとめて書籍化したもので、2020年4月の『旅のつばくろ』(41篇を収録)に続く2冊目(35篇)。
私は、1980年代にバッグパックを背負って海外を旅し、沢木耕太郎の作品は、上記の各賞受賞作をはじめ、『敗れざる者たち』、『流星ひとつ』、『キャパの十字架』、『旅の窓』、『チェーン・スモーキング』、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、『作家との遭遇』など多数の作品を読んでおり、最も好きな書き手は誰かと問われれば迷わず沢木の名前を挙げるファンである。
なぜ沢木がそこまで好きなのかというと、ある著書の解説に、「沢木耕太郎という人は、今までの自分が知り得ていた世界、あるいは想像し得た世界にいる誰とも似ていなかった。会いたい人に会うこと。行きたい場所に行くこと。書きたい何かを書くこと。誰とも群れず、何にも属さず、しかし、あらゆる世界や人々と柔らかく繋がっている。」という記載があるのだが、そのような沢木の生き方・スタイルに惹かれるからなのだと思う。
そして、本書では、会津、秋田、伊豆、日光などが出てくる(また、さりげなく吉永小百合や井上陽水らが登場したりもする)のだが、結局、沢木がどんな生き方をしてきたかが書かれているのだ。
また、沢木はあとがきで、「春になり、やがて夏が来ようとしているいま、私たちにも、そろそろ飛び立つことのできる季節が訪れたような気がする。・・・自らの責任において、移動をするかどうか判断する、私が飛び立つ季節が訪れたような気がするというのはそういうことだ。・・・無難を求めて大勢に盲目的に従うのではなく、何事も自らの責任において自らの行動を決する。そんな習慣が、ひとりひとりの身につくようになるとすれば、この災厄にも、大きな意味があったということになるのかもしれない。」と、新型コロナに関わる環境の変化を慎重に言葉を選びながら書いているのだが、沢木はこれまでも常に「何事も自らの責任において自らの行動を決」してきたはずで、我々にエールを送ってくれているのだ。
様々な意味で、実に沢木らしい一冊と言えるだろう。
(2022年7月了)
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沢木耕太郎の最新作といえば、新潮8月号9月号に掲載された超大作「天路の旅人」ということになると思うが、その発表の1か月ほど前に発刊されたのがこの本。前作「旅のつばくろ」の続編。「旅のつばくろ」はJR東日本の車内誌トランヴェールに連載されたもので、仙台に単身赴任してる最中に毎月楽しく読んでいた。今回の続編も一部読んだことがある文章もあったと思うが、仙台生活も終えて2年半経つのでほとんど初見。一つ一つが短く簡潔なのでとても読みやすいが沢木耕太郎の魅力は満載。読んで行きたい場所がいくつも増えたことは嬉しい限り。
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「深夜特急」の沢木耕太郎の国内旅エッセイ。
図書館で借りた。
「深夜特急」は学生時代に読んだことがある。ほとんど覚えていないけれど、悪い印象はなく面白く読んだ気がするので、今回この本も読んでみることにした。
印象は「薄い」という感じ。あるいは「深夜特急」もそうだったのかもしれない。訪れた土地に関する蘊蓄が聞きたい訳でもないけれど、ひたすら「薄い」。
手許にはないが、「深夜特急」も再読して確かめたい気になった。
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新幹線の車内誌などに掲載されている「旅の
つばくろ」エッセイ集の続編です。
コロナ禍でのマイクロツーリズムを実践する
国内旅行の紀行文集です。
とは言っても、有名観光地を巡るのではなく
沢木氏の過去の経験から「心に引っかかった
地」をぶらり訪れる内容です。
それなのに、その「引っかかり」の理由も解
明されなかったり、そもそも最終目的地に辿
り着けなかったりと、割と「テキトー」なの
です。
しかしそれが「旅」なのだと著者は言います。
沢木耕太郎がそう言うと、非常に説得力があ
ります。
そう、旅は「テキトー」でいいのだと納得す
る一冊です。
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著者は180cmもあるんだ。
そりゃ、若い頃はモテただろうな。
スマホを持たずガラケーというのも、好感度高し。
あんだけ旅してるのに、道に迷った時も地図アプリを見れば一発なのに、あえて(スマホを持たず)人に尋ねてそっから思いもかけずいろんなことに遭遇する楽しみが旅の醍醐味なんだとか、さすがだわ。
よく、通りすがりの人に道をきいたり、話しかけたりしてるみたいだけど、なんて幸運な人たちなの。
私も、道を歩いてたら突然、沢木耕太郎に道を聞かれないかな。
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「旅のつばくろ」の2巻目。
1巻目には、このエッセイが、JR新幹線の車内誌である「トランヴェール」に連載されたものであるという説明があったのだが、この2巻目には、その記載、すなわち、このエッセイの初出が全く記載されていない。それは沢木耕太郎のエッセイを味わう分には書いてあっても書いてなくてもどちらでも良い類のものであるが、何故書いていないのだろうか、と不思議な気がした。もしかしたら書下ろし?そんなこともなさそうだしな、と思いながら。
このシリーズは、国内旅行のエッセイである。
沢木耕太郎が書く旅行記といえば、何といっても「深夜特急」。外国を放浪するように旅するというのが、沢木耕太郎の旅行記のイメージ(少なくとも私にとっては)であるが、本書は趣がずいぶんと違う。旅先でよく歩いたり、あるいは、九段から九品仏までを歩く旅行といった独特の旅行記が混じったりもしているが、このエッセイの中での沢木耕太郎は、普通に電車に乗り、普通にバスに乗り、ある目的地を目指して(放浪旅行というのは、目的地がないのが普通)旅をする。だから、このエッセイに個性、ユニークさを出そうとすれば、旅のスタイルではなく(それは特色がある訳ではない)、旅の目的地ではない(それは日本国内の普通の場所)方法で出さなければならない。
そういった意味で言えば、この本に収められているエッセイは、必ずしも沢木耕太郎らしさが溢れたものではない。沢木耕太郎ではない人が書いたものである、と言われて読んだら、そう思ってしまうものも多い。しかし、エッセイとして面白くないという訳ではなく、沢木耕太郎が旅した場所に行ってみたくなるような魅力がある。旅の目的地やスタイルは普通であっても、そこに何を求めて、何を感じるかにその人らしさが出るのだろうと思った。
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本書の元の『トランヴェール』(JR東日本の車内フリーペーパー)の連載は、都度楽しみに読んでいた。
が、今年になってからだと思うが、装丁やら体裁が変わって、この連載が終了していたことに気づいた。あぁ、終わったのか、と思っていたところに、本書を見かけた。
あとがき的な最終回も、連載初回が『春が散る』の舞台設定に絡む旅だったことに呼応するように、同著の主人公たちが暮らす東京での町探しの話が語られる(本書のタイトルに“つばくろ”を使ったワケなどを含め)。 なるほど、良い〆だ、これで「完」かと思ったら、まだ三巻目まで続きそうだった! まだストックはあるのかあ。一応、楽しみにしておこう。
この巻に収められたお話は、こちらも読み飽きた感もあるころで、イメージとして関東近県の近場の旅が増えたなという印象の頃。だからか、想い出深い回は意外と少ない。あるいは、コロナも相まってか、電車での移動がその後、減っていってその車内誌を目にする機会も少なくなった頃にも重なるのかもしれない。
ただ、前著( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/B086GSCP58 )で、北、東方面への旅が多いのは、それはJR東日本の車内誌だからという理解だったが、意外や、山陰など西日本にも足を伸ばしているのが本書の特徴か。
特に、その中で、吉田松陰に触れた回は、別途メモもしておいた記憶があり、印象深い。
《人皆曰く、「学を博(ひろ)くして後遠遊す」と。僕は則ち遠遊して而(しか)る後に学を博くす》
若くして世界を旅したことから今の地位を築き上げた著者とも重なる部分がある(松陰は夭逝しているが)。
コロナがひと段落、重症化の懸念が遠のいたころに本書をまとめたのだろう。副題に「飛び立つ季節」と付けたのも、著者の思いが現れてる。
「春になり、やがて夏が来ようとしているいま、私たちにも、そろそろ飛び立つことのできる季節が訪れたような気がする。」
が、まだまだもう少しの辛抱か。続く著者の言葉も、イマイチ切れが悪い。
「自らの責任において、移動をするかどうか判断する。私が飛び立つ季節が訪れたような気がするというのはそういうことだ。」
すっきりと、飛び立てるのは、まだもう少し先か。第3巻に期待!?
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会津若松、秋田、伊豆の湯ヶ島温泉、島根の松江、福岡の柳川、大分の臼杵、宮城の塩釜、福岡の朝倉市秋月などを訪れた時の様子と感想が書かれていました。
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前作にも増して旅情をかき立てられる35編のエッセー集。遠い記憶の穴を埋めるための東北旅行、北斎の版画に描かれた場所を探し求める日光旅行、江戸幕臣の紀行文を辿る23区内小旅行等々…心に残るエピソードばかり。読みながら、まだ携帯もない時代、時刻表だけを手に飛び回っていた頃が懐かしく思い出された。これまで旅先に残してきた心を回収する旅は、自分もこの先いつかできたらいいなと思う。スマホにもガイドブックにも頼らず一人、風の吹くまま気の向くままに…。
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旅のつばくろシリーズ、第二弾?
相変わらず旅情をかき立てられます。
若いころアルバイトでためたお金で、東北に旅した話。
そして数十年たって、その時の足跡をたどる旅。
取材などで訪れた場所、そのエピソード。
コロナが収束したらといっているうちに、
こっちはだんだん年を取り・・・
年々、腰が重くなるのです。
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旅のつばくろシリーズ第二弾。短いエッセイの中に濃縮された人生の悲哀。名人の域に達したと言える筆者の絶妙な筆致。さあ、旅に出よう。
なぜ一つの旅、短いエッセイからこれだけ奥深いものが引き出せるのだろうか。どこか人生の悲哀を感じつつも小さな驚きと感動がある。
山口瞳に教わったという紀行文を書くための要諦、特に「滞在中ひとつの店に何回も行く」が秀逸。
筆者の心象風景。黒塀と丸型ポスト。それがとある町を旅してふと見えてくる場面。
さほどの分量ではない本だが無限の感動を持った1冊。
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今回も旅に出たくなる!
そんな一冊でした
自由に旅を楽しむ沢木さん
旅先にたどり着くまでも旅
人に,場所を尋ねたり、
一期一会の会話をり楽しんだり
時には、スマホを,持たずに
調べてなさすぎて
目的地が遠かったりした様子もあり
何時に着くのか、直ぐに調べてしまう私たちには、驚くようなアナログの旅をされている沢木さん
そのおかげで、素晴らしい景色との出会いがあった事が書かれています
たしかに,昔に比べて調べ過ぎてしまっている気もします
本文より〜
旅先に心残りをつくることも
悪くないとおもっているようなところがある。
そこに心を残しておけば、
いつかまた訪れることができるだろうから、と。
そう,残した心を「回収」するために。
こんな考え方,ステキですね!
江戸の散歩人、村尾嘉陵の歩いた道をトレースしたお話し。これも面白かった。
ここ2.3年,
思いかけないことによって
私たちは多くの制約の中を生きてこなくてならなかった。
そろそろ飛び立つ季節か訪れた
何事も自らの責任において
移動をするかどうか判断する。
自らの行動を決めるということ
飛び立つ季節!
いい言葉だな♪