昭和の参謀
著者 前田 啓介
石原莞爾、辻政信、瀬島龍三……「日本の頭脳」たちの栄光と蹉跌に迫る!「七人の参謀を通して、昭和陸軍の功罪を問う。多角的な取材で、人間像を探り、戦時下、戦後の生き方を次世代...
昭和の参謀
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商品説明
石原莞爾、辻政信、瀬島龍三……「日本の頭脳」たちの栄光と蹉跌に迫る!
「七人の参謀を通して、昭和陸軍の功罪を問う。多角的な取材で、人間像を探り、戦時下、戦後の生き方を次世代の目で活写する。歴史の黒子である参謀のありうべき姿とはどのようなものか。本書はその一方向を示す。歴史の評価に耐えられる参謀とは誰か!」――保阪正康氏
「かつて光を浴びた陸軍参謀たち。彼らは敗戦後の暗転した状況にどう向き合ったのか。戦後史の見過ごされてきた一面が、豊富な資料と地道な取材によって掘り起こされる。批判を込めながら理解しようとする取材対象との微妙な距離感がいい」――戸部良一氏
陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、右肩から参謀懸章をさげ、軍の中枢で、戦略、謀略、戦術を駆使し、作戦を立案してきたエリートたち。国家が総力を挙げて養成した俊英たちには、時に独断専行、大言壮語の形容詞がつきまとった。はたして彼らは、どのような人生を歩んだのか。遺族、関係者の証言をもとに、軍服を脱いだ後の生き様にも迫り、日本社会にとって、参謀とは何だったのかを考える。
●エリートを養成した陸軍大学校の教育とは?
●参謀という仕事の中身
●参謀本部の特権意識
●石原莞爾が満洲事変で火をつけた「下克上」
●作戦指導の中枢・服部卓四郎たちの再軍備計画
●「作戦の神様」辻政信の孤立
●瀬島龍三がシベリア抑留で得た人生観
●統制派の経済参謀・池田純久の「国づくり」
●「台湾沖航空戦」の内実を見抜いた情報参謀・堀栄三
●八原博通の合理主義が情緒的な精神主義に敗れた沖縄戦
●戦後社会はなぜ参謀を受け入れたか
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昭和の参謀
2024/06/09 17:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
太平洋戦争中の7人の陸軍参謀が過ごした昭和を描いている。戦時中は勿論のこと、戦後をどのように過ごし、戦後日本が参謀に何を期待していたのかが分かった気がする。戦後参謀経験者は調査・広報として雇われることが多く、そうしたつながりを期待して電通が参謀経験者を多く雇ったというのは面白かった。
参謀たちの戦後史
2024/11/27 15:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の著者は本書でも登場する辻政信に関する新書版評伝も書かれているが、本書においては石原莞爾中将(参謀本部第一部長)、服部卓四郎(大本営作戦課長)、辻政信大佐(大本営作戦課兵站班長)、瀬島龍三中佐(大本営作戦課)、池田純久中将(関東軍参謀副長)、堀栄三(大本営情報参謀)、八原博通(第32軍高級参謀)という面々の陸軍軍人として、また戦後軍服を脱いだ後の人生について書かれているが、敗戦後の人生に興味を抱いたので本書を読んだ。
個別の感想としては、戦後早くに亡くなっている石原中将は軍人というより軍事思想家だったと思う、長生きしたら太平洋戦争の原因を作った軍人としてどのように回想したのだろうかと思うと残念である。
戦後戦争中戦った米軍(GHQ)に擦り寄り再軍備に当たり発足する防衛軍の幕僚長候補となったが吉田茂の反対でなれなかった服部大佐については、本書とは関係無いが公開されたCIA資料にあった「服部グループによる吉田内閣へのクーデター計画」)は完全にガセネタとして触れられなくなったということなのだろう。
戦後逃げ回って戦犯にならず、何の反省も無かった辻大佐はベストセラー作家から政治家になっても一匹狼であり、軍隊と違って大言壮語しても受け入れてくれる仲間も無く、高度成長による戦後社会の安定期に過去の遺物となる前に自ら志願してインドシナに消えることにより伝説の人物となったのは案外幸せだったのかも知れない。
瀬島中佐はシベリア抑留から帰国後商社マンとして栄達した後、中曽根内閣のブレーンとして活躍したのは有名であるが、佐々敦行氏は著書の中で瀬島中佐についてソ連のスパイであり、中曽根内閣当時の後藤田正晴官房長官にも報告していると書いておられる。 ただし、本書にあるように「スパイだったら早く帰国させている」というのも一理あり、結局真相は藪の中というしか無い。
堀中佐は戦後陸上自衛隊を陸将補で退官後大学教授を経て、最晩年に奈良県東吉野村の村長として活躍しているが、1期限りの予定が事情により再選されたものの病気で復帰出来ずにご逝去されているのが気の毒である。
陸軍派遣学生として東京帝国大学経済学部を終了している池田氏は、統制派の理論家でありながらも日中戦争不拡大を主張して左遷されたりしながら、鈴木貫太郎内閣の内閣総合計画局長官として終戦を迎えているが、戦後は歌舞伎座サービス社長からエチオピア帝国の国家顧問を務めるという異色の経歴を辿っている。 残念ながらその後のエチオピア帝国の解体と混迷を見ると池田氏の助言は活かされなかった感がある。
八原大佐の戦後復員事業からの失職後鳥取に帰郷し、以降一切公職に就かないという人生は、逼塞という表現が相応しいが(服部大佐や辻大佐のような厚顔無恥さとは無縁だった)、思うに沖縄戦に際しては本人も自惚れていた時期というとおり、一種クライマーズハイの状態(当時の新聞記者によれば冷酷に部隊を死地に向かわせていた)で沖縄戦が終わって興奮から醒めれば、自分の立案した作戦により多数の民間人に犠牲が発生した後悔と、勇猛果敢を良しとする陸軍軍人から戦略的持久作戦は理解されずに(敵として戦った米軍からは評価されたが)、自身が捕虜となったことに対する批判を受けるという本人からすれば無念が募る中での読売新聞からの取材が自身の沖縄戦手記出版につながっている感がある。