何が4ミリなのか、意外なもの
2022/03/08 20:44
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投稿者:こっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
はじめ、タイトルをみたときあは想像もつかなかった、意外な4ミリのもの。お互いに、その4ミリのものを見つけるあたりもすごくワクワクした
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投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
その地方の人々はそれぞれの〈食べ時〉がくると〈フラココノ島〉に渡って〈フラココノ実〉を食べることになる、という性質をもっている
しかしポイット氏は生まれてこのかた四十八年〈食べ時〉がやってこず、〈フラココノ島〉に渡ろうとする挑戦も二十六回目の失敗をしたところだった
そんなポイット氏、レストランで出会ったさっそうとした女性に
「あなた、まだ〈フラココノ実〉を食べていませんね?」
と言われてしまう
その女性、エビータさんが言うには、〈フラココノ実〉を食べていない人は四ミリほど...
〈フラココノ実〉を食べていない4人がつくった〈4ミリ同盟〉が立てた作戦は、イカダで〈フラココノ島〉に渡ること
4人は首尾よく岸辺に到着し、《フラココノ実》に飛びついた
奇抜な着想に人生の真理が見え隠れする
「たかどのほうこ」が「高楼方子」で書いたおとなの童話
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ポイット氏はフラココノ実を食べたことがない。
この本の世界では、人はある時期がくるとみんなフラココノ実を食るようになる。はじめて食べる時には、未知の味を味わおうと大人びたふうを装ったり、精神鍛錬に励んだりする人もいれば、逆にフラココノ実を拒否しようとする人もいる。けれど、一人一人違う「食べ時」が来たら、人はフラココノ実を食べずにはいられない。
大きな湖の中程にあるフラココノ島にある木になるフラココノ実。一度食べたら、毎月一度食べに行くことになるが、そうなると、フラココノ実は日常のひとつでしかなくなる。
大人はほぼ、フラココノ実を食べている。
だけど、ポイット氏は、そこそこおじさんで、仕事もしている大人なのに、まだフラココノ実を食べた事がない。島に近付こうとすると何らかの障害があって、島に渡ることさえできないのだ。
他人には隠している、フラココノ実を食べていない事実だけど、ある時、エビータさんという女の人に声をかけられた。
「あなた、お歩きになるとき、4ミリほど浮いていらっしゃることご存じ?」と。
フラココノ実を食べていない人は、地面から4ミリほど浮いている、そして自分もそうなのだと言うのです。
さらに画家のバンボーロ氏もおじいさんなのに4ミリ浮いている。
3人は4ミリ同盟をくんで、フラココノ島へ一緒に行くことを決めましたが・・・。
フラココノ実が大人への階段のようなものであり、フラココノ実を食べていない人の楽しげな空気が、たかどのほうこさんらしい・・・と言うか、たかどのほうこさんこそ、4ミリ浮いていても不思議じゃないと思ってしまう。
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児童書の体裁で、子どもが読んでももちろん楽しいけど、大人にこそ読んでほしい。
まず感心するのは高楼さんの言葉のセンスの良さ。登場人物の名前も、フラココの実という名前も、(5ミリでも9ミリでも1センチでもなく)4ミリというのも絶妙。ヘリオトロープ色というのも。ヘリオトロープって聞いたことはあってもよほど花が好きな人や色に詳しい人でないと、どういう色か思い浮かばない。(実はちゃんと表紙に描いてあるんだけど)一体どんな素敵な色なのかとすごく気になる。あー気になる気になると思いながら読むので余計に想像してしまう。上手い。
こういう不思議な物語は、読者をその世界にスッと連れて行けるかが重要なのだけど、意識すらしないで同じ場所に行ける。
高楼さんの作品での友情は年の近い同性なんて狭いものではないのが、素敵。老若男女問わず、魂のありようが似ていれば友達になれる。わかりあえる。『紳士とオバケ氏』で人間とオバケに友情が成り立ったように。それから、登場人物が孤独を恐れず人生を楽しんでいるのもいい。
私も4ミリ浮いていられたらなぁとも思ったり、いやいや時々素晴らしいフラココの実を食べに行くのも悪くないよ、と思ったり。
読んで幸せな気持ちになれる本は多くないけれど、これは数少ない幸せが感じられる本。プレゼントにもいいかも。挿し絵も魅力的。
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ブログに感想書きました。
https://blog.goo.ne.jp/luar_28/e/80d9654814e60dc67f2df24b18be7f06
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何かを得れば何かを失う。
皆が失うはずの何かを持ち続けていると、時に疎外感を感じるかもしれないけれど、それを、楽しいと感じる方が楽しく生きられる。
違ってオッケー!逆に楽しもう!のメッセージに愛を感じます。
不思議な設定だけど、しっくりくる、すてきなお話でした。
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大好きな高楼方子さんの作品。ポイット氏の住む地方では、年齢や時期、その人に会ったタイミングで初めて食べることができるようにる、みんなそれを心待ちにしている果実がある。
やさしく切ない、遠い夢のような味のするフラココの実。けれど一度食べると、自分の中の何かが消えてしまうらしい。しかも何が消えてしまうのかは実は誰にも分からない…ポイット氏は何度も食べようとするのだけれど、48歳になった今でも食べることができなくて……
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アレをまだ食べたことのない風変わりな中年と老年の男女4人のお話。 高殿さんの発想がいい。絶妙なとこをついてくる。フラココの実、4ミリ、ヘリオトロープ色だって!すてき。そして、時期が来たら食べずにはいられなくなる、何かが足りない、他に足がついていない、忘れてしまうもの…。ユニークなお話の中に底知れぬ深いものが漂う。人生それでいいんだって肯定したくなる。がんばっているみんなが愛おしい。
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かわいい!
内容も表紙もかわいすぎる。
うふふな空気。
いわゆる子供心を持ち続けていられるかってことかしら。
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高楼方子さんの作品は、「ゆゆのつづき」以来、久しぶりに読みましたが、今作はユニークな中にも、ひっそりと大切なものが潜んでいる、おとぎ話のような面白さを感じました。
「フラココノ実」を食べられない現実に、不安を抱えて生きる、四十代の主人公「ポイット氏」が、同じ仲間三人と協力して、なんとか実を食べようとお互いに協力し手を結んだのが、「4ミリ同盟」。
同じ仲間と書いたが、細かい点での嗜好というか、考え方の違いを強調しているところが、重要なのかなと思いました。フラココノ実や、周りの考え方に惑わされずに、あくまで現実に起こったことを冷静に見つめる、と。児童書だけど、なんだか大人も読めて奥が深いというか、人生を楽しく生きるための方法を教えてくれているようで、興味深かったです。
ただ、ストーリーが簡潔で短かったのが、やや消化不良な感もありましたが、児童書だから、仕方ない部分もあるとは思いました。それでも、個性的な挿し絵の構成や、時折、崩れる文字フォントの自由さ等、何かワクワクさせる要素が多かったのが、また印象に残りました。
これを読んだ子供たちが、どういった感想を持つのかが、すごく気になります。
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『緑の葉がしげる枝えだに、たくさんのブランコのようにぶら下がっているという、ヘリオトロープ色の、小さなリンゴのように愛らしい、やさしく切ない、遠い夢のような味のする』フラココノ実。
なんて美味しそう。素敵な描写にうっとり。
このフラココノ実は、大人になると食べたくなるという。けれど食べると自分の中の「何か」が消えてしまうらしい。
それでも食べたいのは、誰もが食べているのに食べていない自分は「何か」が足りない気がするからと。
その気持ち何となく分かります。
「「何か」を得れば「何か」を失う。見方を変えれば、どっちかの「何か」は持っているのだ。そこいらじゅうの人がなくしてしまった「何か」を大事に持っているほうが貴重、かつ愉快じゃありませんか」というバンボーロさんの言葉にハッとした。
登場人物が、冴えない中年おじさん、(本人曰く)ただの主婦、「何か」が足りないと評価されている画家、本に鼻を突っこんでいるおばあさん。
これは、大人のために書かれた物語だ。
楽しい~。
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高楼方子さんの作品にはまりつつあり、せっかくなので童話も読んでみました。
児童文学だけど、大人になってから読むとまた違う楽しみがあると思います。
フラココノ実を食べずに大人になった登場人物たちがとても愉快で魅力的。
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暗喩的な話
マイノリティも自己肯定していきたいねという話(違うかも)
同種の仲間と分かり合えれば幸せだけど、仲間を探すのが大変そう。現実だとネットとかで探すのかな。
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中高年が登場人物のこの物語、うちの子達が読むより大人の私が読んだ方が楽しめてると思う。
ネタバレになるから書かないけど、「わかる。いるいる」「こういう所私もある」とホッコリにまにましながら読む。
楽しかった⭐︎
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2024.11.9市立図書館
本棚をぶらぶらしていて、高楼方子さんの本が並んでいるところにきた。この季節なら「11月の扉」を読み返したいけれど、あいにくその余裕はない。⋯と、すぐそばにもっとコンパクトな本があり、1ページ目に目を通すと、ふしぎな展開に続きが気になりひきこまれたので、借りることにした。
大人ならちょっとの時間で読み終えられる中編で、謎は謎のままだけれど、とてもおもしろく読めた。ちょっとぼんやりした勤め人ポイット氏、ふつうの主婦エビータさん、老いた画家バンボーロさん、それに本の虫らしいおばあさんコロリータさんという四人の中高年にはとある共通項があり(「4ミリ」の意味は読んでのお楽しみ)、それは「(ある島にいかなければ手に入らない)<フラココノ実>を一度も食べたことがないから」らしいのだが…
それを経験することで得られる「なにか」も失われる「なにか」も物語を通してあきらかにはされず、そこにさまざまな想像の余地がある物語。読む年代によっても、想像する答えは変わりそう。
四人のこれまでも今回のことにあたっての言動もそれぞれでどこか自分にも身近なものがあるなのがおもしろかった。読み終えて、裏表紙のフラココノ木に4人がぶらさがる絵が印象に残る。
こどもにもふしぎな余韻を残すと思うが、むしろ大人にとって奥行きがあっておもしろい作品かもしれない。