紙の本
私のバイブルです
2006/03/21 14:12
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
安房直子さんが亡くなって、もう13年が経ちます。50歳という若さで安房さんが亡くなった時、悲しみよりも虚脱感が大きくて、「生きていたら彼女が生み出すはずだった作品は、どこに消えてしまうのだろう」と感じたことを今も、はっきりと覚えています。
小学生の時に、はじめて手にした安房さんの作品は「北風のわすれたハンカチ」でした。単行本としてはデビュー後2作目か3作目の物だったと思います。以来、「風と木の歌」「ハンカチの上の花畑」など夢中になって読みました。雑誌「詩とメルヘン」や「MOE」などで掲載された作品をはじめ、初期の作品から、ほぼリアルタイムで読むことができた幸福な読者だったと思います。(ショックのあまりで、遺作となった作品は今も読めずにいるのですが・・・)
多くの著作が絶版、品切れでなかなか手に入れられない状況が続く中で、それでも「好きな作家は?」と聞かれると安房さんの名を答えていました。安房さんの作品世界は、とても豊かです。悲しみや怖さを含め、人生の哀歓が色や手触り、香り、温度という五感とともに伝わってきます。
ここ数年になって、安房さんの作品の復刊が続き、新しい読者を獲得していることは、本当に嬉しいし価値のあることだと思います。世知辛い今の世の中で、売れる本といえば、派手なもの、手軽に読めるもの、過激なものばかりと思っていたのに、本当に良い作品は時代を超えて読みつがれていくのですね。
本書はシリーズ刊行されていて、安房さんの作品をテーマ別に収録し、巻末にはエッセイが収録されています。作品はもちろんですが、作品の生まれた背景や、安房さんの人柄など伝わってくるエッセイも、一読の価値ありです。
2100円と購入にはちょっと思い切りが必要なお値段ですが、(出版社の採算は、これでも厳しいかもしれないけれど、頑張れ、頑張れ!)それだけの価値がある充実の内容。本棚に1冊ずつ並べていくのが楽しみです。1巻から順に揃えていくのも良いですし、自分の好きな作品の載っている巻からというのもありです。ちなみに私は、姪っ子の誕生日とクリスマスに1冊ずつプレゼント作戦を立てています
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『鳥』他を収録
2017/03/12 08:11
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
『さんしょうっ子』『きつねの窓』、それに何といっても『鳥』を収録。『鳥』は中学校の教科書に載っていて、作者名も作品名も忘れてしまいネットで偶然発見したものだったので、とてもうれしい買い物だった。海辺で繰り広げられる少年少女の恋愛物語で、中学生には強い印象を与えた。カーテンが風になびく擬態語が「しゃらっと」だったり感覚が瑞々しく大人が読むと身につまされる。ほかの短編も日本古来の素朴な文化に乗っていて、どれも良い内容で、作者のエッセイも収録された本格的な本づくりで評価できる。
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安房直子の領域
2004/09/03 16:58
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投稿者:藤澤成光 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初期の作品を集めたこの第一巻には、安房直子の言う「小さな魔法」がずらりとならぶ。第5巻収録のエッセー「私の書いた魔法」によれば、その雛形はロシアの昔話の魔法で、いうなれば手品のようなものだそうだ。だがその小さな魔法で、彼女は、たとえば「鳥」の少女の悲嘆、たとえば「だれも知らない時間」のカメの不思議な自殺をあざやかな微細画に描く。
今、このように全集仕立ての形態でこれらを読むと、あらためて、この作家がただ者でなかったことがよく分かる。特に上記2編と「雪窓」とは、これらが書かれた時代の、まさに同時代文学だったことが、その文体の香りから漂うのだ。彼女も、一つの時代を、書くことによって生きた人だった。
ところで、この巻のエッセーは作家になる前のことに触れたものが多いが、それならば作家自らが処女作と呼ぶ名作「月夜のオルガン」をぜひ収録して欲しかった。それは安房直子の魔法というものが、彼女のどんな喜びに根ざしたものなのかが、手に取るように分かる好編なのだから。第2巻の「オリオン写真館」のサルの子の運命、第4巻の「丘の上の小さな家」のかなちゃんの人生、など、これまで未刊行のものをこうして入れているのだから、もうひとふんぱつ、できなかったものだろうか? 第7巻の「うさぎ座の夜」も「花豆の煮えるまで」の小夜の物語で、作者の存命中に原稿はできていて、出版社に届いてもいたのに、刊行されなかったものだった。これは重要な作品だ。
それに、この偕成社は名作「だんまりうさぎ」も刊行しているが、実はこれは12編からなるシリーズで、そのうち6編だけが2冊に分けて出ているにすぎない。このコレクションの機会に、12編そろいの「だんまりうさぎ」を読みたかったと思う。なにしろ、出会いからプロポーズまでの、象徴ふう恋愛童話になっているのだから。(このあたりのことは、拙著「こころが織りなすファンタジー 安房直子の領域」(てらいんく)に詳説したので、今はくりかえさない。)
各巻末のエッセーの選び方は、非常に優れていると思う。グリムのこと、アンデルセンのこと、軽井沢のこと、市松人形のこと等々、彼女の人となりが、ことのほかよく吹き出ているものを丹念にひろって、腑分けして、収録している。頭の下がる仕事である。
この機会に、安房直子という希有な作家の、この国に生きて書いていたことが、文芸文化の中にしっかりと定着して欲しいと、切に願ってやまない。
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投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
さんしょっ子
きつねの窓
空色のゆりいす
鳥
夕日の国
だれも知らない時間
雪窓
てまり
赤いばらの橋
小さいやさしい右手
北風のわすれたハンカチ
エッセイ
エッセイも読めるのが嬉しいですね。
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なつかしさと切なさが、胸の中に満ちてくる
2004/06/19 22:41
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投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
指でこしらえた窓や、着物のたもとの中に広がっている風景の、鮮やかで美しいこと。安房さんが垣間見せてくれる異界の景色に、ほうとため息をついて見とれてしまいます。なつかしいあたたかさと、切なくなる寂しさが、くるん、くるんと心の中で回るような、不思議な気持ちに誘われます。
本書には、「さんしょっ子」「きつねの窓」「空色のゆりいす」「鳥」「夕日の国」「だれも知らない時間」「雪窓」「てまり」「赤いばらの橋」「小さいやさしい右手」「北風のわすれたハンカチ」と、巻末に八つのエッセイが収められています。作品で特に忘れられない(気に入った)のは、次の四つかな。
サンショウの木の中に住んでいる、お手玉の好きな女の子の話——「さんしょっ子」
耳のお医者さんのところに、耳の中に大変なものが入ってしまったと、ひとりの少女が飛び込んでくる——「鳥」
雪の中、おやじさんとたぬきが出しているおでんの屋台に、不思議なお客が訪れる——「雪窓」
遊び相手のいないお姫さまが、ああん、ああん、うわあ、うわあと泣いている場面から話が始まっていく——「てまり」
それから、安房直子コレクションの7冊では、どの巻でも何かしら素敵な話と出会うことができましたが、なかでも第4巻「まよいこんだ異界の話」と、第5巻「恋人たちの冒険」の2冊に読みごたえを感じました。
不思議な魔法が働いている安房さんの作品世界。またしばらくしたら出かけて行って、遊んでみたいなあと思います。
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わすれてしまった時間をおもいだす
2004/04/09 14:01
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投稿者:ねここねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
普通は童話作家などは読む年齢層にあわせた表現とか内容とかに固執し表現が幼稚になったりしますが、安房さん作品は文体こそ年齢層にあわせているものの決して子供用に内容をあわせたり、言葉を選んでおらず、大きくなってからも十分メッセージがいろあせないで伝わってきます。こういう作品を短編オムニパスとして映像化してほしいし、とてもたのしめる。作品が約71篇とはすこし残念でたまりませんが読んで潤うコレクションたちです。
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「きつねの窓」が収録されていると 知り、アマゾンでオーダー。
静かで、どこか物悲しい青い世界を とても懐かしく読みました。
巻末に安房直子さんご本人のエッセイも載ってます。
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この世に早すぎる別れを告げた、安房直子さん。
残念に思われた方も多かったのではないでしょうか。
もう読めなくなった作品もあるようで、そちらの方も大変残念でしたが、
クラフト・エヴィング商會の美しい装丁による、安房さんの作品集全7巻が刊行。
それぞれに付けられたタイトルも素敵です。
こちらの「安房直子コレクション 1」には、よく知られている「きつねの窓」の他、
初期の短編集から11編を収録。
単行本未収録のエッセイも含まれています。
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安房さんの世界を改めて知ったのはこの本を読んだのがきっかけでした。とても大きく心に残り、影響を与えてくれたと思います。
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ゆっくり、ゆっくりと流れていく文章。
文章が、頭(あるいは心)に、少しずつ染み渡っていくような感覚を覚えました。
まさに、魔法の時間。素晴らしい時間でした。
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「さんしょっ子」「きつねの窓」「空色のゆりいす」「鳥」「夕日の国」「だれも知らない時間」「雪窓」「てまり」「赤いばらの橋」など初期の短編集から11編と、作品理解の助けになる単行本未収録のエッセイを巻末に収録。
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大好きな童話作家です。絵がないのに、読後、鮮烈な色の印象となって心に残る。
安房さんの書くものはすべてやさしく淡いのに、かならず強い印象を残してくれます。
これには「さんしょっ子」、「きつねの窓」などが収録されてます。
安房さんにしてはよく知られている作品なのでは。
個人的にはロマンチック、そしてちょっとだけこわい「鳥」という話と、
「小さいやさしい右手」にでてくる「魔物」がすきかな。
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[ 内容 ]
安房直子初期の短編集から11編。
独自の幻想世界をつくりあげ、数々の賞を受けながらも、早世して十年になる作家・安房直子。
その主要作品71点とエッセイ40点余を7巻に分けて収録した、初めての本格的作品集。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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童話だけれど小さな毒や切ないお話が胸をチクリと刺します。
蟲師や村上春樹好きな大人にもお勧めです。
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「ゲイルズバークの春を愛す」で、結構、味をしめたので、読んですぐの感想を書いています。
といっても、大好きな安房直子の作品集ですから、それがなくても、しっかりと1つずつ書いているかもしれません。
安房直子の作品を意識したのは、中1のときに廊下に飾られていた中3の人の描いた絵でした。
多分、その頃、中3の最後には、ポスターカラーで、「課題なし」の絵が描けたんだと思います。
「課題なし」。なにを描いたって自由なんです。
もー、アイドルの顔から、マンガのキャラクターまで、メタクタの無法地帯です(笑)
特に、わたしたちが中1の時の3年生というのは、もう、本当にワルい人たちばっかりですから、すごい出来(笑)さすがに、ヌードはなかったけれど、けっこう、きわどい水着とかは、あった記憶があります。
まあ、放課後の3年生の廊下を歩いて、
「いいなー。俺らも、好き勝手に絵を描きたいよな~」
なんて言いながら、絵を見て回っていたわけです。
その中に、1つ。
忘れられない絵がありました。
それは、縦長のキャンパスに描かれた作品でした。
青紫色の霧のような不思議なひしがたの窓。
その窓のむこう側には、花束を抱えた1人の髪の長い女の子。顔は、大きな麦わら帽子の影になって見えません。
扉の横には、詩のような言葉。
桔梗の花で 指を染めて
その指で 窓をつくると……
絵の題名は、「きつねの窓」でした。
そのとき、なにか記憶の底から、
「このお話、知ってる…」
と訴えかけるものがあったのです。
それから、毎日、3年生がいなくなるのを見計らって(1年生が3年生の教室のある廊下を歩くなんて、怖くて出来ないような中学校でした)、その絵を眺めに行っていました。
どこで、「きつねの窓」なんて話をしったのか?
多分、小学校時代の教科書だと思います。
ただし、わたしの教科書ではなくて、おそらく兄貴がもっていた教科書に載っていたようです。
子どもの頃にすり込まれた好みと、大人になってから出来上がった好みとがあると思うのですが、安房直子は、こうやって、子どもの頃にすり込まれた好みです。
心にトゲとしてひっかかっていた、「きつねの窓」、「夕日の国」、「小さい優しい右手」、「北風の忘れたハンカチ」といった話が、実は同じ作者の作品だと知ったのは、なんと大学の時に、児童文学の講義をうけたときでした。
好みの話っていうのは、確かにあるのですが、ここまでひっかかっていた話全部が、同じ作者だとは思ってもいませんでした。
しかも、話自体は、よく覚えているのに、いつ読んだのか?どうやって読んだのか?だれかに話して聞かされたのか?ということは、まったく覚えていないんですね。
大学になって、安房直子の名前を知って、作品を読みあさりました。
でも、そのころには、そろそろ絶版になり始めていたりして、なかなか、読めない作品も多かったです。
ずっと、安房直子の全集���出ないかなぁと思っていたのですが、偶然、復刊ドットコムで、この安房直子コレクションが、出ていることをしりました。
けっこう、経済的に苦しいときでしたが、購入を決めるのは、速かったです。
日本のなかで1番好きな作家。
わたしにとって、安房直子は、そんな作家さんです。
さんしょっ子
「さんしょっ子」は、ストーリーだけ追って読むと、実は、ちょっとかみ合っていない話だと思います。
でも、安房直子のなかで、大好きな人に読んで欲しいなぁとわたしがオススメするのは、この文句なしに「さんしょっ子」です。
すずなの心の中に秘められた想い。三太郎のすずなへの想い。そして、さんしょっ子の三太郎への想い。
秘められた悲しみは、透明な朝の空気のように綺麗です。
思わず、すべての文章を声に出して朗読してしまいたくなります。
ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
見わぁたすかぎり よめ菜にたんぽ
妹のすきな むらさきすみれ
菜の花さいた やさしいちょうちょ
九つ米屋 十までまねく
本当に、欲しいと想っているものは、手に入らないもの。
子どもの頃にわたしに刺さった、安房直子作品のトゲは、多分、この作品の頃から、その物語の底に流れ続けているのだと思います。
きつねの窓
最初にも書いたように、「きつねの窓」は、安房直子という作家の印象を強烈にわたしにすり込んだ作品でした。
あとで、大学の課題として自分たちで紙芝居をつくったりした記憶もあります。
あの紙芝居は、結局、わたしの元に返ってこなかったなぁ……。
むかしは、このラストを読んで、過去ばっかりを見つめる「きつねの窓」が消えてしまったことは、主人公にとっては、しあわせなことだったんじゃないかなぁ……とか、思っていました。
でも、今の年になると、自分がこんな窓を持っていたら、やっぱり手放すことは出来ないのだろうなぁと思ったりもします。
空色のゆりいす
目の見えない女の子と「色」のお話。
これは、この本で始めて読みました。と思ったら、講談社文庫の「ハンカチの上の花畑」に載っていますか?
あれ、読んでるはずですね。
でも、新鮮な気持ちで読めました。
目の見えない子と「色」のお話は、「マスク」というライオン症の男の子の話にもあって、あれも大好きでした。
女の子が、ばら色のいすにこしかけるところ。「赤」を感じるところ。
それから、だんだんうすれていくゆりいすにすわって、ため息をつくところ。
思わず、涙が出てしまいました。
実は、その2つの場面をここに書き写そうと思ったのですが、もう1回読み返してみて、もったいなすぎるので、やめることにしました。
ここで、その短い言葉だけを読むよりも、やっぱり、物語全体を味わって欲しいと思います。
「赤」を感じるところは、生き生きとはねるような描写です。
これも、もったいなすぎるので、ここには引用しませんね。
そして、ため息をつくところは…。
けっこう切ないシーンなんです。
でも��れは、幸福な記憶というものは、どんなに薄れてしまっても人の心に残るのだというメッセージも含んでいる気がします。
そして、最後の1行まで大好きでした。
鳥
これは、わたしにとっては、あんまり印象に残らない小品という感じですね。
でも、「耳のなかにある秘密」とか、「耳のなかをのぞくと海岸が見えて」というのは、けっこう好きです。
夕日の国
この話も、作者知らないまま、いつ読んだかもわからないまま、ずっと気になっていた話です。
「きつねの窓」を探す過程で、このお話にもたどり着いて、
「同じ作者だったんだ!!」
とびっくりした覚えがあります。
まあ、ある程度、好みに一貫性があるということでしょうね。
咲子は、ルビではちゃんと「さきこ」って書いてあるのですが、自分のなかでは勝手になぜか、「さっこ」と変換されています。
このモジャモジャ頭の女の子は、けっこうわたしのタイプの女の子の原型かもしけない……。と書いて、神坂知子のシルクロードシリーズの金目のツヴィとか、大島弓子の「たそがれは逢魔の時間」の邪夢とかのことを思い出して、自分が思っている以上に本当にそうだと気づきました……。
これが、もしかしたら、原点かも(笑)
でも、今回、イラストを書いている北見葉胡さんの絵の女の子よりは、ちょっとバタくさいイメージがあります。
でも、北見葉胡さんのイラストも、ちょっと大人ぶったところがでていて好きです。
これは、子ども心になんというか、女の子の魅力を感じさせてくれた物語です。
印象に残る物語で、感動タイプとトラウマタイプがあるとしたら、これは、完全にトラウマタイプ。
最後も、けっこう「どうしようもない現実」を子どもの前に見せてくれます。
だって、作者自身がそう信じているのなら、あの描写はしないだろう~。
でも、たとえ「夕日の国」が、女の子のついた嘘であっても、その世界があって、その世界が本当に見えたことは、主人公の男の子にも、読者にも残るわけです。
作り話をしてしまう人に惹かれるのは、実は、その人のなかに「孤独感」を感じるからかもしれません。
だれも知らない時間
太鼓の練習の時間をもらうことと、壺のなかの女の子のことは覚えていたのですが、結末をなんにも覚えいませんでした。
というか、安房直子さんの作品は、パーンと印象に残るシーンが、1枚の絵みたいにあって、それ以外の部分は、けっこう残っていないこともありますね。
この話のでは、それは、壺のなかの女の子の姿です。
ときに、このカメは、すごく怖くも見えるし、すごく優しくも見えます。
「時間」そのものなのかもしれません。
雪窓
なんとなく、話としては通っていない気がします。
全部を見通してお話を作っていく人と、書きながらお話を生み出していく人とがいるのですが、多分、安房直子さんは、後者なのだと思います。
だから、ときに自分でも思っていない方に物語が転がっていく。
でも、転がっていく先をとてみ信じているのだなぁとも感じます。
雪窓の屋台のなかの手袋をした女の子。
歌うようなセリフ。
多分、何年かたてば、ストーリーは全部忘れて、そんなシーンだけが残るのです。
どうも、わたしは、フレームのなかの女の子のイメージに弱いようです。
そして、安房直子さんは、初期の作品では、小さなものの中に世界を写し取るということに、情熱があるみたいです。
てまり
これも、「小さなものの中の世界」の話だ。
そして、夢がつながっている話。
今読んだところなのに、最後の印象が残っていなくて、今、どんなだったっけと読み返しました。
ファンタジーであるのに、どこか現実と通じている。
現実と通じているからこそ、ファンタジーの部分が、ものすごく切ないです。
赤いばらの橋
小学校の時、部屋に兄貴のお古の子ども向けの世界文学全集みたいなのが並んでいました。
それから、従姉の家からもらってきた本も。
ただし、本は、新しい方が魅力がある。
ということで、自分の選んだ本は、けっこう読んでいたのですが、この手のお古の本には、全然、興味がなくて、普段は並んでいるだけでした。
子どもの頃、朝、不思議と休みの日曜日には、早く目が覚めました。6時ぐらい。
親は、休みの日は、ゆっくりと寝ていたので、起きてくるのは8時ぐらい。
で、その2時間というのは、なんというか、不思議な「秘密の時間」だったわけです。
外に散歩にいったりもしていた記憶もあるのですが、そんなときは、普段あんまり読まない本棚のお古な本を引っ張り出して、読んだものです。
今にして思うと、「小さい魔女」や、「巣立つ日まで」とか、ルナールの「にんじん」など、おもしろい話は、自分の選んだ本よりも、こっちの方にたくさんあったような気がします。
そのなかの1冊。従姉の家からもらった本の中に、「北風のわすれたハンカチ」というのがありました。
このころはまだ、作者を意識して読むということはしていなくて、これが、安房直子さんの作品であることを知ったのは、やっぱり大人になってからでした。
この「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていた1編です。
たしか、3編のお話が入っていたのですが、これが1番印象の薄い話です。
もう1つの「小さいやさしい右手」の印象が強すぎるということもあるのですが。
でも、この話も、「小さいやさしい右手」も、なんか、なんでお母さんがあんなにいじわるなのかが、よくわからないんですねぇ。
無条件な悪意?
昔話なら、ままははであったとか、いろいろ意地悪な理由がつけられているのですが、いっさい説明なしで、抑圧するものとしての母親が描かれています。
このあたりは、けっこう子ども心に怖かったようです。
小さいやさしい右手
これも、「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていました。
子どもの頃の印象は、怖い話(笑)
よく切れるカマで、右手を落としてしまうシーンが、やっぱり、強烈に焼き付いています。
だから、ラストはほっこりと暖かい「北風のわすれたハンカチ」の作者とは���違う人なのだと思っていたようです。
今読み返してみても、やっぱり、怖いです。
でも、怖いのは、魔物ではなくて、人間なのかもしれません。
「ぼくには、とってもできないな。」
そう言う魔物の心は、自分の心とやっぱり重なります。
だれにとっても、多分、そうであるように。
そして、このお話は、大人に向かってではなく、子どもに向かってこそ語られるべきお話なのだと、そう感じました。
子どものなかに、小さなトゲを残します。
そして、いつか、そのトゲのことを思い出し、深く考えるときがあるのです。
北風のわすれたハンカチ
素敵な青い馬に乗ったお客さんがたちが、メチャクチャ迷惑な人たちなので、ビックリした思い出があります。
「これは、ひどい……」
と子ども心に思ったものです。
そのころ読んでいたファンタジーは、けっこうほのぼの系が多かったのでしょう。
だから、女の子のお客さんが来たときには、とってもホッとしたものです。
ハンカチをテーブルに載せて、魔法がかかるかどうか、試してみたと思います。
もちろん、北風のわすれたハンカチではなかったので、ホットケーキは、出てこなかったのですが。
あと、きっと、このお話を読んだ後、
「ホットケーキが食べたい」
なんて、言っていたんだろうなと思います。
大人になった今は、クマの孤独がとても心にしみて理解できます。
多分、わたしは、こういうヤツです。
ここまで、穏やかではないのが残念ですが。
エッセイ
エッセイを読む機会は、本当にすくないので、こんな風にいっぱい集まっているのは、とってもうれしいです。
そして、エッセイの言葉が、ファンタジーを作ってるときの言葉と、本当に同じだということを知るととても安心します。