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東方キリスト教の世界
著者 森安達也
東方キリスト教は、ロシア正教など東ヨーロッパを中心に広がる東方正教会や、主に中東で広まった東方諸教会などを包括するものである。使用言語も多岐にわたりその歴史も複雑なため、...
東方キリスト教の世界
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東方キリスト教の世界 (ちくま学芸文庫)
商品説明
東方キリスト教は、ロシア正教など東ヨーロッパを中心に広がる東方正教会や、主に中東で広まった東方諸教会などを包括するものである。使用言語も多岐にわたりその歴史も複雑なため、日本語での情報は限定されてきた。本書はそうしたなかで、長らく基本情報を提供してきた名著だ。西洋古典学・ビザンツ学・スラヴ文献学の横断的研究で傑出した業績を残した研究者が、東方キリスト教全体を扱いつつも、教義や歴史にとどまらず、巡礼・神秘思想・教会建築・イコン・天国/地獄表象など幅広く信仰文化にまで踏み込む。
目次
- I/東方キリスト教の世界/東方キリスト教とは 東方キリスト教の坩堝 東方キリスト教の典礼と典礼用語 東方正教会ということば ローマとコンスタンティノープル 東方正教会の成立 東方正教会の発展 東方正教会の現状/東方正教会における旧約正典をめぐって/1 ジュジーの史的研究の概観/2 教会規則の有効性/3 正典とは何か/ビザンツ帝国における教養と信仰/ビザンツ帝国の範囲 教育思想研究のむずかしさ 教育理念──ギリシア古典の尊重 ラテン的教養の喪失とビザンツ的価値観 キリスト教との相剋 バシレイオスと古典教養 ビザンツ教会の特殊性 制度としての総主教制 修道院の役割 総主教の官僚化 修道生活の理念 テオドロスの修道院改革 修道士とパイデイア パライオロゴス朝ルネサンス/東方正教会の神秘思想──ヘシュカスモス論争をめぐって/パライオロゴス朝のビザンツ帝国 バルラアムの告発 ヘシュカスモスの伝統 グレゴリオス・パラマスとヘシュカスモス 神のエネルゲイア エピローグ/巡礼と東方教会/キリスト教巡礼の起源 「真の十字架」伝説 エルサレムの復興と巡礼 巡礼の定義から ラテン語の「巡礼」 ギリシア語の「巡礼」 近代の巡礼──西ヨーロッパの場合 聖遺物のおこり 聖遺物崇拝の拡大 聖クレメンスの遺骸 コンスタンティノープルの地位向上 聖遺物の宝庫 クラビーホのみた聖遺物/十字軍と東方教会/東西両教会の分離からクレルモン会議まで 十字軍と東方正教会 十字軍と他の東方教会(アルメニア教会 マロン派教会 ヤコブ派教会 コプト教会)/イコノスタシスの空間表現/イコノスタシスとは イコンの配列 イコノスタシスの成立 固定化と影響 シンメトリーの問題 上下の均衡/ボスニア教会をめぐって/1 ボスニアの地理的範囲と略史/2 ボスニア教会とは──一般的見解/3 一般的見解をめぐる問題 ほか
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紙の本
国家と宗教の立ち位置について
2022/09/12 07:41
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治期に日本の正教会が「天皇制国家」を受容した云々という講演が収録されている。何でもキリスト教業界では天皇・皇室の安寧を祈る祈祷文を使っているのは日本正教会だけだそうだ。昭和63年に日本聖公会は業界の「時流」に乗って祈祷書から「天皇のため」、「皇室のため」の祈りを削除して印刷した本に紙を貼って販売しているぐらいだが、実際のところは次の「社会正義のため」を除外した方が現実の所業と一致していそうだ。
日本正教会の元になったロシア正教会はニーコンの改革を元にした教会であって、拒絶した古儀式派ではない。言い方は悪いが、ツァーリとの距離が近いからこそピョートル大帝の時代から二月革命まで総主教座が廃止されてしまい、ボリシェヴィキの迫害から生き残る為に自分たちが批判してきたはずのボリシェヴィキの手先である自称「生ける教会」派紛いの教会になってしまった。だからこそプーチンと一体化して「特別軍事行動」を祝福するような総主教が出てくるのは必然だと言えそうだ。この戦争が終わったら、ボリシェヴィキですらなし得なかった総主教の追放がありそうだ。
ロシア正教会に照準が合っているからか、ニーコンの改革以降、古儀式派をはじめとする正教会から離れた教会、ウクライナ正教会がほとんど出て来ない。正教会の歴史でサラッとしか触れられないらしいWW2当時のドイツ軍占領下での教会再開とは、どういう位置づけになるのだろうか。ヴラーソフ将軍が参列したロシア解放軍の式典に正教会の神父が祝福を与える写真を見た事がある。
「聖書外典偽典」の「スラヴ語エノク書」の翻訳者だけあって、この書を紹介している個所がある。教会スラヴ語からテキストを訳せそうな人は他にいないだろう。帝政時代に翻訳されたロシア語の宗務院訳を使って、正教会の旧約聖書について論じている。宗教改革以来のプロテスタント式の「ナザレのイエスをメシアと認めない」はずのユダヤ教徒が伝えてきたヘブライ語とアラム語のタナッハに伝えるテキスト「のみ」を正統と認める考えを一時は引き継いだかのような正教会だが、揺り戻しがあったように従来の七十人訳に基づく範囲に戻っている。結論が何だかプロテスタント的だが、カトリックがプロテスタントからの批判を受けてウルガタの公式なテキストと旧約聖書の範囲を定義したように、「旧約聖書は39書のみ」は実際のところ、部外者にはユダヤ教ならともかく、キリスト教の歴史からして硬直した価値観に見える。
詩篇151篇は日本正教会が刊行している聖詠経に収録されているので、本来なら説明がいるのではないか。
余談だが、ここで言及されている1976年版の宗務院訳はヤフオクで落札した。ロシア語が読めないから憶測で言うが、宗務院訳100周年に合わせてソ連で印刷された聖書を日本に輸入したもののような感じがする。
解説にはビザンツ帝国の「皇帝教皇主義」や「単性論」という用語批判が書かれていても、「異端」という言い方に対する批判が見当たらない。「異端」という言い方はカトリックの異端審問やカルヴァンのセルヴェ火刑に見られるような独善性に行き着くのだからやめた方がいいのに。今でも福音派が統一教会(家族連合)、ものみの塔聖書冊子協会、末日聖徒イエス・キリスト教会を「三大異端」と呼んでいるが、福音派とものみの塔は元々、アメリカ生まれだからか、終末論や教義が似通っている感じがする。