- みんなの評価
- あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
- カテゴリ:一般
- 販売開始日: 2023/01/24
- 出版社: 彩流社
- ISBN:978-4-7791-2642-0
読割 50
電子書籍
蘇我王朝の正体
著者 林順治
明日香=飛鳥の地が蘇我王朝の居城であった! 見瀬丸山古墳(欽明)、双墓(ならびばか…蝦夷と入鹿)、天武と持統の檜隈大内陵(八角墳)、馬子の墓(石舞台古墳)が東西一直線に並...
蘇我王朝の正体
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
蘇我王朝の正体 大王馬子・蝦夷・入鹿を語る
商品説明
明日香=飛鳥の地が蘇我王朝の居城であった!
見瀬丸山古墳(欽明)、双墓(ならびばか…蝦夷と入鹿)、
天武と持統の檜隈大内陵(八角墳)、馬子の墓(石舞台古墳)が
東西一直線に並ぶ明日香=飛鳥は“天井のない歴史博物館”
とも呼ばれる。
4世紀後半から5世紀にかけて朝鮮半島から加羅系と百済系の
新旧二つの渡来集団の史実を無視して日本古代国家の成立を
明らかにすることはできない。
百済の蓋鹵王の弟昆支(応神、倭王武)と弟の余紀(継体)は
大和川と石川の合流点の羽曳野に本拠を置く加羅系の
倭の五王済のもとに婿入りした。
全長525メートルの大山古墳(伝仁徳陵)に
昆支王の弟余紀(継体天皇)が埋葬され、誉田陵(伝応神陵)に
昆支王(応神、倭王武)が埋葬された。
倭王武の晩年の子欽明は安閑の娘石姫を皇后とし、
昆支王を始祖王とする蘇我系豪族の娘堅塩媛を妃とした
(531年の辛亥のクーデター)。その後、欽明は
后の堅塩媛とともに大和橿原の見瀬丸山古墳に埋葬された……。
この仮説を否定するには見瀬丸山古墳=畝傍陵墓参考地の
発掘調査しかない!
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む