石垣りん/それでよい。
2023/05/23 16:51
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人石垣りんのエッセイ集『朝のあかり』は、彼女の生前に刊行された3冊のエッセイ集の中から選ばれた71篇を収めた読むに値いする文庫オリジナルですが、唯一残念なのが、年譜がないことでしょう。
仕方がないので、岩波文庫の『石垣りん詩集』に載っている「石垣りん自筆年譜」を参考にしながら、エッセイとともにその84年の人生をたどるのがいい。
石垣りんは昭和9年(1934年)、14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。
その時の幼い姿や18円の初任給に喜ぶ姿など、たびたびエッセイに綴っています。
現代の感覚でいえば、14歳で仕事に出るのは過酷な環境だったのかと思ってしまうが、そうではないと、石垣は書き残している。
「家は、子供を働きに出さなければならないほど生活に困っておりませんでしたが、(中略)私は早く社会に出て、働き、そこで得たお金によって、自分のしたい、と思うことをしたいと、思いました。」
石垣はその頃から書き溜めた文章を色々な雑誌に投稿する少女で、彼女は働くことで書く自由を求めたといえます。
しかし、もちろん働くことは楽ではなく、まして当時の社会では女性の地位も低く、そこにやるせない感情もありました。
彼女の代表作ともいえる「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの詩は、そういうところから生まれたといっていいでしょう。
石垣が会社を定年退職するのは昭和50年(1975年)、55歳の時でした。
その少し前、50歳の時に川辺の1DKのアパートで一人暮らしを始めます。
そこから先、亡くなるまでの小さな生活ぶりの様子は、エッセイにもうかがうことができます。
そんな石垣りんにとって、人生とは何であったのでしょう。
少し長めのエッセイ「詩を書くことと、生きること」にこう記しています。
「長いあいだ言葉の中で生きてきて、このごろ驚くのは、その素晴らしさです。」
「私のふるさとは、戦争の道具になったり、利権の対象になる土地ではなく、日本の言葉だと、はっきり言うつもりです。」
時代がどんなに変わろうが、石垣りんが問いかけたことは不変です。
だからこそ、このエッセイ集は読むに値いする一冊なのです。
静かながら、心にずしりと響いた。
2023/04/25 14:28
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投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もの静かで丁寧な言葉のなかに激しく強い気持ちが隠されていて、引き込まれていきました。
昭和の話題なので今とは随分違うことが書いてありながら、その出来事に対する感情に、はっとさせられました。
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人の石垣りんさんの生き方、考え方がよくわかり、楽しみながら読むことができました。詩との関わり方など、興味深かったです。
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働きながら続けた詩作、五十歳で手に入れたひとり暮らし。「表札」などで知られる詩人の凜とした生き方が浮かぶ文庫オリジナルエッセイ集。〈解説〉梯久美子
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石垣りんの代表的な詩をいくつか知っている程度で読んだ。
石垣さんは14歳で銀行に就職し、定年まで働いた。
ほとんど昇進はしなかったが、これはもちろん当時の日本の会社が女性を男性と同等に扱っていなかったからである。
石垣さんが詩人としてどれほど才能があっても、結婚も出産もしなかったから「君は半人前だ」といい放つ上司、「なぜ結婚しないのか」で書かせる雑誌編集者と付き合わざるを得なかった。ホント、何様だよ、と怒りが湧くが、石垣さんや当時の女性はうんざりするほどそういう扱いを受けてきたのだろうと思うと暗澹とする。そんな毎日の中、感じたことが詩となり、エッセイとなったのだから、よしとすべきか?いや、そんな毎日がなかったとしても石垣さんは詩を書いただろう。違う詩になっただろうけど。
私ならあからさまに怒ったり悲しんだりしそうなところを、ぐっと押さえて余韻を残す文章にできたのは流石と言うしかない。
梅の木肌に手を置いて「また来年の花に会わせてください」と願い、「春は来るのではない、生きてこちらが春に到達するのだ」(p131)。
「納められる税金を「せつなく」受け取って、大事に使ってくれる」政治家はいないのか。(p249)
「さしあたっての希望は、欲しがらない人間になりたい、ということ。誰が何をしてくれなくても。さみしかったら、どのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろうと―。」(p57)
これらの言葉を忘れないようにしたい。
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若くして銀行に就職し、銀行で働き続け家計を支える一方で詩を書き続けた詩人・石垣りんのエッセイ。
当時の女性としては少数派であったであろう自身をアウトサイダーを称しつつ、自分の職場をはじめ「社会」を批判的な鋭い眼差しで見ており、フェミニズムの潮流を感じた
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この時代の人はほとんど全員生き残りなんだった。健常でない人がたくさんいた。今よりずっと。そういうことも思い出した。
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「表札」の作者らしい、日々の暮らしの中で感じた心の動きが伝わってくるエッセイ集だ。今よりも女が一人で生きていくことが難しかった時代にあって、自分のしたいことをするために働いてきた決意が伝わってくる。
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はたらく、ひとりで暮らす、詩を書く、齢を重ねるの四章に分けられたエッセイ集。
彼女の詩を書くこと以外にない人生の真面目さに感動しました。働くことや結婚を選ばなかったことなど、あるいは重荷になるばかりの家族といった事も全て詩の中に昇華されています。そして何気ない言葉に女性ならではの叫びが聞こえます。石垣りん氏の詩はとても好きですがエッセイもしみじみ良かったです。
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やられた。
また、師匠がひとり誕生してしまった。
母ほどの年齢の人なのに、感性が、考え方が自分に似ていて、大きな企業の最下層にいる環境まで同じで。
「誰が何をしてくれなくても、さみしかったらどのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろう。」
南の国でのんびり暮らそうとと誘われてそれもいいですねと答えながら、今から覚える拙い言葉で自分の心のひもじさは耐えられないと。私のふるさとは日本の言葉だと言い切る。
ほんとにそうだよなとなんとも腹落ちのすることよ。
ネットでお顔を拝見したら笑顔のチャーミングな方で、ますます好きになったのでした。
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昔も今も働く女性は変わらないと思っていたけれど、このところ急に世の中のシステムが変わった。しかし、心は変わらない。
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14才から銀行に勤め続けて定年を迎え、つつましくひとり年をとる女性の暮らしと心の動きを写し取るものとしては、近年流行の元気前向き一人暮らしおばあちゃんの本よりもむしろずっと共感できる。
P36 2月21日【前略】このところ、隣の家の念仏が十二時を過ぎても低く続く。一時を回る頃には近くの保健所工事現場から、鉄筋を打ち込む音が規則正しく響き始める。私の所在を知って台所口に呼びに来たのは野良猫シロ、夜食をよこせというのであった。貧しくにぎやかな夜更け。寒い冷たい夜更け。
2月24日【前略】未婚者が自分の資質をゆがめず、素直に年をとるにはどうしたらよいか、その困難さについて先輩女性と語り合う。
P57 さしあたっての希望は、欲しがらない人間になりたい、ということ。誰が何をしてくれなくても。さみしかったら、どのくらいさみしいか耐えてみて、さみしくゆたかになろうと―。
P76 祖父がなくなる前、年をとったひとりの女が生きてゆくことをどのように案じるか、たずねました。「お嫁にも行かないで、この先、私がやってゆけると思う?」「ゆけると思うよ」「私は、私で終わらせようと思っているのだけれど」「ああいいだろうよ、人間、そう幸せなものでもなかった」
闇の世を立ち出でてみればあとは明月だった、という句を、祖父は口移しで私に伝え、やがて逝きました。
P86 シジミをナベに入れるとき語りかけます。「あのね、私といっしょに、もう少し遠くまで行きましょう」
P101 けれど洗濯機のない貧しさは、一面そんなことをしていられる時間のぜいたくさでもあって、家族が何人もいたら、とてもできない芸当に違いない。そんなことはさっさと片付け、一人暮らしならなおさら、もっと時間を有効に使わなければいけない、とけしかけるものの声がする。【中略】人が手を使うことより、頭を使うほうがずっと有効だ、というのはそのほうが高級でそれは高給につながるから得なのだ、という世間の風潮、その底からの呼び声である。
P204 (男対女の綱引きになぞらえて)男が力任せに引く綱に、ざざっと引き倒されて、軽く腰を浮かせてしまう、残念無念な女性群像も次第に見えてきた。降参した時点で、選ばれた女性が相手方の陣営に招かれていく。【中略】私は捕虜の光栄にも浴さず、戦士のように倒れて抱き起されることもなく年をとった。男を語る資格がない。
P229 働かないと、書くことも思い浮かばない、といった習性のようなものが、私の身についたのではないか、と案じられます。そして、物を考えているのは私の場合、頭だろうか?手だの足だので感じたり、考えたりしているのではないだろうか?
P249 せつない、という言葉の重みは、心の中のどの部分に寄りかかろうとするのでしょうか。寄りかからせる優しい部分は、どこにどのようなかたちで存在するのでしょうか。うれしさとつらさ。有難さとすまなさ。恋しさと恨めしさ。いろいろな感情が、その時その時で違った混ざりかたをする、そのせつなさ。
P252 かりに好意で5年置いてもらったところで、いずれはやめなければならない。それなら少しでも早く一人になる稽古をしておこう。【中略】定年時の手習いが私の場合「一人立ち」だとしたら、これはどういうことになるのだろう。会社とはなんだったろう。【中略】ちょうど建物と同じで外から古く見えても、中で暮らしている限り変化はない。並んでいる新しい家と古い家の窓から見える空は同じなのよ、というと、同年配の人は、ほんとにそうね、と答える。
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教科書のシジミを読んで、世のお母さんはシジミやあさりの味噌汁を作る前、台所に立つ背中からは分からないが、鬼ババになるらしいと詩のイメージを引きずってきました。エッセイを読めば、お母さんではなかったし、一人暮らしでは食べきれない量のシジミを長く生かすことも難しく、えいやと明日の調理を決意するひとこま、また職業を定年まで全うしようとするなかで、家族の生計を支える女性がやっとはじめた一人暮らしのひとこまでもあり、イメージは塗り替えられました。
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著者、石垣りんさん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
石垣 りん(いしがき りん、女性、1920年(大正9年)2月21日 - 2004年(平成16年)12月26日)は、日本の詩人。東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。銀行員として働きながら、詩を次々と発表。主な詩集として、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年)、『表札など』(1968年)、『略歴』(1979年)、『やさしい言葉』(1984年)。代表作に「表札」。「断層」「歴程」同人。 第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。教科書に多数の作品が収録されており、また合唱曲の作詞でも知られる。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる――。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら続けた詩作。五十歳のとき手に入れた川辺の1DKとひとりの時間。「表札」「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの作品で知られる詩人の凜とした生き方が浮かび上がる、文庫オリジナルエッセイ集。
---引用終了
本書で気になった箇所は、p38~p40。
新春の仕事始めに、女性が晴着を着る時期があった、ということ。
これには驚いたが、冷静に思いを巡らせると、自分が新入社員として入社した頃、昭和61年になるが、その頃は、珍しいことではなかったのかな、とも思う。
自分は営業所に配されていたので、女性は事務職が一人いるだけで、仕事始めに晴着を着るということはなかったが、本社では、あるいは着ていたのかもしれない。
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石垣りんさんは、名前は知っていて気になってたけど、詩の人だからあまり接点はない(詩が全くと言っていいほど俺は理解できない)かなと思ってたところにエッセイをを発見、読んだ
『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』は詩だけど、理解できたことが嬉しかった
彼女が、地面にしっかりと自分で立って、ぶれながらもしっかりと生きてるのがわかるから、なんか安心する
ぶれてもいいんだって
それにしても政治家、経営者がいう私はぶれないという言葉の軽さよ