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山の向こう側にある主人公を垣間見ることができた
2023/04/11 08:57
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Mr.Problem - この投稿者のレビュー一覧を見る
私自身、エベレスト挑戦第二回目の少し手前からその活動を見ていた者である。
Yahooの特設サイト等で華々しく特集されたりで当初ヒーローに近い扱いで紹介されていたのが、「成功しない」登山が続くことで段々とその活動の情報の取り上げられ方が小さくなる、かつネット世界を通じて主人公への風当たりが強くなってくるのをリアルタイムで感じていた。
多少山をかじっていたからという訳ではないが、自分としても主人公を批判的に見ることが多く、本書の表面的な内容からはその当時自分が持っていた違和感はあまり間違っていなかったと再認識した。
が、山とビジネスというフィルターを意識して外そうと努力しながら本書の内容に接すると、そこに書かれているのは誰しもが持つであろう人間としての弱さ、ズルさ、もがき苦しんだ(苦しまざるを得なかった)のであろう主人公の生き方であることが理解できるのではないか。
作者も主人公を撮影対象から距離を置く人間に変わっていくことを記述しながらも、その向こうにある主人公が持つ人間の生々しさを描こうとしている。
周囲の「期待」を裏切り続けた顛末と結末が死となることを承知しているので、読んでいて段々と辛くなる感覚に襲われてくる。
登場人物の中では数少ない、「山」や「ビジネス」と切り離した主人公を見ていたのだろうと思われる友人Kさんの主人公評と、最後に出てくる東京での相談相手の話す内容に、主人公が救われたような気がした。
安らかに眠ってほしい。
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よくある「登山家ノンフィクション」本かと思いきや、いい意味で期待を裏切られる本。
栗城史多氏の光と影を、豊富な取材を通じて表現されえている一冊。
特に第11幕以降は、感情をゆさぶられ続けます。
「開高健ノンフィクション賞」受賞も納得。
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ひとりの人生として、肥大化させた承認欲求の暴走した果てにある生き様。幸せであったか、他人が評価すべきではないが、勇気と苦悩と葛藤に満ちた人生を追体験できた。
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今年から雪山に登るようになったせいか書店でふと目に止まり読んでみました。彼の事は知らなかったのですが、帯にある通りまさに毀誉褒貶、賛否両論といった具合で山の本というよりは現代社会の宿痾のようなものを感じました。自分自身を商品として企業に売り込み支援してもらい、マスメディアに取り上げられ箔がつく。その繰り返しの中で制御不能になり止まれなくなった末の悲劇だったのか。彼を死に追いやったのは自分かもしれないという著者の反省に何とも言えないもどかしさを感じました。
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読んでいて大変感じ悪く、買ってしまったので嫌々読みました。私も当時彼を応援?、利用、自己満足等している知り合い達に紹介され、講演も聞きました。殆ど何の感銘も受けませんでしたが、お互いに利用し合っているのが感じられる講演会で不愉快で薄気味悪く、彼が明るく振る舞えば振る舞うほど、夢を語る程、陰を感じられました…
従ってこの本も現在のマスコミ及び世相の偽善に満ちた姿勢が浮きぼりになってるよう感じ早く捨てようと思います。また、こんな本に開高健ノンフィクション賞を与えた関係者の品格の無さと惻隠の情の無さには程々開けれました。
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「栗城くんは登山家として三流」
これはとあるテレビ番組で耳にした専門家の言葉だ。
登山について素人であり、高尾山でさえしんどいと感じている自分にとって「単独無酸素登山」を達成した栗城さんは凄い人だと思っていたので違和感を覚えた。
その理由の一端を知れるのが本書だろう
評価が明確に決まっていない登山においての評価軸は、これまで積み上げられた歴史による文化、価値観、美学だと感じる。その点においては栗城さんは登山家として疑義が出たのだろう。
しかしながら、いつだって変革を起こすのは異端者であり、登山界では栗城さんだったのでは?とも考える自分もいた。
栗城さんという1人の人間から「挑戦者」「おろか者」「異端者」といった様々な面を描いている本書であり、それなりに楽しめたが、ジャーナリズムという名前のエゴやわがままのようなものも感じる一冊。
この一冊を持って栗城さんを評価するのだけは避けたい。
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栗城さんの活動の初期に取材で関わった著者が、没後、彼の周囲の方々を取材し、謙虚に丁寧に書き上げられた良書と思います。
私自身は、彼の夢の共有には一度も参加することなく、ネットの記事を追いかけていた程度の者です。興味はあったので、購入して、自分にとってはとても早く、3日ほどで読み終わりました。
孫正義さんの、「未来をつくるため、いかがわしくあれ」という、インタビュー記事を思い出した。
当時なかった登山のライブ中継や、動画配信、夢の共有といったキャッチーな行動が多くの人に受けいれられ、彼はいかに見せ、自分がどうあるべきか、登山そのものより、追求された。見え方を追求しすぎて、いかがわしさももっていたのだと、思った。
ただ、新しいことを周りに受け入れてもらうには、多少のいかがわしさも併せ持つことは、仕方がない。現在のYouTubeなどで起きている、自分の経験を配信する行動は、これが一つのきっかけとなったとも言えるのでは、ないか。
彼が、山を下りてからどのような活躍をしたか、それがなされなくなったことは、残念に思いました。
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ネットニュースで見かけたりSNSで話題になるのを過去に見かけて、気になって調べたこともあったが、久しぶりに「栗城史多」の文字を見て本書を購入。
栗城史多の登山家としての評価、ビジネスマンとしての才覚、実際のエベレスト登山の考察、それらだけで構成されていると思っていたが、テレビマンとしての著者の葛藤や、人間臭さが随所に織り込まれていて、ワンランク上のノンフィクション大作となっている。
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栗城さんのことは亡くなった時のニュースでしか知りませんでしたが、なぜここまで世間から賛否両論の注目を浴びたのかよくわかりました。
人を惹きつける才覚と嫌われる才覚は紙一重だなあと。
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2023/3/15 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2023/6/1〜6/8
劇場型登山家?栗城史多氏の取材をしていた河野氏による、栗城氏のノンフィクション。第18回開高健ノンフィクション賞受賞作。
活動当時から栗城氏の名前は知っており、毀誉褒貶の激しい人だなぁ、と思っていたが、こんな人だった(少なくとも河野氏の眼を通しては)んだな、ということがよくわかる。他分野でもこういうタイプの人は居ると思うが、私個人としてはあまり関わりたくない感じの人だと思った(栗城氏もそうであったように、近しい人にはものすごくファンも多いのかもしれないが)。なかなか、考えさせられる内容であった。
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栗城史多という人、存命中はよく知らなかったのですが、よくメディアにたたかれていた、という印象があります。
もう少し知りたいなと思い手に取る。
う~ん、軽い、この軽さは?
よく計画も練らないで、経験も積まないで、デナリ?エベレスト? 死は必然であったかと思わされます。
おまけに自分の山での行動をリアル配信するという自己顕示欲強すぎ・・・
最後はクラファンでの資金集めとなりますが、クラファンで集まるのもすごいし、それまでは資金を調達できる支援者がいたのだからすごい。
そのあたりは人を惹きつける何かがあったのかなぁ。
でもでも、彼の行動はすべて無謀すぎる、はたして彼を登山家と呼べるのか。
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日本の登山家 35歳という若さでこの世を去った栗城史多さん この本で彼の存在を知り色々な意味で、色々な方面で影響力のある冒険家と思った。凍傷で指を失いながらもエベレスト登頂に挑む姿勢。独自のこだわりがあったんだろう。登頂に成功していたら…もう その後に続く彼の描いたシナリオ夢や目標を知ることができない
南西壁挑戦の謎を解く
夢枕獏さんの「神々の山嶺」読んでみようと思います。
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栗城史多、一時夢中でネットを追いかけていたけれど、途中から胡散臭さを感じて離れた。
本当はどうだったんだという疑問にやっぱりなと納得できたと同時に、彼の取り巻きはそれを知っていて、ウソを真実かの如く発信していたと想うとさらに腹立たしい。
そう非難されるたくないから取り巻きはすべからく取材拒否。まったくだ。
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登山家・栗城さんの訃報はなんとなく覚えている。
自分の登山する姿をネット配信するヒト、ぐらいの認識だった。
一人の人間が持つ魅力、エネルギー、挑戦、挫折、そして人間としての弱さを丹念に描いた文章にドラマ以上のドラマを感じた。
最後、それまで著者がその存在に胡散臭さを感じていた占い師との対話によって一気に解き明かされる本当の姿。
著者が栗城さんに対して抱く浅からぬ愛憎があってこそ、たどり着けた真実であるように感じた。
白くて大きく立ちはだかるエベレストに、ちっちゃなちっちゃな人間が挑む。
でもその人間自身もその人生の毀誉褒貶や、複雑な人間関係をはらむ、いわば小宇宙なのだ。
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栗城さんは、純粋な登山家というのではなく、山に登るインフルエンサーとでも定義すべき人なんだろうと感じた。
以前ならば自分で自分の業績を宣伝するには(あえて宣伝と書きます)せいぜい自費出版位で、しかも自費出版本などほとんど影響はないのですが、技術の進歩によりやり方によっては本当は内容が伴わなくても、影響を及ぼすことが可能になった。
しかしいいことばかりでないのは自明の理で、ある意味栗城さんの死はそれによって引き起こされた可能性だってある(それとなく文内でも暗示されているが)
報道に携わる人そして情報を受け取る我々も、この点はくれぐれも考えてゆく必要があると強く思った。