唐―東ユーラシアの大帝国
著者 森部豊 著
六一八年、李淵(高祖)が隋末の争乱の中から、唐を建国。太宗、高宗の時代に突厥・高句麗を破り、最盛期を築く。武則天、玄宗の治世は国際色豊かな文化を生み、大帝国の偉容をほこっ...
唐―東ユーラシアの大帝国
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商品説明
六一八年、李淵(高祖)が隋末の争乱の中から、唐を建国。太宗、高宗の時代に突厥・高句麗を破り、最盛期を築く。武則天、玄宗の治世は国際色豊かな文化を生み、大帝国の偉容をほこった。安史の乱以降は宦官支配や政争により混乱し、遊牧勢力と流賊の反乱に圧され、九〇七年に滅亡した。本書では、歴代皇帝の事績を軸に、対外戦争、経済、社会制度、宮廷内の権謀術数を活写。東ユーラシア帝国二九〇年の興亡を巨細に描く。
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中国史
2024/06/14 05:38
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国の時代区分や地域性など無地かしい問題から解説してくれている。強大国の印象のある唐だが必ずしも安定した時代であったことが言えないことがよくわかる。建国から滅亡その後まで詳しく解説されている。
唐の歴史
2023/10/05 23:12
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
唐の歴史について新書でよくまとまっており読みやすい。建国当初の鮮卑系の王朝からどんどん変容していく様が面白かった。
わくわくする通史
2023/05/12 08:36
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
隋や唐のいわゆる「中国」的漢人世界とゾグド、鮮卑、拓跋、突厥、契丹……などなど。多くの人たちが鮮やかに交錯する世界。おもしろいです。
わかりやすい
2024/08/13 09:58
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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国の唐の時代について、わかりやすく解説されていて、よかったです。日本との関係だけでなく、東ユーラシアでの存在感に、驚きました。
中国史の枠組みを相対化
2023/06/17 16:27
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投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
290年におよぶ唐の歴史を、「東ユーラシア」の視座で通覧する。北魏から続く遊牧的社会のなかから生まれ、ソグド人である安禄山の乱を契機に変容し、混乱のなかで滅亡するまでを叙述。後の金・元・清につながる「中央ユーラシア型国家」の要素を変容後の藩鎮に見出し、中国史の枠組みを相対化する。
唐という国家を抱いた中国
2023/05/25 15:09
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国史において唐の時代は、大きな関心事だった。日本の律令国家の手本になったのが唐であり、平安時代初期に空海・最澄ら遣唐使として渡海し、日本文化の礎のひとつを形成したことから、関心があった。本書によれば、安史の乱の前後で唐というユーラシア大陸国家は、変貌したようだ。多民族文化が開花した時代と争乱に満ちた時代とが存在し、それが日本の平安時代の次第に朽ち果てるように乱れる時代を誘引したようにも見える。地名と人名の読み方に、苦労して読み終えた。
何と言っても唐帝国
2023/04/19 09:58
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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国古代の大帝国と言えば、その存在期間と強力さ影響力などから唐帝国をあげねばならない。唐時代は、また中国文化の一時代でもある。本書は、そのような唐について、まるごと分かりやすく読める一冊である。
隆唐蛇尾の世界帝国
2024/09/27 16:55
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投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国史の中で、後漢末の動乱から三国時代、普による短期間の統一、五胡十六国、南北朝という期間は動乱の時代であり、隋による統一と隋滅亡後の統一国家である唐(所謂「隋唐世界帝国」)から当時の日本は律令制の導入、長安を模した都の建設や文化面では所謂唐風文化という多大な影響を受けていた。
ただし、歴史の授業で学習するのは唐王朝300年うち「安史の乱」までの前半150年であり、「安史の乱」以降の後半150年は地方においては節度使の固定化した藩鎮、朝廷においては宦官の横暴により衰亡して行ったとしか書かれていないし、関心も薄い。
著者は安禄山や唐において活躍したソグド人に関する著書もある東洋史学者であり、唐の建国から滅亡までを新書版にまとめており、安史の乱以降の歴史にも十分にページを割いている。
建国から「安史の乱」までの中では、名君とされる太宗による「貞観の治」により世界帝国としての基礎が成立したとなるのだが、同じく皇帝即位までに兄弟を殺害し、高句麗遠征を繰り返して敗北しながら、隋の煬帝は史上最悪の暴君で唐の太宗は名君になっているのが不思議なのだが、結果が全てとも言える。
前半期の世界帝国だった唐朝は多民族国家であり、節度使にはソグド人や突厥(ウイグル)系(安禄山はソグドと突厥の混血)が、任じられていたし、遣唐使で渡った阿倍仲麻呂も唐朝の役人として終えている。
「安史の乱」以降の唐朝については、北朝時代の北魏で確立した律令制が行き詰まり、農民に兵役も課していた府兵制が崩壊して募兵性となる中で、元々令外の軍事官であった節度使が地方の軍事・行政の両方の権限を行使する藩鎮となり、租庸調の税制も両税法の制定により物納から現金納付と様変わりし、土地所有者が納めるということにより荘園が誕生し、均田制も崩壊するという構造変化が発生している。
つまり唐朝後半期は中央集権体制では無く、封建領主化した藩鎮が地方を支配する封建制度化したという点で、日本の戦国時代に似ている感もあるが、日本の戦国時代とは異なり、中央政府には税収が入り(著者は唐朝後半について「税制国家」と定義している)、14代皇帝である憲宗による藩鎮抑圧が成功したことにより朝廷の藩鎮に対する優位性が保たれ、唐朝は長らえたということになる(憲宗はこれにより中興の祖と呼ばれている)。
この朝廷の藩鎮に対する優位を覆したのが黄巣の乱であり、反乱軍の前に無力だった朝廷は藩鎮に対する優位性を失い、逆に反乱を鎮圧した藩鎮がやがて唐朝を滅亡させるという流れになるのだが、前半期の律令国家から「安史の乱」以後の後半期は別な国家になったとも言える。
同じく律令制を模倣した日本が平安朝の貴族社会から武士による封建国家に移行したのに対し、中国の場合には後半から藩鎮による封建国家に移行し、唐朝滅亡後に藩鎮が独立君主として乱立した五代十国時代を経て、宋による統一後は文治主義に基づく中央集権国家に戻っている。
島国である日本の場合には、異民族国家からの侵略による脅威は元寇を除き余り無かったが、中国の場合には常に発生し、異民族王朝による支配もあったという点で唐朝も例外では無く、高句麗、突厥、チベット等周辺との関係抜きでは語れないという点での複雑さも実感した。
長い・・・・
2023/06/20 20:53
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投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
さすが世界帝国だけあって、長いのです。途中で挫折してしまいました。中国史が好きな人、俯瞰的に見るのが好きな人は良いかもしれません。