他にはない短編集
2019/07/21 15:21
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
大江健三郎の短編集。各年代ごとの短編が載っていることに加え、自選であり、かつすべての作品に加筆されていると言う。ほかではみることのできない短編集ではないか。
時代別代表作を一気に読める
2018/09/24 23:44
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投稿者:yuko - この投稿者のレビュー一覧を見る
この文庫が出たあとに講談社で全集が出されましたね。
大江健三郎ファンならそちらで全作品読破に勤しむことだと思いますが、こちらはこちらでよさがあります。
作家としての各ステージでの代表的な短編が集められているので、作風などを時代ごとに追うことができます。この点がやはりこの文庫の大きな特長といえるでしょう。自選作品ですので、作家の作品を見る目を我々に定時してくれているという点も読者としてうれしいものです。
初期作品はまさに才能そのものが炸裂している鮮烈な作品ばかり。死体洗いのバイトのうわさは、この作品が出どころになっているなどと言われているようですね。
また、傑作「万延元年のフットボール」が書かれる前の中期作品群はどれもすばらしいと思います。作家としてまさに円熟の境に入ったことがはっきりわかります。
後期作品は、かなり難解であまり理解できません。
息子が生まれてから、かなり作風や人生観そのものに変化があったことが
見てとれます。(息子出生はおそらく中期作品群の頃のことだと思いますが)
「A子さんの恋人」の重要な鍵になっている作品、「空の怪物アグイー」も収録されているので、A子さんで気になった人は新潮文庫ではなくこっちを買うのがおすすめです。アグイーを読むなら絶対に「セブンティーン」も一緒に読むべきだと思うので。
物足りなさがない
2018/06/04 08:50
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投稿者:ろくなな - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み心地に充実感を感じました。
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投稿者:さるけろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
長編では、少し読むのに気が引ける著者だった。しかし、このような、短編なら、よみすすめることができた。難解な部分もあるが、時間をかけて読めば、教えは多い。
大江健三郎は長編だけではない
2019/07/28 18:27
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
大江健三郎の全生涯にわたる短編から作者が自選したものである。大江健三郎は基本的に長編を得意とする作家だと思っていたが、このように短編を続けて読んでいると、長編小説にはない短編ならではの良さがある。今回自選短編集を編むにあたって加筆修正が施されているらしい。初出との比較をするほどの時間はないので違いはよくわからない。時間があれば初出のものも読んでみたい。
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初期、中期、そして近年の短篇から、著者が自選の上、改稿した短篇集。
自選短篇だけあって、ストレートにイデオロギーや政治的なテーマを表現した初期短篇から、徐々に幻想的私小説へと繋がる作風の変遷を俯瞰するには最適。
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大江健三郎という小説家がどのような経緯で現在に至っているかがわかる貴重な一冊。初期の名作『空の怪物アグイー』や中期の名作『レインツリー』シリーズ、『静かな生活』上げていくときりがない。
満足感でいっぱいです。
11月8日追記
まさか『王様のブランチ』で紹介されるなんて思いもしなかった。大江さんが言われるように一冊の本が救いになる瞬間がある。そうした本が持てる読者はやはり幸福なことなのだと思う。
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・大江健三郎「大江健三郎自選短篇」(岩波文庫)を 読んだ。帯に「全収録作品に加筆修訂が施された大江短篇の最終形」とある。本書収録の23編に関しては、以前の「全作品」や「全集」ではなく、これが最終形、もしかしたら定本になるといふことであらう。それを意識して読んだと書いたところで、私にはそれ以前との違ひなど分かりやうはずがない。ただ、かうして初期から最近の作品まで通して読むと、大江の変貌の具合と文体の推移、つまり読みにくくなつていく過程がよく分かる。私が大江を読み始めた時、既にかなりの作品が文庫になつてゐた。それらは初期の作品であつたはずだが、それゆゑにそんなに読みにくいとは思はなかつた。もちろん初期の作品の文体からして大江である。かなり特徴的な言ひ回しがあつたりして、決して読み易い文体ではない。それでもまだましなのだと、本書から改めて思ひ知つた。「大江短篇の最終形」といふコピーに引かれたこともあるが、同時に、そんな文章の変化が、私にも感じられる形での変化が表れてゐるかといふ興味もあつた。結果は、最初から最後までやはり読み易くない、しかも後期、つまり最近の作品ほど読みにくいといふ、これまで私が感じてゐたことを再確認しただけであつた。
・しかしである。内容的には大きな改訂もあつたのである。これは自分で気づいたわけではない。『読売新聞』に「『大江健三郎』を作った短編…デビュー作など自選23編、文庫に」(14.09.28)といふ記事があつた。この中にかうある。「作品の根幹に関わる校正はない。ただ東大在学中の22歳の時、発表 した『奇妙な仕事』では、ある変わった仕事に携わる『僕』『私大生』『女子学生』の3人のうちの1人の設定を、『私大生』から『院生』に直した。」さうか、私大生とあるのに違和感を持つた覚えがあると思ひ出したものである。大江が直したのはもちろんこんな理由ではない。「『私大生』では、学生の『僕』 との違いが出てこない気がした。『院生』にすれば、知的な面や人生経験の違いが出てきますね」。あの現場での対応の違ひがこの改訂によりより鮮明になるとい ふことであらう。もしかしたらこれに関連する小さな改訂があるのかもしれない。手許には何種類ものテキストはないので私には知りやうがない。ただ、50年 以上前の作品にも手を入れて完璧を期さうとする執念(?)には感服するばかりである。万が一、他にもかういふ類の改訂があつたとしても私には気づけない。 たぶんそれで良いのである。読者にはそんな細部に気づくことは求められない。大筋が問題である。だから、「『空の怪物アグイー』の冒頭は、<ぼくは自分の 部屋に独りでいるとき、マンガ的だが黒い布で右眼にマスクをかけている>。以前の『海賊のように』の語を、『マンガ的だが』に入れ替えた。」などといふのにも気づかない。確かにこの方がよりふさはしさうではある。それに気づかずとも読める。分かつた気になれる。さうして「雨の木」連作あたりから読みにくさの度合が一気に強まるのを感じ、ここに至つて大江は日常生活の冒険から抜け出して新たな段階に至つたことを知るのである。それは文体だけでなく、内容、物語からも分かる。己が生活を核にして物語を作る、私はかういふのが嫌ひだから、その文体と相俟つてこの頃から大江嫌ひになつていつた。しかし、今もまだた まに大江を読んでゐる。これがノーベル賞作家の魅力か底力かと思ふのだが……。とまれ、個人的には、物議を醸しさうだが、「セヴンティーン」完全版(第1部、第2部)が読みたかつた。そんなことを考へながら時間をかけて本書をやつと読み終えた次第である。
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初期短篇に含まれている、「奇妙な仕事」「死者の奢り」「飼育」などは再読でも十分楽しめました。ところが中期短篇でさっぱりわからず1年ほどほっておいて、続きを読み始めました。とにかく読み終えようとして読み終えましたが、なにも得るものは無し。評価は初期★★★★、中期後期★★、自分で理解できない為
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デビュー作から後期まで、23篇の短篇集。
初期短編
・奇妙な仕事(1957年5月)
・死者の奢り(1957年8月)
・他人の足(1957年8月)
・飼育(1958年1月)
・人間の羊(1958年2月)
・不意の啞(1958年9月)
・セブンティーン(1961年1月)
・空の怪物アグイー(1964年1月)
中期短編
・頭のいい「雨の木レインツリー」(1980年1月)
・「雨の木レインツリー」を聴く女たち(1981年11月)
・さかさまに立つ「雨の木レインツリー」(1982年3月)
・無垢の歌、経験の歌(1982年7月)
・怒りの大気に嬰児が立ち上がって(1982年9月)
・落ちる、落ちる、叫びながら…(1983年1月)
・新しい人よ眼ざめよ(1983年6月)
・静かな生活(1990年4月)
・案内人ストーカー(1990年3月)
・河童に噛まれる(1983年11月)
・「河童の勇士」と愛らしいラベオ(1984年8月)
後期短編
・「涙を流す人」の楡(1991年11月)
・ベラックッワの十年(1988年5月)
・マルゴ公妃のかくしつきスカート(1992年2月)
・火をめぐらす鳥(1991年7月)
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もうお腹いっぱい。
大江健三郎さんの短編が23編収録されています。
文庫で840ページだから、まるでレンガみたいな厚さ。
デビュー作「奇妙な仕事」から「空の怪物アグイー」まで初期短篇8編は愉しむことができました。
緊密な文体で独特の緊張感が漂っていて、読む方も気が抜けません。
芥川賞受賞作の「飼育」も好きですが、私は「セブンティーン」に結構な衝撃を受けました。
正視に耐えないグロテスクな心情と鬱屈を抱え、学校に居場所のない17歳の「おれ」が、右翼の大物に認められたことで急速に右傾化していく様子を描いた作品です。
これは今、「ネトウヨ」と呼ばれる人たちにも重なるのではないかと思いました。
右翼的な勇ましい言動をすることで不甲斐ない自分を慰撫する傾向が「ネトウヨ」と呼ばれる人たちに強いのは、各方面の識者から指摘されているところです。
「セブンティーン」は1961年の作品。
先見の明があると云えるのではないでしょうか。
中期以降の「『雨の木』を聴く女たち」などの短編は、すみません、頭の悪い私にはちょっとついていけませんでした。
アカデミック臭もかなりして、「これはどういう意味なのか」「もしかしたら、こんなふうに解釈すべきなのでは」などとあれこれ考えて、遅々として読書が進まないということも何度かありました。
でも、池澤夏樹さんも云っていましたが、読んでいてこれだけ大変なのですから、書く方はもっと大変に違いありません。
池澤さんといえば、大江さんの「家族ゲーム」に強い影響を受けたそう。
この機会に本作も読んでみたいとぞ思ふ。
なんかレビューになってないですね。
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150124 中央図書館
初期のものは読みやすいが即物的であり、中期、後期のものはふわふわしてつかみどころがない断章めいたコラージュが多い。
文学を称する以上は、日常的な照明のあたるところだけを写真に撮るように文字に落とすようなことだけではない。言葉の力で、どこまで世界の地平線を広げ、屋根を高く立てて、空間を拡張できるのか、そういうフロンティア感が必要だという考えを想起させるような大江の作品群である。
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[関連リンク]
入門にして傑作選『大江健三郎自選短篇』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/09/post-c879.html
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厚さに尻込みせずに読んだ方がいい。
初期から中期の暗く鬱々とした作品群、中期から後期にかけての抽象画のような美しい、同時に深い思索がある作品群。
時代を色濃く写した作品群を読み進める面白さもある。
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初めての大江健三郎でした。
短篇集にしては分厚いし、初期短篇はかなり暗い。
自伝的小説。
暗喩の表現、散文詩的文章が心地よい。
ご子息との会話が和やかですが、他にも大変なことはいくらでもあっただろう著者は、ご子息を大変大切に想っているのが手に取るように伝わり少し優しい気持ちになりました。
実は二度挫折した本書、理由は初期短篇が暗すぎるから。
それは著者が経験のもとに書かれているのだが、あとがきの話のほうが生々しく強烈な印象を受けた。
苦手意識があったけれど、読後感は最高に良いです。