- 販売開始日: 2023/06/01
- 出版社: 金の星社
- ISBN:978-4-323-01876-8
杉原千畝物語 命のビザをありがとう
第二次大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人を救うために、6,000枚もの命のビザを発行したリトアニア領事代理、杉原千畝。国の命令にそむき、心の命令にしたがった一人...
杉原千畝物語 命のビザをありがとう
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商品説明
第二次大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人を救うために、6,000枚もの命のビザを発行したリトアニア領事代理、杉原千畝。国の命令にそむき、心の命令にしたがった一人の外交官の生涯。
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1か月で6000人
2016/05/24 21:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:めも - この投稿者のレビュー一覧を見る
通行ビザを発給した、岐阜のお生まれでいらっしゃる。
誇りに思います。
杉原弘樹さん、本の内容の訂正をお願いします。
2009/12/15 01:03
6人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る
1938年8月独ソ不可侵条約締結
1939年9月1日ドイツはポーランドに侵攻。
杉原千畝がリトアニア領事代理となったのが1939年11月。リトアニアの外交官は杉原一人だったので、事実上、領事と同じ。
1940年7月27日、大勢のユダヤ人が日本通過ビザを求めてリトアニア領事館にきた。ポーランドから逃げてきた人たちだった。ポーランドを占領したドイツ軍によって、ユダヤ人は組織的に迫害され、ドイツ兵によって親兄弟を目の前で殺され、命からがらリトアニアに逃げてきた人たちがいた。(「日本人に救われたユダヤ人の手記」ソリー・ガノール著)
以下「杉原千畝物語」から引用
*
五人の代表がポーランドを出てからカナウスにたどりつくまでの、苦しくて恐ろしい旅のようすを話しました。(中略)
そして最後に、
「数人分のビザでしたら、わたしの権限でもだすことができます。しかし、何百人、何千人ともなると、どうしても本国の外務省の許可をもらわなければなりません。ですから、きょうは、あなたがたの求めに、すぐお答えすることができないのです」(中略)
オランダのグッドウィル領事は、ユダヤ人に同情している人でした。オランダは、五月にナチス・ドイツに占領されていましたから、ユダヤ人を助けるわけにはいきませんが、南米にあるオランダ領のキュラソー島なら、ユダヤ人を上陸させてもいいと、領事は考えていました。そのためにも、日本を通るビザが、ぜひ必要だったのです。
*
このあと、杉原千畝は外務省へ電報を打つが、返事は
「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」
この指示自体は、平時、まともなものであり、ユダヤ人と他の外国人を差別したものでもないと、私、みどりのひかりは思います。
しかし、これにまともに従っていたのでは緊急を要し、命の危険にさらされている人々をみすみす死なせてしまうことになります。
千畝は入国許可手続きを終えてなくても、また金を持ってるかどうかには目をつぶり、ビザを出す決断をした。
で、千畝は日本がビザをだしても、ソ連が彼らを通過させてくれなかったら、ビザは役に立たないので、ソ連の領事に通過させてもらうことが出来るかの確認をとります。その上で彼はビザを発行した。
杉原千畝物語はこのあと、次のような文章になっております。しかし、この文章は奥さんの杉原幸子氏あるいは長男の弘樹氏が良く調べもせずに、想像で書いたもので、歴史記述の大きな過ちがあります。
*
そのころ日本は中国との長い戦争をつづけていましたが、この七月二十二日には第二次近衛内閣ができて、大東亜共栄圏建設というスローガンのもとに、アジアへの侵略を、いっそう広げていく方針が決められていました。
陸軍大臣には東条英機が、外務大臣には松岡洋右が就任しました。政府全体が、ドイツ、イタリアと手を結んで、日本に批判的なアメリカやイギリスと対立していく方向へむかっていったのです。
そんな時ですから、松岡外務大臣が、ドイツにさからうようなビザの発行を、認めるとは思えません。
*
確かに1936年に日独防共協定は結ばれていましたし、千畝がビザを発行した1ヶ月後の1940年の9月27日には日独伊三国同盟が結ばれましたが、松岡外務大臣が本当にビザの発行を認めなかったのでしょうか。杉原千畝物語は戦後だいぶ経って書かれたものであり、すでにビザ発行を受けたユダヤ人たちが無事に日本を通過して生きのびていたことがわかっていました。ということは、日本政府がこれを妨害していなかったことを意味しています。杉原ビザは厳密に言えばあきらかに発給のための条件不備だったものがほとんどだった。(「日本とユダヤその友好の歴史」ベン・アミー・シロニー著)それでも、日本政府はそれに因縁をつけて日本上陸を阻んだりしていません。(例外が1件あって、72人のユダヤ難民が最終目的国のビザがなかったので下船が認められなくてウラジオストックヘ送り返され、ソ連でも入国を許さなかった。しかし、その後、助けがあり、結局日本に上陸できた。)
私が「杉原千畝物語」を読んで疑問だった点は、まさにここにあります。もし、日本政府が杉原幸子氏の言うようにビザ発行を認めてないのだったら、あるいはドイツと同じようにユダヤ人に対し残虐行為をする意思があるのであれば、入国拒否し、どこかで野たれ死にすることを待てばすむはずだったはずです。しかし、日本の役人はそうはしていない。みんな生きていけるようにした。彼女はどうしてこれを考えなかったのでしょうか。
なお、「日本とユダヤその友好の歴史」によると、同時期にリトアニアのアメリカ領事館にもビザ申請があったが、書類が適法でないという理由で、99パーセントはもらえなかった。 さらにイギリスはもっとひどくて、クレイギー駐日英国大使は、杉原ビザの発給を聞きつけて、松岡外相に苦情を呈している。パレスチナを委任統治していた英国は、ユダヤ難民がパレスチナに移住するのを警戒していたからである。
千畝さんの行為は自らの命の危険をもかえりみず成したものだと思います。ナチスの陰謀にかかれば外務省を首になる程度のことでは済みません。そして私は千畝さんは家族への危険をも頭のかたすみに感じていたのではないかと思っています。だから私は千畝さんは奥さんが思っていたよりはるかにすごい人だったと思っています。
東条英機も松岡洋右もオトポール事件ではユダヤ人難民を救うべく尽力しています。また東条は陸軍少将樋口季一郎のユダヤ人擁護の演説に対するドイツからのいちゃもんに対し、日本はドイツの属国ではないとこれを蹴飛ばしています。(「日本とユダヤその友好の歴史」「陸軍中将樋口季一郎回想録」など)
杉原弘樹さん、本の内容の訂正をお願いします。
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